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17 エミリオ視点


(今ごろ彼女は紙袋を受け取っただろうか)


 エミリオは執務室で一人、ペンを走らせながら考えこんでいた。


(彼女は本を読んで、何を思うのだろう。仮にメモ書きを読まれて引かれてしまったら……)


 考えることは尽きないが、その内容は全てナタリーに関すること。

 あの本『笑われ者のヨル』にはエミリオの全てが詰まっている。

 恥ずかしくて自分自ら差し出すことなんてできず、ジャンを介すことにしてしまったが、無事彼女の手に渡っているだろうか。

 本を貸してくださいと言われた時、エミリオはいつも以上に動揺し狼狽えた。

 あの本にはエミリオのナタリーに対する思いの全てが込められている。彼女に読まれることなどあり得ないと思っていたから、エミリオの全ての解釈を詰め込んでいた。

 しかし、心の内のどこかでナタリーに自分の全て知って欲しいという気持ちもあったのだろう。一種の賭けでエミリオは彼女の提案を受け入れた。


(いや……本当は観劇に誘った時から、こうなることを私自身が望んでいたのだろうな)


 そもそも彼女と付き合っていること自体、現実味が湧かない。

 彼女がとうとうマクシミリオンを諦める、誰か紹介してくれと頼んできた時は、突然のことにかなり動揺してしまった。その上、わざわざその場で告白すれば良いものを、あえて一度は架空の男との顔合わせの場を作るという、意味の分からないことをしでかしてしまった。

