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学院を卒業したナタリーは、無事官僚試験に合格し、総務部の下っ端職員として王宮で日々忙しなく働いていた。官僚になれば、生活は安泰だ。何より四十年勤め上げれば一代限りの爵位が与えられるし、功績を上げれば褒賞として叙爵されることもある。少しでもマクシミリオンの隣に立つのに相応しくなるためにもってこいの職だった。
ナタリーは十九歳、対するマクシミリオンは二十歳となり、互いに結婚適齢期を迎えていた。本来ならばそろそろ現実を見て結婚相手を探すべきところだが、ナタリーはマクシミリオンに何度振られても未婚を貫く覚悟でいた。
彼への想いは断ち切れぬままかれこれ三年、振られた数は通算十回にも上るが、それでもまだまだナタリーは諦めるつもりは無かった。
学院時代、ナタリーがマクシミリオンへアプローチをしていたのは有名な話で、最初の方はよくファンクラブや彼に想いを寄せる令嬢たちから呼び出しを受けたものだった。それでもファンクラブへは「彼のことを憧れではなく本気で好きになったからアプローチする」ときちんと宣言したし、貴族令嬢へは「ライバルとして頑張りましょう」という言葉を送った。あわせて彼への気持ちを熱弁するうちに気づけば咎められることも無くなった。
彼女たちの中にはなんだかんだいってナタリーを気にいった人もいたらしく、そこから友人になる人物まで出てくるのだから面白い。そして今日はそんな友人とランチの日。元男爵令嬢だった彼女は今や子爵夫人で、旦那さんと仲睦まじく暮らしている。
「ねぇ、マクシミリオン様、とうとう宰相補佐になられるそうよ。異例のスピード出世ね」
久しぶりの休日。予約必須のお店でランチを楽しんでいると、友人のミシェルがふとマクシミリオンのことを口にした。
噂には聞いていたが、まさかこれほどまでに早く昇進が決まるとは。
ナタリーは呆然としながら相槌を打った。
「そうなの。本当に雲の上の存在になってしまわれたのね……」
マクシミリオンとの差がどんどん開いていくのが寂しい。彼に相応しい人間になれる日など来るのだろうかと不安になる。
だが、心配そうにこちらを見るミシェルの視線に気付き、ナタリーは慌てて弱気を振り払う。
「でも、まだ諦めない。やれること全部やり尽くさないと!」
「それでこそナタリー!積年の片想い、そろそろ実るところ見せてちょうだいね」
応援してくれるミシェルを前にナタリーは任せなさいと胸を張る。彼女は元マクシミリオンのファンクラブ会員だ。掴み合いの大喧嘩をしてからというもの、すっかり気の置けない仲となり、今ではナタリーを応援してくれている。
そんなミシェルに頑張れと言われると元気が出る。ナタリーは席に座り直し、ふわふわのシフォンケーキを口いっぱいに頬張る。
口の中であっという間に溶けて消えていくシフォンケーキ。その甘さに浸れるのも一瞬のうちで、口寂しくなれば、すぐにさっきの不安が戻ってきてナタリーの胸に翳を落とす。
考えるのは、やはり自分とマクシミリオンとの間にできた分厚い壁のことだ。
「……私の何が足りないのかな」
どこまで努力し続ければ良いのだろう。どうすれば、マクシミリオンはナタリーを意識してくれるようになる——?
