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それからまたしばらくして。
「あれ、アイリス先輩」
今度はナタリーの方が道を歩いていたアイリスに気づき、つい声をかけた。
道端で突然声を掛けられた側のアイリスはぎょっと肩を揺らし、首を回してナタリーを見つけると、静かにしろとでも言わんばかりに近づいてくる。
「……何?」
「すみません、つい嬉しくて声をかけてしまって……」
話しかけた後で、彼女の困ったような反応に反省する。そういえば、プライベートで会話を交わすのは初めてだ。最近は何だか彼女との距離が近くなったような気がしていたから、つい遠慮というものを忘れてしまった。
ナタリーが反省の色を顔に出すと、アイリスは小さな声でボソッと言う。
「別に嫌だった訳じゃないわ。……ただ、私と話してもせっかくのデートの邪魔になるだけじゃない」
アイリスはツンデレだった。
「全然お邪魔虫じゃないですよ!ね、エミリオ先輩」
エミリオに助け船を求めると、彼は朗らかに笑って立ち上がる。
「ああ。アイリス嬢をナタリーはすごく頼りにしているからね。彼女がいつも世話になっているそうだね」
思えば、アイリスの不器用さを指摘し、彼女がただ冷たいだけの人ではないと分からせてくれたのは、エミリオだった。名前は伏せていたけれど、鋭い彼はきっと気づいたはずだ。そして彼女の本質を見抜いてナタリーにそっと教えてくれた。
この鋭さと思いやりこそ、ナタリーがエミリオに対して最も尊敬を抱くところだ。
「エミリオ・バルテルト殿、どうして私の名を……」
「あなたは覚えていないかもしれないが、私たちは同級生だったろう?」
「……………………おぼえていますよ」
アイリスの呟きは誰の耳にも入らず消えていく。
だが二人がそれを聞き返そうとするより前に、彼女は「そうですか」と冷めた声を出すと、持っていた紙袋を漁る。
「これ、良かったらお二人に」
アイリスが差し出したのはかわいらしい絵柄の缶だ。先ほど人気の店で買ったクッキー缶だと言う。
「では、私はこれで」
さっさと踵を返していったアイリスは人混みに紛れ、あっという間に姿が見えなくなる。
彼女からの突然の頂き物にいまだに事態が飲め込めないまま、ナタリーはゆっくりと椅子に腰掛け直した。
「つい条件反射で頂いちゃいましたけれど……」
「彼女の方からくれたんだ。受け取って、後日改めて感謝を伝えよう」
「そうですね」
今日はやけに知り合いに会う。
不思議なこともあるものだと思っていると、なんとフェリシアとジュートまで現れる。
車椅子に乗ったフェリシアは嬉しそうにナタリーに手を振ってくれる。彼女に早くと急かされたジュートさんは、やれやれと言ったような表情で車椅子を押した。
「ナタリー!それから……」
フェリシアはエミリオへと目を向ける。
「エミリオ・バルテルトです。ナタリーの……」
「私のお付き合いしている方よ」
「「ナタリー!!」」
エミリオの照れたような声と、フェリシアの感激の声が混ざり合う。
二人は揃いも揃ってその目に涙を溜めた。
「え、ちょっと二人とも。今のって泣くところ?」
「「いや……」」
エミリオとフェリシアは感情の波が同じらしい。
変な状況に苦笑していると、やがてフェリシアは顔を上げてエミリオに言う。
「実は、エミリオ様のこと、前から存じ上げておりました。お兄様からもナタリーからもよくあなたの話を聞いていたので、何だか初めて会った気がしませんね。ナタリーのこと、どうぞよろしくお願いしますね」
「こちらこそ君のことはマクシミリオンからもナタリー君からも聞いていました。ナタリー君にこんな素晴らしい友人がいて私は誇らしい。こちらこそ、これからもナタリー君をよろしくお願いします」
二人が挨拶を交わしているうちに、パタパタと小走りで走る誰かの足音が聞こえてくる。
