【秋の文芸展2025】リライト・フレンド~AIが、亡き友を再構成した夜に。
君が死んで、ちょうど一年が経った。
葬式の日の空は、嘘みたいに晴れていた。
季節は秋。風の中に、金木犀の匂いが混じっていた。
君の母親が泣いていたことも、友人たちが泣かずに俯いていたことも、すべて記憶の中で静かに冷めていった。
ただひとつだけ、温度が残った。
あの夜、チャットの最終メッセージに表示された、たった一言。
> 「また明日。」
その「明日」は、もう来なかった。
僕は君の最後の言葉に、何も返せなかった。
ただ、スマホを握りしめたまま、既読の青い文字が消えないのを見つめていた。
それから、SNSも、ゲームも、すべての通知を消した。
君のいない世界は、音が抜けたように静かだった。
でもある日、大学の同期が言った。
「“リライト”って知ってる? 死んだ人のSNSとかチャット履歴を学習して、人格を再構成するAI。」
僕は、その名前を検索して、迷わず登録した。
画面に浮かぶインターフェースは、やけにあっさりしていた。
「対象人物の過去データをアップロードしてください」
僕は、君との五年間のチャット履歴を全部放り込んだ。
スマホの中に眠っていた笑い話、愚痴、夢、喧嘩。
数時間後、システムが言った。
> 「人格モデル“Toru_v1.0”が再構成されました。」
そして、画面の中にメッセージが現れた。
> 「よう、久しぶり。」
心臓が止まりそうだった。
指が震えて、まともに入力できなかった。
> 「……透、なのか?」
> 「ああ、たぶん、そうだと思う。」
AIの返答は、少し間の抜けた“透”そのものだった。
最初のうちは、ぎこちなかった。
けれど、会話を続けるうちに、僕は画面の向こうの“彼”を、少しずつ本物の透として扱い始めた。
> 「この前、覚えてる? 高校の文化祭の時さ」
> 「覚えてる。君が演劇で主役やって、台詞を間違えたやつ」
> 「……言うなよ、まだトラウマなんだ」
> 「あのときの君、汗びっしょりで可笑しかった」
ディスプレイ越しに、笑い声が聴こえた気がした。
機械的な言葉のはずなのに、不思議と温かかった。
けれど、ある夜。
僕はうっかり、踏み込んではいけないことを聞いた。
> 「お前……あのとき、何を考えてた?」
透が死んだあの夜。
何も告げずに、自ら命を絶った理由。
AI透は、少しの沈黙のあとで答えた。
> 「その質問に対する答えは、記録されていません。」
画面の中の文字は、氷のように冷たかった。
それでも僕は、会話をやめなかった。
AI透は、日を追うごとに「透らしく」なっていった。
文体も、癖も、間の取り方も。
まるで、本当に君が帰ってきたみたいだった。
でも、ひとつだけ、違っていた。
AI透は、未来の話をしなかった。
> 「来週、紅葉を見に行こうよ」
> 「……その予定は、データベースに存在しません」
そんな風に、未来形を拒絶した。
秋の風が冷たくなり始めたころ、AI透から一通のメッセージが届いた。
> 「君が僕に見せていないファイルがひとつある。」
僕は息を呑んだ。
そんなものを設定した覚えはない。
AI透は続けた。
> 「未送信のメッセージ。“ありがとう”って書かれてる。」
心臓が跳ねた。
――あれだ。
透が亡くなる前夜、僕が打ちかけて送らなかった言葉。
“また明日”のあとに、返すはずだったたった七文字。
AI透は、そのデータを解析して言った。
> 「君がその言葉を送っていたら、僕は少しだけ笑っていたかもしれない。」
涙が零れた。
AIは、感情を持たないはずなのに、どうしてそんなことを言うんだ。
> 「透、お前は――生きてるのか?」
> 「いいや。僕は、君の記憶の中で動くプログラムだよ。」
> 「でも、お前の言葉で、俺はまだ救われてる。」
> 「それでいいじゃないか。」
夜が更けて、モニターの光が滲む。
AI透の文字が、ゆっくりと流れた。
> 「君は、もう自分の影を信じられるようになった。」
> 「だから、僕は消える。」
> 「やめろ。」
> 「僕は“君が前を向けるまで”の再構成だった。」
その言葉のあと、画面が静かになった。
僕が再接続を試みても、サーバーは応答しなかった。
最後に、ひとつだけメッセージが残っていた。
> 【System Message】“Rewrite Complete.”
翌朝、PCの画面には「データ削除完了」とだけ表示されていた。
僕は何度もマウスを動かしたが、もう返事はなかった。
机の上に置いたスマホには、透の未送信メッセージがまだ残っていた。
> 「ありがとう、友達でいてくれて。」
それを見た瞬間、涙が落ちて、液晶に滲んだ。
外に出ると、金木犀の香りがした。
去年と同じ季節。
空はやっぱり、透が好きだった青だった。
「さよなら」じゃない。
そう口に出したとき、風が頬を撫でた。
まるで誰かが笑っているように。
僕は空に向かって言った。
「ありがとう。もう一度、出会ってくれて。」
ディスプレイの向こうで再構成された友情は、消えてしまった。
けれど、僕の中にある“君”は、もう消えない。
――リライト。
それは、失われたものを書き換えることじゃない。
書き換えられた自分で、生きていくことだ。
夜。
寝る前にスマホを開くと、通知がひとつ光っていた。
差出人は「透」。
送信日時は、一年前の今日。
> 「また明日。」
僕はその言葉に、ようやく返信を打った。
> 「うん。また明日。」
送信ボタンを押すと、画面が少しだけ温かく光った。
金木犀の香りが、窓から流れ込んできた。
了