Ⅶ.終わりのはじまり
そのとき、地球は限界を迎えつつあった。
崩れそうで崩れない。
奇跡のように保たれていた均衡を、最後に押し崩したのは、人間の行いだった。
その日、唐突に空が白くなった。
それは光というにはあまりにも無機質で、熱というには、あまりにも静かだった。
一瞬の閃光のあと、遠くで、大地が軋む音がした。
空気そのものの悲鳴。
衝撃波が遅れて届き、建物も、森も、街も、等しく押し倒されていく。
空が裂け、雲が焼かれ、風が方向を失い、海が不自然に静まり返る。
雨が降り始めた。
黒く、重い雨だった。
ルヴィアの血が、生命が、世界を洗い流しているかのようだった。
海シーアは沈黙したまま、すべてを受け入れていた。
地球は海の上に崩れ落ちた。
波が彼の身体を抱きとめる。
シーアは己の手を差し出すことが出来ずにいた。
シーア自身もまた、限界だった。
最初に駆けつけたのは、ウィンディアだった。
「アースッッ!!」
その叫びに、返事はなかった。
うずくまるアースに手を伸ばし、ウィンディアは言葉を失う。
ひび割れた身体。
濁りきった色。
生命の石にまで及ぶ、崩壊の兆し。
もはや、結末は見えていた。
ウィンディアは、静かに息を吐いた。
感情が昂り、銀灰の髪の端が、黄金に滲んでいく。
周囲の風が、冷たく、鋭い。
さらに冷たさを増す風の中に、雪の欠片が混じり、スノーウィが現れる。
吐息が白く曇り、足元の大地に霜が走った。
「アース」
スノーウィは崩れ落ちたアースを一瞥する。
かすかにアースの瞳が彼を見上げた。
「もう、無理だ」
スノーウィは淡々と告げる。
アースの表情が歪む。
ウィンディアに縋るように、立ち上がろうとする。
「まだ……っ」
弱々しいアースの声が抗う。
「まだっ……耐えられるっ」
白銀の瞳が、逃げ場なく彼を射抜く。
「耐えられることと、生きていられることは違う」
事実だけを告げる冷静な声。
だからこそ、何よりも残酷だった。
「……っ!」
アースは言葉を失った。
その沈黙を引き取るように、波が揺らいだ。
「僕も、同意する」
すべてを包み込む存在であるはずの海え、そこにはいつもの穏やかさはなかった。
ウィンディアは二人を見渡し、最後にアースを見る。
「アース、決断の時だ」
ウィンディアの強い感情が、銀灰の髪を燃えるような黄金に変えている。
その黄金にさえ、僅かな濁りが混じっていた。
自分も影響を受けている。
そう、感じざるを得なかった。
それでも、アースは選べない。
「……時間がない」
そう告げるシーアの瞳は虚ろだった。
シーアにも終わりが迫っていた。
青緑色の髪に黒い穢れが確かに滲んでいる。
答えられないアースを、細められた白銀の瞳が見据える。
「選ばないという選択も、できる」
突発的にウィンディアがスノーウィを振り返る。
その表情は、驚愕か、怒りか――
何かを言いかけたウィンディアを遮り、スノーウィは続ける。
「だが、それがどういう結果を招くかを、アースは分かっているはずだ」
長い沈黙。
時間だけが、過ぎていく。
風が吹かなかった……。
ウィンディアの感情と共に荒れているはずの風が。
淡い灰を含み、光を反射せず、鈍く沈んだ気流が、彼の足元で渦巻くだけだった。
風が重く、思うように動けない。
思わず舌打ちがでる。
髪に混じる濁り。
風の左手の生命の石にも、ひび割れが走る。
その隣で、スノーウィが静かに地面を踏みしめる。
霜が、色を失いつつあった。
完全な白ではない。
スノーウィは、その霜を見下ろし、わずかに目を細める。
冷気は、確かに存在している。
だが、澄み切った鋭さがない。
雪が、何かを抱え込んでいる。
空気が、冷たさを逃がしてくれない。
――汚れを、溜め込んでいる。
スノーウィは、それを言葉にしなかった。
言葉にした瞬間、それが“事実”になってしまう気がしたからだ。
そして海は、恐ろしいくらいに凪いでいた。
ただ、静かにすべてを受け入れていた。
流れ込む灰、溶け残った毒。
残響のように世界に残った、熱。
シーアはただ、受け入れるしか出来ない。
拒むことはない。
それでも、最後を引き受ける覚悟はあった。
長い沈黙のあと。
最初に決断したのは、ウィンディア。
「俺達が……選ぶ」
静かだが、揺るぎない声だった。
「アースが選ばなくとも」
また沈黙。
そして。
「世界を、終わらせる」
ウィンディアが荒れようとして、それでも吹ききれない風の中で、そう決断しようとした時。
ふわり、と。
あまりにも小さな影が降り立った。
――リズだった。