現れたのは大量の紙袋を両手に引っ提げ、さらに頭を優に超える高さまでいくつも箱を重ねたマクシミリオンである。
「お兄様遅い!」
「お前っ、俺のことパシリすぎだ。ジュートもいい加減その役割交代してくれ……って、ナタリーとエミリオじゃないか!」
こちらに気づいたマクシミリオンの目がまんまると開かれる。
「偶然だな。デート中か?仲良しで良いことだ」
「マクシミリオン、そういう君は何だか大変そうだね」
「妹を持つ兄の宿命だから仕方ない」
いつもと変わらない様子で、エミリオはマクシミリオンと軽口を交わす。
すると、ふと何かを思い出したようにマクシミリオンが話題を変える。
「それより、機会がなかったので言いそびれていたが、二人とも正式に付き合っているんだってな。おめでとう。ナタリーもエミリオも幸せになって欲しいと心から願っている」
マクシミリオンから真っ直ぐ発せられるメッセージ。
優しい声音は、フェリシアとジュートからも発せられる。
「おめでとう、ナタリー!幸せにね!」
「おめでとうございます。大変お似合いのお二人です」
彼らからの祝福に、ナタリーは穏やかな笑みを浮かべて応える。
「任せてください。エミリオ先輩のことは、私が絶対幸せにします!」
「ナタリー君!私はいつも君に幸せにしてもらってばかりだが、私だって君を幸せにする!」
ナタリーとエミリオの言葉に、目の前の三人は吹き出して笑う。
「ふっ、これはなかなか良い調子じゃないか」
「心配する必要は無さそうだわ」
「普段はナタリーさんが攻めなんですね。……ウチと逆です」
最後に聞こえた台詞はとりあえず置いておいて、ナタリーはエミリオと顔を見合わせる。
マクシミリオンを前にしたって、ナタリーの心はもうエミリオに囚われっぱなしなのだ。
――好きですよ。
心の中でそう呟くと、不思議なことにエミリオは真っ赤な顔をして照れる。ナタリーは、自分の気持ちがエミリオにきちんと伝わっていることが嬉しくて、ついふふふと声を出して笑った。
それからは、ナタリーがパーティーに出席すると知ったフェリシアの独壇場だった。
「王宮の祝賀会、私も参加する予定よ。ジュートやお兄様も居てくれるけれど、ナタリーもいるならさらに心強いわ。一緒に楽しみましょう!」
興奮するフェリシアとそれに付き合うナタリーのすぐ横で、男性陣は別の会話を交わす。
ジュートはカチャリと眼鏡を掛け直しながらエミリオに話しかけた。
「『笑われ者のヨル』、ぜひ私にも貸してください」
「なぜそれをっ」
「成り行きで。ですが表紙を見ただけで中身は見ていませんよ。大量の付箋には気づきましたが」
エミリオははぁーと安堵の息を吐く。
隣でマクシミリアンが首を傾げた。
「二人とも何の話しているんだ?」
「何でもありませんよ。それよりマクシミリオン様は、さっさと荷物を持って先に帰っていてください」
「お前フェリシアとくっついてから俺への当たり強くないか?」
「あなたのせいで一時お嬢様との仲が拗れたのですから当然です」
ジュートは、ふいとマクシミリオンから顔を逸らし、フェリシアのそばへと行ってしまった。
もうすぐ日が暮れる。
夕暮れが皆を赤く染め出した頃、フェリシアは満足そうな顔でジュートとマクシミリオンを連れて帰っていった。
◻︎
カフェでの会計を済ませたエミリオとナタリーは、紫色の空の下、手を繋いで歩いていた。
「何だかんだで、カフェに長居しすぎた気がします」
「今日は実に面白い一日だったね」
「ほんとに!でも皆祝福してくれて……嬉しかった」
「そうだな」
二人揃って柔らかな笑顔を浮かべる。
ナタリーはふと気づいたことがあって、エミリオに伝えた。
「私、本当は祝賀会に出るの、ちょっと怖かったんです。誘っといてあれですけれど、エミリオ先輩に恥かかせないようにとか、自分といることで先輩まで悪く言われたらどうしようとか、後ろ向きなことばかり考えてしまって……」
