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「その表情は上手くいったのね」
フェリシアのアパートを訪ねた日、幸福を隠しきれていないナタリーを前に、フェリシアは心底嬉しそうに微笑んだ。
ナタリーも大きく頷いて感謝を告げる。
「ありがとう、フェリシア、ジュートさん。あなたたちに背中を押してもらえたおかげで上手くいったわ」
「それは何よりでございます」
「何よ、ジュート。あなた出番なんてほとんどなかったじゃない。私たちはたいしたことなんて何もしていないわ。ナタリーが頑張ったからこその結果よ。ナタリーを幸せにしてくれる人が増えて本当に嬉しい……」
ぽろぽろと涙を流し始めたフェリシアに、ナタリーもジュートもぎょっと目を剥く。
これほど涙腺が弱い人だっただろうかと不思議に思うほど、大粒の涙が溢れている。
「な、泣くほどのことかしら?」
「お嬢様っ、目が腫れてしまいます!」
二人してあたふた慌てていると、それがおかしかったのか、フェリシアは、今度は途端ぷっと吹き出す。
「ふふ、ごめんなさい。あまりにも嬉しくて。これからはナタリーとたくさん恋バナできるのね。なんだかさらにわくわくしてきたわ」
「そうね。あなたとジュートさんの惚気話ももっと聞けるのね」
「「なっ!!」」
今度はフェリシアとジュートの方が真っ赤な顔をして絶句することとなる。
ナタリーは同じ表情の二人にくすりと笑みを溢し、そっと玄関から上がった。
「お邪魔します。今日はチーズケーキと良い香りの茶葉を買ってきたわ」
ナタリーが土産の入った紙袋をフェリシアへ渡すと、当然の如くそれをジュートが受け取り、キッチンで湯を沸かし始めた。
◻︎
今日はエミリオとのこととは別に、フェリシアを訪ねたもう一つの用事がある。
ダイニングテーブルに腰を下ろし、ナタリーは切り出す。
「それで話は変わるけれど、あなたが今図書館で働いていて改善してほしいと思うところを教えて欲しいの」
ナタリーの仕事に関することでフェリシアの意見を聞くべく、メモを片手に待機する。
あらかじめフェリシアへ協力の手紙を送り、了承を得ていたので、彼女はすらすらと話し始める。
「そうねぇ、まずは段差の多さね。私が大変っていうのもあるけれど、意外とお年寄りや小さい子供も足を取られることがあるわ。それから書架が……」
フェリシアの視点は、ナタリーでは気づかないものばかりだった。何より驚いたのは、彼女が自分だけでなく来客者の声もきちんと認識していたこと。
それは毎日図書館で働く中において、様々な人との関わりを経て次第に磨かれていった彼女独自の観察眼が働いたゆえだろう。
フェリシアの慧眼に感動を覚え、ついナタリーの案が独りよがりだと先輩に却下されてしまった事を伝えると、彼女は少し考え込んで言う。
「思ったのだけれど、その先輩の言いたかったことって、独りよがりというよりは、孤児は孤児、お年寄りはお年寄りみたいに、枠の中の人たちだけで完結してしまっているってことだったのかもしれないわね」
「枠の中の人たちだけ……」
確かに言われてみればナタリーは、ターゲットを絞って彼らが望むであろう案を考える、という形ばかり取っていた。
「公共って、色んな人がいるわ。だから、その色んな人たちが皆巻き込まれちゃうような何かを期待したのだと思うの。その先輩、辛辣だけど、彼女自身もなかなか不器用な人なのではないかしら」
ペイリー先輩――アイリスは確かに冷たく厳しいが、仕事に関してはいつも筋が通っていた。ナタリーが職場で浮いた時も、皆がナタリーを避ける中、彼女だけが一人ナタリーの企画書を読んでくれていた。
(そっか、横の繋がりをもっと広げることも、”公共”には必要なんだわ)
曇っていた頭が晴れていく。
意見を募るなら、もっと色んな人から集めなければ駄目だ。働く社会人や、子ども、そして子を持つ親、高齢者。たくさんの人の声が聞きたい。
