落語声劇「出来心」
落語声劇「出来心」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約30分
必要演者数:最低3名
(0:0:3)
(3:0:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
新米:新米の泥棒だが、かなり間抜け。親分に見込みがないから堅気にな
れと言われる始末。でも親分の観察眼は間違ってない。
親分:新米の親分。
あくまで泥棒を続けるという男の為に、空き巣から始めろと
あらゆるテクニックを教え込む。
八五郎:貧乏長屋の住人。結構小狡い考えの持ち主で、
泥棒に入られたと悟るや、五か月分溜め込んでいて催促されてい
る店賃を待ってもらう言い訳にしようと企むが…。
男:新米の泥棒が空き巣を始めて最初に出会う人。
明らかに挙動不審な新米泥棒を疑ってかかる。
大家:八五郎の住む貧乏長屋の大家。
八五郎が五か月分も溜め込んだ店賃を盗まれた(嘘)と知ったら
払うのを待ってやろうと言い出す、懐の広い人。
●配役例
新米・枕:
親分・大家:
八五郎・男:
枕:商売と名のつくもので、優しいものはないと申します。
アレぁ優しいよ、誰だってできるなんて人から見える商売でも、
決してそうではないものです。
これはなにも堅気の仕事だけに限ったことでもないようで。
親分:おい新米、こっちへ入れ。
新米:へっ、どうも親分、お呼びだそうで。
親分:お呼びだそうでじゃねえよ、ええ?
仲間が言ってるぞ。
おめえは泥棒にむいてねえって。
もう足洗って堅気に戻した方がいいってみんなそう言うんだ。
堅気に戻れ。
新米:えぇ、そんなこと言わねえで、もう少し面倒見てやってもらえやせ
んか親分。
お願いしますよ。せっかくね、親分を慕ってここへ来たんでござん
すから。なんとかこの道で…。
親分:なんとかこの道ったっておめぇな、泥棒なんてのは人の物を盗みゃ
それで仕事になるだろうと思う。誰だって盗みの一つや二つしねえ奴は
ねえがな。
ところがおめぇ、これが商売となるってと、なかなか安直にいかね
えもんなんだよ。
泥棒ってのはおめぇみたいにその、ぼんやりしてちゃダメだんだ。
ま、どうしてもこの道で行きたいってんなら、了見入れ替えなきゃ
ダメだ。
今までみてえな甘っちょろい了見じゃなくて、明日からと言わず、
たった今から真面目な気持ちで悪事に励むってんなら、
まあ置いてやってもいいけどよ。
それァそうと、おめぇ今までになんか商売したことあんのか?
新米:へい、親分聞いて下さい。
こないだね、家尻を切りました。
親分:ほお、家尻切りか。土蔵破りたぁ難しい仕事だな。
で、どうした。
新米:へい、親分に教わった通りね、土蔵の土手ッ腹にてめえの身体が
やっと入るくらいの穴を開けやした。
親分:そうだ、あんなのに無駄に大きな穴を開けるこたぁねえ。
それで、どうしたんだ?
新米:中へ入りましたが、どうもおかしいんですよ。
親分:なにがおかしいんだ?
新米:ええ、入ってみるってえと、辺り一面に草がぼうぼうと生えてるん
ですよ。
親分:蔵の中一面に草がぼうぼうと生えてる?
珍しい蔵だな。
新米:そうでしょ?
あっしも珍しいなァと思ってよくよく見たら、どうも様子がおかし
いんです。
親分:どうおかしいんだ?
新米:大きな石がね、ゴロゴロゴロゴロしちゃってて。
親分:大きな石?
新米:ええ、ずいぶん大きな石なんですよ。
小さいやつでもだいぶ大きいんです。
親分:ふうむ、そういう蔵があんのか。
新米:あっしもそういう蔵があんのかなァと思ってよくよく見るってと、
どうも様子がおかしいんですね。
親分:今度はどうおかしいんだ?
新米:ひょいっと上を見るとね、星が出てるんですよ。
親分:また妙ちきりんな蔵だな…。
新米:妙ちきりんでしょ?
あっしも妙ちきりんだなァと思ってよくよく見るってと、
…親分の前ですがね、大笑いなんですよ。
親分:なんだその大笑いってのは。
新米:蔵だと思って入ったら、お寺の練塀切り破って墓場ん中に入っちゃ
ってたんです。
親分:そんなの蔵だか墓だか分かりそうなもんじゃねえか!
新米:それがあいにく暗くてわからなかったんです。
星を見てから気が付きました。
そら(空)見たことかって。
親分:何をくだらねえこと言ってんだお前は!
