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16 エミリオ視点


 ナタリーに『笑われ者のヨル』を貸すと約束したその日の夜。

 明日、乾かしたハンカチのアイロンがけを忘れないようにしようと思いながら、エミリオは紙袋に本を入れる。

 なぜ紙袋かというと、丁寧に包装するのも生身のまま渡すのも辞めておこうと思った結果、この方法に落ち着いたからだ。 

 明日のこの時間にはナタリーはこの本に目を通しているのだろうか。

 胸がそわそわして落ち着かない。

 気持ちを落ち着かせるようにエミリオはベッドに横になり、そっと目を閉じる。

 思い返せば、ナタリーを好きになってからもう随分と月日が経っている。



◻︎



 出会った時からナタリーは不思議な少女で、どこか人を寄せ付けない雰囲気があるものの、来るもの拒まずで、寛大さも持ち合わせているアンバランスな子だった。サラサラと靡くプラチナブロンドの髪にバイオレットの瞳。整った容姿をしているのにどこか存在感が薄く、でも一度見つけると目が離せなくなっていく、そんな存在だった。


 実習中に森の中で倒れている彼女に躓いた時、エミリオはハズレのリオとして散々馬鹿にされた後だった。

 貴族が中心の学院で商家出身かつ特待生のエミリオが上手くやっていくためには、少し憎たらしいくらいの人物でいるのが丁度良かった。そうすれば、綺麗な顔に嫉妬する生徒からも、上位成績を羨む生徒からも、副生徒会長の地位などエミリオには相応しくないと揶揄する者からも、”そういうキャラクター”として見てもらえた。

 それに、偽物の自分を評価されても、大して傷付かないと思っていた。そうして、やがて本当の自分を封じることが日課となった。

 しかし、作り上げたキャラクターを演じているとはいえ、エミリオだってたまには嫌になる瞬間がある。実習チームメンバーからの態度に疲弊し、辟易し、少し一人になりたいと席を外した時、エミリオはナタリーと出会ったのだ。

 彼女が学院で話題の生徒だということにエミリオはすぐ気づいた。

 同じ特待生として、そして副生徒会長という立場として、彼女のことは陰ながら気にかけていたからである。


 ナタリーは空腹で倒れたと言っていたが、それが酷いいじめによるものだということはすぐに分かった。

 手持ちの菓子をやると、彼女はそれを一心不乱に食べ尽くしていく。それだけで、空腹に耐えかねていた長い時間が見えてくるようだった。


 エミリオはナルシスト全開で彼女に接していたが、塩対応な彼女との掛け合いはなかなか悪くなく、むしろ続けていたいと思うほどだった。ナタリーは自然体で肩の力を抜いて、ただエミリオの隣に静かに座っていた。

 自分の出自も置かれた環境も嘆かないナタリーを前に、エミリオは親近感が湧いた。自分を偽ることもなく、ただ静かにそれを受け入れている。……だからだろうか。少し寂しそうな表情を時折するのが気になり、不器用な子だと思った。まるで彼女は、エミリオの愛読書『笑われ者のヨル』の主人公ヨルのようだ。孤独を抱えていて、けれど明るい方を懸命に見ている。

 エミリオは普段ヨルを自分自身に重ねていたため、きっとナタリーも自分と似ているのだと勝手に想像し、よく彼女に構った。


 マクシミリオンが好きだというのが丸わかりなのも見ていて楽しかった。

 彼が登場した途端、頬を染め、くるくると表情を巡らせる様は、見ていてなかなか飽きないものだった。

 彼女が生徒会に入ってからはさらに親交ができ、彼女の為人に触れる度に新鮮な気持ちになっていた。


 ナタリーは、クールに見えて情熱的な一面もあり、さっぱりとしているかと思えば粘り強く、意外と肝がすわっていて根性がある。

 同じ平民という立場でも、裕福な商家に生まれたエミリオと苦労を重ねてきたナタリーとでは、考えることも受け取り方も違ってくるのだと、彼女を通して学ぶこともあった。

 マクシミリオンへのアプローチにも加勢した。

 始めの方は話しかけるのでさえ精一杯だったナタリーが段々と積極的になっていく様は、まるで蛹が蝶になるまでの一連の流れを見ているようで、エミリオはそれを見守る親のような気持ちだった。


