仔狸の塒 【月夜譚No.126】
器用に後ろ脚で二足歩行する仔狸に案内されたのは、小さな部屋だった。戸惑いながら少女が中に入ると、仔狸は一度お辞儀をしてから扉を閉めて行ってしまった。
土を掘って作ったような空間に、人間が使うものより二回りほど小さなテーブルと椅子が置かれている。壁を刳り貫いて設えられた棚には数冊の本が並ぶが、背表紙の文字は絵のようにも見えて、少女には読めなかった。ブックエンド代わりに置かれた硝子の花瓶には、薄紅の花が挿してある。
扉の前に立ったまま暫く悩んだが、少女は小さな椅子に腰かけた。木製のそれは思ったよりも座り心地が良く、背凭れに身を預けると少しだけほっとした。
ここは一体何処なのだろう。家族で湖に遊びに行って、はしゃいで羽目を外して水深の深い場所に足を踏み入れてしまった。頭まで水に浸かるのは一瞬のことで、恐怖や後悔を感じる前に、彼女は意識を失った。そして次の瞬間に目を覚ましたら、目の前にあの仔狸がいたのだ。
仔狸は一言も鳴くことなく、少女についてくるように仕草で訴えて、それに従ったらここに辿り着いた。あの様子からして、少しここで待っていろということなのだろう。
現在地も判らないし、どうしたら良いのかも判らない。だから一先ずは仔狸の言うに従うしかないが、果たして自分は帰れるのだろうか。
不安がないわけではない。でも、あの仔狸が悪さをするようには思えない。円らな黒い瞳を思い出して、少女は少しだけ笑みを零した。