94、気付けば
『主』は眠りにつかれた。
奇跡を使用によって、彼の方は力を回復する必要があったのだ。
星の中心にて、ほんの少しだけ、長い眠り。
ご自身で創られた世界を愛でるための、小さな必要経費。
けれども、問題はある。
それは、真なる王の居ない世界ができてしまうことだ。
『これで、良かったのか? 本当に……』
たしかに緑は栄え、命は育まれ、世界は色付いた。
だが、それは本当に成功したと言えるのか?
疑問を覚えても仕方がないほどの時が流れたのだ。
命は芽吹いた。
生き物たちは徒党を組み出し、群れる。
刻まれた本能の中で、自然の恩恵、神の意志を理解し、感謝をしながら生活する。
雄と雌によって子は生まれ、その子もまた番を探す。
時には病もあった。
時には害もあった。
時には死もあった。
けれども、その流れが止まることはなかった。
永い永い流れ。
その時間の中、智慧を持つ種族が現れる。
人間
獣のような体毛はない。
鳥のような翼はない。
魚のようなエラ、トカゲのような鱗、虫のような複眼。
あらゆる種に存在する、特徴、強みを持ち合わせてはいないのだ。
あるとすれば、その手だろう。
自由で、細やかな指による、手。
その手と、智慧によって驚くべき進化を遂げた、イレギュラー。
特殊も特殊だ。
他のどの命にも、こんな進歩はなかった。
一つ一つが思考し、意志を持つ。
寄り添い、助け合い、そして前へと進む者たち。
これを見て、使徒は思ってしまうのだ。
まさか、『主』の立場を奪われるのでは、と。
『管理すればいい。我らはそれが可能だ。彼らは我らを見て、崇め、分を弁えている。このままならば構わないが、もしも、増長してしまえば……』
黒い蛇はそう言った。
わかっていたのだ。
放っておくには、あまりにも人間は凄まじすぎた。
確かに『主』の使徒である蛇にスペックで、ここで言えば頭脳で人間が勝ることは決してない。
そう設定されていない。
だが、あくまでも蛇は使徒なのだ。
『主』を越して、何かを成すなどできはしない。
人間のように、生み出し、高めることは、絶対にできない。
そう設定されていない。
だが、知ることはできた。
人間という種族を、その途方もなく永い時間をもって、見極めることは可能だ。
その上で黒い蛇は分かっていた。
人間の底にある危うさを。
だから、管理すべきという。
巧みに操り、管理して、危機を回避。
彼らにすれば簡単なことで、危険が過ぎる物を作れば取り上げるだけの話だ。
危険の源である、その意志。
前に進む、という思考を、少しばかり弱めてしまえばいい。
蛇は奇跡のカタチ。
ほんの少し念じれば、それだけで達成できること。
けれども、
『神の意思に反する。人間がかくの如くあるのは、神の意思。それを奪っていいはずがない』
黒い蛇の同僚、白い蛇は反対した。
はじめに人間を観察し始めた白。
白にならって黒もそれを行い、その上でこの判断を下した。
同時に生まれた、いわば双子の兄弟が、それを言う。
確かに言い分は通っていたし、間違いなどありようもない。
けれども、その時に一抹の不安を感じたのは、間違いではなかった。
※※※※※※※
「ケェェ! ここの酒はうめえな!」
酒場。
勇者一行の内、女三人と見事にバラけてしまったため、仕方なく男たちは店に寄ることにした。
ただ、この時に強く意思を主張する者はその片方だ。
片方いわく、酒を飲ませろ、とのことだった。
「お前も飲ゃいいのに」
「……別に酒は興味ないしね? それよりこの豆の方が断然良いと思うんだけど」
「ホントにシケてやがるな」
話が合わない。
ガバガバと水のように酒を飲みまくり、そのツマミ感覚で料理をバカバカ食う男。
それに対して、延々と塩ゆでした豆を食う男。
派手と質素の両極端。
だが、とても自然に時間を共にする。
とても簡単に、分かりやすく、二人は食事を楽しんでいた。
「この国の祭り、やっぱ有名だよな」
「ああ確かに。明らかにこの国の人じゃない人が多いし」
「そうだな。それに、戦える奴らが多い。しかも、強い奴も混じってる」
ニヤリ、と笑うエイル。
彼の基準で強い、とされた者が居たのだ。
少し驚きつつも、聞き入る彼は余裕だった。
「それは凄いね」
「興味なさそうだなぁ。だが、油断してたら負けるぜ?」
「……マジ?」
評価が高い、どころではない。
そこまでのレベルは、一国の英雄クラスだ。
『超越者』には遠くとも、戦争であれば一人で戦況を左右し得る逸材。
そんな人材が、他国の祭りに?
