7、8「イン・スピリツーランド」
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館内に明かりが戻った。交霊をおこなった部屋では角灯が割れたが、他はブレーカーが落ちていただけだった。仇鳴を除き、館内にいた者の無事も確認された。
仇鳴の死体は一旦、別室に移された。都真子はまだ、あの部屋に閉じ込められている。
交霊会の参加者に俊嶺と奇峰を加えたメンバーは、適当な部屋に集まった。みな頭痛や気分の悪さが残っているものの、命に別状はない。亜愛の熱も引いたし、気を失っていた者も目を覚ましていた。
俺達を襲った現象はなんだったのか。それは亜愛の口から説明された。
「自己分離した私の身体にすかさず侵入したのは、都真子の霊体だったわ。都真子も同じく自己分離して、私達が交霊会を始めるのを待っていたの」
「〈直接探査の霊媒〉と同じ要領ですか」
会員のひとりが問い、亜愛は首肯する。
自己分離した魂が、肉体から遠く離れた地点を探査する例……有名なところでは、火星面の探査をおこなった霊媒ミレイユの話がある。
「しかし、そこから霊がそうするみたく他の霊媒に憑依するなんて離れ業だ」
別の会員が発言すると、翠が「先を聞きましょう」とたしなめた。
亜愛は物憂げな表情で、再び語り始める。視線は床の上に落ちている。
「都真子は私の身体に入った状態で、霊媒の能力を振るった。私が持つ霊体のエネルギーまで加わったせいで、半暴走状態になっていたわ。ゆえに叩音、テーブル浮揚、ガラスの破裂、さらには建物の揺れなどが、同時多発的に巻き起こった」
亜愛の持つ並外れたエネルギーがあれば、無理なことではない。過去にはさらに大規模な心霊現象も起こしている彼女だ。
「だけど、都真子は交霊会を妨害したかったのではないの。彼女の目的は仇鳴だった」
「はじめから、仇鳴様を殺すつもりだったということかしら?」
「そう。テーブルを囲んで思念を統一した私達は、霊的な回路を形成していた。あなた達もみな、自己分離しやすい状態になっていたの。金縛りや頭痛、体力の消耗として実感していたでしょう? 都真子はそれを利用して、今度は仇鳴の身体に侵入した」
つまりは、仇鳴を直接憑依の霊媒に仕立て上げたというわけだ。亜愛を経由することによって、普段であれば霊媒の才能なんてない仇鳴にも憑依が可能となった。
「私が解放されたとき、私達の霊的な回路は切断されたわ。身体が自由になったのがそれよ。そして混乱が続いているうちに、都真子は仇鳴の身体に入った状態で、自分の部屋に向かった。到着すると憑依を解いて、自分の身体に戻り、目の前にいた仇鳴を縄跳びのロープで絞殺した」
「そんなこと……」
羽衣が口元を手で覆う。続けたかった言葉は『可能なのですか』だろう。
奇峰が「恐れ入りますが」と口を開いた。
「都真子様はあのとおり、ご自身の力で立ち上がったり、手を動かしたりすることはできません。仇鳴様を絞め殺すなど、なおさらかと……」
「なら、こうも考えられるわ。都真子は仇鳴の身体に入ったまま、絶命するまで、自分でその首を絞めたの」
誰かが「うっ」と声を洩らした。想像してしまったのだろう。
「縄跳びのロープは、どこから出てきたのでしょう? 都真子さんの部屋には、当然そんなものなかったはずですわ」
「それは、心霊現象に詳しいみなさんになら説明する必要もないでしょう」
一同は互いに顔を見合わせて、やがてひとりが「物品引き寄せ、ですか?」と訊いた。
物品引き寄せはアポーツとも呼ばれ、なにもない空間から花、果物、コイン、アクセサリー、生きた植物などの思いがけない品物が突如現れる現象だ。ごく一部の霊媒にのみ可能で、物品を気体またはそれ以上に希薄な霊体に一時還元する技と解釈されている。
「交霊中に、そんなことを喋っている声が聞こえましたね。縄跳びを跳んでいたとか……」
すっかり血の気が失せた顔の堂間が云う。
亜愛は小さく、首を横に振った。しかし、それは否定の意味ではなかった。
「都真子にそれほどの能力があるとは、私も知らなかったわ。いえ……私が知らない間に、貴方達が彼女を開発したということね」
