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宝条家へ。

「ごめんな。急に連れ出してきちまって。」


「い、いえ……。」


いたたまれない。現在、琴葉は宝条家のリムジンで珀の家に向かっているところだ。車の中で、珀はずっと琴葉の腰を支えたまま。琴葉は元婚約者である雅にもそのようなことはされたことがなく、どうしたらいいかわからないまま固まっている。


沈黙が続く。初めて会ったのがこの前だというのに、婚約まで話が進んでしまったこの現実を琴葉は咀嚼できていないため、夢見心地で車に揺られるしかなかった。もちろん、琴葉とて一時期は良家の令嬢として生きていたのだ。政略結婚は当たり前。恋愛結婚なんて全く考えていなかったが。だとしても、目の前の美形が婚約者になるかもしれないなんて、理解不能だ。


どうして鈴葉ではなく自分を選んだのか。宝条家のことだ。何か策略があるのかもしれない。そんなことを回らない頭で考えていた。


車は滑るように和風の広い屋敷に入って行った。


「着いた。お前用の部屋を用意させている。何か不自由なことがあれば、遠慮なく言ってくれ。」


そう言って珀は私をエスコートして屋敷の中に入って行った。


「あの、ここは宝条の本家なのでしょうか……?」


浮かんだ疑問が思わずそのまま口から出てくる。まずい。玄や冴、鈴葉なら、舐めた口をきくなと叩いてくるところだ。宝条の次期当主に質問などしてはかなりまずいのではないだろうか。


「失礼いたしました。私、余計なことを……。」


少し驚いた顔で珀が私を覗き込んでくる。やはり、怒らせてしまっただろうか。公立中学に通わされていた私は小学校以来ろくな貴族教育を受けていない。


しかも、噂では宝条の次期当主は冷酷無慈悲と聞く。言い寄ってくる女性を容赦なく跳ね除け、仕事場でも殺気を撒き散らしながら部下に指示を出すらしい。今この瞬間はそんなことはないような気がするが何が逆鱗に触れるかわからない。


「余計なことではないだろう。そうやってわからないことはなんでも質問してくれ。なんでも何度でも答えてやるからな。ここは本家ではない。俺の家だ。本家はまた別にある。」


今度は琴葉が驚く番である。なんと寛容なのだろうか。いや、今機嫌がいいだけかもしれない。


「ありがとうございます。そうなのですね。」


驚いたせいで会話が途切れてしまった。いや、決して驚いたせいだけではないのだろうが。琴葉はもう何年も人とまともな会話をしていないのだ。弾むわけがない。


「おかえりなさいませ。そちらが琴葉様でございますね。お部屋が整っております。珀様、このあとはオフィスに向かわれますか?」


使用人と思しき人が何人も玄関に整列している。神楽家も地位が高いとはいえ、ここまで多くの使用人は雇っていなかった。しかもここは本家ではないのだ。宝条の力がよくわかる。


「いや、今日はこのまま部屋で仕事をする。執務室を整えてくれ。それから琴葉を部屋に案内しろ。」


また夕食で、と珀に言われ、メイドが1人、進み出てくる。琴葉の部屋を案内してくれるようだ。ついていくと、複雑な廊下を何度も曲がって、一つの寝室に辿り着いた。


「こちらがお部屋になります。お召替えのお手伝いをさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」


メイドにここまで丁寧な扱いをされるのは本当に久しぶりだ。もちろん、客人というのもあるのだろうが。


センスのいい部屋に呆けている間に、着替えが終わってしまった。貴族令嬢らしいワンピースである。軽くメイクもしてもらった。


その後も、着る服はこのままでいいかや家具の配置はこれでいいか、インテリアが好みに合っているかと部屋を過ごしやすくしようと色々と聞いてくれた。だが、見るからに高そうな、でもセンスの良い落ち着いた雰囲気の家具が並んでいる広い部屋を、琴葉はすぐに気に入った。ただ、もし気に入らない点があったとしても、琴葉には言い出すことはできないだろうが。


