13
その日、ナタリーは彼女が好きな手作りのパスタと胡桃のクッキーを包んで家を出た。
フェリシアのアパートの扉をノックすると、予想とは異なる、若い眼鏡の男性が中から出てくる。銀髪を七三できっちり分け、燕尾服を着ている執事のような人だ。
初対面だが、彼の方は思い当たる節があるらしい。
ナタリーの姿を捉えた彼の碧眼が大きく開かれた途端、部屋の奥からドタバタと騒がしい音が聞こえ、やがて目的の人物が現れる。
「ナタリー!!」
フェリシアは涙目でナタリーを迎え入れた。
部屋はナタリーが訪れていた時よりも動きやすいように変化していて、車椅子でもすいすい移動できるようだ。
フェリシアが車椅子から身を乗り出してナタリーに抱きついてくる。その重みを受け止めてしっかりと彼女を抱きしめると、執事のような人が慌てたように「お嬢様!」と声を上げた。
だが、フェリシアは構わずナタリーにぎゅっと抱きつく。目に浮かべる彼女の頭を、ナタリーは優しく撫でた。
「フェリシア、あなたに謝りに来た」
そう言うと、フェリシアは俯きながら首を振る。
「違うの。あなたは悪くなんて無いのよ。お兄様が、おかしな誤解なんてするから……」
「話は聞いたし、誤解したことも謝ってくれた」
「当たり前よ!あんな、あんな酷いこと……っ!」
「ちょっと、痛い痛いっ」
フェリシアの爪が背に刺さってくる。でもそれ以上に彼女が泣くから、途中で注意する気も失せてしまってされるがままだ。
喋れなくなるほど怒る彼女のつむじをどうしたものかと見つめる。かわいいことには違いないが、玄関前で人の目もあるし、何よりもう一人ここにいる。
「すみません。お嬢様は一度私の方で預からせて……」
「嫌よ、嫌!離れないんだから!!」
剥がそうとしてくる執事さんからぷいと顔を背けて、フェリシアは子猿のようにさらにビッタリ抱きついてくる。
「困ったものですねぇ」
呆れたような声音でそういう彼だが、ナタリーは彼こそフェリシアの想い人だろうととっくに察していて、「恋人を独占してしまってごめんなさいね」と謝る。
予想は大当たりで、彼はジュートという名のフェリシア付きの執事であった。
「なっ、まだ恋人ではありません!」
「そうよ。まだ保留よ!」
「ふふ、そっか。ごめんなさい。早とちりしてしまったみたい」
二人して慌てる様子にこれは絶対に両想いだとナタリーが確信を得ていると、ゴホンと照れくさそうに咳払いした彼が半ば強引にフェリシアを抱き上げた。その後空いた左手で器用に車椅子を持つと、部屋の奥へと進んでいく。
「どうぞお入りください。紅茶をご用意いたします」
「ちょっ、ちょっとジュート、下ろして!下ろしてったら!」
慌てるフェリシアが可愛らしい。
なんだかんだ幸せそうな彼女に安心しながら、ナタリーは彼女の家へと足を踏み入れた。
◻︎ ◻︎ ◻︎
「――そう、二人暮らしすることにしたのね」
話によると、あの後フェリシアは家に連れ戻されると思ったものの、マクシミリオンとの話し合いの結果、市井で暮らすことを許してもらえたらしい。
許してもらったと言っても、罰として一年は家に帰らず頑張るよう念を押されたという。
フェリシアとしては願ったり叶ったりだったが、とうとう我慢できなくなった執事のジュートさんが「私も暮らします」とアパートに転がり込んできたという。
そこでもどうやら一悶着あったようだが、今はこうして二人支え合って生活しているようだ。
「お嬢様は放っておくと何をしでかすか分かりませんから」
「その割には、一度もわたしに会いに来なかったわよね」
「来なかったのではなく、来られなかったのです!」
「はいはい、言い訳は結構」
「お嬢様こそ、勝手に私が罪悪感であなたに接していると思い込んで家出などなさって」
「だって普通はそう思うじゃない!どこへ行くにも何をするにも、あなたが手となり足となり付いて回るのよ!」
「それは私がお嬢様に触れたくてやっていたことで……」
「ちょっとナタリーの前でなんて事言うのよ!?」
すぐに口喧嘩に発展するのが、この二人の定番らしい。
いつもは穏やかで平和主義なフェリシアも、好きな人の前では心を預けているようで、それがナタリーの目にはとても眩しく映った。
しばらく二人の寸劇を眺めていると、ナタリーの視線に気づいたフェリシアがあっと我に返る。
「もう!ジュートがいるとナタリーとろくに会話も出来ないじゃない!あなたは少し席を外していてくれる?」
また喧嘩になるのではと思ったが、意外にも彼はすんなり言うことを聞いて出掛けて行った。
◻︎ ◻︎ ◻︎
「はぁ。やっと、静かになったわ」
胸を撫で下ろしたフェリシアに、ナタリーはにやりと笑う。
「寂しい、の間違いじゃなくて?」
「あなたまで!もう!」
顔を真っ赤にして怒るフェリシアを揶揄っていると、彼女は冷静になって言う。
「それより、あなたのことを聞かせて欲しいわ」