「本番で油断して負けんなよ? 俺はお前に勝って、そんであのフザケた王様をぶちのめしたいんだ。だから全力で戦え」
「えぇ……そんなの居るの……? 自分の国に引き篭もってればいいのに……」
「世界的に有名な武術大会だ。武威を示す意味でも、国の実力者が出ることも珍しくねぇよ」
そういうと、またもやグビリと酒をあおる。
もう一樽に届くほど飲んでいるのだが、まだ足りないらしい。
勇者は大きく息を吐いた。
これから起こるだろう、戦いを憂いて。
「はあああ……めんどい……」
「おいおい、そう言うなよ。俺は楽しいぞ?」
バシバシと背中を叩く。
叩けば叩くほど、叩かれた者の元気が抜けていくのだが、酒が回って上機嫌のエイルは気付かない。
さらに鬱屈とした声で続けた。
「めんどいなぁ……戦うの、そんなに好きじゃないんだけど……」
「おいおい、あんなに楽しいモノはねぇってのに。人生損してんぞ、お前!」
「血みどろになったばっかなんだけど? 痛いし、疲れるし、しんどいし……」
「それが醍醐味だろ!? 強え奴と戦うと、ソイツをどうやって倒すか考えんのは楽しいし、こっちの手が上手く通じたら嬉しい。血なんて出てなんぼだろが!」
「価値観が血なまぐさ過ぎる……」
頭を下げてうなだれる。
言葉を間違えた、と思ったエイルは、
「ほら、使徒との戦いを思え出せよ。明らかな格上、間違い強者。ソイツを必死こいて倒した時、何も感じなかったか?」
「…………」
「俺が一対一でアイツら倒せるくらい強かったらなぁ……独り占めできたらどんなに良かったか」
エイルの言葉に微妙な顔を晒した。
言わんとしていること、その前半は分からないでもないのだが、その後が無理だ。
エイルの根本にあるのは、克己心。
戦いを好む、というよりは、その結果である自己の成長にこそ喜びを感じる。
その感情がエイルの人格の根本を支えているのだ。
だから、これは当然。
話をするにしても、その根本がはっきりしている『超越者』同士で、至上の喜びへの理解が一致するわけがない。
その人が育った環境も、積み上げた経験も、結果としてできあがった性格も、何もかも同じの人間などいないのだから。
「…………やっぱ分からねぇか。おかしいねぇ? こんなに嬉しいこたぁねぇのに」
ある程度察する。
残念そうに肩を落とすが、分かっていたのか、すぐに正面の相棒の瞳をじっと見た。
「なぁ……。…………? あ?」
それだけならば、どうともなかったかもしれない。
けれども、エイルの目があまりにも懐疑に満ちていたから、彼は驚いた。
それも突然だ。
ちょうど今、思い付いたように。
エイルの中に疑問と驚きが広がる。
戦友の変化に黙っていられるわけもなく、心配をかける。
「な、なに?」
「いや、何だ。せっかくだしな。ちょっと気になることがあったんだ」
いつになく、真剣な気がした。
さっきまで飲みに飲んでいたとは思えない。
本当についさっきまではなかった。
こんなにも、危機を抱いている彼を、見たことがなかった。
「お前、」
冷や汗が止まらない。
瞳孔が開く。
心臓の鼓動が速くなる。
これは、触れてはいけない闇だ。
あまりにも恐ろしい闇であることに間違いはない。
そのことに気付けなかった。
身近なことのはずなのに、どうしても。
いまさら気付けた理由は知らないが、コレを仕組んだのが誰かは分かる。
そして、コレが隠し事の一つだと分かる。
そもそも、全てを教えられているはずがない。
変えようのない確信と共にエイルは、
「お前は、」
「おおぉい!! もっと酒を持って来おおい!」
遮られた。
知らない男の大声。
店の中から、すぐ近く。
エイルが強い、と思っていた奴の一人。
ガヤガヤとやかましがった飲み屋の中でも、皆が一瞬静まりそうになるほどの音だ。
「申し訳ありません。今日の分はもうないんです……」
「あぁ!? 俺を誰だと思ってるんだ? 俺は今大会で伝説を残す男、Aランク冒険者のカルトン様だぞ!」
なんてことはない、飲んだくれの暴走だ。
いつもなら、別に当たり前のことだ、と気にも止めないが、今この場では最悪のタイミングだった。
「「…………」」
チッ、と舌打ちをする。
今まさに重要なことを話すつもりが、見事にかき消される。
鬱陶しい事ことうえない。
だが、いつまでも気にしてはいられない。
「おい、もう行くぞ。別の場所で話す。また邪魔されたらたまらん……」
「え、あ、ああ……」
終始引っ張られ続けていた。
口を挟めず、エイルの視線をただ受けるだけだ。
そんな二人を気にも止めず、酔っ払いは叫び続ける。
「俺に、逆らおうってのかぁ?」
「本当に申し訳ありません……祭りの前なので、いつもより多めに仕入れてはいるのですが……」
「知るか! なら、テメェが他の客から奪ってこい!」
さらに大きくなる怒鳴り声。
遠のこうとするが、ピタリと付くように離れない。
二人はその声が空虚に響くのを感じたが、同時に耳に残る感覚を覚える。
どうでもいい情報が滝のように流れてくるのだ。
本命のナニカを考えることを邪魔するように。
そうこうする間に、男は店員の胸ぐらを掴んでいた。
殴りかかる寸前だが、二人は視界の端に留めるだけだ。
席を立とう。
それを行動におこした瞬間だ。
男が愚かにも、禁忌に触れてしまった。
「俺はこれから、あの『剣王』も、『武神』もぶっ潰す男だぞ!?」
けんおう、を、つぶす
ぶしん、を、つぶす
ヤマトの象徴を倒す、と言った。
これは、この場において禁忌だ。
いや、この場とタイミングにおいては。
あまりにも、男は間が悪すぎた。
「いいかぁ? 俺様は、」
「うん、素晴らしいチャレンジャーだ」
……………………
酒場にいた、ある程度以上の実力を持つ者。
冒険者のランクで言えば、Bランク以上の実力を有していた者たちは戦慄した。
そこに居た、ソレ。
あまりにも自然に居た、ソレ。
目で追えた者は一人も居ない。
世界有数の実力者である『超越者』の二人であろうと、その存在にまったく気付けなかった。
目に映るこの瞬間でさえ、本当に居るのか迷ってしまうほどに気配がない。
幽霊のように、掴みどころがなかった。
しかし、実力者たちは全員が、脅威を覚えずにはいられない。
「君みたいなのは好きだよ。そのままボクを目指して頑張ってくれたら嬉しい」