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 今日は、エミリオとの三回目のデートの日だ。

 一回目は植物園、二回目は港町ときて、三回目の今日は観劇デート。場所は王都の西にある演劇場。


 チケットの表題は『笑われ者のヨル』。


 とあるファンタジー小説が原作で、今巷でちょっと話題の作品らしい。何でも恋愛作品以外でヒットするのは珍しいのだとか。


 やっとチケットが手に入ったと喜ぶエミリオに誘われ、ナタリーも今日を楽しみに気合を入れて来た。

 格好は、ネイビーのワンピースにエミリオの瞳である空色のスカーフを編み込んだ三つ編みスタイルだ。

 エミリオが瞳を潤わせて喜んでいたので大正解だった。

 

 彼にエスコートされながら、劇場へと足を踏み入れる。

 ボックス席は取れなかったと嘆く彼に十分ですと微笑んで、ナタリーは席に座った。ペアシートだったので他の人との距離は離れていたが、エミリオとの距離は近く、それが妙に照れ臭くて落ち着かなかった。


 しかしながら幕が上がり舞台が始まると、今度はそちらの方に夢中になる。人気も納得のとても良い舞台だった。

 演者の演技や音響はもちろんだが、何よりストーリーが興味深い。

 ストーリーは、大まかに言えば、皆の笑い者にされてきた少年ヨルの成長を描くものだ。


 主人公は、馬鹿で間抜けで笑われ者のヨル。

 しかし、それは彼が作りあげた仮の姿で、本当の彼は賢いし考えも深い。彼はあえて下に見られることで、人と上手いこと関わっていたのである。

 ある時、彼は医者になりたいという夢を持つようになり、医学部入試に向けた勉強を密かに始める。

 だが、試験が近づくにつれヨルはだんだん恐ろしくなっていく。いつか真実が彼らにバレたらどうしよう。もう二度と仲間に入れてもらえなくなるのではないだろうか。そんな不安で胸がいっぱいになっていく。

 我慢の限界を迎えた彼はとうとう受験を断念しようとする。けれど受験票がみんなに見つかってしまい、お前なんか合格できるわけないと揶揄われ、しまいには受験票を破ってみせろとまで言われる。いつものように誤魔化そうとしたヨルだったが、このまま夢を諦めることの方がずっと辛いと思った彼は、勇気を出して本当の姿を曝け出す。  

 彼の告白に周囲は驚き、ヨルもショックで塞ぎ込んでしまう。しかしながら試験日当日、友人らがヨルの家に押し寄せてくる。ヨルならきっと大丈夫だとエールを送り、彼を試験へと送り出す。

