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「エミリオ先輩……」


 エミリオはぎこちない笑みを浮かべたまま、少し離れたところに立っていた。

 彼は、ナタリーのマクシミリオンの二人の視線を受けると、辿々しく、近づいてくる。


「釘を刺してすまない。ジャンが失礼なことを言ったようで、急いで謝るために君を追いかけようと思って。……邪魔をするつもりはなかったのだが」

「違います!たまたま会っただけです!」


 咄嗟に大きな声が出て、ナタリー自身も自分の声に驚く。

 けれど、それ以上にマクシミリオンとエミリオが目を見開いている。ナタリーのこんな取り乱した姿を見るのは初めてだともいうようだった。

 すると、エミリオの後ろから影が伸びてジャンが現れる。

 ジャンは、ナタリーとマクシミリオンを冷たく一瞥した後、溜息を吐いてエミリオの肩に手をのせた。


「やっぱり利用されているんじゃないですか、副団長」

「ジャンっ!!君は――っ」

「だってそうとしか思えないじゃないですか。実際二人は今こうして触れ合っていますし、きっと盛り上げ役として副団長がハマり役だっただけですよ」


 吐き捨てるようにそう言ったジャンにエミリオが強く注意する。


「口を閉じてくれ、ジャン!」

「そうだ。これは、私が焦って勝手に彼女の手を掴んだだけで、ここで話したのもたまたま会ったからだ。誤解しないでほしい」


 マクシミリオンもジャンに説明を与える。

 ジャンは二人にそう言われて、しばし呆然とし、やがて表情を歪ませて俯く。


「……っ、すみません、失言でした」

「ナタリー、本当にすまない。ジャンは連れていく。マクシミリオンと二人で気をつけて帰ってくれ。また後日、改めて謝罪をさせる」


 エミリオがジャンの背中に手を添えて言った。


(……え?どうしてそうなるの?どうして二人で帰ってくれだなんて言うの?)


「私、ここでエミリオ先輩のこと待っていますよ。一緒に帰りましょう」

「いや、私はまだやるべきことも残っているから、待っていると遅くなる。マクシミリオンの方が良いだろう。夜道に気をつけてな」

「それでも構いません。ここで待っています」

「駄目だ!!……大人しく、言うことを聞いてくれ」


 エミリオが声を荒げたところを見るのは始めてで、ナタリーはそれ以上何も言えなかった。

 そのままジャンを連れて去っていくエミリオの背中を見続けたが、彼がナタリーを振り向くことはない。 

 それが妙に寂しくて、腹立たしくて、ナタリーの頭に血が昇っていく。


(私がまだマクシミリオン様を好きだと思っているの?だから自分は身を引こうと?)


 エミリオの背中から目が離せない。


(それとも私に失望した?こんな拗らせ女は嫌になった?)


 悶々とする気持ちと格闘しているなか、マクシミリオンがナタリーに声をかける。


「家まで送ろう」


 彼はエミリオに言われた役目を果たそうとしていた。しかしながらナタリーは首を振る。


「いいえ、一人で帰ります」


 マクシミリオンの返事は聞かないまま歩き出した。

 アパートへ帰っても、何もする気が起きずに、ベッドに寝転がるだけ。

 エミリオから受け取った本を読む気にもならなかったので、そのままにしてリビングに置いてある。 

 その夜は、重い体に引き摺られるようにして眠りについた。



◻︎ ◻︎ ◻︎



 翌朝、来客を告げるベルの音でナタリーは目を覚ました。


「フェリシア……?」


 フェリシアは二本の杖をついて玄関の前に立っていた。その隣ではジュートがハラハラと彼女を見守っている。


「え!?と、とりあえず、まずは上がって!!」


 フェリシアが立っている姿なんて初めて見た。

 驚きで目がしっかり覚めたナタリーは急いで二人を家に迎え入れた。

 もてなしは必要無いという言葉に甘え、ソファに座る。


「悪いけれど、仕事があるから時間はあまり取れないの」

「わたしも仕事があるから大丈夫よ。むしろごめんなさいね。お兄様からお話を聞いて居ても立っても居られなくなってしまって」


 お兄様から聞いた話。まぁおそらく昨日のことだろう、とナタリーは予想する。

 うん。あまり良い出来事ではなかった。

 エミリオとはすれ違ってしまうし、マクシミリアンの申し出を断って、彼の返事も待たずに帰ってしまった。

 苦い記憶ばかりだ。

 動きの止めたナタリーを見て、フェリシアは申し訳なさそうに言う。


「お兄様は誤解をさせるような行動を取ったこと、もの凄く悔やんでいたわ。本当にもう……あの人はいつも周りが見えていなくて」


 やれやれと溜息を吐くフェリシアは、「でも……」とナタリーの顔を覗き込む。

 