そんな事を言ってる泥棒があるか、ええ!?
おめえにゃまともな仕事は無理だ。
だいいちお前、土蔵破りなんてのはな、いちばん難しいんだよ。
しょうがねえ、俺が教えてやるからな、ひとつ空き巣でも探してみ
ろ。
新米:え?
親分:空き巣を探せ。
新米:はぁはぁ、空き地を探すんですか。
親分:空き地を探してどうすんだよ。
おめえは泥棒だろうが。
家でも建てようってのか?
そうじゃねえよ、人の住んでねえとこを探すんだ、いや、
住んでねぇぁいや、住んでるけれども人のーー見ろ、おめえが
そういう事を言うから俺まで変なのがうつっちまったじゃねえか!
人がいるけども今いねえ、つまり、留守を探すんだよ。
新米:あぁ~、留守なら留守だってハナから言って下さいよ。
留守ならいくらでもありそうですね。
親分:いや、そりゃいくらでもあるんだが、これがなかなか初めのうちは
表を見ただけじゃ区別がつかねえ。
俺ぐらいになると、ひと目で留守かどうか分かるんだがな。
当たりを付けるには、まず声を掛けるんだ。
新米:へ?わざわざ声を?
親分:そうだ。
表からごめんください、ごめんくださいとやるんだ。
新米:なるほど。
親分:それで返事があって誰か出てきたら、これァダメだ。
もし返事が無かったら中へ入って仕事だ。
新米:返事がなけりゃ仕事にかかっていいんですね。
親分:ただな、返事がねえからって安心しちゃいけねえ。
おめえが入れるようなとこはな、大体近所に出かけててすぐ戻って
来るようなのばかりだ。
そん時はな、泥棒ってのは慌てねえように逃げ道てものを考えとか
なくちゃいけねえ。
表から帰ってきたら裏へ、裏から帰ってきたら表へ逃げる。
これが肝心なんだ。
万が一「どろぼォーーーーーッ!」かなんか言われて慌てて表へ
飛び出すとな、かえって近所の人が出て来て捕まっちまう。
そんな事になってこりゃいけねえと思ったら、すぐ家の中に取って
返して盗んだものを全部おっぽり出すんだ。
そして両手をついて謝るんだ。
新米:え、えっ、せっかく盗んだのに?
親分:しょうがねえだろおめぇ。
命には代えられねえってやつだ。
「誠に申し訳ございません。長いこと職につけずにいまして、
家に帰ると八十になるお袋が長の患い、十三を頭に五人の子供がお
ります。ほんの出来心からの盗みでございます。」
とな、涙の一つもこぼして哀れっぽく持ちかけてみろ。
あぁそうか、出来心じゃ仕方がねえ、可哀想にな、
これからはもうこんなことするんじゃねえぞ、って諭されてな、
上手くすりゃあ何がしかの銭もくれて逃がしてくれるって寸法だ。
新米:へえぇ、銭をもらえるんですか?
なんだか親分の話を聞いてるってとなんですね、盗むよりも捕まっ
たほうが儲かるような気がしますね。
親分:いやいや、必ずくれるってわけじゃねえぞ。
くれるかもしれねえ、だからな。
新米:あ、かもしれない、ぁそうですか…。
じゃとにかく向こう行って、ごめんくださいって声を掛けるんです
ね。
親分:そうだ。
新米:で、返事が無かったら中へ入って仕事すると。
「はぁ~い」って誰か出てきちゃったら、「すいません、ほんの
出来心からの盗みでございます」って言うと。
親分:そりゃ捕まってから言う言い訳だよ!
いきなり顔合わせて、出来心からの盗みでなんて言ったら、
てめえが泥棒だって看板ぶら下げて歩いてんのと同じじゃねえか!
しっかりしろィ!
そういう時にはな、とぼけて何丁目何番地はどのへんでございます
か、なに屋なに兵衛さんのお宅はご存知ですかって聞くんだよ。
向こうが知ってようが知らなかろうがかまわねえ。
ありがとうございます、さようならって出てくりゃいいんだ。
新米:あ、なるほど…これァうまいですね。分かりやした。
ぇ~じゃああの、これから行ってきやす。
親分:おう、うまくやってこい!
新米:【つぶやく】
ぇ~、まず声かけて、返事なかったら入って仕事…。
誰かいたら、なに屋なに兵衛さんのお宅はどのへんで、
何丁目何番地はご存知ですかって聞いて…あれ?
