リサーチと思念
翌朝五時前にトイレに起きた野江良は、二度寝せず、そのまま起きていることにした。
煙草を吸いながら夢の記憶を一つ一つ丁寧に思い出す。はっきりし過ぎている、これは普通の夢ではないな……。爺ちゃん、俺にも異次元の世界が見えたし聞こえたよ、自分にはもう一人、前世となる人物がいたんだ。心中で呟きながら、以前に読んだ応仁の乱当時の室町幕府の様子や、足利氏の事柄が書かれた本を、本棚から引っ張り出した。
西暦で言えば、一四六五年十二月、室町幕府八代将軍の足利義政と、正室、日野富子との間に誕生したのが、後に九代将軍となる義尚だった。少年時代は美しい顔立ちから、緑髪将軍と称され、記録によると、御容顔いとも美しく、すきのない玉の御姿、こう書かれるくらいの美男子だった様だ。
母の富子は、息子の義尚の諸事に関して、過度なまでに干渉したとされ、義尚は富子を避ける様になったと伝えられている。
室町御所焼失後に、富子と共に父、義政の隠居所に移りそこを将軍御所とするも、間もなく義政とも側室を巡って対立。義尚は幕臣である執事の屋敷に移った。その後も富子との対立も激化し、母のことを疎んじる様になる。
そして一四八九年四月……。
義尚は次第に酒や文弱に溺れる様になり、政治や軍事を顧みなくなったとされ、両親に先立って死去。死因は過度の飲酒による脳溢血と伝えられているが、荒淫の為、と言う説もあり、性行為中に腹上死したのではないか、とも言われている。
母の富子が応仁の乱の末に将軍職に就けた息子だったが、これと言った政治的成果も出さずにこの世を去った。
その一方で母の富子は、京の七口、京都に繋がる街道の代表的な入口に関所を設置し、関銭を徴収していた。この関所の設置目的は、内裏の修復費、諸祭礼の費用であったが、富子はその収益の殆どを懐に入れてしまう。
これに激昂した民衆が一揆を起こし、関所を破壊。だが富子は財産を守る為に弾圧に乗り出し、一揆後は直ちに関所の再設置に取りかかる。しかし、この行為が民衆だけではなく、公家衆の怨嗟の的にもなってしまうのだった。
夫の義政が、東山山荘(銀閣)の造営の費用捻出に苦心していた時も、富子は一銭の援助もしなかったとされ、天下の悪妻、とまで呼ばれていたらしい。富子の死後、遺産は七万貫(現在の金額にして約七十億円)にまで達していたというから驚き。
以上の様に、当時の足利家は、家庭内不和……としか思えなかったと見られる。
一通り読み終えた野江良は、パシンッと本を閉じた。補足すると、義尚は応仁の乱終結後に、幕府に背信行為を続ける大名を征伐する為、母の富子の反対を押切って出陣した。野江良が上京に反対する定を押切ったのと、似てはいる。
定は、東京で苦労している、と勝手に思い込み、信じて疑わなかった様だが、野江良はマイペースに東京での独り暮らしを楽しんでいた。確かに辛い時期もあったけれど、それも経験。人間性を養っていく為だったのだ、と思えば、生きる上での、修行、をさせて頂いた。九州の三田井市にいるよりも、ずーっとましだった……と、野江良は思い込みたいし、信じたかった。
それに、帰郷して十二年、野江良はそろそろ、実家暮らし、両親と同居している現状に、嫌悪感さえ感じ始めていた。東京生活十二年、実家での生活十二年……どうも野江良は一回りが限界の様だ。
それはさておき、数日後のこれまた深夜……。




