9、10「愛契らずに剥離の日々に」
9
「ロビンちゃんはネットで知り合った友達で、リアルで会ったことはないけど、よく〈ヘルメス〉で電話する。私の相談に、ちゃんと耳を傾けてくれる。だから遊丸が浮気してるんじゃないかって、遊丸が〈もんぜるっぜ〉を買いに行っている間に話した。そしたらロビンちゃん、私の代わりに遊丸が本当に浮気してるのか調べてくれると云ったの。上手くやるから任せてって、そう云うから、私もお願いした。これが、三週間前だった。だけどそれからロビンちゃんとは連絡がつかなくなった。メッセージを送っても既読がつかないし……だけど先週、遊丸が〈もんぜるっぜ〉を買いに出ていった後に、ロビンちゃんからいきなりビデオ通話が掛かってきた。出たら、血だらけの、知らない女の子の死体が映ってた。ロビンちゃんの声が『浮気相手、殺してあげましたよ』って云って、切られた」
俺達の正面の椅子に座り直した乃野矢は、枯れた声で訥々と語った。
その間に遊丸が、別室から持ってきたノートPCをテーブルの上に置いて起動する。
「冗談だと思った。遊丸が〈もんぜるっぜ〉を持って帰ってきて、私は普段どおりに振舞った。忘れようとした。だけど気になって、次の日にネットで調べたの。そしたら刃物でめった刺しにされて殺された女子高生のニュースが出てきた。それでも私は無関係だって思おうとした。仮にロビンちゃんがビデオ通話で見せたのが彼女の死体だったとしても、遊丸の浮気相手なんかじゃなくて、全然、関係ない人かも知れないって」
PCがデスクトップを映すと、乃野矢は遊丸からマウスを奪って〈ヘルメス〉のアイコンをクリックした。誰もが利用している、チャットや通話機能に特化したSNSアプリだ。
「ロビンちゃんとは一週間前から一度も連絡してない。ブロックしたの。だけどまだブロックリストにいるから解除できる。応答してくれるかは、分からないけど……」
「きっと応答するはずです。チャットじゃなくて、ビデオ通話にしてもらえますか?」
乃野矢は俺の確信ありげな態度を不思議に思っただろうが、反発はしなかった。ただし恐怖のためか、マウスを持つ手は震え、呼吸が荒くなった。
遊丸が「ぼくがやるよ」と云って、代わりにマウスを動かす。自分の浮気が原因であることはちゃんと反省しているらしく、先ほどからずっと神妙な顔つきだ。
〈ロビン〉のプロフィールが開かれる。写真や自己紹介文は設定されていない。
「乃野矢さん以外は映らないよう、脇にどきましょう。声も発さないように」
カーソルが通話ボタン上に移動し、クリックの音が響く。
タンタカタカタン、タンタンタン♪ HO♪
タンタカタカタン、タンタンタン♪ HO♪
タンタカタカタン、タンタ――
呼び出しのメロディが止まり、画面に〈ロビン〉が映し出された。
『こんにちは、リサちゃん。えっとォ……どうしました?』
義吟が「あ!」と声を上げる。まあいい。既に確かめられた。
映っているのは暦宇久だ。
優等生然とした顔立ちに、額を露わにした三つ編みおさげ。休日でも高校のセーラー服を着ている。昨日会ったときとまったく同じ格好である。
「百世未余子を殺した犯人の特定――依頼は達成でいいかな?」
俺はマスクを外し、画面に映る範囲に顔を出して訊ねた。
宇久は驚かない。相変わらず浮かない表情のまま、首を小さく縦に振った。
『こんなに早いとは思いませんでした』
義吟が「えっ? どういうことです? どうして宇久ちゃんが?」と騒ぐ。
遊丸は怪訝そうにしながら、「知り合いなのか?」と訊いてくる。
「はい。俺達にこの事件を調査するよう依頼してきたのがこの子です」
俺の返事に、困惑を露わにする遊丸と乃野矢。
こうなると、この二人も被害者みたいなものだ。
『そのォ……どうして分かったんですか? 私が犯人だと分かったうえで、通話してきたみたいですよね?』
「構造を知るにつれて、きみの証言の不自然さが許容できないレベルとなったからね」