その言葉に、誰もが口を開けなくなった。ある者は戦慄し、ある者は呆然として、ある者は後ろめたそうに目を伏せていた。
俺もまた途方もない気持ちになりながら、考える。
『――私は待っていたの』
亜愛の口を借りて、都真子はそう云っていた。
それは廃人と化してなお、魂は死なずに、復讐の機会を狙っていたということだろうか。自分を壊した男を、自らの手で殺害するために。
あの後、俺達は都真子に何度も訊ねたけれど、やはり反応はなかった。笑っていた口元も気付けば半開きの状態に戻っており、声は一音すら漏れることがなかった。それとも、あの狂おしい笑みは俺達の見間違えだったのだろうか。
都真子が廃人の演技をしているとは思えない。
すると、あの状態でそのような恐ろしい犯行を実行できたとも思い難い。
しかし、彼女の他に仇鳴を殺害できた人間はいなかった。俺達は奇峰が開けた扉を抜けていく仇鳴を確かに見ていて、この区画には他に人がおらず、外へ通じる扉や窓もない。
他に、考えられるとすれば…………
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この件は内々で処理すると云われて、俺達は西戴天京支部を後にした。
依頼は取り下げとのことだ。仇鳴が死んでは、どのみち成功報酬としていた情報も手に入らない。都真子のことは気掛かりだが、今日のところは大人しく帰るしかなかった。
適当にキャンピングカーを走らせていると、仕切りのガラス窓を開けて顔を出した義吟が「ピザ食べたくありませんか、ピザ!」と騒いだ。
「そんな食欲ないんだけど」
「義吟はお腹ぺこぺこなのですよ~」
「今朝買ったおにぎりがあるだろ。食べていいぞ」
「嫌です~。ピザ! 美味しいピザをお口いっぱいに頬張りたいです~。義吟だけ食べて来ますから、美味しいお店探して車停めててくださいよ」
「ああ……そういうこと? お前、気を遣えるようになったなあ」
「ええ? ちょっと――どういうことですか? 義吟はさっぱり!」
俺の耳元で「亜愛ちゃんに聞こえちゃいますよ~!」と囁いてくる。面白い奴だ。もう亜愛にもバレバレだって。
注文どおり良さそうな店をネットで調べて、近くの路肩に停車した。受け取った一万円札を手に「使い切ってきます!」と宣言した義吟が出ていくと、俺は車の奥へと移動する。
「今回はよく頑張ったな」
亜愛はベッドの上で丸くなり、頭から毛布を被っていた。俺はその隣に腰を下ろした。
「苦しかっただろうに、ずっと堂々としていた。本当に立派だったよ」
「……五年分くらい、頑張ったわ」
くぐもった声が返ってきた。引きこもりの彼女なので、あながち誇張でもない。
毛布から片手だけ外に出して、俺を探り当てると「もっと近く」と云う。求めに応じて彼女の方に寄る。すると毛布から脱し、俺とは目を合わせないまま、俺の腰に抱き着いた。
「……央、気付いているでしょう?」
「気付いてる」
「……私に怒ってないの?」
「怒るはずないだろ」
「……軽蔑してない?」
「してない」
「……じゃあ、どう思ってる?」
「最初に云った。よく頑張ったって」
亜愛はしばらく黙った。なにかを云いかけて一度ためらい、それから云った。
「交霊会中、都真子と交信したわ。都真子と私は、本当に繋がっていたの」
「そうか。彼女はなんて?」
「ありがとう……って。あんなになっても、都真子は分かっていたの。だからあのとき、笑ったんだわ。だけど私は……お礼を云われることなんて、なにもしてない。なにも……」
堪えきれなくなって、亜愛は泣き出した。
俺の身体に顔を押しつけたまま、できるだけ泣き声を洩らさないようにして。
「亜愛がそう考えてしまうのは分かるよ。俺も同じだと思う。だけど都真子の気持ちを否定しなくてもいいんじゃないか。彼女が、お礼を云ったなら」
亜愛の泣き声は、そこで一段と大きくなった。我慢しなくていい。彼女は自分に厳しすぎる。普段の自信家な態度はその裏返しだ。今は思いきり、感情を吐き出すべきだ。
俺も普段の分まで、亜愛を慰め続けた。一時間して戻ってきた義吟が「まだ終わってなかったのですか!」と驚嘆するまで、亜愛は泣き続けた。