ナタリーがぽつりと呟くと、ミシェルは何かを言いたそうにナタリーを見つめる。
彼女の視線に気づいたナタリーはふと顔を上げた。
「ミシェルは何か思うところがあるの?」
「えぇと……」
「遠慮しないで教えてちょうだい。どんなことでも良いから」
正直に話してくれるよう頼むと、最初は渋っていた彼女は辿々しく口を開く。
「…………本当はあまりこんなこと言いたくないのだけれど、貴女とマクシミリオン様とではあまりに身分差が……。ごめんなさい、あまり気を悪くして欲しくないのだけれど…………」
ミシェルの言うことは最だ。
マクシミリオンは次期侯爵で、対するナタリーは平民。身分差は明らかである。
大抵の人は、ナタリーに身の程を弁えろと言う。
「やっぱりそうよねぇ。出自はどうしようもないから、他でどうにかしたいと思っているのだけれど……」
「彼の好みの女性のタイプは知っていたりする?」
「うーん」
ナタリーの脳裏にシャーロンの姿が浮かぶ。
タイプというよりは、マクシミリオンの想い人その人だが、思いつく条件を挙げていく。
「お淑やかで、高潔で、誰にでも平等で優しくって、花の妖精のように美しい人、かなぁ」
「……完璧な淑女ってこと?」
ミシェルにそう言われ、ナタリーは頷く。
「そうね、淑女の中の淑女って感じかも」
「なるほど……。確かに、ナタリーに淑女のイメージは無いわね」
そこまではっきり言われると少し笑ってしまう。
「でも私はそのナタリーの素朴なところが好きよ。単純で真っ直ぐなところ」
「つまり単細胞ってこと?」
「そこまでは言ってないわよ!」
「そこまではってことは、少なからずそう思う節はあったってことでしょう」
「………………そうね」
「もう!」
堪忍して頷くミシェルに、ナタリーは怒ったそぶりで詰め寄る。けれどこうして軽口を叩ける相手がいることが嬉しくもあった。
その後も会話に花を咲かせ、日が暮れる前に解散になった。アパートへ帰ろうと足を進めていたナタリーは、夕日が沈む道端でふと足を止める。
(……本当に、どうすれば彼に振り向いてもらえるんだろう)
最近はマクシミリオンに全くもって会えていない。
ナタリーはただの総務部の下っ端職員で、対する彼は宰相補佐。宰相補佐は宰相の右腕ともいえる存在で、次期宰相候補でもある。
こちらから会いにいけるような身分ではないし、会う理由もない。学院時代は勉強や課題といったものを理由にして構ってもらっていたが、今はそういった方法も取れない。
(結局、何をすれば良いというの……)
どうやれば彼に意識してもらえるのだろう。
出自など気にするような人ではないから、まだ何かナタリーに足りないものがあるのだろう。
どうすべきか知りたくなったナタリーは、答えを求めるようにマクシミリオンの退勤時間を狙って彼に話しかけた。彼が出てきたのは日がどっぷり沈んだ真夜中だ。
門の影から姿を現したナタリーに、マクシミリオンは目を見張る。
「……ナタリー?どうした、君らしくない。こんな時間に押しかけてきてこちらも困るだけだ」
「ごめんなさい。でも、一つだけ聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと?相談事か?」
「いいえ、すごく個人的な質問です。……マクシミリオン様はどのような女性が好みなのですか?それとも、もしかしてもう既にどなたか好いている女性がいらっしゃるのですか?」
もう彼の口からはっきりシャーロンと言って欲しい。そうすれば、諦めがつくかもしれないなんて、彼の気持ちも考えず勝手なことを考える。
ナタリーの問いかけにマクシミリオンはしばらく困惑していたが、ゆっくりと口を開く。
「そうだな。個人的には慎ましやかで所作の一つ一つが絵になるような、気遣いができるくらい視野が広いのに少し抜けたところがあるような……そんな、女性が好みだ。それからはっきりと言うが、私は君の想いには応えられない」
マクシミリオンは名前こそ口にしなかったが、彼の言う条件は完全にシャーロンを想像してのもので、ナタリーはまたもや打ちのめされた。
