2、白(しろ)い虎
社の掃除も終わって一息をつく。すると姉さんが、短い足で楽しそうにステップを踏みながらこちらにやって来た。
「いつもご苦労じゃのう お茶を持ってきたぞ」
「丁度終わったところです ありがとうございます」
姉さんは頭上に生えた大きい耳をピコピコ動かしながらお茶の準備をする。「姉さん」と呼んでいるが、俺とは血縁関係は無い。何なら姉さんは人間でも無い、「神様」だ。
「ほれ 出来たぞ」
姉さんが入れてくれた茶に口を付ける。市販のお茶なのに、疲れた体に染み渡る。
「なんか機嫌良さそうですけど何か良いことありました?」
「いやー…お主が来てもう1年経つと思うてな」
そういえば、もうそんなに経ったんだ。姉さんのおかげで今、こうして和やかに過ごしている。男である俺に「巫女」をやってもらうなんて、最初は抵抗したけど慣れれば都だ。神社周りの掃除と、姉さんのお世話をしていれば暮らしていけるのだから。
「…まだ 『人』が怖いか?」
姉さんの重い問いに、すぐに返事を出せない。
「人」に対する恐怖なんて、世の中にはありふれたものだろう。でも俺のこの「恐怖」は全部、俺が悪い。目を閉じて、あの日起きたことを振り返ってみようか。
1年と、少し前。もう少しで俺が小学生を卒業する頃だった。
俺は小学生というにはあまりに顔が整っていたらしい。同級生から先生まで幅広くモテてしまっていた。だが恋愛なんて興味のなかった当時の俺は、気にせず元気に馬鹿やってた。
しかしそんな俺にも好きな女の子が居た。公園で出会った不思議な女の子だ。俺は何とかその子に近づきたくて、色んなことをした。そして顔が良かったのも幸いしてその子とよく遊ぶ様になった。
女の子には親が居ないと言う。不思議な事だが当時の俺にその意味は理解出来なかった。寧ろ居ないからこそ沢山遊べるのだと喜んでいた。
「今日 君の家に遊びに行って良い?」
俺は二つ返事で肯定した。好きな女の子がウチに来る事にテンションが上がってたっけ。親を紹介して、自分の部屋に招き入れる。そっか、こういうのが「恋愛」なんだって当時の俺は舞い上がっていた。
しまった、せっかくのお客さんなのにお茶が無い。俺はその子に少し待ってもらって、近くのコンビニで買ってこようと思った。一緒に行くのはプライドが許さなかったのだろう、少しだけ待っててねと告げると笑顔で快諾してくれた。そしてこの行いを、これから酷く後悔する事になる。
そんなに時間は経っていない、2本のお茶を握り締めて玄関で大きく「ただいま」と叫ぶ。いつもなら親は返してくれるはずなのに返事が無い。どうしたのだろうとリビングを覗く。あっ、あの女の子だ。リビングで親と会話してたのかと、合流する為に中へ入る。
…何この臭い。血の臭いと、火の臭いがした。俺は女の子に話しかけようとした。
「あ おかえり大牙」
女の子は血まみれで、その先には俺の両親が穴だらけになって居た。
「えっとね…まあいいや!」
混乱している俺に襲いかかる女の子。俺はすぐに押し倒されてしまう。
「大牙…愛してるよ」
告白と同時にナイフを首元につけられる。身体中が熱くなってきて、息が苦しくなってくる。女の子の背中から、炎が迫っている。何も理解出来ない俺を、とても嬉しそうな顔で見下ろす女の子。
「僕は大牙を愛してるから 僕は大牙と『ひとつ』になる!」
俺に向けていたナイフを、何故か自分の首に突き付ける女の子。そしてそのまま、自分の体に刺していった。
「僕は小牙 これからよろしくね」
俺を抱くように倒れる小牙。色んなことが起きて、頭がいっぱいで、俺はいつの間にか気を失ってしまった。
気がついたとき、家は燃えていて。何故か俺は助かって。知らない病院で泣いていた。
「まぁそう泣くな少年」
誰だろう、林檎を剥きながら俺を励ましてくれる人物が居た。巫女みたいな、金髪で…
「耳が生えてる!?」