 数年後、立派な医者となったヨルは再び彼らに拍手で迎え入れられ、笑顔で街に足を踏み入れるのだった。


 ――というお話で、あまり派手な出来事や大事件があるわけではないが、だからこそ些細な変化一つ一つに丁寧に心情が織り込まれていて、とても感情移入できる作品だった。


「凄く素敵な話でした。ヨルの心の葛藤がすごく伝わってきて……!もう一回観たいくらい!」

「本当に素晴らしいっ」


 幕が完全に閉じ、拍手もゆるまってきた頃、隣のエミリオに大興奮で感想を伝えると、彼は涙をドバドバと流しながら感動している最中だった。

 そういえば割と早い段階から鼻を啜る音が聞こえていたが、彼が原因だったらしい。集中していたからあまり気にはならなかったけれど。


 泣き虫な彼に、ナタリーはハンカチを手渡す。

 普通は逆だと思うのだが、彼といるとイレギュラーなことばかりだから慣れてきてしまった。


「すまない、自分のハンカチはもうびしょ濡れで。後日返すから」

「構いませんよ」

「いや、レディのハンカチを自分の涙で濡らすなんて紳士失格だ。お詫びに何か贈り物を、」

「そんなもの必要ないですから」


 律儀な彼に、ナタリーは何度も首を横に振る。

 けれど彼があまりにしつこく礼をしたいと言ってくるので、ナタリーはついに折れてある提案をした。


 これなら、双方納得なはず。


「なら『笑われ者のヨル』の原作小説を貸してくださいな」

「買おう」


 即答する彼に苦笑する。


「いえ、貸す方針でお願いします。持っているのでしょう?」


 始まる前に原作からのファンだと熱弁していたエミリオを思い出してそう言うと、彼は決まり悪そうに頷く。


「持っては、いるさ。だ、だが、私の本は汚れていて、それに、」

「気にしません」


 ナタリーがそう言うと、彼の表情はむしろ曇るので、何か貸したくない事情でもあるのだろうかと不安になる。

 無理に追求しても彼が苦に感じてしまうなら、ここは大人しく引き下がる方が良い。


「……いえ、やっぱり、この話は無かったことにしましょう。お礼はそうですね、強いていうならコーヒーが飲みたいです」

「――いや貸そう」

「良いんですか?」


 まさか前言撤回されるとは思わず、ナタリーは目を見開いて驚いた。


「嫌なら無理して貸さなくても良いんですよ?」

「嫌ではない!……ただ、その、書き込みがひどいから、君にそれを読まれると思うと……とても、恥ずかしくて…………。なるべく、私のメモは目に入れないようにして、本文だけを読んでほしい…………です」


 エミリオの告白は予想外のもので、でもとても彼らしい理由だとも思った。

 彼の意外な一面がまた一つ知れて、何だか胸が弾む。


「わかりました。本文に集中して読むことにしますね」


 どこまで頑張れるかは、分からないが。


「…………ああ。そうしてくれると、大変助かる」


 エミリオは半ば諦めモードだ。遠い目をしている。


「ふふっ。そしたら次は本を返すのに合わせて、どちらかの家で感想会なんてどうですか?」


 揶揄半分でナタリーが提案すると、意外にもエミリオは受け入れてくれる。


「っ、い、いい案だ!私の家にしよう!」

「よろしいのですか!?」


 予想外の流れに吃驚だ。


「ありがとうございます!次も楽しみです!」

「いや、良いのか!?君はちょっと危機感が……それに私の忍耐も…………」

「はい?」

「なんでもない!そうだな、楽しみにしていてくれ。本の貸し出しは、今日は遅いから明日渡すことにしよう」

「お願いしますね」


 段々戸惑いを増していくエミリオはそっちのけで、ナタリーはうきうきだった。



◻︎ ◻︎ ◻︎



 基本、エミリオは忙しい人だ。

 騎士団の副団長として団長を支えたり団員に指導を行ったり、他にも会議を企画したり騎士団の連絡網と役割をこなしたりもする。

 残業で迎えにいけないとの連絡を受けたナタリーは、仕事終わり彼の部下伝に『笑われ者のヨル』を受け取っていた。


「申し訳ないと副団長が言っていましたよ。あの人ってば、今日は何だか妙にそわそわして、仕事の進みが遅くて。まぁ、落ち着きがないのはいつものことなんですけどね。ナタリーさんに会う前なんて、変なところはないかとしつこいくらい聞いてきますし」


 エミリオ直属の部下であるというジャンは、彼の様子をところどころ茶々を入れながらこと細やかに教えてくれる。

 ちなみにナタリーさんと呼ぶのは、エミリオの前での癖が出たかららしい。


「それに、実を言うと会いに来る時間くらいはあるんですよ。僕も手伝えば良い話ですし、副団長、めっちゃ優秀なんで。でも今日だけは頼むと縋られました」

「あら、そうなんですか」


 ジャンから本を受け取ったナタリーはくすりと笑う。


(恥ずかしくて直接渡すのは躊躇われた、とか……?)


