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 ナタリーがマクシミリオンを好きになったきっかけは、七年前にまで遡る。


 当時、平民で特待生として王立学院に入学したナタリーは、名家の子息子女ばかりの学院で誰とも馴染めず一人孤独に過ごしていた。

 生まれも育ちも大きく異なる彼らと話が合わないのは当然だとナタリー自身も一線を引いていたから、特に悲しむこともなく学院生活を一人で謳歌していた。繋がりや伝手はあるに越したことはないが、無くとも大して困らない。そんな彼女の器用さをクラスメイトは快く思っていないようだったが、気にせずマイペースに過ごしていた。


 飽き性なナタリーは授業には真面目に出席していたが、退屈を感じると僅かな時間でもすぐに図書室に行って本を読み漁った。実学に結びつく、直接的に言えばお金になるような過ごし方をすれば、退屈でもまだ頑張れると思ってのことだった。


 入学して数ヶ月も経てば図書室によくいる面々を把握するようになり、中でも一際目立っていた青年は、絵としていつまでも眺めていたいほど綺麗だと思った。時には座って、時には本棚のそばで、時には窓際で。背筋を伸ばして真剣に本を読む姿は好印象だったし、短めに切り揃えた真っ直ぐな黒髪も炎のような赤い瞳も、彼の実直な性格を体現しているようで好ましかった。

 端正な彼は人気があり、彼目当てで図書室に入り浸る女生徒も多かったから、彼が生徒会に所属している一学年上のマクシミリオン・シトロン侯爵令息だということはすぐに分かった。

 シトロン侯爵令息のファンクラブの噂は聞いていたが、なるほど、確かに彼を追いたくなるファンの気持ちも理解できる。そう思いながら、彼の居る図書室で本を読み漁る日々を重ねた。


 そこからまた一ヶ月程度経ったある雨の日。その日はナタリーにとっての厄日だった。


「あなた、孤児なのでしょう?」


 どこからかナタリーの出自を得た貴族令嬢が、教室に響き渡る大声で話しかけてきた。

 全員が驚愕の顔でナタリーを見つめ、次第にその顔に嫌悪が浮かんでいく。

 そうだ。ナタリーは孤児だ。生まれたばかりの頃に捨てられ、孤児院で育った。両親は物心つく前に事故で亡くなって、顔すら分からない。

 今は寮に入っているから、出自なんて平民という括りのみで判断されるだけだったが、どこから情報を得たのか不思議だった。

 この事態を予想していなかったわけではないが、まざまざとその様子を見ているのは苦しく、その日は一日中図書室に入り浸った。

 まぁ、自分自身は出自など気にしていないからどうでも良い。

 ただ風当たりが強くなるだろう今後を憂い、心は晴れなかった。


 迎えた放課後――図書館でナタリーを見つめる視線がいつもより冷たくなっている様が可笑しくて湿っぽく笑った。だって、そもそも存在すら認識されていなかったのに、突然後ろ指を刺される有名人に成り上がったのだ。いや、この場合成り下がったと言った方が良いのかもしれない。どちらにしても、しばらく穏やかな日々とはおさらばとなってしまった。


 それでもナタリーはまだ普通だった。というか冷めていた。

 ただマクシミリオンだけが、ナタリーを気遣うような視線を向けていて、彼の心優しいところが透けて見えた。目線が合うたびに彼の曇りない眼がナタリーを貫く。

 ナタリーはどうしてか、彼の前でだけは自分が孤児だということが恥ずかしかった。


 そんなある日、図書室でナタリーは見知らぬ男子生徒に絡まれる羽目となった。

 何やら話があるらしいが、その内容は確か『孤児など本命には出来ないが遊んでやるから光栄に思え』みたいな内容だったと思う。華奢で顔立ちもそれなりに整っているナタリーはこういった誘いを受けることがこれまで何度かあった。

 だがナタリーはこういった色恋沙汰には全くもって興味がなかった。

 変に目をつけられて困ったものだと断りを入れたが、無表情に断りを入れるナタリーは、男子生徒を怒らせてしまった。

 お前如きがと罵られながら打たれそうになった時、ナタリーは孤児院で手を上げられた日のことを思い出した。言うことを聞かなければ躾だと主張して殴る手が、今の彼のそれと重なる。

 久々に嫌な光景を思い出したとナタリーは目を伏せたが、いつまで経っても痛みはやって来ない。

 理由は目を開ければすぐに分かった。その生徒より遥かに背の高い誰かが、振り上げた手を咄嗟に掴んでくれていた。


「何をしている」


 助けてくれたのはマクシミリオンだった。

 彼はナタリーと男子生徒の間に割り込むようにして、ナタリーを背に庇って立っていた。

 さすがに侯爵家の子息相手に横柄な態度は取れない。小心者の男子生徒は媚を売るようにマクシミリオンへの説明を急いだ。


「いや、私はこの女を注意しようとしただけだ!」

「暴力はいかなる理由があれ校則違反だ。このまま見過ごすわけにはいかない」

「なっ、たかが平民、しかも孤児相手になぜそこまで……!」


 言われ慣れたワードだが、直接目の前で堂々と口に出されるとさすがのナタリーも胸が痛んだ。

 変えようのない出自は、今さら努力でどうにかできるようなものでもないのに。

 きつく下唇を噛み締める。

 だが、マクシミリオンはナタリーではなく男子生徒を睨みつけて言った。


「平民だろうが、孤児だろうが、この学院の生徒ならば皆校則で守られて当然だ。お前は出自で人を判断しているようだが、お前より彼女の方がよほど優れた人間であると俺の目には映っている」