「そう驚くな 耳は誰にでもあるものじゃろう」
「じゃなくて!ケモみみ!」
勢いでケモみみを触る。柔らかい…。
「ちょっと…照れるのじゃが」
ハッと手を戻す。そもそも何者なのだこの人…人なのかも怪しい。
「まぁそう警戒するでない ワシはお前の事を心配する神様じゃ」
「神様…?」
「まだ見習いじゃがな ワシの地域でお主の家が燃えていたのでな 温かったお主だけを救ってここまで連れてきたのじゃ」
神様なんて居たんだ。でも、ならどうして俺の両親も初恋の相手も死んでしまったの。神様なら何とかしてよ。そう口にしたかったのに、涙が溢れてそれどころではなかった。
「辛かったな お主の身はワシが預かろう でも母親は嫌じゃから『姉さん』と呼ぶがいいぞ」
姉さんと呼ぶには少し無理があるのではと、一旦泣くのをやめてその人物を見る。俺と同じくらいか、それ以下の身長。なのに喋り方はまるでお婆ちゃん。とても「姉さん」と呼べる風貌では無い。
「今 失礼な事考えたじゃろ」
「姉さん…何歳?」
「れっ…レディーに歳を聞くのは無粋なものよ!」
慌てる姉さんに少し、笑顔になってしまう。
「その顔じゃ!イケメンにはスマイルが似合うのう!」
すぐに表情を変える。結局コイツも顔しか見てないじゃん。拗ねたように視線を逸らす。
「あぁ…悪気があったわけでは無いんじゃ えーと…林檎でも食わんか?」
林檎の入った籠を持ち上げる姉さん。頬を膨らませたまま林檎を食べてみる。
「…!!!」
林檎ってこんなに美味しかったっけ。俺は感動してしまう。
「お口に合ったようじゃな 辛い時は美味しいものでも食べて忘れる事じゃ!」
ひとつ、ふたつと次々に林檎を口に入れていく。美味しさも、嬉しさとか色んな感情が込み上げてきてまた、涙が止まらなくなってしまった。
「真心込めて皮を剥いたからのう たんとお食べじゃ!」
俺はこの不思議な「姉さん」に、林檎で飼われてしまったのだった。
「また泣いておるぞ?辛い事は無理して思い出さなくても…」
「…いや もう大丈夫」
あれから1年も経ったんだ。思えば姉さんには世話になりっぱなしだな。
「それととても聞きにくいのじゃが…『小牙』はどうじゃ?」
小牙、あの事件の元凶。
『ひとつになる!』
あの台詞はどういう事だったのか。未だに分からないことが多すぎる。
「子供ながらにとんでもない事をやりおる あれは『ジグ』になる為の儀式なのじゃ」
「ジグ?」
聞き慣れない単語に疑問符が浮かぶ。
「あぁ…確か中学生から習うんじゃっけ 世の中には『ジグ』と呼ばれるもう一つの人格があって」
「それが僕だよ!」
不意に響く声。そして体を乗っ取られてしまう。
「ようやく叶った…大牙の体はボクの物だ」
「お主…まさか小牙か!?」
「誰このババア」
「ババア!?」
ババア呼ばわりにショックを受ける姉さん。涙を浮かべる姉さんを慰めたいのに、意識が体に戻らない。
「大丈夫だよ大牙 ボクの目的は果たしたしすぐに戻るから」
「お主…なぜ禁術を使ってまで大牙の『ジグ』になったのじゃ!?」
「愛だよ」
「何故そこで愛!?」
姉さんが思わず突っ込む。
「じゃあ また出てくるからねババア 大丈夫悪いことはしないよ」
「ジグになるのって充分悪いことなのじゃが…」
小牙は唇に人差し指をつけ、「内緒」とでも言う様なポーズを取った後俺に体を渡してくれた。
「戻った…姉さん大丈夫!?」
「メンタル的に辛い」
耳も尻尾も下を向いてしまった姉さん。これもきっと、俺が全部悪いんだ。
「何かすごい事が起きてしもうたが 今日はある提案をしようと思っていたのじゃ」
色んな部位を立ち上げ、ポッケから紙を取り出す。
「大牙の教育ぷろじぇくと!『アイドル』やるぞ!」
カンペだったのだろうか、高らかに宣言した姉さん。
「…何故そこでアイドル!?」
まさか、俺も突っ込むなんて思わなかった。