 しかしながら、そんな彼女を見守るうちに、エミリオは次第に彼女のその一途さに惹かれていく。

 いつもはクールなのに、マクシミリオンのために懸命に努力する姿はどこか抜けていてかわいらしい。それが自分に向けられたら、どんなに幸せだろう。

 叶わない願いをひっそりと抱いた。今さらながら生まれた感情を恨みもした。いつかマクシミリオンも彼女の魅力に気づくだろうと思うと、腹の中が真っ黒に塗りつぶされるような感覚になったことさえあった。

 その度に何度も剣を握って、雑念が沸くたびに頭を振った。手に豆ができても構わず振り続け、やがて剣を振るのが日課となっていく。剣の腕は一気に上がった。


 そのような日々を送り、ナタリーを諦めようとしていたある時。それはちょうど卒業前のことだったと思う。エミリオはナタリーが誰かと会話している場面を目撃する。


『ハズレのリオ?なにそれ?』


 最初に聞こえたのは、ナタリーの声だった。

 彼女がエミリオのことについて誰かしらと会話をしているらしい。

 そんなところに本人が現れればどうなるだろう。

 そう思ったエミリオは慌てて見つからない場所に隠れ、何を言われるかと緊張しながらひっそり縮こまった。

 本来ならばすぐに去るべきだっただろう。立ち聞きは良くないし、大きく傷つく可能性だってあった。

 それでも、自分がナタリーにどう思われているのか気になったエミリオは、じっとその場に留まった。

 『ハズレのリオ』を知ったナタリーの反応に身構えていたのだが……。


『エミリオ先輩は素晴らしい方なのに、失礼な人もいるものね。確かにキザで自信家なところはある人だけれど、それで誰かを貶したりすることなんてないじゃない。むしろああ見えて相手に気を遣わせないように配慮ばかりしている人なのだから、視野が広くて気遣い屋なのに。皆いったい先輩の何を見ているのかしら』


 ナタリーの言葉は、エミリオを包み込むようだった。

 温かくて、柔らかくて、とても優しくて。

 エミリオはちょっと泣いた。

 自分に貼っていたあらゆるレッテルが剥がれていくようで、少しだけ付けっぱなしだった仮面を下ろすことができた。

 エミリオの中身を見てくれたナタリーは、まるでヨルを本来の彼へ戻す夢のような煌めきを纏っていた。

 その日の夜、エミリオは自室で『笑われ者のヨル』の最後のページを開き、ペンを走らせる。


『夢=ナタリー』


 ナタリーはヨルではなかった。エミリオがヨルで、そんなエミリオにとって、ナタリーは夢だった。

 彼女を想うことは苦しくて辛いけれど、でもそれ以上に自分はとても幸せで、だから彼女はエミリオが抱く夢なのだ。


 ナタリーを見ておかしいと思うようになったのは、彼女が学院を卒業してから三年が過ぎたくらいか。

 彼女はマクシミリオンを好いている、それにこちらの思いを感じ取られても困ってしまうだけだろうと、最低限でしか話さなくなった頃。


 背伸びをして無理をするようになったナタリーに、エミリオの胸はひどく痛んだ。そんなことをせずとも君は魅力的なのにと言ってしまいたかったが、頑張っている彼女を前に否定するような言葉を掛けるわけにもいかなかった。

 彼女はいつも微笑んでいたけれど、心から笑った姿を見ることは出来なくなっていった。


 何も言えなかったエミリオは、代わりに『笑われ者のヨル』を広げる。


 どうか、ナタリーが心から笑える日が来ますように。かつてのように、いやかつてのようでなくても、心穏やかに笑ってくれる日が再び来ることを願って。


 『彼女の幸せを祈る』


 小さく付け足した文字。

 これが、エミリオの全てだ。


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