20 エミリオ視点
ナタリーに想いを告げると決心した翌日。
副騎士団長用の執務室に現れたジャンに、エミリオは目を丸くした。
「どうしたんだ、その頭は……」
ジャンの頭は坊主になっていた。爽やかな黒髪青年はさっぱり姿を消してしまっている。
驚くエミリオに、ジャンは眉根をぎゅっと寄せて言う。
「騎士でありながら女性に失礼な言葉を浴びせ、恩のある先輩の足枷になった戒めです」
「そこまで思い詰めなくても……ナタリーはきっと君のことは許していると思うよ」
あの時のことなら、ナタリーの声を突っぱねたエミリオの方が、罪が重い。
「いいえ、こうしなければ俺の気が済みませんでした。いい笑い者になるでしょうが、俺にはそのくらいが丁度良いんです」
ジャンの決意は固く、晴れやかな程だった。
「誠に勝手ながら、先程ナタリーさんに頭を下げてきました。実際、副団長の言う通りナタリーさんは全然怒らなかった。むしろ俺にありがとうって言ったんです」
ナタリーらしい対応だ。
だが、ありがとう、とはどういう意味だろう。
「俺は部外者で、もうこれ以上お二人の仲を拗らせるようなことはしたくないですが、今日彼女としっかり話して確信したことがあります」
ジャンは真っ直ぐエミリオの瞳を見つめる。
「お二人はお似合いです。これ以上ないほどお似合いでした。だから自信持ってください!」
ジャンはそう強く言い切ると、鍛錬のため部屋を出ていく。
残されたエミリオはぽつんと佇立しながらも、その胸に次第と湧き上がる覚悟の炎をしっかりと再確認した。
◻︎
ジャンは、きちんとナタリーと向き合った。
けれど、エミリオはまだそうではなかった。
『笑われ者のヨル』の感想会当日――玄関を開けた先に立つナタリーの表情は柔らかかった。
怒りも、憎しみも、悲しみも、全部。負の感情の欠片なんて一つもない顔をしていたことに、エミリオの胸はぎゅうと締め付けられた。
ナタリーはきっと、エミリオの為にそうしている。エミリオが人一倍呵責を負う性格だと知って、これ以上傷つくことがないように歩み寄ってくれている。
ならば、自分も彼女の勇気に応えよう。そう思って、エミリオも同じ表情で彼女を家に招き入れた。
「私の好きなタルトに、淹れたての紅茶なんて、エミリオ先輩はどこまでも優しい人ですね」
「ははっ、たいしたことないよ。それより何か欲しいものとか頼み事があったら遠慮なく教えてくれ」
ナタリーに褒められたことが照れ臭く、エミリオはぎこちなくソファに腰を下ろす。自然体でいたいと思えば思うほど、動揺が体の外側に出てどうしようもない。
しばらく目を合わすことなく会話が続き、タルトを食べ終わった頃、ナタリーは鞄から本を取り出す。
「エミリオ先輩、お話があります」
『笑われ者のヨル』――その表題を見た時、エミリオはぎゅっと心臓が押し潰されそうになるほどの緊張を覚えた。
あれにはエミリオの全てが詰め込まれている。ナタリーはそれに気づいたのだろうか。
ナタリーの澄んだ瞳がエミリオを真っ直ぐ見据えている。何を言われるのか気が気ではなかったが、彼女はずいと本を差し出してきた。
「私の答えを書きました」
「…………」
――答え。
感想ではないのか。
予想外の言葉に、エミリオが暫くフリーズしていると、ナタリーが慌てて言葉を付け加えてくれる。
「えっと、直接書き込んだ訳ではないので安心してください。代わりに付箋を一枚貼って……」
ナタリーが必死に弁明する中、エミリオは自分の心が凪いでいる感覚に気づいた。
答え――そこにはきっと今を変えてしまう言葉が書かれている。けれど、エミリオがずっと恐れてきた瞬間が近づいているというのに、不思議なほど心臓は穏やかに波打つだけだった。
ゆっくりと本を開き、パラパラとページをめくる。目に入るのは自分の書き込みばかり。しばらしくして、最後のページでエミリオの手が止まった。
首を捻りながら、文字を読み上げる。
「『夢=エミリオ』……?」
どういう意味だろう。なぜエミリオが夢になる?
