幕開け
ニ〇〇一年三月下旬、その日九州地方は朝から雨が降っていた。野江良は羽田空港へ向かう為、母と共に母の車で空港へと向かった。野江良にとっては、高校の修学旅行以来の二度目の飛行機搭乗だ。
その機内にて、機体がガタガタと揺れる度、慣れていない野江良の両手は脂汗で濡れる。その様子を見た母からはゲラゲラ嗤われた。
いざ羽田に降り立ち、そこからは主に、山手線と京王線の電車移動。この日の東京の方は晴天だった。
野江良は都内のほぼ中央に位置し、新宿まで特急電車で約二十分と交通アクセスが良い、府中市内のドーミー府中という学生寮に入寮することになっている。歴史があり、地元志向が、都心から同距離の国分寺市や調布市などに比べて高い傾向があるこの街から、野江良の東京での人生が幕を開けた。
翌日、母と共に京王井の頭線に乗り、渋谷へ行ってみた。
「これがハチ公像で広場で待ち合わせ場所? 広場は良いけど、像は意外と小さいよね。西口のモヤイ像の方が、よっぽど待ち合わせ場所になると思うけど」感想を漏らす野江良に、
「確かに、お母さんも初めて見たけど、同感」二人は笑う。
僻地三田井市と比べれば、通行人も車も数多で比べるに値しない。おまけに、そこかしこのスピーカーから流れるBGMやら車のエンジン音で、大都会は何処も喧騒だと感じた。
渋谷区にはNHKの社屋もあるのは既知している。別に何かの番組を観覧するとかでもなく、全く用はないが、原田親子は行ってみることにした。
「NHKに行くにはどっちの方向ですか」近くにいたバス運転手と思しき中年男性に尋ねる。
「交差点渡って、あっちの坂登って真っ直ぐだよ」指さす運転手に、
「歩いて行ける距離ですか」と訊くと、
「そりゃ歩いて行けるよ、何処だって。四国のお遍路だって歩いて行けるんだから」少し笑って返された。そういう意味じゃねえよ、田舎者をバカにしやがって、野江良は軽くムカつく。
教えられた通りに歩き、NHKに到着。只、テレビで何度も見てきた外観を拝むのみ。これがNHKホールか、ここで『紅白』やってるんだ、中は広いんだろうけど、外から見たらそうでもないな、野江良の率直な感想。ハチ公像といいNHKといい、実物を眼前にしても特に感動などなかった。
最後に原田親子は、山手線で立正大学文学部の校舎が所在する品川区へ移動。品川キャンパスへ向かい、道順を確かめて府中に帰った。
新宿区内のホテルに宿泊している母は、明日の便で九州に帰る予定。府中駅にて息子との別れ際、しくしく餞別の涙を流していた。
史学科に入学した野江良は、クラスの学生と共に教室にて、
「城郭考古学に進むのにまず必要なこと。城郭研究とは、戦国期を中心に築かれた城について研究する、城郭考古学の専門家を指す。現在までに失われた城や現存する城を対象に研究を行うのです。
考古学者は、遺跡や出土品を調査・研究をし、過去の人々の生活様式や社会構造、技術、宗教、経済活動などを明らかにする歴史の専門家です。
発掘調査から携わり、歴史学や人類学、地質学、科学など、他の学問分野とも密接に連携しながら研究を進めていきます。
考古学者として働くには、遺跡や出土品に対する探究心と、長期に亘る事実関係の積み重ねが必要な仕事ですから、地道にコツコツと研究を続けていくことが出来る人が向いているでしょう。
また、記録保存の観点から、事務処理能力も求められます」教授から初歩的な知識を解説された。
その他、城郭考古学は、現存している城、失われた城に関する研究だけではなく、石垣の組み方、天守、塀や門、櫓や郭(塀や土塁で囲んだ区域)、堀などの配置や構造、その城が歩んだ歴史、防御力などを様々な角度から研究していく仕事だ。
現在、全国各地の城や城跡が観光スポットや公園として活用され、天守に登って眼下を一望したりして楽しむことが出来る。たが、その殆どの城の建造物は明治以降に失われた。
よって、現在自分達が登っている天守、櫓などは後に復元された物だ。その復元にも、城郭考古学が役立てられている。考古学を駆使し、何処にどんな建造物があったのか、どの様な構造だったのかなどを調査した上で、現在の建造物は復元されている。
復元には外観復元と模擬復元とがあるが、現存している設計図や写真を基に忠実に復元すれば、文化庁から補助金が出される。模擬復元の場合は、勝手に建設しろ、として補助金は出されない。
たとえ設計図や写真を基に復元したとしても、他の建造物を模擬復元すれば、全てが模擬と判断され、やはり文化庁からの補助金はないということも学んだ。
また研修として、千代田区の江戸城、神奈川県小田原市の小田原城と石垣山一夜城、山梨県甲府市の甲府城と、武田氏館の跡である武田神社、茨城県水戸市の水戸城、長野県松本市の、天守が国宝に指定されている松本城、静岡県静岡市の駿府城などの、東京から行ける城跡をクラスで見学して回った。
これとは別に、野江良はプライベートや修学旅行で、福岡県福岡市の福岡城、広島県広島市の広島城、京都府京都市の二条城、大阪府大阪市の大坂城、滋賀県近江八幡市の安土城と、他の城跡も見学して回っている。一応、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が築いた城は制覇していた。
学友は同じクラスの男性三人だけと少ないものの、四人で都内や神奈川県内にある、行列が出来るラーメン店へ行ったり、ボーリング場やビリヤード場にも行って遊んだ。特に、楽しんでキャンパスライフやサークルを謳歌する訳ではなかったけれど、野江良は取り戻した、自覚ある青春を、楽しんでいた。




