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それからしばらく経ったとある日の朝、フェリシアは調査書と新たな企画書をアイリスへ提出した。
「調査の結果、一つの案が浮かびました。王都図書館との協力が必要不可欠なものとなりますが、既に図書館側の了承は得ています」
「気が早いんじゃないかしら」
意気込むナタリーを見るアイリスの目は相変わらず冷たい。
だが、企画書にしっかりと目を通す姿に、ナタリーの中で期待が膨らんだ。
「……図書館を交流場所に、あらゆる人々が価値を共有し合う。なるほど、悪くないコンセプトだわ」
「っ、ありがとうございます!」
アイリスから褒められたのは初めてで、ナタリーは嬉しさの余り声を張り上げる。すると、あっという間にアイリスの眉間に皺が寄ってしまう。
「静かにして。周囲に迷惑よ」
「すみません、つい……」
興奮のあまり我を忘れてしまった。ナタリーは肩を縮こませる。
企画書を読み込みアイリスは、ペンを取り、何かを書き込みながらナタリーに言う。
「この前、孤児院を訪ねたわ。一見整った環境のように思えたけれど、問題はまだまだたくさんあった。何より孤児院の子達は皆一人一人心に別の傷を抱えていて、癒すための場所が必要だと感じた。あなたはきっと、彼らを癒す一つの案として教育を挙げていたのね」
かつてアイリスに却下された孤児院の子たちへの教育計画。
だが、アイリスは実際自分の足で確かめに行き、行きしとは別の考えを持って帰ってきたらしい。
ナタリーは頷く。
「はい。私にとって教育は、環境を変える何よりのきっかけでした。得た知識は道を開き、環境を変え、夢を与える。そんな経験を私の後輩たちにもして欲しいと思いました」
ナタリーは物心つかない頃に両親を失い、施設に預けられた。
物心がついた時、初めて認識したのは大人の暴力の恐ろしさだった。打たれたのはほんの僅かな期間だけ。それでもあの時の恐怖は、今でもふとした瞬間に脳裏に浮かび上がる。
国の調査でその職員はすぐにクビになり平穏な日々が訪れたが、最低限の衣食住を満たすだけの生活では未来も夢も持つことさえ考えなくなる。
それに気づけたのは、慈善活動で孤児院を訪れたとある老人が沢山の本を与えてくれたおかげだ。
皆文字なんて読めないと放っとくだけだったが、ナタリーは必至に文字を覚え、本を読み漁った。全ての始まりはそこからだった気がする。
遠い昔の記憶を思い出していると、アイリスはほんの少しだけ表情を歪める。実は調査場所を二人で分けた際、彼女は自ら孤児院へ行くことを選んでいた。彼女の心でどういう心境の変化があったのかは分からないが、知ろうとしてくれることが嬉しかった。
アイリスはナタリーを真っ直ぐ見つめて言う。
「あなたは苦労人なのに、それをおくびにも出さない。私は箱入り娘のくせに、”足りている”なんて表面だけ見て決めつけてしまった。先日あなたが生きてきた世界を初めてきちんと見て、やっとあなたの提案の意味と必要性がわかったわ」
アイリスは落ち込んだように下を向く。
「反省したわ。だからこの反省も踏まえて、あなたの案を次に進めようかと思うのだけれど」
次に進める、ということは……。
「それってもしかして……」
「採用よ」
顔を上げてそう告げたアイリスの一声に、ナタリーは思わずガッツポーズで応える。
それを見たアイリスは、初めて口の端を少し上げて笑った。
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「――ということで、もうすぐ王都図書館との連携サービスが始まるんです!スロープの設置や通路の幅の調整なんかは、業者の方々と図書館の方々で進めてもらっているところで、フェリシアからは既に前の何倍も働きやすくなったって報告が届いていて……。あ、フェリシアっていうのは、私の図書館で働いている友人のことなんですけれど……」