ジュートの存在ですっかり忘れていたが、ナタリーはまだ詳しくあの日のすれ違いを話せていなかった。今日はフェリシアに謝りに来たのに、そのことをすっかり忘れていた。
そうだ。きちんと、話さないと。
「そうね……。私はあの日、あなたをマクシミリオン様の恋人だと勘違いして、振られたと思ってその場を去ったの。あなたと縁が切れるのは悲しかったけれど、嫉妬して何をしてしまうか分からない自分も怖くて……結果、あなたを避けた」
けれどナタリーが思っていたよりは、嫉妬心なんて湧き上がって来なかった。
それは自分の中でマクシミリオンに対する思いの区切りを既に付けたからなのかもしれないし、彼を諦めるきっかけができてほっとしたからなのかもしれない。まぁ、人のことを考えるよりまず先に、自分自身に腹を立てていたのが一番だとは思うが。
いずれにしても、意気地なしで真実を知ろうとも伝えようともしなかったナタリーの我儘に、フェリシアを巻き込んでしまったということだ。
そう話せば、彼女は悔しそうに首を振る。
「あの日のあなたの表情がずっと忘れられなかった。本当はお兄様を説得するより前に、あなたを抱きしめておけば良かったと何度思ったか……」
その言葉に、ふと涙腺が緩んだ。
ナタリーの涙を見てフェリシアはさらに泣いて。それを見てナタリーもまた泣いて。
「私はナタリーが大好きなの。あなたの作る料理は美味しいし、何よりあなたはわたしの隣でそっと寄り添ってくれるから」
「そうなの?」
初耳だ。料理に関しては、まさかフェリシアの胃袋を包むほどのレベルだったとは。
「ええ。わたしにはずっとお兄様とジュートだけだった。両親は怪我をしたわたしを早々に見放したし、社交界に出ることも学院に通うことも許さなかった。辛い日々で、二人の優しさも重荷になって、嫌になって飛び出して……でもその先で、あなたに出会えた」
幸運だったとフェリシアは言う。
けれど、それを幸運と呼べることこそ彼女の凄さなのだ。
「もしお兄様のことが許せないならそれで良いの。わたしのことを思い出して辛くなるようだったら今日で会うのもやめる。でも、わたしがあなたを大好きだってことは覚えておいてほしいわ」
寂しそうに微笑むフェリシアに、ナタリーは首を横に振る。
「彼はあなたを守ろうとしただけだから、許せないわけない。それに、私だってきちんと自分の気持ちにけじめをつけたから、今はずいぶんすっきりしているのよ?」
格好を見せつけるように両手を軽く広げれば、フェリシアは目を丸くしてナタリーを見る。
「そういえば、何だかいつもと雰囲気が……。服も、ピアスも、髪型も……。化粧は涙のせいでよく分からないけれど」
「ふふっ、そうね。それはお互い様ね。でも、なかなかこれも味があるでしょう?」
今日はベージュのブラウスに黒のスラックスの格好をしている。
この前、スラックスにヒールで歩く女性を見かけて格好良いと思ったのだ。本来女性はスカートが定番だが、絶対ではないから別に構わないだろう。
そして格好に合わせて髪はポニーテールにまとめ、前髪は大人っぽくかきあげた。
なかなか良い仕上がりになっただろうとフェリシアに問うと、彼女は何度も首を縦に触る。
「ええ、ええ!」
「今度は強い女性のコンセプトで着飾ってみるのも良いかもって思っているの」
「似合いそう!」
どういう格好をするのが好きか。どういうスタイルに挑戦してみたいか。最近は、それを考えるのがナタリーにとって楽しみになっている。
前に来ていたような服も実は気に入っていてリメイクして着回している物もあるし、アクセサリーも雰囲気に合わせて付け替えている。
フェリシアに褒められ自信満々に顔をすましていると、彼女がある一点で目を留める。
「ただ、そのピアスのチョイス……わたしにはちょっと、いやかなり謎だわ」
彼女が言うのは、鮫に耳たぶを噛まれるようにデザインされたピアスのことだろう。
この前、エミリオと出掛けた先の港町のバザールで一目惚れして買ったものだ。背は青くお腹は白く口は赤く、とても丁寧にデザインされていて、しかも耳たぶと鮫の間からちょっと歯が見えてこれがまた良い味を出しているのだ。
反応の良くないフェリシアを見ると、ピアスを買った際苦笑しながらナタリーの会計を見守っていたエミリオのことを思い出す。
会計は私が出そうという彼に、これはどうしても自分で買い上げたいと力説し、その熱量に笑われたのだった。
「やっぱり変なの?」
こんなに可愛いのにと言うナタリーに、フェリシアがエミリオと同じ顔をする。
「あなたらしくて似合っている、とは思うわ」
語尾が頼りなくなっていたのは気にしないことにして、ナタリーはフェリシアに鮫のピアスの魅力を力説する。
やがてジュートがケーキを買って帰って来る。
自然と話題は彼とフェリシアとの恋路の話になり、そしてそこからさらにナタリーとエミリオの話になり、気づけばあっという間に時間が過ぎていった。




