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 旅客機が空港から飛び立ち、まだ十五分もしない頃だった。ハリスが頼んだ朝食のナプキンに、小さな二つ折りの紙が挟まれていて、ひらくと妙なことが書いてあった。

「おめでとうございます。お客様は今機の機内ゲームにて一等に当選いたしました。結果は他のお客様には内密ですので、おひとりで午前九時までに最後部の貨物室においでください。なお時間が過ぎますと結果は無効になります。お客様にはぜひとも、素晴らしい空の旅の思い出をお持ち帰りいただきたく思います。〇〇空港」

 腕時計を見ると、あと数分で九時だ。ずいぶんあわただしいなと思ったが、気分がよかったので、食事もそこそこに席を立った。


 荷物は先にコンテナに積まれて貨物室に入れられるので、乗客がそこに入ることはまずない。通用口のドアが開いていたので、ハリスはそのまま入った。もらった紙に地図が描いてあったので場所は分かったし、なんせテンションが高かったから、初めて入る部屋でも、ためらうことなく意気揚々と靴音を響かせた。なんか知らんが当選したというんだから、悪いことのはずはない。昨日からさんざんな目にあったし、このくらいはあって当然だ。そもそも、こうして生きて帰れるだけでも結果オーライ。などと考えた。


 貨物室は照明がついていて明るく、赤さびたコンテナが大量に並んでいる。通路は人一人が楽に通れるほどの幅だ。見ればコンテナに矢印の描かれた紙が貼ってあり、その通りに進んだ。面白いのでますます高揚し、スキップしそうな足取りになった。


 が、一番奥まで来ると、急に不安に襲われた。

 なにかおかしい。

 こんな予告もなくゲームとか、旅行会社が企画するか?

 そんな話は、ほかに聞いたことがない。



 行き止まりの壁の前で立ち止まると、背後からガラガラという異様な音が近づいてきた。振り返ると、それは一人のスチューワーデスがカートを押してくるのだった。さわやかな水色の制服で、ベレーふうの帽子をかぶり、うつむき加減で顔は分からない。カートの上には大きな皿に、料理が冷めないために使うドーム型の銀の蓋がしてあり、どうもそこに景品が入っているようだ。いきなり現れたのはサプライズのつもりだろうが、ハリスは何か不穏なものを感じ、食い入るようにそれを見つめた。

 どこかで会ったことがある。


 思い出す前に一メートル先あたりでカートは止まったが、スチューワーデスは押した格好のまま動かず、張り詰めた空気が流れた。

(あっ、こいつ……!)

 はっとしたとき、女は口をひらいた。

「おめでとうございます。一等の景品でございます」

 そして皿の蓋をあけた。ハリスは目を丸くした。

 そこには拳銃があった。

 さっと取り、顔をあげる女。


 嫌な予感が的中した。

 それはつい昨日の晩、彼を殺そうとした女だった。


「リネル……!」

 後ろの壁に背をつけ、あえぐように言う男に、リネルは銃を向け、無感情な目で冷たく言った。

「ラエルの首はゴルフのクラブケースに入れて、フロントに預けといたのよ。このために、あんたに秘密で買っといたの。部屋をいくら探してもなかったでしょ? 残念だったわね」

「ま、待て、俺はもう宝なんてどうでもいいんだ!」

 ハリスは手で制しながら必死に言った。

「やるよ。君が一人で手に入れたってことでいい。俺は今後、もう二度と君にはかかわらない。このことはいっさい誰にも言わない! ほんとだ!」


「わかってないわねえ」

 あくまで銃を突きつけたまま、にやつく女。

「あんたがこの世にいるだけで、私は安心できないの。あんたがやらなくても、ほかの誰かがあんたから宝のことを聞き出して、私を脅すかもしれない。少しでもその可能性があっちゃ、ぶち壊しなのよ、わかる? 能天気さん」

 そして急に唇をかみ、嫌そうに顔をぐっとしかめて続ける。

「部屋にエジプト女の幽霊が来てさ。壁を抜けて迫ってくるから驚いたわ。気が遠くなって、気が付いたらベッドにいたんだけど、服が泥だらけなんでピンときたわ。あの幽霊が私に乗り移って、あんたを助けたんでしょ。今朝、空港で調べたら、案の定、乗客にあんたの名前があるじゃないの。だからこうして、わざわざ芝居まで打ったのよ。どう、楽しんでもらえたかしら?」

 なんて鋭い女だと思ったが、こいつの賢さはよく知っているはずだった。ハリスは改めて自分の人を見る目のなさを悔やんだが、今はそんな場合ではない。


「たのむ、たすけてくれ! 見逃してくれ!」

 土下座して懇願したが、リネルは銃口を下げただけだった。確実に頭に狙いをつけ、薄笑いで言う。

「脅しだと思わないでよ」と、右の壁に一発撃つ。ビュンと鈍い音が響いた。「ひいいっ!」と涙目で壁に飛びのき、背をつけるハリスをあざ笑い、うっすらと硝煙のたつ銃を再び向ける。