マクシミリオンの妹、ということを伝えても良いか迷う。
けれど、エミリオはとっくにそのことを知っていたようだ。
「マクシミリオンの妹さんだよね。ナタリー君は時々会話の途中無意識にその名を口にしていたし、彼女に関しては昔マクシミリオンからも相談を受けたことがあるよ。直接的な接点はないけど、元気そうで良かったじゃないか」
ナタリーはホッとして体から力を抜き、会話の続きに戻す。
「すっごく元気なんです。彼女の助けになれたことがほんとうに嬉しくて!」
アイリスやフェリシア、ミシェルらの協力のもと、ナタリーは納得のいく働きができたと思っている。そして感謝対象には、もちろんエミリオも含まれている訳で……。
「エミリオ先輩も色々と相談に乗ってくれてありがとうございました。おかげで、良い結果になりそうです」
明日は、その結果を目にする日だ。
図書館で開かれる読み聞かせ教室に、読み書き教室、それに学習塾。時間に余裕があり図書館に通いつめている年配の方々が教師となって、孤児院や下町の子たちの相手をしてくれる。
一度お試しでやってみた際は、子どもが図書館を走り回ったり、かくれんぼを始めたり。予想外の問題が起こりに起こって、その都度対策を考えることになったけれど……。
「ふふ、楽しみです」
そんなハプニングも含めて、ナタリーはこの企画を気に入っている。上手くいったら、次は出張図書館なんかも開いてみたい。アイデアは色んな人と交わるたび日々生まれてくる。
ご機嫌な彼女に、エミリオは優しい目を向けながら呟く。
「私も頑張らないとなぁ」
「エミリオ先輩の方こそ、この前マクシミリオン様と二人で指揮をとって、北方の災害対策支援を大々的に行っていたじゃないですか。それこそ凄いことなんですよ?」
ナタリーが企画に追われている間、エミリオはエミリオで忙しそうに走り回っていた。
会える時間は貴重だったが、彼の頑張りはよく耳に入ってきていたので誇らしい気持ちで過ごしていた。
「ナタリー君にそう言ってもらえると自信になるが、私もまだまだ精進しないと」
――これ以上精進されたら、永遠に追いつけなくなりそう。
エミリオらしい返事に、ナタリーは苦笑してしまった。
手を繋ぎ、二人並んで歩く帰り道。その上では暗く染まった空に無数に広がる星々が二人を温かく包み込んでいる。
手のひらから伝わる温もりで仕事の疲れを癒す瞬間が、ナタリーは大好きだった。
機嫌の良さに押されるようにして、ナタリーはエミリオにある提案をする。
「そういえば、アイリス先輩に言われたんですけれど、今年の祝賀会一緒に出ませんか?私は毎年パスしていたんですけれど、今年は仕事も頑張れたし、パートナーになってくれそうな方もいらっしゃ、る、ので……」
語尾が弱くなっていくのは、エミリオが足を止めて固まってしまったからだ。
彼の反応にどうすべきか迷い、ナタリーも足を止めてエミリオを振り返り、見上げる。
しばらくすると彼の顔はみるみる真っ赤に染まっていく。
「……先を越されてしまったけれども、私も誘おうと思っていたんだ。こちらの方こそ、ぜひ君と一緒に参加したい」
エミリオは上擦った声でそう応える。
きっと彼のことだから、毎年出席していないナタリーのことを気遣ってなかなか口に出せなかったのかと考えると、それはそれでくすぐったい気持ちになる。
「でしたら、ドレスや服も考えなくちゃいけませ――」
「今度の休日、共に見に行こう!!ぜひ君に似合うドレスを贈らせてくれ!」
ナタリーの言葉を遮り、エミリオが声を張り上げる。潤んだ瞳がナタリーに向けられており、繋いだ手からは手汗と震えが伝わってきた。
――ほんとに、エミリオ先輩はかわいらしい人ね。
ナタリーの胸がぎゅうと疼く。
周囲の生温かい視線が二人に注がれる中、ナタリーは朗らかに笑って頷いた。
「はい、楽しみにしにしています!」




