最弱召喚士と最強聖騎士
王都の訓練場は、いつだって乾いた土埃と冷たい嘲笑に満ちていた。リゼル・エルトニアは、肩をすぼめて掌をかざす。彼女の前に現れるのは、半透明の緑色の塊、たった一匹のスライム「ぷに」。周りの訓練生たちの嘲笑が、針のようにリゼルの心を刺した。他の者たちが炎を操るサラマンダーや、空を舞うグリフォンを従える中、リゼルはいつも、この小さなぷにだけを唯一の味方として胸に抱きしめていた。今日の訓練は、近郊の魔物討伐隊への参加選考を兼ねていたが、リゼルに希望など見えなかった。彼女の未来は、いつも濁った水底のように淀んでいた。
リゼルの家系は、かつて王家と縁を持つ古い家柄だったが、代々魔力が弱く、今ではその繋がりを覚えている者すらほとんどいなかった。彼女の母はいつも言っていた。「リゼル、貴女は特別な力を持たずとも、その心は王家の方々にも劣らないほど気高いのだから、胸を張って生きなさい」と。しかし、リゼルはいつも、その言葉に隠された悲しい諦めを感じていた。
「ほら、リゼル!お前のスライムでも、そこの雑草の一本くらい倒してみせろよ!」
意地の悪い声が響く。リゼルは俯き、ぷにに指示を出す。ぷには地面を這い、頼りない触手で雑草に触れるが、ピクリともしない。(やっぱり、ダメだ……)自分の無力さに胸が締め付けられたその時だった。けたたましい咆哮が訓練場を揺るがし、巨大な牙を持つ魔獣が、結界を破って乱入してきた。悲鳴が上がり、訓練生たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。鋭い爪が、容赦なくリゼルに振り下ろされた。
死を覚悟した瞬間、金色の閃光が魔獣を切り裂いた。現れたのは、白銀の鎧をまとった騎士。その圧倒的な力と、冷たいほどに整った容姿に、リゼルは息をのんだ。彼こそが、伝説の「最強の聖騎士」――魔王を討伐し、世界を救った英雄、レイヴン・ヴァルキリーだった。
レイヴンは舞うように剣を振るい、瞬く間に魔獣を退けた。周囲の歓声が響き渡る中、彼はただ一人、まっすぐにリゼルの方へと歩み寄ってきた。威圧感に後ずさるリゼルの前で、レイヴンは膝をついた。
「怪我はありませんか?」
低い、けれど不思議なほど優しい声が耳に届く。大勢の前では常に毅然とした英雄が、自分のような弱者に跪いて声をかけてくれたことに、リゼルは戸惑いを覚えた。
「あ……はい、大丈夫です」
震える声で答えると、レイヴンはリゼルの召喚したぷにに目を留めた。彼の左腕には、魔獣の爪痕とは明らかに違う、白い光を帯びた奇妙な傷があった。それは、彼の高貴な鎧にも隠しきれないほど、異質な輝きを放っていた。リゼルは、思わずその傷に視線を奪われた。なぜだろう、彼の傷から、深い悲しみと、何かを必死に隠そうとする切迫感が流れ込んでくるような錯覚を覚えた。その時、リゼルの掌から滑り落ちたぷにが、まるで導かれるようにレイヴンの腕の傷口に触れた。
じんわりと温かい光が放たれ、みるみるうちに傷が塞がっていく。その光景は、訓練場の誰も見たことのない、奇跡のような出来事だった。レイヴンは、その光景を驚きに見開いた瞳で見つめ、やがてその奥に、何かを確信するような強い光を宿した。まるで、永い探求の果てに、ようやく求めていたものを見つけ出したかのように。彼は顔を上げ、まっすぐにリゼルを見据えた。
「…礼をさせてほしい。私の屋敷に来ていただけませんか」
その声は、命令でも懇願でもなく、ただ静かな、深い意志を帯びていた。
馬車に揺られながら、リゼルは隣に座るレイヴンを盗み見た。彼の横顔は完璧な彫刻のようで、微動だにしない。窓の外を流れる景色が、なぜだかひどく遠く感じられた。意を決し、尋ねた。
「あの…なぜ、私を…?」
レイヴンは窓の外から視線を戻し、リゼルの瞳をまっすぐに見つめた。彼の表情は、一瞬だけ、張り詰めた緊張から解放されたように見えた。その微かな変化に、リゼルは彼の内に秘められた感情の一端を見た気がした。
「…貴女の魔物が、私の傷を治してくれた。このような力は、初めて見た。…興味がある」
彼の声は、微かに掠れていた。言葉は少ないが、その眼差しには、隠しきれない切迫感と、得体の知れない熱が宿っていた。それはまるで、長年渇ききった魂が、ようやく一滴の水を求めたかのような激しさだった。
「だから…貴女のことを、もう少し知りたい」
その言葉は、まるでリゼルを絡め取る鎖のように響いた。