007 修吾の決断
六華は邸の地下にある座敷牢に監禁されていた。
格子は木製だが、四方と中央に封印の護符が貼られているため簡単には破壊できない。見張りも二人。分家の人間か、葛木の傘下に加わっている術者かはわからないが、それなりの実力者だということはわかる。
葛木宗主に力を封じられている六華ではどうしようもない。やろうと思えば少し時間はかかるものの自力で解けるだろうが、そうする必要もない。葛木に敵対するつもりはないし、なによりも修吾を信じている。だから六華は大人しく畳の上に正座して待つことにしていた。
欠落している記憶を整理する丁度いい機会だ。六華は静かに目を閉じ、過去を思い出す。
覚えている最後の記憶は、自分の身を雹仙修羅の封印に捧げる瞬間だった。
それも酷く朧気であり、雹仙修羅はもちろん、周りの風景も靄がかかったようにあやふやだ。
ただ、目の前で悲しそうに涙を流す男の姿だけは鮮明に覚えている。
共に戦った当時の葛木の術者だ。どこか修吾に面影が重なる。彼は六華に向けてなにかを言っているようだったが、流石にその内容までは思い出せない。重要なことだった気もする。
そうか、と六華は気づいた。
自分でもあまりにあっさり修吾と契約を結んでしまったと思っていたが、彼が当時の協力者と似ていたからかもしれない。記憶の男とは恋人……ではなかったはずだ。だが、それに近い関係を築いていたようにも思う。だから修吾とは浮気ではない。断じて。
そして雹仙修羅を封印した六華は、永遠にも思える長い時間を夢も見ずに過ごすこととなった。体感では一瞬だったものの、雹仙修羅が暴れないよう必死に抑えつけていた。
だが、封印は解けた。いや、解かれた。
六華の氷で永久凍結させた封印である。時間経過で弱くなるものでもなければ、偶然解けてしまうほど脆いものでもなかった。そうなると、何者かが解いたとしか考えられない。
封印の場所を知り、且つ解くことのできる存在。
「……もしかして」
その結論に六華が思い立った時、地上へと続く階段から――ヒラリヒラリ。
一枚の護符が、舞い落ちてきた。
「ん? なんだ?」
「おい! 誰か護符を落としたぞ!」
監視の二人も気づいて護符に近づいた、その刹那。
護符が爆散。淡い輝きを放つ方陣が地下牢に広がった。
†
修吾は自室に敷かれた布団に寝転がっていた。
父に言われた通り冷水シャワーを浴びて物理的にも頭を冷やした。落ち着いて己の行いを顧みるが――現状、間違っているとはやはり思えない。
六華を初めて見た時の感覚。アレが〝魅了〟だとするのなら、確かに修吾はかかっているのかもしれない。だが、もしそうならその後に彼女と戦闘などできなかったはずだ。
修吾は自分の意思で彼女を選んだ。
できればそれを葛木家にも認めてもらいたい。スマホの時計を見ると夜の十時を回ったところだった。このまま一晩明けて修吾の考えが変わらなかったら〝魅了〟の疑いは晴れるはずだ。
それでも、先程の様子を見る限り言葉だけで彼らを説き伏せることは難しいだろう。
「……嫌な気分だね」
今まで体験したことのない嫌悪感を修吾は覚えていた。説得に応じなかった石頭の老人たちにではなく、説得できなかった自分自身の不甲斐なさに対してでもない。
六華をバケモノ扱いされたこと。馬鹿にされたこと。その辺の妖魔と変わらない嫌悪の眼で見られたこと。
――六華のこと、知ろうともしないくせに。
修吾は自分が温厚な性格だと自覚している。しかしこればかりは、なぜだかどうしても苛立ちが募ることを禁じ得なかった。
「……ふう」
修吾は首を振り、大きく息を吐いた。葛木家とはそういうものだ。彼らから見れば修吾の方が狂っている。だから、勘癪紛いの怒りの矛先は仕舞わねばならない。
「言葉でダメなら、行動で示すしかないかな」
そう、根拠もなく信じろというのはいくら身内でも虫が良すぎたのだ。明日は六華の実績を積むための交渉にシフトするのがいいだろう。方法は……テキトーな妖魔退治では意味がない。やはり氷の街に戻って雹仙修羅を討伐だ。
と、襖の向こうに人の気配。
「兄様、少しいいですか?」
香雅里だ。
「いいよ。でも、こんな時間になんの用だい?」
静かに襖を開けて部屋に入って来た香雅里は、水色の寝間着姿だった。風呂上りなのだろう、頬は火照っていて髪も僅かに湿っている。
香雅里は上体を起こした修吾の目の前に正座すると、真っ直ぐにこちらを見詰めてくる。遊びに来たわけではないことは、その真剣な表情から察せられた。
「単刀直入に言います。兄様、あの妖魔とは契約を切ってください」
先程の苛立ちがぶり返しそうになるのを、修吾はぐっと堪える。
