三
実はレイラはホテルでリネルにとりついたとき、部屋をざっと探したのだが、なにも見つからなかった。
「体は自分の自由に動かせますが、頭の中や、記憶を覗くことはできませんので」
ホテルの白い階段を上がりながらレイラが言うと、隣でハリスはうなずいた。
「部屋のどこかに、隠し場所があるはずです。もう一度、探してみましょう」
しかしベッドの下からトイレから天井裏まで、あらゆるところを探したが、ラエルの首のかけらもない。二人はベッドに腰かけた。
「ここに戻ってすぐに、どこかへ送っちまったかもしれない」とハリス。「それなら、お手上げだ」
「もうすぐ夜が明けますね」
窓のカーテンをめくり、白くなりつつある空を見て、レイラは言った。その横顔には、あきらめの笑みが浮かんでいる。
ハリスはたまらなくなった。命の恩人がいま、一番大事な宝物のことをあきらめようとしている。彼女のためなら、なんでもしたかった。なのにできない。そんな自分が世界一嫌だった。
「壺が闇で取引されてしまっても」と、外を見ながら言うレイラ。「それが運命だったということです。あなたは気にしないでください」
「で、でも」
「私と王のために、とてもよくやってくれました。それだけで充分です。
でも、そうですね……」
彼女は窓から離れ、彼を向いて続けた。
「今朝、空港から飛行機で発つとき、窓から西の方角を見てください。どこかに私が立っていたら、そっちへ手を振っていただければ、それで結構です」
「手を? それだけでいいのですか?」
「はい。それが私には、とてもありがたいことなのです」
不思議に思ったが、承知した。
レイラはベッドに寝てからリネルの体から抜け、眠っているのを確認してホテルを出た。別れをかわしたハリスは、朝一の便でカイロを発つことにした。
翌朝、空港で旅客機のタラップを上るハリスの姿があった。もう帰国するだけなので、服は来た時と同じ黒の背広である。深夜、リネルに気づかれる前にホテルを抜け出して空港近くの安宿に泊まり、夜明けを待って移動した。
よく晴れた日で東の空を白く染める朝日がまぶしかった。機内に乗り込むと、座席はちょうど西側の窓際だったので、飛び立つとき窓の外を食い入るように見た。
レイラは自分を見つけろと言ったが、それができたとしても、逆に旅客機に並ぶ十数枚の窓の一つにいる自分の姿など、向こうから見えるのだろうか?
いや、相手は人間じゃない、幽霊だ。それも三千年もやってる筋金入りのベテラン、現場のたたき上げのプロである。点のような乗客の一人くらいは楽に感知できるのかもしれない。手を振れという理由は分からないが、とりあえず彼女の姿をまた見れるのはうれしかった。
ふと敷地の向こう、空港のフェンスの上に誰かが立っているのが見えた。遠いので顔は分からないが、明らかに彼女だ。服装と体型から分かるだけではなく、そもそも、そこは人間が立てるような場所ではない。間違いなく彼女だ。
レイラは朝の陽ざしを受け、年季の入った霊どころか、まるでたったいま天上から降りてきた女神のように、きらきらと純白に輝いている。それは目を見張るほどに、壮絶なほどに美しかった。彼はそこに何千年にもわたる太古の歴史を見た。じっさい、彼女はその命をかけて主の墓を守り、生きてきた遺跡そのものなのだ。
ここからとても見えるとは思えなかったが、それでも手を出して何度も振った。通路側に座っている相席の老婦人は変に思ったろうが、まるで気にならない。するとレイラも右手をあげ、大きく左右に振って答えた。
(やっぱりわかったんだ!)(さすがはレイラさん!)
ハリスはあまりのうれしさに、女神の姿が見えなくなるまで、満面の笑みで手を振り続けた。実は隣の婆さんも身を乗り出してこっちを見ていたようで、あとで何を見ていたのかと聞かれた。これで彼女が自分にしか見えていなかったとわかった。彼は苦笑し、適当に「遠くに知り合いがいまして」と答えておいた。