っと、この家から始めるか…。
ごめんくだーい、ごめんくだーい。
少々うかがいますごめんくだーい。
少々うかがいますー。
親分:【声を落として】
おーい…!
隣からやるんじゃねえよ…!
町内を離れてからやれェ…!
新米:【声を落として】
ぁっ、へ、へい…!
【二拍】
このくらい離れたらいいかな…?
ごめんください、ごめんください!
男:おい。
そこのあんた。
新米:!ぁ、ぁっ…どうも…。
男:お前さん、そこ空き家だよ。
新米:ぇっ…空き家…。
男:あの、表通りに酒屋あるだろ。
そこが大家さんだから、行って聞いてみな。
貸し家探してんだろ?
新米:あ、いえ…留守さがしてます…。
男:なんだと?変な野郎だなこいつは。
新米:そ、そう見えますか…?
男:うさん臭え野郎だ。
新米:はあ、ごもっともで…。
男:なんだとこの野郎ッ!
新米:うわわッ、ごめんなさいィッ!
【二拍】
なかなか難しいねこれ…留守の家なんてどこにでもあると思ってた
けど、そうでもねえよ…難しいなァこれ。
あれ?走った勢いでこんなとこに飛び込んで来ちまったけど…
汚ねえ長屋だなあこらァ。
ははあ、貧乏長屋かな?
両側の軒が腐ってぶら下がってやがる。
…あれ、いちばん奥の家が少し戸が開いてるよ。
ちょっと行ってみようか。
ごめんください。ごめんください。
少々うかがいます。
…もうちょっと開けてやろうかな…。
ごめんください…!
…どなたもおいでになりませんか…?
誰もいないという事は、物騒ですよ…泥棒が入りかかってますよ…
?
…こりゃぁありがてえや。
犬も歩けば棒に当たるだ・・・。
…あれ?なんだこの家は…空き家か?
いやそうじゃねえ。部屋の真ん中に越中ふんどしが干してあるって
事は、人が住んでるからなんか干してあるって事だな。
けど変な家だな。
たいがい人が住んでたらなんか置いてあるもんだけどな…ちゃぶ台
とか、茶箪笥とか、七輪とかさ。
けど、何にもねえな、この家は。
畳って畳が全部見えるって家も珍しいよ。
にしても汚いね…こりゃ畳とは言えねえな…。
「たた」が無くなって「み」ばかりになっちゃってるよ。
ん、なんだこりゃ。土鍋があるな。
何が入ってるかな…ってああ、おじやだ。
…食ってやろ。朝から何も食ってねえんだ。
この縁の欠けた茶碗にちょいとよそって…いただきましょうかね。
ずずーっ、んむ…んむ…ずずっ、ずずーっ、んむ…んむ…。
【しみじみと】
うまい…うまいねこれ。
お代わりいただこう…ってあ、あと半分しかねえや。
一杯半てのはしみったれだね…。
ずずっ、ずずーっ、んむ…んむ…。
ンまいなこれェ…かつ節使って出汁とってるね…!
八五郎:お隣のばあさん!いま帰ったよ!
留守中に誰も来なかったかい?
ああ、誰も来なかった、うん、ありがとありがとう。
今日はもう出かけねえから。
新米:い、いけねぇ、この家のやつ帰って来ちゃった…!
どっどっどっどうしよう…!
【残りのおじや全部かき込む】
ずずっ!ずずーっ!
【もぐもぐしながら】
うんとね、表から帰ってきたら裏に…ッあっ!大変だ!
裏ぁ石垣で行き止まりだ!
【慌てる】
どっどっどうする石垣でびったりこっちまであぁぁダメだ逃げらん
ねえあぁこれどうしようかなっいけねェ入ってくるあぁこれどうし
ようかなあぁぁぁしょ、しょうがない、この台所の板上げて、
なか入ってぬかみそ桶の隣にこうやって…あとを閉めて…
はあぁぁなんまんだぶなんまんだぶ…!
八五郎:あれ?誰か来たのか?
誰も来ねえからって少し戸を開けていったら、いま盛大に開いて
るじゃねえか。
おや、土鍋の蓋が…っあ!
誰か俺のおじや食っちゃったのか?
もらったのがあんまりうめえから残しといたんだよ?
なんだよおい、人が食っちゃうくらいなら食っとけばよかったよ
…。
あ、ああ、あ、なんだこれ、なんだこの足跡は。
泥の足跡いっぱい付いてるな…泥かあ……泥棒…。
!これァ泥棒だよ…!