礼を言って、このままで大丈夫だと伝えると、メイドは退室していった。ベッドに座って、ほっと息を吐く。


どうして自分なのか。鈴葉の方が容姿も社交も能力も全て優れているというのに。出来損ないと言われるのは苦しかったが、自分でも認めていることではあった。その出来損ないが宝条の次期当主に嫁入りだなんて。


でも、これであの神楽の家から出られるのなら。毎日罵倒され、暴力を振るわれる生活から抜け出せるのなら。たとえ相手が宝条の次期当主でもいい。この先がどんなに大変でもいい。


「神様、私はまだ期待してもいいのですか?」


小さな呟きは宙に浮かんで消えていった。


しばらくすると、夕食ができたとメイドが知らせに来た。メイドの案内で、ダイニングルームへと向かう。ちょうど、珀も入ってきたところだった。


「あの、素敵なお部屋をありがとうございます。」


言わなければと思っていたことが言えて、ほっとする琴葉。珀が微笑んで頷く。すると使用人たちが少しざわめいたのを感じた。不思議に思っていると、珀の秘書らしき男がクスッと笑って説明してくれた。


「珀様はあまり笑わないお方なのですよ。それが、琴葉様には笑顔を向けるものですから、一同、少し面白く思っていたのでございます。失礼いたしました。」


「隼人、一回黙れ。」


珀が軽く睨みつける。琴葉はその怖さに少し震え上がったが、隼人と呼ばれたその秘書は全く動じない。


「珀様、琴葉様が怖がっていらっしゃいます。その殺気は抑えた方がよろしいかと。」


珀が慌てて謝ってくる。そうして、宝条家に来て初めての夕食が始まった。


豪華な料理に舌鼓を打っていると、珀が見つめていることに気づく。目が合うと、


「琴葉、夕食後、2人で話がしたい。俺についてきてくれ。」


と言われ、了承の意を伝える。名前を呼ばれてドキッとしてしまった。婚約について説明されるのだろうか、などと考えていたら、せっかくの美味しい夕食がいつの間にか終わってしまった。


食事のマナーなどここ数年気にしていなかった。何か粗相をしていないだろうか。不安になりつつ、珀の後ろをついていく。扉を開けると、バルコニーがあり、テーブルと2つの椅子が置いてあった。


促され、椅子に座る。珀も向かいに座った。しばらく、沈黙が続く。夜空にはまだらに星が光っている。


「琴葉、俺と婚約してくれないだろうか。」


琴葉が固まっていると、一拍置いて珀がまた言葉を紡ぐ。


「俺はお前が好きなんだ。お前の望むことはなんでも叶える。だから、俺と一緒にいてくれないか?」


赤い瞳がまっすぐにこちらを見つめてくる。時が止まったかのような、そんな感覚。言葉を理解するために一つ一つ噛み砕いて、また文章に仕立て上げる。自分は今、宝条家次期当主、多くの女性を虜にしておきながら、その誰のアプローチもものともしない男に言い寄られているのだ。


「もちろん、琴葉の意志も尊重したいと思っている。俺は押し付けるのが嫌いだからな。琴葉のしたいようにしてほしい。」


顔がどんどん赤くなっていくのがわかる。息を吸ったまま吐き出すことができない。


「好き、とかはわからないですが……あなたと一緒にいたい、です……。」


気づいたら、口から言葉が出ていた。きっとこれが本音なのだろう。なぜか、この人と一緒にいると落ち着くのだ。


「そうか……!では、これからよろしく頼む。」


嬉しそうな珀。またしばらくの沈黙を経て、珀が聞いてくる。


「俺は神楽家でお前が不当な扱いを受けているのを知らなかった。助けられなくて、申し訳ない。なかば強引にこの家に連れてきてしまったが、このままこの家で暮らす、ということでいいか?」


「……ええ。あの家から出られるのなら。それに、ここはとても落ち着きます。」


「そうか、ならよかった。」


琴葉はあの苦しい日々から逃れられることに実感が湧かず、夢見心地である。というより、珀が神楽家に来てから今まで、現実を現実と感じられずにいる。


こうして、2人の婚約は決まり、神楽家を半ば無理やり押し切る形で琴葉は宝条珀の家に住むことになったのである。

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