ナタリーが前までマクシミリオンをしつこく追っていたのは王宮でも有名な話だ。だから、エミリオと相思相愛のナタリーを見ても、周囲の反応はきっと冷ややかなものになると容易に想像つく。
――でも。
「今日偶然いろんな人たちに会って、お祝いの言葉や品をもらって、私たちのことを認めてくれる人たちがいるって分かって…………」
声がだんだん掠れていく。なんだか、込み上げてくるものがある。
ふと、背中に温もりを感じてナタリーは立ち止まった。
エミリオの大きく厚みのある手がナタリーの背中に当てられている。
エミリオを見ると、彼は優しく微笑んでいる。
ナタリーは肩の力を抜いてまた歩き出した。
「今の私は、誰が何と言おうと、間違いなく幸せ者だって気づきました。だから祝賀会では、エミリオ先輩と居る時の私は誰より幸せで、私と居る時のエミリオ先輩も誰より幸せだって証明してみせます」
恐らく、周囲はそこまでナタリーやエミリオのことを気にしていないだろう。ただ話のネタに丁度良いから目をつけられるだけ。
だけど、それだって気になるには気になるから、だから覚悟を持って臨むのだ。
「そうだね。ナタリー君の言う通りだ。私たちならきっと乗り越えられるよ」
そう言って自信を与えてくれるエミリオの手を、返事の代わりにぎゅっと握ると、エミリオはさらに強く握り返してくれる。それだけで、ナタリーはまた一つ強くなれたような気がした。
隣を見上げる。彼の空色の澄んだ瞳が、優しくナタリーを見つめ返してくれる。
「……やっぱり、エミリオ先輩は太陽というよりは空に近いかもしれないですね。なんというか、どこまでも続く大空……」
「大空?」
「晴れやかで、気持ちの良いひとだから。皆エミリオ先輩のところで一息付きだがるんです」
ナタリーは空が大好きだ。正確には、大好きになった。なぜなら、ある一つの事実に気づいたから。
「空は、あらゆるものを繋げてくれるでしょう?太陽も、星も、月も、人も、夢も。誰も見捨てないし諦めない。だから私はそんな空を包み込むために、宇宙のような存在を目指してみようと思うんです。ずれた発想だと思いますか?」
ナタリーの言葉に目を見開いたエミリオは、問いかけられて首を横に振った。
だが、話の着地点が宇宙だったことに、つい吹き出してしまう。
「いいや、実に壮大で良いじゃないか」
「じゃあ何で笑っているんです?」
「ナタリー君らしいと……。ああ、ほんとに君は、いつも私に元気をくれる」
エミリオは笑みが抑えられないまま思う。
――ナタリー君は知らないんだろうな。この時間が、どれだけ私を癒し勇気づけてくれているのか。
仮面を付けても仮面を下ろしても、隣にいてくれるひとがいる。それがどれほど心強いか。きっとナタリーがどちらのエミリオも受け入れてくれたから、エミリオは大空のような存在でいられるのだろう。
ナタリーはエミリオにとって夢だった。遠くに立つ目印で、決して手の届かないものだった。
でも想いが通じあった後、『笑われ者のヨル』の感想を話し合う中でナタリーは言った。
『ヨルは最後に夢を叶えました。私とエミリオ先輩の夢も叶いましたね。次はお互い何に例えようかしら』
――そうか、僕は大空で、ナタリーは宇宙だったのか。
ナタリーは、次はエミリオにとっての宇宙のような存在になってくれるらしい。
『ナタリー=宇宙』
脳裏に浮かんだ文字を想像して、エミリオは吹き出す。
怪訝そうにこちらを見つめるナタリーの視線が愛おしくて堪らなくて、エミリオは初めて許可をとらずに彼女の唇を奪った。
「っ!」
顔を真っ赤にする彼女にしたり顔を向けながら、今日の夜にでも『笑われ者のヨル』の最後のページに『ナタリー=宇宙』を付け足そうと考える。
スキップをしたくなるほど心地よい時間の中、エミリオとナタリーは今日も手を繋いでいつもの帰り道を歩いた。
最後まで読んでいただきありがとうございました!




