Ⅴ.リズとラフェリア
雨が、降っている。
音もなく、静かに。
枯れてしまった湖の跡地で、リズは膝を抱え、空から落ちてくる雫が地面を叩く音だけを聞いていた。
火照った心に、冷たい雫が降りかかる。
熱が奪われるたびに、思考が静かに沈んでいく。
干上がった湖の底。
かつて水に満ち、命を映していた場所。
ひび割れた地面は、まるで今のリズの心のようだった。
乾き、脆く、触れれば崩れてしまいそうで。
そこへ、恵みのように雨が染み込んでいく。
「雨……ルヴィア……」
名を呼んでも、雨は答えない。
ただ静かに、すべてを洗い、流していくだけだ。
アースの穢れも。
リズの……感情も。
何も語らずとも、雨は優しい。
ルヴィアはただ、静かに降らせるだけだ。
リズは恐怖を拭えずにいた。
震える身体をぎゅっと抱え直し、周辺を見回す。
ここは、リズの生まれた場所。
そして、ラフェリアが「綺麗な場所ね」と、微笑んだ場所。
しかし、それも過去だ。
水は枯れ、森は消え、今は乾いた大地が広がるだけ。
残っているのは、記憶……それだけだ。
それでも、リズはこの場所が好きだった。
「どうしたらいいの……」
思わず口からこぼれた。
優しすぎるルヴィアの雫が、心に痛い。
アースが危険なことをリズは知っている。
そしてそれを救うことが出来るのは、自分だけだということも。
それでも。
心の中から消えることのない、感情。
指の先から熱が失せていき、全身が冷えていく。
消えてしまうことが、怖い。
アースやシーアに、もう会えなくなることが。
アースに名前を読んでもらえなくなることが。
触れることさえ叶わなくなることが。
――自分が、アースの記憶にしか存在しなくなることが。
そして、いつかその記憶さえ、消えてしまうかもしれないことが。
――それでも。
それでも、アースを守りたい……。
相反する想いが、胸の中で絡まり合い、ほどけない。
雨はその勢いを増していく。
リズの心中を察しているかのようだった。
止むことなく振り続ける雨の中を、ふわりと風が吹く。
姿が見えなくとも、ウィンディアの存在を感じる。
そして――。
懐かしい気配を感じた。
「ラ……ラフェリア……?」
返事などあるはずがない。
そう思った瞬間。
「リズ」
遠い記憶と少しも変わらない、ラフェリアの声がリズを呼んだ。
そこにラフェリアがいた。
いるはずのない、ラフェリアが。
そっと覗き込むその姿に、リズは息を詰める。
涙が溢れそうになるのを、必死でこらえた。
「どうして……?」
声が震える。
「……どうして平気なの?悲しくないの?私やウィンディアに会えなくなること……消えてしまうことが、辛くないの……?」
声が、詰まる。
「怖く……ないの?」
ずっと、胸の奥に沈めてきた問いだった。
考えただけで苦しくなる。
あの日のことを、思い出してしまう。
「リズ……私は消えたわけじゃないわ」
ふわりと、ラフェリアの気配がリズの髪を優しくなでた。
ラフェリアの言葉の意味がわからない。
じゃあ、どういうこと?
その思いは、声にならない。
「私は、いつもリズを見ていたわ」
そっと目を閉じ、それから開いてリズを見つめる優しい瞳。
「ウィンディアと共に」
「何言ってるのか、わかんないよ……」
弱々しげな声でリズは言う。
「私は……ウィンディアのなかで生きてるわ。彼と一緒にいろんな場所に行って、みんなとも会ってるわ、もちろん、リズともね」
無邪気にラフェリアは笑う。
その笑顔が、眩しくて。
そして、少しだけ、羨ましかった。
「それにね」
ラフェリアは、胸に手を当てる。
「私は愛した人といつも一緒にいられるのよ。ウィンディアと同じことを感じて、一緒に生きていけるの」
――これ以上の幸せはないでしょう?
そう言って彼女は子どものように嬉しそうに笑った。
リズが、初めて見る姿だった。
聡明で知的ないつもの姿など思いもつかないほどの無邪気なラフェリアだった。
「私も……?」
ふふっとラフェリアは笑った。
それからそっとリズを包むように両腕を伸ばした。
「みんな同じよ」
リズの手がラフェリアの幻影を抱きしめ返す。
懐かしい温かさ、優しさがリズの感覚を支配する。
「リズ……恐れてもいいの。何が正しいかなんて、ないわ」
少しだけ揺らぐ声。
ラフェリアも同じだったんだろうか。
恐れたんだろうか。
「私は、選んだだけ。ウィンディアを愛することを」
リズの瞳から雫が零れる。
ずっとこらえてきた涙。
涙は雨に紛れて落ちる。
ラフェリアの気配は、やがて静かに消えていった。
残されたリズは、右手首の生命の石を見た。
そこに残っている気がする。ラフェリアの気配。
石を左手でおさえる。
静かな決意が、リズの中に染み込んでいく。
雨の中を、再び風が通り抜けた。
姿は見えなくても、ウィンディアの優しさとルヴィアの癒しが、確かに残った。
「ウィンディアが……連れてきてくれたの……」
ありがとう、とリズは呟いた。