さあ大変…でもなんでもねえな。
俺の家に入ったってなんにも持ってくもんねえんだからな。
バカな野郎だね…入るにこと欠いて、俺んとこ入るこたぁねえだ
ろ。
他の家ならなんか持ってくもんあるだろうに、間抜けな奴だな…
いや待てよ。これァ悪く言えませんよ。
せっかく入った泥棒だ。こいつをただ逃す手はないね。
大家さんとこから店賃の催促が来てたね。
矢のような催促だよ、五つも溜まってんだ。
よし、これ言い訳に使っちまおう。
せっかく入ってくれた泥棒だ、ありがたいと思わなくちゃいけね
ぇや。
大家さーーーん!
大家さーーーん!ちょいと出て来てくれェ!
大変だよォーー俺んとこに泥棒が入ったんだ!
大家さんちょいと早く出てきてくれェー大家さん泥棒だよ大家さ
んどろぼうどろぼう大家ァーーー!
大家:誰だ、いま俺のこと泥棒大家っつったのは!
いつ俺が泥棒した!
八五郎:ぁあっはは…いやどうもすいません。
「が入った」って真ん中を取っ払っちゃったら、その、ね、いや、
すいません。
あの、大家さん、泥棒が入りました。
大家:泥棒が入った?お前のところへか。
何か置いて行ったか?
八五郎:いや、置いてったんじゃなくて持って行ったんですよ!
泥棒なんですから。
いや、大変なんですよ。あの、大家さんのとこにね、
溜まってた店賃五つ、やっと払えそうだってんで持ってこうと
思ってたら、そっくり持ってかれちまったんで。
すいませんが、もう少し待ってもらいてえんです。
大家:おうそうか。
そりゃ泥棒が入ったら店賃どころじゃねえな、うんうんうん。
わかったよ、待ってやろう。
八五郎:あ、そうすか、待ってくれますか!
あぁ良かった…どうも、ありがとうございます。
じゃ、あのもう結構ですから、またいずれお会いいたしましょう
。
大家:おいおい、何がまたいずれだこの野郎。
俺はな、この長屋の大家だ。そういう事があったら、ちゃんと届け
を出さなくちゃいけねえんだ。
まずそこへ座れ。
矢立と紙を出して…ほれ、何を盗られたか言ってみろ。
八五郎:…え?
大家:何を盗られたか言ってみろ。
八五郎:い、言ってどうするんで?
あ、あの、お上へ持ってくんですか?
あ~…それ持ってくとどうなるんですか、それ。
大家:どうなるってお前、そんなこといちいち聞かなくたっていいよ。
ほれ、俺の仕事なんだから。
いや、どうなるったってまあそうだな、泥棒が捕まった時には、
盗まれた物がこっちへ戻って来るよ。
八五郎:あ、盗まれた物がこっちに戻って来るんですか。いいですね。
へえぇ、いいなそれ。
人の家で盗まれた物はこっちへ戻ってくるんですか?
大家:人の家で盗まれた物はその人の家へ戻るんだよ。
お前の盗まれた物が、お前のとこへ戻るんだ。
八五郎:あぁそうすか。
じゃあいいです。あっしはね、そう言うこと気にする性質じゃ
ありませんから。
大家:そうはいかねえんだ。こっちの仕事なんだから、何を盗られたか
言ってみろ。
八五郎:【つぶやく】
ぇっ、ぇえ弱っちゃったなこらァ…。
あのね、大家さんの前ですけど、あの、あれですか。
あの泥棒ってのは何を盗るんですか?
大家:俺に聞くなよ。
お前が盗られたんだから、盗られた物を片っ端から言ってけばいい
んだ。俺がそれを書いてくからな。
で、何を盗られたんだ?
八五郎:いぃえそれがね、片っ端からったってね、いや、あの、見て下さ
いよ。これもうそっくり盗られちゃったんだ。
もうきれーいに盗られちゃうとね、もうどこに何があったかての
を忘れちゃうくらい盗られちゃってるんで。
大家:わけのわかんねえこと言ってやんな。
まあ、俺も詳しくは知らねえが、泥棒なんてものはな、絵で見ると
タンス開けて着物とか、あと布団なんかも持ってくな。
八五郎:あ、布団布団布団!ええ、布団持ってかれました!
大家:おお、布団か。布団持ってかれちゃ寝る事はできねえな。
どんな布団だ?
八五郎:綿の入ってる布団です。
大家:あたりめぇだよそりゃ。綿の入って無い布団があるか。
綿が入ってなきゃ、ただ布っ切れが二枚じゃねえか。
綿が入って初めて布団てんだよ。
表はどうなってる?