まずは、そこから始めなければ。
「ありがとう、フェリシア。あなたのおかげで大事なことに気づけたわ」
ナタリーのやる気は激っていた。
◻︎
週明け。職場でアイリスに新たな企画書を提出すると、彼女はぺらぺらとそれをめくり、感情の読み取れない目で文字を追いながら呟いた。
「悪くない案ね。ただ調査するって、具体的にどんなことをするの?」
「それはですね……」
アイリスの反応に心の中でガッツポーズをし、ナタリーは自分の意見を詳しく説明する。
「王立図書館の職員の方に協力を仰ぎ、意見ボックスの設置をして貰いました。その他にも……」
ナタリーの言葉に、アイリスは真摯に耳を傾けてくれた。
◻︎
翌日、さっそくナタリーはミシェルの住む子爵家を訪ねた。
彼女は今や一児の母で、もうすぐ二児の母になる。
貴重な意見を沢山もらえそうだと思い、仕事の協力を仰いだのだ。
「随分久しぶりね、ナタリー」
「久しぶり、ミシェル。突然ごめんなさいね」
「気にしないで。ただ話すだけだから負担もないし、色々と愚痴る相手も欲しかったところだし」
ミシェルは快くナタリーを出迎え、お茶を出してくれる。要件を切り出すと、彼女は「そうねぇ」と話し出した。
「私たち家族は一応貴族だけれど、裕福って訳ではないの。だから基本的には質素に暮らしているし、図書館を使わせてもらうこともあるわ。カシムは絵本が好きだから、図書館で借りられるだけ借りて、家で読み聞かせて、読み終わったら返却して、また別の本を借りてって感じで……。でも、図書館を使うのはそれくらいね」
「図書館にはカシム君も一緒に?」
「まさか、連れて行けないわよ。静かな図書館で大注目を浴びることになるわ。小さい子を静かな場所に連れて行くってなかなか勇気がいることよ。泣き出したらどうしよう、周囲に迷惑をかけてしまうのでは、ってなるの。本当はその場で読み聞かせとかしてあげられたら良いんだけれどね」
ミシェルはそこまで話すと、ふと話題を変える。
「それより、少し前にあなたがマクシミリオン様に振られたことすごい話題になっていたわよ。……大丈夫なの?」
心配そうにこちらを見つめるミシェルに、ナタリーは頷く。
定期的に届く手紙にも心配だと書かれていたが、改めて不安にさせていたと申し訳なくなる。
「大いにふっきれたわ。それに、今はもう別に好きで付き合っている人がいるの」
「えぇっ!?!?」
エミリオとのことはミシェルには話していない。
ナタリーの言葉に目を丸くしたミシェルは、次の瞬間には怒涛の如く質問攻めにしてくる。
――誰?どんな人?私も知っている人?
――どこで出会ったの?
――どこに惹かれたの?
相手がエミリオだと知り、さらに「えーっ!?」と驚愕するミシェルに、ナタリーは苦笑を溢す。彼女は学院の同級生だから、副生徒会長として有名だったエミリオのこともよく知っていた。
「エミリオ先輩の前だと自然体でいられるの。背伸びしなくても良いってほっとする」
その心地良さは、恋というよりは愛という形で育った。
もうエミリオ以外の人は考える気にもならない。
「……確かに、淑女になろうと努力するあなたの姿は……なんと言うか、追い詰められているようで見ていて辛かったから、エミリオ様の方がナタリーには合っていたのかも。とにかく、あなたがいつになく幸せそうだから、それが答えなのでしょうね」
かつて淑女教育に励むナタリーを見ていた悲しそうな目とは違う、憂いのない嬉しそうな目がナタリーに向けられる。そのことに気づいた時、ナタリーははっとした。
――ああ、自分は思っていたよりずっと色んな人から思われていたのかもしれない。
エミリオにも、フェリシアにも、ミシェルにも。もしかしたらアイリスだってそうなのかもしれない。
いつも変わらず、自分のそばにいてくれた人たち。
それが分かる今が、ナタリーは嬉しいと思った。