 自分がここまで空回るなんて思わなかったし、実際ナタリー限定だと思う。彼女の前では貼り付けた仮面も簡単に剥がれてしまって、どうにも格好悪いところばかり見せている。


 それでもやっぱり笑って受け入れてくれる彼女を、エミリオは愛おしいと思ってしまう。彼女はエミリオなら友情以上の情は抱いていないだろうに。


 ふぅ、吐息を吐くと、扉がノックされる。入りたまえと許可を出すと、予想通りの人物が帰ってきた。


「副団長、渡してきましたよ。ありがとうございますって言っていました」

「そうか。頼まれてくれて悪いな」

「いえいえ」


 ジャンはエミリオ直属の部下だ。

 二つ年下で弟のように人懐っこい彼は、入団した頃からずっと変わらずエミリオを慕ってくれている。

 大型犬のような見た目と性格をしているが、人を立てることに長けており、彼のような後輩の存在がエミリオを副騎士団の座に上げてくれたと言っても過言ではない。

 そんなジャンは、いつもはすぐにソファに腰をかけるのだが、今日は何やら様子がおかしい。


「あの………」


 彼の顔には後悔の色が滲んでいて嫌な予感が滾る。もしかしてナタリーと何かあったのではないか。

 エミリオはガタンッと席を立った。


「何かあったのか!?」

「あった……と言いますか、やってしまったと言いますか……」

「何をだ?!」


 思わずジャンの肩を掴むと、ジャンはゆっくりと顔を上げて目を合わせてくる。


「……ナタリーさんに、副団長のことが本当に好きなのかと、真摯に向き合ってくださいというようなことを、図々しくも言ってしまいました」


 ヒュッとエミリオの喉が鳴った。

 どうして君がそんなことをと問うようにジャンを見ると、彼は「すみません」と俯きながら謝る。その瞳には反省の色に滲んでいて、それ以上咎めることもできない。

 詳しく事情聴取をしたかったが、それよりもナタリーを追いかけて彼女に謝罪する方が先だ。

 エミリオは執務室を飛び出した。


 すまない、ナタリー。どうか私のことを嫌いにならないでくれ。ジャンは私たちの事情など知らないのだ。


 そんな言葉を頭の中で何度も繰り返して、辿り着いた先。

 エミリオは、マクシミリオンがナタリーに触れている光景を目の当たりにした。


 マクシミリオンとばちりと目が合い、やがて振り向いたナタリーの目が大きく開かれていく。

 エミリオは心の動揺を悟られないように平静を保とうとしたが、表情筋は随分と固く、不器用な笑顔しか作れなかった。


「釘を刺してすまない。ジャンが失礼なことを言ったようで、急いで謝るために君を追いかけようと思って。邪魔をするつもりは無かったんだ」

「違います!たまたま会っただけです!」


 邪魔をしたと謝るエミリオにナタリーが珍しく大きな声で「違う」と言ってくれたことが嬉しく、彼女の心に自分がいることを確認できた気がしてほっとした。しかしそれも束の間。マクシミリオンがナタリーを見つめる瞳を見て、エミリオは酷く不安になったのだ。


 マクシミリオンはナタリーに想いを寄せているのではないか。

 彼がその気になれば、エミリオなどあっという間に追い抜かれてしまうのではないか。


 彼には敵うまい。


 結果、臆病なエミリオはナタリーから目を逸らしてしまった。


 その時、肩に手が置かれた。エミリオを追いかけてきたらしいジャンが、冷え冷えとした目でナタリーを見据えていた。


「やっぱり利用されているんじゃないですか、副団長」

「ジャンっ!!君は――っ」


 エミリオは胸がヒヤリとした。

 慌てて彼を止めようとするのも虚しく……。


「だってそうとしか思えないじゃないですか。実際二人は今こうして触れ合っていますし、きっと盛り上げ役として副団長がハマり役だっただけですよ」


 吐き捨てるようにそう言ったジャンに、エミリオは珍しく怒声を浴びせた。


「口を閉じてくれ、ジャン!」


 ナタリーを傷つけるような言葉をこれ以上並べて欲しくなかった。

 ジャンがエミリオのことを思ってそう言ってくれていることは分かっている。だが、それとナタリーを傷つけることは別だ。エミリオの忠誠心がこのような形で現れることは避けたかったというのに……。


「そうだ。これは、私が焦って勝手に彼女の手を掴んだだけで、ここで話したのもたまたま会ったからだ。誤解しないでほしい」


 マクシミリオンの証言で、自分の早とちりに気づいたジャンは、強く唇を噛み締めた。言ってしまった言葉も行動も取り返せない。そのことをひどく悔いているようだった。


「……っ、すみません、失言でした」

「ナタリー、本当にすまない。ジャンは連れていく。マクシミリオンと二人で気をつけて帰ってくれ。また後日、改めて謝罪をさせる」


 きっとナタリーはエミリオに幻滅したことだろう。

 そうでなくとも、真っ直ぐに彼女を庇ったマクシミリオンには胸の高鳴りを感じたはずだ。

 そう思って俯くが、それでもナタリーはエミリオのことを案じてくれた。


「私、ここでエミリオ先輩のこと待っていますよ。一緒に帰りましょう」


 彼女の目は真っ直ぐと力強くエミリオを見据えていた。

 まだ期待しても良いのか、とエミリオは思った。

 彼女に縋って、マクシミリオンへの想いは忘れてくれと強請って、駄々を捏ねて……それでも最終的には自分を選んで欲しいと強く思った。

 それでもナタリーが最後はマクシミリオンを選ぶのではないかと思うと、怖くて出来なかった。

 臆病な自分が前に出て、気づけば断りの言葉を口走っていた。


「いや、私はまだやるべきことも残っているから、待っていると遅くなる。マクシミリオンの方が良いだろう。夜道に気をつけてな」

「それでも構いません。ここで待っています」

「駄目だ!!……大人しく、言うことを聞いてくれ」


 声を張り上げてしまったのは、エミリオが怖がりだからだ。

 そう遠くない未来で、ナタリーは私の元を離れて行くのだろう。

 それが怖い。


 だが、エミリオが一番に優先すべきは、ナタリーの幸せだから。


 エミリオは、ナタリーを避けるようにジャンを連れてその場を後にする。


 最後に見えた彼女の表情は寂しそうでエミリオは自分が間違ったことに気づいたが、一度動き出した足を彼が止めることはなかった。


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