八五郎:表は賑やかですよ?
大家:長屋の表の事じゃないよ!
布団の表の事だよ!
八五郎:布団の表…
ぁ~…あ、大家さんのとこにあの、干してる布団があります
よね?あの布団の表は、何ですか?
大家:俺んとこのはな、表は唐草だな。
八五郎:あぁそうすか、じゃあうちのとこも唐草ですね。
大家:ふむ、じゃあ布団の表が唐草、と…。
裏はどうなってる?
八五郎:裏は石垣で行き止まりです。
大家:お前の家じゃないよ!布団の裏!
八五郎:あ、布団の裏。
裏はですね、大家さんのとこでよく干してる、
あの布団はなんですか?
大家:ああ、俺のとこのはな、丈夫向きであったかだからって、花色木綿
だよ。寝冷えをしないんでな。
八五郎:あ、そうなんですか。
あっしんとこもね、丈夫向きで、あったかだってんで、
花色木綿です。
…寝冷えをしないってんで。
大家:それじゃまるっきり同じじゃねえか。
八五郎:恨みっこもないよね?
大家:別に恨んじゃいないよ!
ぇ~、これァ敷き布団だな。
掛け布団はーー
八五郎:【↑の語尾に喰い気味に】
えぇ掛け布団も盗られました。
大家:どんな掛け布団だ?
八五郎:あぁあの、アレですね。
ビードロの掛け布団ですね。
大家:びいどろぉ?ビロードの事じゃねえか。
八五郎:あっ、ビロードビロード。ビロードです。
大家:で、どんな色なんだ?
八五郎:え~色はね、黒いんです。
大家:おぉ、黒のビロードか。
八五郎:えぇ、黒いんですけど立てるとこう、縁が黒くなってましてね、
真ん中が赤い布になってるんで。
大家:ほぉ、おめえそいつは鏡布団っつって乙なモンだよ。
へぇ…っておい、そんな乙な布団がおめえの家にあったってのか?
八五郎:ぁいや、それはね、夕べ女郎買いに行った時にそれで寝たんで。
大家:そんな夕べの女郎買いの話はどうでもいいんだよ!
おめえの家の布団の話をしてんだ!
それでこの布団は何組くらい盗られたんだ?
八五郎:三十六組は盗られました。
大家:おいおいおい、おめえの家にそんな数の布団があるわけねえだろ!
八五郎:ぁ、表の宿屋の話です。
大家:表の宿屋はどうでもいいんだよ!おめえの家の…まぁいいや、
二組ぐらいにしとくか、二組…と。
で、それからどうだ、柔らかもんか何か盗られたか?
八五郎:柔らかもん盗られましたねぇ、ええ。
おじやにおかゆに…
大家:食べ物じゃない、着る物だよ!
羽二重とか…
八五郎:羽二重!そう!
羽二重を盗られましたよ羽二重を。
羽二重盗られてもう弱っちゃった。
大家:で、どんなやつだ?
八五郎:羽二重のね、衣紋付きですね。
大家:ほう、黒紋付か?
八五郎:えぇ黒紋付。
大家:?…おめえの家に紋付なんてのがあったか?
八五郎:えぇあるんですよ。あの、先祖伝来の紋付がね。
大家:先祖伝来?
だいいちおめえに先祖なんていたのか?
八五郎:あ、ありますよ!
あっしがいきなりオギャアと生まれてくるわけないでしょ!
先祖があって、順々に生まれてくるんですから。
大家:そりゃまそうだろうけどさ。ふぅむ、これァ驚いたな。
ええと、羽二重の黒紋付…と。
で、紋は?幾つくっついてんだ?
三所紋か?五ツ所紋か?
八五郎:ぇ、えっと…六所紋かな?
大家:六所紋!?
なんか紋がひとつ余計だなそれ。半端じゃねえか。
どこに付けてんだ?
八五郎:ぁー、お尻へ付けますか。
肛紋(肛門)、なんて。
大家:なに下らねえこと言ってんだよ!
まったく…まぁいいや、五ツ所紋にしておこう。
それで、どんな紋だ?
八五郎:え?
大家:どんな紋だって聞いてんだよ。
八五郎:ぇえと雷紋(雷門)だったかな。
大家:雷紋!?そんな紋があるかよ!
どういう形してんだ?
八五郎:え、どういう形って言われたって弱っちゃうね。
ぇえと、こう、なんかね、こんなふうに、こんなね…あの、
人間のお尻が三つくっついてるようなもんですね。
大家:汚い紋だね、お前のとこの紋は。
あ、そうか、そりゃ片喰みってんだろうな。
八五郎:えぇ、うわばみですね。
大家:片喰みだよ!