「あなたの悩みは、別のところにあるみたいね」


 見透かされたと、ナタリーは観念したように俯く。

 昨日の夜から脳裏に浮かべるのは、エミリオのことばかりだ。


「……彼の心が分からないの。彼はどこまでも優しくて、私のことを一番に考えてくれて。だからこそ、自分の本当の気持ちを言ってくれない」


 ナタリーは知りたいのだ。エミリオの心の内を。 


「……彼はね、学院時代から付き合いのある人で、私の積年の片想いも全部見ていたし知っているの。それでも、私がマクシミリオン様を諦めた時に、次の候補に自分を考えてくれって言ってくれて、お試しで付き合うことになったわ」


 そうだ。あの時、始めてエミリオのそれまでの仮面が剥がれて、少し頼りない本当の彼が現れたのだった。ナタリーはそれが存外嬉しくて、彼をもっと知りたくなって、付き合ってみましょう、と気づいたら口にしていた。


「彼とのデートは毎回楽しくて。一緒にいるとずっと日向ぼっこしているみたいな心地良さで……。私は気づくとマクシミリオン様のことを忘れることが出来ていた」


 ナタリーが辛い時に、エミリオが寄り添ってくれた。

 その温もりはずっと浸っていたいくらいだと思った。


「昨日、彼の部下に言われたわ。彼のことを本当に好きなのかって。私、答えられなかった。その時はまだ確実じゃなかったから」


 エミリオのことを好意的には思っていた。でもナタリーは我を忘れるような燃え上がる熱しか知らなかったから、静かに揺れ動く、心地良くも寂しい感情の正体がよく分からなかった。


「けれど、あなたが知るようなことが昨日起こって。一晩中悶々としながら過ごして。私、ようやく気づいたの」 


 あの時、抱いた身勝手な怒り。自分が一体何に腹を立てたのか、その答えは至って簡単だった。


「私、彼が好き。好きだから、悲しかったのよ」


 もっと怒って欲しかった。

 簡単に身を引かないで、前に出て、ナタリーの手首を掴んで、彼女は自分のものだと言って欲しかった。


 エミリオが好きだから、ナタリーはショックを受けたのだ。


 もっとエミリオの欲を自分にぶつけて欲しいと思った。その欲が、ナタリーへの独占欲であれば良いと思った。


 ナタリーの告白を聞いたフェリシアはゆっくりと口を開く。


「ねぇ、その人に好きって気持ちはもう伝えたの?きっとそれが伝わったら彼も……」

「でも、昨日あんなことがあって。彼は私に幻滅したのかなとか、もう好きじゃないのかなって……」


 頑なにマクシミリオンと帰るように言ってきたし、あの穏やかなエミリオがナタリーの主張を正面から否定したのだ。きっと思うところがあったのだろう。


「そうねぇ。多分違うとは思うけど、万が一そんなこと言われたら……」

「もう立ち上がれたくなるような気がして。ほんと臆病よね」

「そんなことはないわ。誰だって怖いわよ」


 まさか自分がここまで臆病な人間だとはナタリー自身も吃驚だ。

 マクシミリオンにアタックしていた頃なんて、当たって砕けろ、って感じで何度も告白していたのに。


「……そうねぇ。難しいわねぇ」


 考え込んでしまうフェリシア。

 彼女に気持ちを吐露したおかげで心が軽くなったので、これ以上はもういいと口にしようとした時、


「わたしにはちょっと思いつかないわ。――ジュート、あなたは何か案が浮かぶ?」 


 フェリシアが、それまで存在感を消していたジュートに不意に話しかけた。

 ナタリーは少し吃驚しながら、彼の方を向く。

 ジュートは「そうですね」とカチャリと銀眼鏡を掛け直しながら、リビングの机を指差した。


「あの紙袋が私は気になっております」

「ちょっと、あなたわたしたちの話ちゃんと聞いていたの!?」


 フェリシアは声を荒げてジュートを睨みつけたが、ナタリーは彼の指の先を見つめたまま固まる。


(そうだ……エミリオ先輩からの…………)