 

 その言葉を聞いた途端、ナタリーの身体から力が抜け、ぺたりと床に尻餅をついた。

 男子生徒への恐怖や、助けてもらった安心感、色々な感情が一気に吹き出したこともあったが、何よりナタリーを庇ってくれたマクシミリオンに対する好感度が急上昇したのだ。


(シトロン侯爵令息……格好良すぎる…………)


 あれはダメだ。刺激が強すぎる。


 あんなに真っ直ぐにナタリーを肯定してくれるなんて、彼は想像以上に素晴らしい人だったようだ。


 騒ぎを聞きつけた他生徒や室員が慌てて教諭を呼んでくれたようで、ナタリーに絡んだ男子生徒はあっという間に連れられていった。

 残されたナタリーは衝撃でしばらく動けなかった。その日のナタリーは全くと言っていいほど使い物にならず、ただボーッと頬を染め続けていた。



◻︎ ◻︎ ◻︎



 ナタリーはマクシミリオンに庇われてからというもの、彼に憧れを抱くようになった。

 図書室では常に彼を視界の中に収め、その凛々しい姿をバレないように観察した。

 ファンクラブからは釘を刺されたが、見るだけなら構わないだろうと言って追い返した。その時のナタリーは全くもって彼に近づくことなど考えておらず、ただ尊敬する憧れの存在として僅かな時間でも同じ空間にいられたらそれで満足だった。

 ナタリーに絡んだ男子生徒の件はあまり公にはならなかったが、目撃者もそれなりにいたことでちょっとした噂にはなり、結果としてナタリーへの風当たりは少し弱まった。彼のように謹慎をくらってはさすがにまずいということで、無駄に絡まないようにしようとむしろ腫れ物扱いされるようになった。ただ結局のところ遠巻きにされる現状は変わらず、人との触れ合いがないマイペースな日々は継続されることとなり、ナタリーは以前と変わらない学生生活を送っていた。

 

 しかしながら困ったことに、とうとう孤独を恐れないナタリーでさえどうにもならない出来事が起こる。


 合同実習だ。毎年、学院保有の森で行われる恒例行事は必修で単位にも影響する。


 一年生、二年生、三年生の縦割りで組まれたチームで遠征を行う合同実習では、常にチームで行動することが求められる。特にチームで一番下っ端の一年生であるナタリーは、当然ながら先輩、さらには同級生からでさえパシリとして使われ、二泊三日あるうちの一日目から疲労困憊だった。

 荷物持ちはまだ良いものの、ナタリーの分の食事が出ないだけなんてこともあった。飲み物も満足に貰えないから、川の水を布で濾過して飲む。お腹を下しても飲まないよりはましだと躊躇いのないナタリーを、チームメンバーは馬鹿にしたように笑って見ていた。


「孤児だから、束の間の飢えなど慣れているのでしょう?」

「ごめんなさい。あなたの分の水、先ほど使ってしまったの。ええほんとうに、悪気は無かったのよ」


 簡単にそう言ってしまえる彼女たちにげんなりしたが、そうだ、束の間の我慢だと思って耐えていた。実際、一日二日程度であるならば、食事を抜くことくらいナタリーにとっては慣れたことだった。学院に入ってからこそ食に満足にありつけるようになったものの、ほんの数ヶ月前まで腹一杯食べることなど贅沢だという認識のもとで生きていたのだから。 

 

 だが、体力を酷使する実習の最終日で、ナタリーはとうとう倒れた。というか、体に力が入らなくなって立ち上がることさえ出来なくなってしまった。

 荷物持ちが使えなくなってはさすがに困る。それに何より自分たちの悪事がバレてしまうのはもっと困る。事態を重く受け止めたチームメンバーたちは、ナタリーから自分たちが預けた荷物や野宿の道具を全て取り上げ去っていった。

 おそらく、救急担当者でも呼びにいって、でっち上げの事情でも話し、助けてもらうつもりなのだろう。

 

 それでも助けてもらえるなら、大人しくここで待つことにしよう――と目を伏せたナタリーだったが、その瞬間、誰かが自分の引っかかって転ぶ音がした。驚いたような声が聞こえ、しばらくして視界に一人の男子生徒の顔がぼんやりと映る。


「おっと、すまなかったな。しかしなんだってこんなところで寝ているのだ?君は変わった子だとよく言われないか?由緒正しき学院の生徒ならば、せめて寝るにふさわしい場所と体勢をしてくれたまえ」


 能天気な声に、瀕死状態のナタリーは怒りも通り越して笑ってしまう。

 ダメだ……笑うとエネルギーを消耗して、忘れていた空腹が戻ってくる。そう思えば思うほどツボに入ってしまってどうしようもなかった。

 彼はナタリーの噂など知らないようで、そんなところに少し気が緩んだのかもしれない。軽やかな声に、大袈裟な身振り。どう考えても何も知らない第三者だ。

 ナタリーは掠れた声で男子生徒に話しかけた。


「……あの、たべもの、……くれませんか」


 その言葉を聞いた彼は、ようやっとナタリーがただ寝ていたわけではないことに気付いたようで、慌てて体を起こしてくれた。


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