八五郎:ぇあぁ片喰み片喰み。
大家:ぇえと、片喰み紋で…五ツ所紋、黒紋付が一枚と…。
八五郎:で、裏が花色木綿と。
大家:なに?…おめえな、羽二重なんて結構な着物の裏に、花色木綿なん
てくだらねえ布を使うわけねえだろ。
八五郎:ぇぇ、でも丈夫向きであったかい。
寝冷えをしない。
大家:なに言ってんだい…。
紋付着て寝るバカがどこにあるんだ。
【二拍】
他に何か盗られたか?
八五郎:あとは帯を一本、盗られました。
大家:帯か、どんな帯だ?
八五郎:裸の帯です。
大家:裸の帯?博多の帯じゃねえか?
八五郎:あぁそうか、博多の帯だ博多の帯。
…裏が花色木綿。
大家:そんなところに花色木綿つけるかよ!
八五郎:丈夫向きであったかい。
…寝冷えもしない。
大家:…何をグダグダ言ってんだい…。
ぇー帯を一本、博多の帯な…。
それからどうだ、夏物なんか盗られたか?
八五郎:夏物!盗られましたよ!スイカにキュウリにまくわ瓜!
大家:そういう夏物じゃないんだよ!着る物だ。
上布かなんか盗られてないか?
八五郎:ぁそうそうそう、上布上布!
ぇ~とても丈夫な上布で…
大家:なに言ってんだよ。
えーと、この上布は縞か、絣か?
八五郎:ぇぇし、縞か絣(霞)か雲か。
大家:なんだよそれは…。
縞か?
八五郎:っそうそう島、しま、しま、…桜縞(島)かな。
大家:桜縞ァ?
おめえ、そんな鹿児島みてえな縞があるかよ!
で、大名か?
八五郎:ぇっ大名…。
大名までァいかないでしょう、うち辺りは。
旗本かな?
大家:旗本ォ!?そうじゃないよ!
縦じまのこう、細いのを大名ってんだよ!
ったくしょうがねえな…じゃ、縞の…大名、と…。
八五郎:安宅か本間か。
大家:淡路や佐渡の大名豪族じゃないんだよ!
八五郎:え、ホンマ(本間)ですか?
大家:くだらないよ!
八五郎:で、裏が花色木綿。
大家:……あのな、夏物なんだよ。
ぴらぴらしてる。
向こうが透けて見えるようなのを上布ってんだ。
そんなもんに裏地を付けてどうすんだよ!
八五郎:丈夫向きであったかい。
寝冷えもしない。
大家:バカの一つ覚え言ってんな、ほんとに…。
あとは何か盗られたか?
八五郎:あ、あとね、そういえば刀ァ盗られましたね!
刀を一本。
大家:刀ァ!?おめえの家に刀なんかあったのか?
八五郎:あったんですよ!ええ、先祖伝来の刀がね!
大家:また始まりやがったな。
えーと、それでどんな刀だ?
長剣か、短剣か?
八五郎:えぇと…中剣かな。
大家:中剣!?
そんな刀があるか!
長い刀が長剣で、短い刀が短剣だ。
八五郎:あぁ…え、じゃあ、じゃんけん…。
大家:な、なに言ってんだよ!
もしどっちでもないってんなら、中剣て言い方じゃなくて、
脇差ってんだよ。
八五郎:あぁそうすか!
いやでもあっしの名前がね、八五郎の(はちごろう)八公ですから。
別に忠犬と言っても、おかしくないかなって…。
大家:…あのな、俺ァおめえの洒落を聞く為にこうやってあれこれ書いて
るんじゃないよ!
まったく…、で、銘はあるかい?
八五郎:あ、銘ね。
銘はないんですけどね、えー、埼玉に叔母さんがね。
大家:おめえの身内を聞いてるんじゃないよ!
刀の銘があるのかって聞いてるんだ!
無銘か?
八五郎:む~~…無銘!無銘です!
たしかあそこにね、「むめい」って書いてありました!
大家:あのな、何か書いてあったらそれはもう無銘とは言わねえんだよ!
何にもないから無銘と言うんだ。
ぇ~…無銘の脇差が一振り、ねぇ…。
八五郎:裏が花色木綿。
大家:バカ野郎!
刀に裏なんか付くか!
八五郎:丈夫向きで、あったかい。
寝冷えをしない。
大家:【わざと無視して】
さ、あと盗られたのはなんだ?