 理由を挙げるとすればその辺りが妥当だろう。

 紙袋に丁寧に入れられていて、ここで取り出すようなことはしないけれど、少し楽しみだと隙間から覗き込む。

 この前エミリオの涙でびしょ濡れになったハンカチが綺麗に畳まれているのが見えて、律儀な彼らしいと自然と頬が緩む。


「わざわざありがとうございます。彼にきちんと受け取った旨、お伝えくださいね」

「はい!今日は代理ですみませんね」

「いえいえ」


 では、と去ろうとしたナタリーにジャンが声をかける。


「あの、あと少し良いですか」


 それまでの軽快さが薄くなっており、少し声のトーンが低い。


「突然すみません。どの目線で物を言っているのかって話なんですけど……」


 言いにくそうな彼に、ナタリーは少し不安になる。

 忠告でもされそうな雰囲気を感じ取った。


 エミリオが騎士団でかなり慕われていることは有名な話だし、もし彼に似合わないと言われたらその通りだと受け入れるしかなく、否定する言葉が見つからない。


 予想通り――


「……単刀直入に聞きますけど、ナタリーさんは本当に副団長のことが好きなんですか?」


 ジャンの言葉がストレートに飛んできて、ナタリーは何も言えなくなる。


「…………」


 おそらくその答えは、自分の中では曖昧で不透明だ。確信していないのに口に出してしまうのは不誠実で、躊躇われる。

 黙り込んだナタリーに、ジャンは怒るでもなく悲しむでもなく、ゆっくり頭を下げるだけである。


「突然、失礼なことをお聞きしました。ですが、どうか副団長ときちんと向き合ってあげてください」


 ジャンはそう言ってしばらくの間、お辞儀の姿勢を崩さなかった。

 その後、去っていく彼の背を眺めながら、ナタリーはその場に立ち留まって考える。


 エミリオのことが好きかどうか。


 それは人としてではなく、恋人としてどうかということを問うているのだろう。分かっている。ジャンはおそらく、敬愛するエミリオを心配してナタリーに心意を問うてきたのだろう。


 実際、彼とはお試しで付き合っているし何回もデートを重ねている。

 その度に彼の意外な一面に触れられるのは楽しいし、彼といると安心して気を抜く瞬間も多い。

 素の自分を出しても優しく受け入れてくれるような男性は、エミリオが初めてだから不思議な感覚になることもあった。

 最近では、どこか一線を引く態度のエミリオを、少し寂しく思う自分もいる。きっとナタリーはエミリオを前よりずっと好きになっているのだ。

 けれど、この気持ちの正体が恋心かと問われれば、燃え上がるような恋しか知らないナタリーには、迷いなくイエスと言える自信がない。


 ――ふと。


「ナタリーか?」


 考え込んでいたナタリーは近づいてくる気配に気づかず、突然背後からかけられた声に肩をぴくりと上げる。

 振り向くと、マクシミリオンが立っている。


「宰相補佐殿?」


 彼と話すのは謝罪されて以来だ。

 何度かすれ違うことはあったけれど、会釈程度で会話をすることは無かった。

 そしてその度に自分の変化に気づく。彼を見ても胸が痛むことが無くなったのだ。いつからか、なんてことは分からない。けれど気がつけば彼への想いは消えていた。

 今はもう、普通に話せる。


「どうされたんですか?」

「それはこちらの台詞だ。なぜこんなところで立ちすんでいる?なにか悩みでもあるのか?」

「少し、考えごとを……」


 ナタリーが口を濁して黙り込むと、マクシミリオンがナタリーの左腕にかかった紙袋に目をつける。


「それは?」

「これは、エミリオせんぱ……副騎士団長様が本を貸してくださって」

「そうなのか」


 マクシミリオンもエミリオとナタリーのことは知っているのだろう。特に驚くような反応を見せることもなく、無表情のまま頷いた。


「あの、すみません。そろそろ帰りますね」


 いつまでもここにいてはいけないと、ナタリーはその場を後にすることにする。

 マクシミリオンに軽く頭を下げて踵を変えようとすると、彼の手がナタリーの手首を掴む。


「お、送ろう」

「この時間帯は安全なので大丈夫ですよ。それに……」


 自分にはエミリオがいるからと断りの言葉を告げようとしたその時、誰かの足音が聞こえた。後ろを向くと、そのエミリオが目を見開いて固まって立っていた。


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