「消音だから誰も気づかないわよ。ドアも鍵かけてるから誰も来ないし。もう、あきらめなさいな」

 そしてカチリと撃鉄を引く。ハリスはあまりの恐怖にうずくまって頭を抱え、思わず幼い子供のように、ある人の名を叫んだ。

「うわあああー! レイラあああー!」

「あの幽霊のこと? 無駄無駄、こんなところまで来ないわよぉ」

 けらけら笑う女。確かに、レイラはカイロ周辺までしか行けないと言ったので、こんな何キロも離れた上空まで来てくれるはずもない。

 絶望に泣きぬれて見上げるハリスの眉間に銃口を向け、苦々しく言うリネル。

「まったく、あんなエジプト女さえいなけりゃ、こんな手間をかけずに済んだってのに。まあ、いいわ。今度こそさよならよ、お人よしのせんせ……」


 急に黙ったのでハリスが見ると、リネルは寄り目で自分の胸を見下ろしている。そこから、一本の細い女の腕がつきだしていた。その手は顔まで上がり、立てた人差し指が、「しーっ」といさめるように、彼女の唇にあてられた。

「レイラ?!」

 ハリスの叫びと共に、リネルの背後にいたレイラは、その体に入った。顔つきが変わると、彼女は銃を放り捨てて言った。

「私は朝日を浴びて殿方と目があうと、移動範囲が広がるのです」

 そしてわきの壁際まで行った。

「もうこうなっては、こいつは殺すしかありませんね」と壁の扉の取っ手に手をかけ、ハリスを振り向いた。「どこかに、しっかりつかまっていてください」

 彼がコンテナにつかまると扉をあけ、たちまち吸い出されるすさまじい量の空気と共に、ひょいと外に飛び出した。扉はバクンと閉まり、すぐにそれを抜けて、レイラだけが戻ってきた。ハリスは腰が抜けた。





 それでもコンテナをつかんでなんとか立つと、レイラは彼に微笑してすまなそうに言った。

「すみません。結局この先、嫌な思いをすることになってしまいましたね」

「と、とんでもない!」

 ハリスは前に自分が言ったことを思い出し、両手を振った。レイラがリネルを墓に閉じ込めて殺そうとしたとき、彼は「生涯それを思い出して苦しむことになるから、やめてくれ」と頼んだ。だが、それが今、目の前で実現してしまった。

 しかし、その決定的な事件も、ハリスの胸に燃える感謝の念を、わずかでもそぐことはなかった。

「あなたには二度も命を助けていただいたんです!」とハリス。「不満なんてあるはずもない。ありがとう! 本当に、ありがとうございます!」

「いえ私も、ハリスさんのおかげで、こんな空の旅までできましたから」

 レイラは微笑んで言ったが、それにはかすかな陰りがあった。


「……あいつは本当に恐ろしい女でした」

 ふと暗くつぶやくハリス。

「たとえ今、見逃してやっても、あいつはこの先、どんな手でも使ってでも俺を殺そうとしたでしょう。ああするより他なかったと思います。レイラさんに罪は全くありません」

「ありがとうございます」

 そう言ったレイラの微笑みから寂しさが消え、代わりに陽ざしを受けて流れる川の水のような、温かい優しさが広がった。ハリスはそれを見つめながら深い安堵を覚え、同時に生きていることの喜びすら感じた。



「もう、ここまででお別れです」

「そ、そうですか」

 ふいに言われて戸惑ったが、仕方がない。行動範囲が広がったといっても、限界があるのだろう。それがもうすぐなのだ。

 ハリスは悲しみすら感じたが、ぐっとこらえ、満面の笑みで言った。

「感謝します」


「ラエルの首は、あなたに差し上げます」とレイラ。「あなたなら、きっと正しく扱っていただけると思いますので」

「もちろんです。エジプトと交渉ののち、どちらかの博物館に置かれると思います」

「それは、とてもありがたいですね」



 レイラは壁に向かって歩きだしたが、ふと振り返って言った。

「お約束を守らなかった代わりと言ったらなんですが……。この先、もしもあなたが何か辛い思いをしたり、苦しんだときは、私の墓にいらしてください。入口で呼ばれれば、いつでもお会いして、必ずあなたのお力になりましょう」

「あ、ありがとうございます!」

「ではハリスさん、ごきげんよう」


 王家墓守人はそう言うと、壁にすっと消えた。機体は一路、ロンドンを目指して飛んでいく。(終)

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