「……その結論を出すのは早いんじゃないかい?」
「あの妖魔が危険だとか、私が個人的に嫌っているとか、そういう話ではありません」
「ん?」
修吾は眉を顰めた。つまり香雅里には分家の長たちとは違った観点がある、ということだ。
「妖魔と契約なんてしていたら、兄様は葛木の宗主になれません。たとえみんながあの妖魔を受け入れたとしても、そこだけは絶対に揺るがないと思います」
「あー、うん、それは別に構わないよ」
「えっ?」
なんだそんなことか、と修吾は苦笑を浮かべた。修吾にとってはそれで済む内容だったが、香雅里は意外に思ったらしく驚いたように目を丸くしている。
「僕は宗主になることに固執しているわけじゃないからね。たまたま宗家の長男に生まれて、たまたま〈因明眼〉を持っていただけだ。順当に宗主になってもいいし、僕からその資格が剥奪されるのならそれでも構わない。京司がなりたいみたいだから彼に任せるのもいいんじゃないかな? それとも香雅里がやってみるかい?」
「わ、私が!? む、むむむ無理です無理です!?」
香雅里は慌てたように手を顔の前でブンブン振った。修吾はこれまで宗主になりたいとは一度も思ったことがない。なりたくないとも思ってないから割とどうでもいいのだ。そういう意味では香雅里の方が向いているかもしれない。
「なら、兄様はなにを目標に厳しい修行を乗り越えてまで陰陽師になったのですか? ちなみに私は兄様と並び立つことを目標としています」
どこか誇らしげに胸を張る香雅里に修吾は苦笑する。
陰陽師になった理由。葛木家に生まれたから。能力があったから。もちろんそれもあるが、きちんとした自分自身の目標がないわけではない。それは『宗主』という称号がなくても叶えられるものだ。
「僕は――」
言いかけたその時、左手の薬指に違和感を覚えた。
見ると、氷の指輪が淡く明滅している。香雅里と二人で会っていることが浮気と判定されたのかと思ったが、指が凍りつくようなことにはなっていない。
「これは、まさか六華の身になにかあったのか!」
「あ、兄様!?」
嫌な予感がし、修吾は言いつけを破ることも承知で地下牢へと走った。
†
地下牢に下りると、そこでは巨大な白い大蛇が暴れていた。
「妖魔!? 一体どこから!?」
氷の街で討伐したものより一回り小さいが、だからと言って陰陽師の宗家に侵入できるはずがない。いや、それを考えるのは後回しだ。
修吾は護符から〈虚ノ太刀・鴉燬眼〉を取り出し、抜刀。鎌首をもたげる大蛇を一刀の下で斬り伏せた。
「六華!」
光の粒子となって消え去る大蛇の向こう――破られた牢の奥で倒れている六華を見つけた。すぐに駆け寄って彼女を抱き起す。
「う、修吾……」
呻いた彼女が瞼を開く。少し消耗しているようだが、命に別状はなさそうでほっとする。
「この程度の妖魔にどうして……そうか、父様に力を封じられていたんだったね。今、解くよ」
修吾は胸の前で九字を切った。すると、六華の体からなにかが砕け散るような音が響く。これで龍玄が彼女にかけていた封印はなくなった。
万全の六華だったらあの程度の妖魔など一撃で屠っていただろう。だが、見張りをしていた術者二人には荷が重かったようだ。二人とも大蛇に腹を食い破られた状態で氷像と化していた。恐らくもう助からない。
と――
「きゃあああああああああっ!?」
様子を見に来たらしい女性の術者が悲鳴を上げて駆け去っていった。破られた牢。凍ったまま絶命している見張りの術者。それをやった大蛇は修吾が滅したため見られていない。
「まずいことになった」
状況は、どれだけポジティブに考えても最悪だった。
「六華、今すぐ一緒にここを出よう」
「どうして?」
キョトンとする六華に、修吾は乱れそうになる呼吸を整えてから告げる。
「このままじゃ六華が彼らを殺した犯人にされてしまう」
「逃げたら余計にそう思われるわ」
「残れば確実に滅されるよ」
「修吾なら、話せばわかるって言いそうだけれど?」
「そう言いたいけどね。いくら僕でもこの状況で現実を見えていない発言はできないよ。だから誤解を解くためにも、僕らだけで雹仙修羅を討伐するしかないんだ」
元々そうするつもりだったが、こうなってしまっては交渉も不可能だろう。悠長に明日を待てるほど修吾は馬鹿でも楽観者でもない。
六華は数秒ほど修吾を見詰めると、こくりと頷いた。
「修吾が言うなら、わかったわ。でも一つだけ、伝えておかなければいけないことがあるの。受け入れらないかもしれないけれど、聞いてほしい」
「なんだい?」
問い返すと、六華は床に落ちていた護符の切れ端を拾い上げた。
「葛木の術者の中に、雹仙修羅の封印を解いた者がいるわ」