別れても、疎ましい人
帰郷して二年が過ぎた。定は九十を過ぎても猶、健在。しかも、野江良が帰郷して実家にいることまで知ってしまっている。親が伝えたのだ、野江良にとっては一番知られたくない人物であるにもかかわらずに……。
俺と会えば、鬱が治るかも知れないじゃないか、などと勝手なことを言っている様だ。が、治るどころか、むしろ酷くなりはしないか? と、思ってしまう。野江良はそれだけ定を疎んでいたのだが……。
母は、野江良に会いたくて仕方がないんだろうね、と言っている。ほんとに、仕方がない……、根負けした野江良は定と再会する覚悟を決めた、と言うより、決めてしまったのだった。
その日は水曜日。定は市内の温泉施設に週三で通っているのは、母も野江良も既知している。確か、今日は温泉施設にいる筈だ。十五時過ぎに母の運転で施設へと向かった。
野江良は帰郷してから、鬱症状で事故を起こしてはいけないとの理由で、一度もハンドルを握っていない。
温泉と言っても小さな施設で、駐車場も狭い。定は白いマツダのファミリアに乗っているのも、親子は既知している。が……二人共ナンバーまでは知らなかった。けど、多分あのファミリアで間違いないだろう、親子は早合点し、母が施設内を覗きに行った。
すると、早合点どころか予想通り、定はソファに座りテレビを観ていた。外に野江良が来ています、母が伝えると定は、ああ、偶然会った様に装うよ、と言って立ち上がり、二人は施設から出てきたまでは良かった。
定は偶然どころか、孫の顔を久しぶりに見たからだ、野江良の姿を認識するなり満面の笑み。本当に仕方がなく、野江良は両手を出し祖父と孫は再会の固い握手を交わす。
そして定はこう言った。
「お前が東京で苦労して仕事していると思っていてな」自分の都合良く、勝手な解釈もいいとこだ、野江良は大いに鼻に付き、その後に定が何を話したのか、全く覚えていない。
定は九十を過ぎて、最早ボケてしまっているのかも知れない。自分の使命も失念してしまっているのだから……。
数日後、野江良は実家に立寄った姉の瑠美にリビングで、
「爺ちゃんに会ったよ。相変わらず、多言な人だね」窓ガラス越しに外を見ながら、溜息混じりに呟くトーンで口にした。そんな弟の姿を見て、
「私は、定お爺ちゃんの話は聞くに堪えないから」あっさりと言いのけてしまう。だがその通りなのだ。定の物いひ伽に付き合わされている、甥や孫一同は皆、辟易しており、聞いている振りして無視している者もいるくらいだった。
野江良はその後、定が家を訪ねてきても居留守を使うことが多くなる。
定も高齢の為、運転免許を返納し、電動カートが移動手段となった。しかも年齢的に体力も弱り、
「俺はもう遠くへはいけないから、うちに来るように伝えてくれ」と父に言ったそうだ。それを聞いた野江良は、絶対行く訳ねえ、こう拒否して定の家に行くことはなかった。
そして……会う機会を減少さていったまま、定をあの世へと追いやってしまう。野江良にとっては悲しみより、やっと終わった、胸を撫で下ろす開放感が心に浸透した。
しかし定は晩年、野江良に最後のメッセージを残していた。希望を持って生きなきゃいけないぞ、と。昔の定からは考えもよらない言葉。その言葉は、定の死後も野江良の脳裏に確りと刻まれているのも、これまた確かなのだった。
田村乃衣瑠アナウンサーの方は。一家が集合した忘年会の話題は、貿易自由化を目指す、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加をめぐって注目される、日本の農業について。
「そもそも日本は、食料自給率を上げなきゃいけないのかなあ」乃衣瑠の疑問に、
「遠くから運ぶ為には、農薬や保存料が必要になるでしょ。美味しい物を美味しいまま食べるには、国産が一番だよ」妹は食物学的な視点で答える。
「国の減反政策で規制されてた部分もあるから、コメの品種改良には収量を上げる点でまだまだ進歩の余地があるよ」弟は農学的な意見を述べる。
そんな姉弟のやり取りを楽しそうに聞いて、父は合いの手を入れる。家族で唯一文系出身の母は、「今の説明は解り易かった」などと、一般的な視聴者として傍観していた。
気が付けば、家族五人でビールの後にワイン三本とシェリー酒二本を空け、ほろ酔いどころかすっかり酔っ払っているのに、真面目に農業政策はどうあるべきかを語る、お茶目で知的な家族である。