八五郎:あ、あとはですね…タンスなんか盗られました。
大家:なんだその、「タンスなんか」とは。
タンスならタンスと言え。
八五郎:え、えぇタンスタンス。
大家:だいいち、おめえの家にタンスなんかあったのか?
いっぺんだって見た事ねえんだが。
八五郎:えぇ大家さんに見つからねえように裏の方に隠してましたんで。
大家:別に隠すこたぁねえだろ。
で、どんなタンスなんだ?
何でできてる?
八五郎:ぇ、き、き、き、桐ですよ。
大家:桐のタンス!
そんな結構なタンスがおめえの家にあったのか?
これァ驚いたな…。
で、桐はどんな桐だ?
総桐か?前桐か?
それとも三方桐か?
八五郎:ざん切りかな。
大家:ざんぎりィ?
…ま、おめえの家だから前桐だろうな。
前桐のタンスが一棹と。
八五郎:裏が花色木綿。丈夫向きであったかい。
寝冷えをしない。
大家:おめえな…タンスに裏は付けねえよ。
あ、タンスの覆い掛けか。
八五郎:そうそうそう覆い掛けですよ。裏が花色木綿、丈夫向きであった
かい。寝冷えをーー
大家:【↑の語尾に喰い気味に】
わかったわかった、一人でいつまでも言ってろ。
あとはなんだ?
八五郎:え?
大家:あとは何を盗られたんだ?
八五郎:えぇあの、ですからさっきも言った、大家さんとこへ持ってこう
と思ってた、あの、あれ、お金ですよ、お金。
店賃を盗られました。
大家:おぉそうだったな、店賃か。そうかそうか。
そりゃあ額は大きいだろ。
八五郎:えぇ大きいすね、畳二畳敷くらい。
大家:なに言ってんだい…。
額面が大きいのかってんだよ。
ぇ~店賃五か月分な…。
八五郎:裏が花色木綿、丈夫向きであったかーー
大家:お札に裏を付ける奴があるかい!バカだな。
新米:おぉいおいおいおいッ!!冗談じゃねえやこらァ!
さっきから黙って聞いてりゃ、アレを盗られたコレを盗られたって
嘘八百ならべやがってよ!
てめえの家にゃ、何にもねえじゃねえか!
嘘ばっかりつきゃがって!
噓つきはな、泥棒の始まりってんだこの野郎ォ!
この大噓つき!!
とんでもねえ野郎だ!俺と一緒に奉行所へ来い!
大家:【少々あっけにとられている】
なんだこいつは。
いきなり縁の下から飛び出して来やがった。
ははぁおめえはなんだな、この家へ入った泥棒だな?
新米:泥棒?冗談じゃねえやな!
泥棒ったって、何か盗りゃ泥棒だろ!
この家は盗るもんなんか何もねえんだ!
どこ見たって盗るもんなんか一つもありゃしねえじゃねえか!
俺ァおじやを一杯半食っただけだ!
大家:おじやを一杯半食おうと半分食おうと、人のもの盗ったら泥棒だろ
この野郎ッ!
そんなとこでえばってる奴があるか!
そこへ座れィ!
俺ァこの長屋の大家だ!
新米:えぇ!?
【いきなりトーンダウン】
大家さんですか…ぁあいけね、夢中になって飛び出しち
ゃった…あ、あのぁの、あれでございます。
実はあっしは長えこと失業いたしておりまして、家へ帰りますと
十三になるお袋が長の患いで、八十を頭に五人の子供がおります。
ほんの出来心からの盗みでございます。
お金ください。
大家:な、なんだこいつは…!?
そうか、どうもおかしいと思ったらおめえはなんだな、
新米泥棒だな?
まぁたとえな、なんだろうとそうやって出来心だと言われちゃ、
こっちも矛先が鈍るよ。無理にお上に突き出したくはねえ。
大体よ、おめえみてえな奴は泥棒にむいてねえ。
早く足を洗え。
新米:えぇみんなからそう言われます。
大家:そうだったら早く洗った方がいいやな。
出来心と言われちゃあ、こりゃしょうがねえ…
あれ?
あれ?八公の野郎どこへ行きやがったんだ?
姿が見えなくなったぞ?
ってあッ!この野郎ッ!
八公ッ、おめえが縁の下に潜り込んで何してんだ!
こっちへ出て来いッ!
八五郎:へぃっ…。
どうも、大家さん…しばらくで。
大家:何がしばらくだバカ野郎ッ!この人を見ろ!