「……分かりました、ありがとうございます。夜分遅くに失礼しました」
それでも彼は答えをくれたのだから、感謝を述べてその場を後にする。
彼に一途に想われるシャーロンに嫉妬しながらも、分かっていたことだと心を落ち着かせてアパートまで戻ろうとした。
けれど、そんなナタリーを他でもないマクシミリオンが呼び止める。
「もう暗い。家まで送ろう」
「いえ、私の勝手で待っていただけですから。アパートはすぐ近くですし」
「それでも夜道に女性一人は危ない」
ナタリーは圧に押し負けて素直に頷いた。
マクシミリオンと横並びで歩く帰り道。学院時代のことや生徒会メンバーのことなど、他愛のない会話をしながら石畳の道を進んでいく。ナタリーは胸がふわふわしながらも切ない感情を抱いてその瞬間を噛み締めていたが、ふと会話の途中でマクシミリオンが言う。
「ナタリーは、どうしてそこまで俺が好きなんだ。もっと他に良い男はたくさんいるだろう」
そんなことはないと声を上げたくなる気持ちを抑え、ナタリーはゆっくりと話し出す。記憶に鮮明に残っているあの話だ。
「……学院にいた時、図書館で殴られそうになる私を庇ってくれたことがあったじゃないですか。あの時のマクシミリオン様の背中が今でも忘れられないんです」
颯爽と現れて、大きな背中で庇ってくれた。
あの時、その場から動けなくなるほど胸がときめいたのだ。
それだけではない。
「孤児だと揶揄された私を蔑みも哀れみもしなかった。ただ対等に一人の人間として評価してくれた。それが心の底から嬉しかったんです」
「……俺の他にもナタリーを評価している者はいる」
「筆頭はマクシミリオン様です」
ナタリーは笑顔でそう答えた。
「だから、もうしばらく好きでいさせてください。釣り合う人間になれるよう頑張りますから。……私は人と距離を取るのがあまり上手くなくて。今日もご迷惑をおかけしましたよね。もし、あまりにもしつこくて煩わしくなったら、遠慮なく突き放してくださいね」
きっとそのレベルまでいかないと自分は失恋を受け入れられない。優しい彼に酷な頼みをしてしまったと思いながら、ナタリーはお辞儀をする。
「ここまでで結構です。目的地はあそこのアパートなので。わざわざありがとうございました。では、おやすみなさい」
返事を待つより先に歩き出す。
マクシミリオンがどんな表情をしているかなど考えないように、ナタリーは頭を振る。
(私にできること。彼に釣り合うために、出自以外で変えられること……。彼の求める女性のタイプは……)
やはり脳裏に浮かぶのはシャーロンの姿であった。
◻︎ ◻︎ ◻︎
次の日から、ナタリーは彼の言う条件に合うような所作を心掛けようと心に決めた。彼の隣に立つに相応しい女性にもならなければならない。
ミシェルに協力を仰ぐと、彼女は戸惑いながらも協力すると言ってくれた。
『そんなに淑女になりたいの?私で教えられることがあるなら教えるけれど……』
休日は彼女の住む屋敷を訪ねて、挨拶や食事の作法など、あらゆることを学んだ。
彼女を真似て、所作も口調も変えるようにした。その中で、ひたすらマクシミリオンが好きになってくれるような自分になれるよう努めた。
ミシェルはいつも眉を下げてナタリーを見ていたが、ナタリーの変化は職場の人々の反応を見るに上々だった。所作や表情一つで人の態度というものは大きく変わるのだと驚愕した。
「おお、ナタリー君!久しいじゃないか!元気にしていたかい?」
「ええ。おかげさまで毎日充実しております。エミリオ様もお元気そうです何よりです」
「ははっ、そうかい。……それにしても、なんだか雰囲気が変わったように見えるな」
「ここは王宮ですから。無作法が無いよう、気を引き締めることにしたんです。それに……マクシミリオン様の隣に立つには必要なことですから」
久しぶりにエミリオと会った日。騎士団第三部隊隊長となった彼と王宮内でたまたますれ違って立ち話をした日。こんなことなら早いことマナー改善に努めれば良かったと嘆くナタリーを見て、エミリオは少し哀しそうな顔をしたが、ナタリーがそれに気づくことは無かった。