『やっぱり、タイミングの問題ですか? 短時間のうちに私、リサさんの彼氏さん、二度目の私の順番で現場に行って、互いに気付くことがなかったのは出来過ぎだっていう……』
「他にもある。きみはよくアポなしで未余子ちゃんの部屋を訪れていたそうだが、未余子ちゃんと遊丸さんの逢引が始まって一ヶ月、一度もバッティングしなかったのかな? 未余子ちゃんがきみに隠したかったなら、なおさら土曜は来ないように云っておくはずだ」
『あァ……云われてみれば、そうですね』
「きみは未余子ちゃんの友達なんかじゃない。乃野矢さんのチャット友達が、乃野矢さんの彼氏が街でナンパした相手の級友でもあったなんて、それこそ出来過ぎだ。そもそもきみはマグノリア高校の生徒でもない」
探偵として、依頼人について調べるのは基本だ。亜愛にマグノリア高校の生徒にコンタクトを取り確認してもらったのは、そのことだった。
誰に聞いても、暦宇久あるいは別の名前でも、未余子の友達にそういった生徒は知らないという答えだった。
「それでは、宇久ちゃんは誰なのですか?」と義吟。
「自分が起こした殺人事件の調査を、ヒントと共に依頼してくる。そんな悪戯をしてくる連中には心当たりがある。なあ宇久ちゃん、それともロビンちゃんと呼ぶべきか――」
『宇久でいいです……』
「ロビンというのは、馬鹿とか間抜けって意味だぜ。フランス北東部のロレーヌ地方では、民衆が悪魔のことをそう呼んでいたらしいな?」
『さっすが。よく勉強してるねえ』
聞こえてきたのは、二重に重なった声。宇久ではない。画面上、宇久の両サイドからまったく同じ顔をした女子がぬっと現れた。
双子なのだろう。どちらも白色のツナギを着て、黒い髪を右の奴は左のサイドテール、左の奴は右のサイドテールにしている。
「まさかこの人達……〈悪魔のイケニエ〉なんですか?」
義吟が引きつった表情でその名を口にした。
『ご名答。どうしたの、裏切り者ちゃん』と双子の右が笑う。
『うちらに超びびってるじゃん。可哀想』と双子の左が笑う。
義吟は言葉を返せない。俺は彼女の肩を抱いて、画面に映らないよう移動させた。
『あのォ……』と、双子に挟まれて身を縮めている宇久が口を開く。
『ロビンって、馬鹿とか間抜けって意味なんですか……?』
『そーだよ。お前にぴったりじゃん』
『二日でバレるし。お仕置き確定ね』
『ええ……云われたとおり、やったんですけど……』
『うっせーよ馬鹿が』
『間抜けは黙ってて』
両方から頭をぐりぐりされて、宇久は『ぎゃあ……』とうめく。
「で、解決時の追加報酬額十五万はもらえるのか?」
『やるわけないじゃん。乃野矢リサ、あんた払っといて』
『クソ漫画で稼いでるでしょ? 口止め料にもなるしさ』
「おい!」と遊丸が怒鳴った。
「リサの漫画は――クソじゃない」
身を乗り出して、画面を睨んでいる。乃野矢は目を丸くしている。
『はー? きっも。ロリコンの浮気野郎が』
『服も髪型もだっさ。男なら自分で稼げし』
『あのォ……そろそろ切らないと。逆探知、されてますよ』
気付かれている。画面に映らないよう移動させた際、義吟のうなじのダイヤル錠を『006』に合わせた。彼女はいま、PCと脳をコードで繋いでいる。
『喋んなって云ったよね? 分かってんだよ。本気でしばくよお前?』
『またね荻尾さん。近いうち、可愛いアイドルの子が依頼しに行くよ』
『そいつは〈悪魔のイケニエ〉じゃないから』
『せいぜい頑張って、助けてあげることだね』
『悪魔に栄光を』
双子は最後だけ声を揃えて、ビデオ通話を切った。義吟は首を横に振った。
「駄目です。同じ都内ということまでしか……」
「いいや、仕方ないよ」
義吟はコードを頭の中に格納し、俺はまたダイヤル錠を弄って閉じさせる。
どうせ〈ロビン〉のアカウントごと捨てられるから、ここからは辿れないだろう。
「……私達は、ハメられたの?」
乃野矢が問うてきた。