たとえ嘘にもそういう暮らしをして、それで貧しくってしょうがね
えから出来心でこんな事をしてるってんだ。
てめえはなんだって、盗られもしねえのにあれ盗られたこれ盗られ
たって、そんな嘘ばかり並べるんだ!
八五郎:【少々べそをかいている】
大家さん、これもほんの出来心です。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
柳家小三治(十代目)
※用語解説
・家尻を切る
盗人が家や蔵の後ろ壁を切り開いて侵入し、盗みを働くこと。
また、その盗賊自体を指す場合もある。
・了見
料簡とも書く。
思いを巡らす事、考え、思案。
・練塀
土と瓦を交互に積み重ねて作られた土塀のことで、特に江戸時代では
寺社仏閣や武家屋敷などでよく見られていた。
・犬も歩けば棒に当たる
実は幸運説と災難説の二つの意味が存在している。
うろつき歩いている犬が人に棒で叩かれるという事から、
「でしゃばると思わぬ災難にあう」という、戒めの意味と、
現在では「何でもいいからやってみれば、思わぬ幸運にあう」
という事の「たとえ」としても使われているようです。
・店賃
お家賃のこと。
・矢立
今で言う、筆記用具のセット。
・鏡布団
裏布を表の方に折り返して、額縁のように縫い上げた布団。
鏡の形に似ているところからいう。
・柔らかもん
白い糸で白生地を織ってあとから色を染めた染めの着物のこと。
呼び名の通りやわらかいのが特徴。 色無地や訪問着、付け下げなどが
これにあたる。
・羽二重
平織りと呼ばれる経糸と緯糸を交互に交差させる織り方で織られた織物の一種。
絹を用いた場合は光絹とも呼ばれる。
通常の平織りが緯糸と同じ太さの経糸1本で織るのに対し、羽二重は経糸
を細い2本にして織るため、やわらかく軽く光沢のある布となる。
織機の筬の一羽に経糸を2本通すことからこの名がある。
白く風合いがとてもよいことから、和服の裏地として最高級であり、
礼装にも用いられる。
日本を代表する絹織物で『絹のよさは羽二重に始まり羽二重に終わる』と
言われる。
そりゃアニメの中で故・桂歌丸師匠が怒るわけだ。
・紋付
物や羽織に家紋を付けたもののことを指す。
特に礼装用の和服を指す場合が多い。
紋付は、格式を表すために用いられ、結婚式や葬儀、卒業式など、
フォーマルな場で着用される。
・黒紋付
葬儀で着る紋付で家紋が縫われている。
昔は祝い帯を締めて結婚式に出る事もあった。
・三所紋
背中に一つ、両胸に二つ家紋が縫われている紋付。
・五ツ所紋
背中に一つ、両胸に二つ、両袖に二つ家紋の計五つが縫われている紋付。
・片喰み紋
多年草の片喰(カタバミ、酢漿草とも書く)の葉をかたどった家紋。
片喰は夜に葉を閉じた姿が葉が食いちぎられたように見えることから
「片喰」と名付けられた。雑草として踏まれても枯れない力強い生命力
から家紋として用いられ、もっとも歴史のある家紋の一つとなる。
・花色木綿
花色と書くが、実は青色。
多くは裏地に使われる。
・上布
細い麻糸(大麻と苧麻)を平織りしてできる上等な麻布 。
過去に幕府などへ献上、上納された。縞や絣模様が多く、
夏用和服に使われる。
・安宅
淡路の安宅氏のこと。
・本間
佐渡島の本間氏のこと。
・佐渡
佐渡島のこと。
・淡路
淡路島のこと。
・脇差
一般的な日本刀よりも短い日本刀のこと。
江戸時代、武士は腰に2振の日本刀を差していたが、その短い方が脇差。
打刀が使えなくなった場合の予備の武器として使用された他、武士階級
ではない町民も持つことが許されたため、江戸時代には特に多くの名刀が
作られた。
・総桐
家具、特にタンスなどの主要部分が全て桐材で作られているものを指す。
・前桐
タンスなどの家具で、前面の板にのみ桐材を使用し、側面や背面には
桐以外の杉などの安価な材料を用いたものを指す。
主に桐材が高価だった時代に、全体を桐材で覆うのではなくコストを抑え
るために用いられた製法。
・三方桐
タンスなどの前面と左右の側面を桐材で作り、その他の部分は桐以外の
材料で作られたものを指す。主に桐箪笥に見られる構造で、前面と側面を
桐にすることで、外観の美しさと桐の特性を活かしつつ、コストを抑える
ことができる製法。