7、8「陽の届かぬ暗闇から虎視」
7
宇摩は早朝までの勤務だったが、帰る前に控え室で眠っていたところを叩き起こされて、六〇九号室に連行されてきた。俺達に容疑を被せる都合上、怪しまれないように彼女がこの後もしばらく清掃員として此処に在籍するのは当然なので、これも想定内ではあった。
フロントの防犯カメラの映像には、俺達の前に六一〇号室を利用した客――犯人Aが映っていて、案の定、大きなキャリーケースを引きずっていた。多字原の証言から、こいつが六一〇を指定していたことも裏付けられた。
また、六〇九と六一〇のプレートのネジ留めが雑で、つい最近に取り外しされたらしいことも確かめられた。死体は奈田に似た身体つきではあるが、よく見ると身体的特徴にいくつかの差異があることも。無断欠勤した女性清掃員がたしかにそんな身体つきだったことも。その女性清掃員とは未だに連絡がつかないことも。
さらには俺が推理の中で語った不自然な点の数々に加え、俺と友餌が泥酔状態でやって来たのがそもそも、疑いを避けるためにしてはリスキー過ぎるということ。
それらを突き付けられて、幹節の大きな掌で小さな頭をギリギリと締め付けられた結果、とうとう宇摩がキレた。
「助けたったんだろーがよ!」
室内にいる仇鳴、多字原、俺、友餌を順々に睨み据えながら、荒い声で続けた。
「閉じ込められて可哀想だったから、助けたったんだよ! あたい、悪者か? 違うだろーよ! あたいは正義の味方だろーが! 正義は勝たないとおかしくねーか!」
「奈田を助けるために無関係な清掃員を殺すのはいいの?」
純粋に疑問に思ったため訊ねたところ、目を剥かれた。
「はあ? あたいが知るかあ! 馬鹿者があ!」
その後も彼女は「ぜってえ認めねえ! あたいが負けるはずねえ! こんな世の中、間違ってんだろーが! おめえら全員ぶち殺したるど!」等と喚き続けたが、幹節によって気絶させられた。これからどう処理されるのかは、俺の知るところではない。
ともかく彼女が犯行を認めたことで、俺と友餌は解放された。宿泊料だけ返してもらって、俺達はホテル〈オケアの巣〉を出た。
真昼の陽光を浴びて、立ち眩み。気分は最悪だ。俺は二日酔いならぬ三日酔いである。
「ごめん、荻尾クン。あたし疲れちゃったよ」
「うん」
「今日は帰るね。夜から仕事だし……」
彼女の自宅がどこだか知らないが、俺は財布から一万円札を差し出した。
「これ、タクシー代。電車とか乗りたくないでしょ」
「ええ、いいよ。タクシーは使うけど、自分のお金で」
「お詫びでもあるんだ。本当に申し訳なかった。俺がもっと、ちゃんとしていれば……」
「なにを云ってるの? 荻尾クン」
友餌は首を傾げて、俺を見上げた。目元のアイシャドウが涙で滲み、しかしそれが陽光の下できらきらと光り、はっとするような微笑だった。
「荻尾クンは、あたしを助けてくれた。本当に格好良かったよ」
直後、彼女は背伸びした。その唇が俺の頬に触れて、ちゅっと音がした。
「大好き。荻尾クンはあたしの神様だね」
顔が伏せられたので、目元は前髪に隠れて、はにかんだ口元だけが見えた。
俺は突然のことにとにかく驚いて、まともに反応できていない。
「今日は本当、疲れちゃったし、髪もメイクも崩れちゃったから。だけど……また会ってくれるかな?」
「もちろん……俺はいつでも、大丈夫だから」
「ありがと」
身を翻して、振り返ることなく、歩いて行ってしまう友餌。
俺は一万円札を持ったまま、ドキドキしながらその背中を見送った。
8
「ようやく帰ってきました~。ってぎゃあ! お酒くさいです~!」
キャンピングカーに帰ると、義吟の真昼間のテンションが頭蓋に響いた。
「もーう。央くん、不良です~。どこでなにしてたんですか~」
「ああ、ちょっとね」
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。
奥のベッドで読書中の亜愛から、冷たい視線が向けられる。
「なんだか気持ち悪いわね。蒼白い顔でニヤニヤして」
「ああ、ちょっとね」
「あっ! まさか央くん、危ないクスリに手を出したのでは――?」
「ああ、ちょっとね」
セカンドシートに腰掛けて水を一気にペットボトルの半分まで飲む。義吟が「央くんが日本語を喋る能力をほとんど失ってしまいました!」と嘆いている。
「お前らの方こそ、俺がいない間、ちゃんと仲良くしてたか?」
「あ、喋れるのですね。良かったです。央くんがいない間ですか?」
キリンの耳を揺らして、にっこりと笑う義吟。
「亜愛ちゃんと会話はないですよ。義吟、嫌われてますし」
「おい。お前らが仲良くしないと、俺が安心できないだろ」
「え~、義吟からはどうしようもないですよ。亜愛ちゃんに云ってください」
「亜愛ー」
すると奥から「食えない豚なら殺してしまえ――ということわざがあるわ」との返事。
「ねえよ、そんな不毛なことわざ。食うにしても殺すだろ」
「それ以前に~、義吟は豚ではありません~」
「そういえば腹が減ったな。風呂にも行きたいし」
俺は携帯で近くの銭湯を調べようとして、着信が入っていることに気付く。
二時間ほど前に、犬屋からだ。すぐに折り返す。
『へい。電話したのは巻乃木真月の件だよ』
そうだ。まいかの事件の最中に、依頼していたのだった。
「ありがとう。現在の所在まで掴めたか?」
『それがごめんねー。調査は打ち切り。お金も返すよ』
「どうして?」
『云ってあるでしょ。私は〈悪魔のイケニエ〉には関わらないって。巻乃木真月を辿ってたら、行き着いちゃったんだよね』
「巻乃木は〈死霊のハラワタ〉にいたんじゃないのか?」
『いたみたいだよ。だけどアイドル引退後に〈悪魔のイケニエ〉とも付き合いができた。こないだ逮捕されたミヤって女とも取引してたでしょ?』
「……その他に、打ち切る前に分かったことはない?」
『いくつかあるけど、教えられない。それをしたら私が〈悪魔のイケニエ〉に関わることになるからね。でも知ったところで、役に立たないと思う』
「そうか。――ああ、本名は? それくらいならいいだろ」
本名が分かれば、そこから自力で辿れるかも知れない。
犬屋は「しょうがないなー」と溜息を吐いてから、答えてくれた。
「奈田綾瀬。それが巻乃木真月の本名」
【O章:表ラブホの裏ビジホ】終。