 彼から借りた本があった。

 ハンカチも返してもらっていた。

 ナタリーは袋の中から『笑われ者のヨル』を取り出した。本は、何度も読み返したのか、ところどころ折り目が入っており年季が入っている。

 それを目にしたジュートさんは「ほう……」と感嘆し眼鏡を人差し指でくいと上げる。


「人は皆臆病な者です。恥ずかしながら私もまたその一人。ですが、その本をあなたに渡した彼はなかなか勇気のある方のようですね」


 そう言うと、彼は「ほら、そろそろお時間ですので帰りますよ」とフェリシアを抱き上げる。


「ちょっ、杖っ、杖!!」

「持っています」

「いつの間に!?」

「我々も帰って仕事の準備をしましょう」

「ちょっと待って!ナタリーに挨拶をしてからよ!」

「また二人でいらっしゃい、フェリシア。ジュートさんも」


 ジュートさんは口の端を上げて軽く会釈すると、颯爽と玄関へと向かう。


「ナタリー、また来るわ!次はお泊まりでも良い?ジュートなんて放っておいて、二人でパジャマパーティーをしましょう!女子トークに男性は厳禁だもの!」

「はいはい、分かったわ」


 ナタリーも苦笑しながら玄関の扉を開く。フェリシアと杖とで両手が塞がっているジュートを手助けするためだ。

 そのまま半ば強制的に帰っていくフェリシアを苦笑いでナタリーは見送る。

 彼女の声も聞こえなくなった頃、自分も仕事に行かなければと玄関からリビングへと戻る。そして準備を進める中でナタリーは考えた。


(『なかなか勇気のある方のようですね』ってどういうこと?)


 ジュートさんは、本への書き込みを晒すエミリオの勇姿を褒めているのだろうか。この本に、彼はどんな意味を見出したのだろう。

 理由を聞きたかったけれど、彼はさっさとフェリシアを連れて帰ってしまってもういない。それにどうせ尋ねたところで……。


(『そこから先はあなたが考えること』なんだろうな)



◻︎ ◻︎ ◻︎



 ナタリーが答えを知ったのは、仕事から帰ったその日の夜だ。


 『笑われ者のヨル』――舞台で一度観て話の流れは知っていたが、舞台では描ききれないカットシーンや登場人物の細かい心理描写がおもしろく、ナタリーは夢中になってページを捲った。

 

 確かに付箋や書き込みがところどころにあって読みにくさを感じる時もあった。けれど、かつてエミリオに言われた通り、沢山の付箋が付いたページをなるべく本文だけを追うようにして読み進めていく。


 笑われることに傷つくヨル。

 笑われることで居場所を作るヨル。

 夢ができて、孤独を受け入れるかどうか葛藤して、最後には勇気を出して……。


 あっという間に最後のページに辿り着く。そこにはかつてナタリーが彼に贈った栞が挟まれていて、ナタリーは思わず手に取って眺めた。


「懐かしい……。本当に使ってくれているのね」


 かなり年季が入っている。もう随分昔に贈ったものだから当然といえば当然だけれど……。

 ふと、栞を避けて気づく。本の余白にエミリオの字が書かれている。これも見てはいけないメモだろうか。

 そう思ったけれど、ナタリーは好奇心でつい見てしまう。

 すると、そこには小さくこう書かれていた。


『夢=ナタリー』


 なぜ自分の名前が書いているのか分からず、ナタリーはフリーズした。

 エミリオはどういう意味を持って、こんなことを書いたのだろう。なぜ、ナタリーが夢なのか。


 不思議で仕方なかった。

 

 でも、続け様にその下に小さく書いてある『彼女の幸せを祈る』という文字を見つけたその瞬間。


 彼女は、自分が一つの答えを見つけたことに気づいた。


 

 なぜ、エミリオが一線を引いていたのか。

 なぜ、ジュートさんがあんなことを言ったのか。


 文字を目に焼き付けるように優しく指でなぞりながら、ナタリーは呟く。


 全部、ここに記されていた。 



「エミリオ先輩のこと、私やっぱり、ちゃんと好き。大好き。だってこんなにも――」



 そうか。そうだ。彼はずっと答えをくれていた。

 出会った頃から彼はいつだってそういうひとだった。


 誰よりも周囲を見ていて、誰よりも気が利いて、その分誰よりも損な立ち回りで。


 笑われ者のヨルはずっと孤独だった。けれど夢のために努力して、葛藤して、向き合って、最後は勇気を出して本当を曝け出した。


(笑われ者のヨルは、エミリオ先輩だったんだ)


 ナタリーの目に涙が浮かぶ。


「ほんとうに、不器用なひと……」


 だけど、その不器用が、愛おしい。

 呆れた笑みと共に胸にじんわりと青色のインクが広がっていく。霞む視界の先で、照れたように笑うエミリオの笑みが見えた。


 きっとナタリーが彼へ返すべき言葉は――


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