「それより、付け込まれたという感じですね。遊丸さんの浮気、さらにはそれを貴女がロビンちゃんに相談したこと……連中は常に犯罪のネタを探していますから」
「このことは十五万で、黙っていてもらえるの?」
「お金はいりませんよ。受け取らないことでむしろ、貴女達に対する口止め料にさせてください」
「もちろん云わない。私達が云えるわけない……」
「なら良かった。悪い夢だったと思って、忘れることです」
悪魔の話をすれば悪魔が現れる。英語のことわざだが、奴らはそれを体現している。
もう立ち去ることにしよう。義吟にも促すと、彼女は「乃野矢さん!」と呼び掛けた。
「サインだけ、もらってもいいですか!」
乃野矢はきょとんとして、「いいけど」と頷いた。
「私も乃野矢さんの漫画はクソ漫画なんかじゃないと思います。いっつも楽しみにしてますもの。遊丸さん、さっきは格好良かったですね。ばしっと反論してました!」
「いや、あれは反射的に……」
照れたふうに笑って、遊丸は乃野矢を見た。
が、乃野矢の視線は冷たかった。
「浮気のこと、許してないから」
そりゃそうだろう。
「でも、私もごめんね。ずっと無理させちゃってたよね」
「リサ……違うよ、ぼくが悪かったんだ! 愛してるよ!」
二人は抱き合って、涙を流し始めた。なんだこの茶番。
義吟も「良かったですね~」なんて云っているが、早くサイン書かせて帰ろうぜ。
10
〈悪魔のイケニエ〉は犯罪組織だ。
悪魔主義者たちによって構成され、全国各地に支部がある。活動内容は窃盗、恐喝、誘拐、殺人、破壊工作など、数々の犯罪。それらは単純な利益のためであったり、時としてテロリズムに通じていたりするものの、目的なんてない愉快犯めいた犯行も多い。彼らに云わせればすべて悪魔崇拝のためらしいが、詭弁だろう。
もっとも自分達の存在を世間に対しアピールするようなことはなく、その名を知る者は警察関係者にも多くはない。どれほどの犯罪が彼らの手によるものなのか、把握している者はいないのだ。不明点ばかりのため、都市伝説の類と思われることさえある。
しかし俺達GAOは、この組織と因縁がある。
義吟を改造したのが、こいつらだからだ。
さらに俺達はこいつらの犯罪を暴き、いくつかの支部を潰してきた。〈悪魔のイケニエ〉内で俺達の存在は割れている。今回絡んできたのも、そのためだろう。
予想はしていたけれど、戴天京にも支部があるというわけだ。
「なーんだかなー……」
キャンピングカーのセカンドシートに寝転んで悩んでいると、義吟が覗き込んできた。
「どうしたのです?」
「なんで俺ってモテないんだろうな? 頭良いし、ルックスも悪くないじゃん」
「え。事件のことを考えていたのではないのですか」
「事件のことだよ。なんであんなホスト崩れがヒモになれて、俺はなれないんだろう?」
「央くん、ヒモに憧れてるのですか!」
「別にヒモには憧れないが……あんな奴が爛れた生活送ってるのが納得いかないわ。なんで俺はそういうのに無縁なんだろう? ちょっと考えちゃうよね、真剣に」
「きっと央くんは尖りすぎなのですよ。『シュガーハイに失恋定期』読みます? サイン入りですよ~」
「読まねえよ、そんなクソ漫画」
「酷い! 央くん〈悪魔のイケニエ〉ですか!」
サードシートの亜愛が「面白すぎる冗談ね」と、つまらなそうにコメントした。
「央がモテる方法、私が教えてあげるわよ」
「教えてくれ」
「私みたいになることよ」
「お前モテたことねえだろ」
「なに云ってるの? モテる者ほどモテはしない――ということわざがあるわ」
「ねえよ、そんな破綻したことわざ」
タカン♪ タカン♪
俺の携帯から、〈ヘルメス〉にメッセージを受信した際のメロディが鳴った。
確認すると『ごめんなさい今日はお仕事で…』『また誘ってください!』とのこと。
「うあーー! 俺は誰にも愛されずに死んでいくんだ!」
「わっ、ご乱心です!」
「いつものことでしょ。放っておきなさい」
ひとしきり騒いだ後、俺達は餃子を食べに行った。
【G章:紐づくもんぜるっぜ】終。