エミリオはかつて『夢=ナタリー』と書いた。それは、物語の中で、ヨルにとって恋焦がれて仕方ない存在が夢であり、エミリオにとってのそれがナタリーであったからだ。
(まさか……)
湧き出た期待は自惚れ以外のなにものでもない。でも、今日は自惚れたって良いとエミリオは決めている。
そしてそれを肯定するようにナタリーが言う。
「エミリオ先輩は、私のことを夢って書いてくれていましたよね。私の幸せを願うって。それを見たとき、私がヨルなら、きっと私にとっての夢はエミリオ先輩だと思ったんです。……思えば昔からずっと、エミリオ先輩には幸せになって欲しいと思っていました」
同じだった。
ナタリーもエミリオと同じことを思っていた。
エミリオは、その日初めてナタリーの目をきちんと見た。
「昔はただの願いだったんです。……でも今は、何というか、それだけでは物足りないというか、欲張りになったというか……」
辿々しくなりながら喋り続けるナタリー。
エミリオは彼女の言う内容が信じられないほど都合の良いものだと、ただ聞き役に徹するしかできなかった。
「いつからかは分かりません。でも気づけば、私がエミリオ先輩を幸せにしたいって思うようになったんです。先輩の本音が知りたい。私には遠慮しないで我儘を言って欲しい。幸せになって欲しいじゃなくて、一緒に幸せになりたい。だから、つまりですね、私はエミリオ先輩のことが……」
ナタリーが顔を上げてエミリオを見つめる。
あまりの展開に、エミリオは口をあんぐりさせるのが精一杯だった。
耳を赤くしたナタリーは、少し咳払いをして一呼吸おく。
「…………少し、いやかなり照れくさいですね。けど…………」
ナタリーがエミリオの空色の瞳をしっかりと見つめる。
バイオレットの薄紫の瞳が決意を固めたように煌めく。エミリオがずっと惹きつけられてやまなかった、追いかけてきたそれが、全て自分に向けられている。
――ああ、そうか。
やっと。ようやっと。
エミリオの願いは叶うのだ。
「これだけは今日伝えようと思って来ました」
期待と不安が混じるのは、絶対なんて言葉を信じていないから。
エミリオはずっと、自分のことも、ナタリーのことも、諦めてきた。踏み出してナタリーに告白してなお、彼女の心まで手に入れるのは無理だと一線を引いてきた。
でも、それだって、絶対じゃない。
そのことが、心の中にすとんと落ちた。
「好きです、エミリオ先輩。大好き。ナルシストで自信家なところも、臆病で気にしいなところも、全部含めて――」
エミリオは気付けばナタリーを抱きしめていた。
ふわっと香るお日様の少し甘い匂い。
胸が張り裂けそうなほど悲鳴をあげているのに、まるでここが自分の居場所だと言わんばかりに落ち着いた。
ずっと、触れるのに躊躇してきた。
触れてしまえば、その線を越えたら、きっと戻れなくなると、足がすくんで仕方なかった。
「……ありがとう」
情けない涙声が出る。でも、もういい。
ナタリーの前では、どんな自分でいても大丈夫。
その思いはきっと、ナタリーも同じで。
「色んなことを間違ってしまいました。きっとこの先も自分を見失う時が来るかもしれません」
「そんなことはないさ」
「でもその時にエミリオ先輩が側にいてくれるなら、私はきっと自分を見つめ直すことができる。先輩がいるから目を背けないで立ち向かっていける。それに……私もエミリオ先輩にとってそうありたいと思いました。他の誰でもなく私がです」
ナタリーの言葉に、エミリオは腕にさらに力を込める。
「私もそうだ。ずっとそうだった。欲張りにも心の中でずっと君と一緒に幸せになりたいと思っていた。でも私は臆病で、君の声を素直に信じることができなかった。ジャンのことも、君はもっと私に怒っても良いはずなのに、今日だって不思議なくらいいつも通りに笑顔でいてくれて……。でも……これは夢じゃないんだな?」
「夢じゃないです。夢なんかじゃありません」
ナタリーがぎゅっとエミリオの服を掴み、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。その行為さえ愛しくて、彼女なりの求愛行動で。
エミリオは暫く静かになって、ゆっくりと口を開く。
「……本当の恋人に、なってくれるのかい?」
掠れた声は、臆病だから。
――けれどナタリー、君ならこんなところでさえ愛しいと言ってくれるのだろう?
エミリオのナルシストな部分が、ふと湧き上がり、自信に変わっていく。そして気づいた。
そうか。この勇気のためならば、ナルシストだってきっと無駄ではなかった。
「ここでいいえと言ったら?」
「大泣きする。君に縋り付いて、頷いてくれるまで家から帰さない」
それをやってのける覚悟が、今のエミリオにはある。
「ならなってあげないとですね」
ふふ、とナタリーが笑いながら上を向く。
「意地悪言ってごめんなさい。お詫びに何でも好きなこと一つ聞きます」
「何でも……?」
そんなことを言ったら、エミリオは大いに期待する。
だが、心の底にいつもはしまっている我儘でも、今日はナタリーが叶えてくれるというのなら。
エミリオはナタリーに視線を送る。ナタリーはただただ頷いた。
――どうぞ、お好きなように。
そう言われた気がした。




