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そもそもの始まり

 一九八二年三月、野江良が誕生する四十六日前、祖母で原田定の妻、原田シメ子が癌により死去。享年五十二という若さだった。当時定は六十歳。厄年だったのだ。よって野江良以降の孫は、シメ子を写真でしか知らない。

 それから五月初旬に原田野江良は生まれる。


 一方、同年の八月下旬、神奈川県鎌倉市にて、田村乃衣瑠が生まれた。よって野江良と乃衣瑠は同い年ということになるけれど、原田家と田村家は親戚関係でもなく、赤の他人。

 何一つ接点のない野江良と乃衣瑠ではあったが、同学年であることと、共に野江良は立正大学の史学科へ、乃衣瑠は東京大学の理学部に進学し、上京して東京都民になった、というのみだけは共通していたが、只それだけだ。


 乃衣瑠の生まれは鎌倉市だが、親の判断で、神奈川県内で引っ越しを何度も繰り返していた。一歳から小学校途中までは藤沢市、小学校の途中から中学までを三浦市で過ごし、高校は横浜市だった。

 

 エンジニアの父の勤務地は変わらないのに、何故、神奈川県内の山の方や海の方の地で過ごしたかと言うと、それは子供の成長に合わせて環境を変えたいという、親の考えからだった。孟母三遷ならぬ孟父三遷を体現したのだ。

 海と緑に囲まれた小学生の頃は、学校の畑で野菜を育て、夏は自転車で海に向かう日々。

 高校生になると、開発真っ只中だった横浜市のみなとみらい地区で、夜景を見ながら放課後デートを楽しんだ。


 一方の野江良は、小六の頃に自律神経失調症と診断され、中一の二学期からは完全な不登校。二年に上がると学校へは一応復帰したものの、遅刻や休学を繰り返す。そのまま卒業後は通信制の高校へ進学。小・中学生の頃は友達と市街地へ遊びに行った経験はあるが、高校生の頃は友達もおらず、放課後デートなど無縁な生活である。


 因みに、定が唯一少し自覚したのは、野江良が不登校児になった時、

「俺があれこれ口出すのが、嫌だったんだろうな」と母に言ったこと……のみ。それ以降、学力についてはあれこれ口は出さなくなったが、時既に遅し、だった。


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