93、愛
何もない頃の話だ
そこには何もない。
色、光、空、大地、生物。
そこには『無』しか存在しない。
けれども、あらゆるモノがまだ無い中で、そこには一人の王が居たのだ。
それが『主』。
人類すべての創造主である神。
神は四つの奇跡を成したとされる。
一つ目に『主』は、上を創られた。
天を創り、宙を創り、空を創った。
そら、とは区切り。
王である『主』は、広大な『無』の中でも彼の方が容易に治め得る場所だけを切り取った。
それから、下を創られた。
地を創り、世界を創り、星を創った。
ち、とは足場。
王である『主』は、限られた『無』の中でも王たる彼の方が支配する民のための場を創り上げた。
三番目、二つの奇跡を成した後、『主』は自身の手足を創られた。
いわば、使徒。
世界で最初の生物にして、『主』に最も近い存在。
黒の蛇と白の蛇。
より効率的に、その下を支配するため、愛する世界を守るための忠実な下僕。
決して傷付かず、万象を思うままに操る神獣。
星を守れるように、星中に体を伸ばすことができ、強き『主』の命令を完璧にこなす道具。
究極の生命体を生み出した。
そして最後、『主』は命を創られた。
三番目の奇跡による生命体ではなく、数多の生物。
『主』とその下僕からすれば、吹けば飛ぶようなか弱い者たち。
多種多様、千万無量。
湧いては湧く、無限の命。
その中のほんの少しこそが、我ら。
人間
神から智慧という武器を授けられた、選ばれし神の民のことだ。
そして、『主』は眠りにつかれた。
奇跡に消費した力を回復させるために。
だから我らは待っているのだ。
この星の内より、『主』が目覚めるその瞬間を。
※※※※※※※※
ケイトは群れを嫌う。
これまで、ほとんど全てを一人でこなしてきた。
幼少の頃に愛を向けられた事はなく、歳を重ねても白い目で見られ続ける。
誰かと深く関わったことなどない。
したとして、それはお互いの利益が一致したからこその行為。
むしろ線を引かずに踏み込ませる分、自身が喰い物にされる危険さえある。
だから、人と関わりたくない。
どうしても、という時は仕方がないが、それでも嫌なものは嫌なのだ。
「いやぁ、ヤマトの演劇は特徴的ですね! 青空の下で、あんなに大々的にするなんて!」
「ひ、人が多くて、気分が……」
人と遊びに付き合うなど、初めての体験だ。
「……何でこうなったのやら」
ケイトは帝、テンリとの謁見を外で待っていた。
彼女は悪い意味で有名であり、その力をテンリに知られていたのならば、どうなるか。
高貴な者たちは彼女を煙たがる。
知られているのなら、王侯貴族は間違いなく追い払おうとするのだ。
経験上間違いなく。
だから、彼らを待っていた。
待っていた後、出て来たと思ったら連れて行かれた。
「ちょっと話をしたかったんですよ、貴女と」
「そ、それなら、や、休みましょ……」
「あ、はい。ちょっとそこで座りましょうか。アレーナも顔色凄いですし」
グイグイと来られて、ケイトは少し引いてしまう。
今まで遠ざけられることはあっても、近づかれる事はなかったのだ。
コイツに気を許してはいけない、と思われてきた。
その方が好都合で、気が楽だったから。
だから、困っている。
どうしたらいいのか、分からない。
決めあぐねていると、またもやグイグイと引きずられ、茶屋の席まで連れて行かれる。
悩ませる本人は、もう一人の連れを休ませ、店員に茶と菓子を注文していた。
「私は、ちょっと話をしたいだけなんです。仲間になったんですから、少しくらいは貴女を知りたくて」
いきなり引っ張り出されて、それで散々振り回されて、終いにはこれだ。
本当に扱い難い。
善意、という最も縁遠いモノ。
それを向けてくる彼女、リベールに、戸惑っている。
「必要ないと思うぞ。私は不吉な厄介者だ。『大賢者』が何を思ったかは知らないが、本来『聖女』である貴女と話せる立場でもない」
「いいえ、私達は共に戦う仲間です。だからお互いを知っておいて損はないんです」
押し退けようとしても
「私に関わり過ぎるとろくな事が起きないぞ? 私は貴女たちと慣れ合う気はないし、そんな努力はするだけ無駄だ」
「なら我慢比べですね。私は結構しつこいですよ?」
遠ざけても
「……お前たちに隠し事もごまんとある。言葉に出来ない黒い事も、数え切れないほどしてきた」
「大丈夫ですよ。貴女の人の良さを見抜けないほど、私は節穴ではありません。それに罪を背負っていない人間なんていませんよ。私も先日二人、殺しました」
離れようとしないことが、奇妙で仕方がない。
「私は、お前たちを嵌めようとしたんだぞ?」
「ええ、知っていますよ」
完全に、予想外だ。
「…………と、言うと?」
「呪術の類でしょう? うちの感がいい魔術師が見抜いてました。凄いですよね」
その、ぐったりとした、他称感がいい魔術師の腕を持ち上げる。
その手をケイトに向けてヒラヒラと振る様子は馬鹿らしいの一言だ。
「べ、別にあ、あれくらい、簡単に、処理できますし。わ、私は、あ、貴女がどう、しようと、べ、別に、か、構いません……」
謎でしかない。
そこまで分かっていて何故、としか思えない。
人の良さそうな人物を演じ、その上で一方的に喰い物にしようとしたのに、その結末がこれか?
毒を盛ろうとした相手に握手を求めるかのような。
それを狂気と呼ぶのに、ケイトは何の躊躇いもなかった。
「……どうかしてるぞ?」
「べ、別に、理解を求めて、ません。わ、私は、貴女が、な、何をしたいか、し、知らないし、どうでも、いいです。で、でも、何を置いても願いを成し遂げたいという姿勢は気に入ってます」
「と、言う事です」
それだけ言うと、アレーナはパタリと倒れる。
リベールの膝に頭が置かれるように、だ。
気分の悪そうな顔は緩まず、まだ距離感を掴めないケイトと話す事に相当エネルギーを消費したらしい。
リベールはしょうがない、と少し笑う。
それを見て、ケイトは眉を下げるしかなかった。
納得がいかない、筋が通らない、意味が分からない。
こんなモノは、見たことがない。
理解できないモノを、遠ざけてもしまいたい。
だが、それをほんの少し、知りたい気もした。
「……まともじゃないぞ?」
誰に向けた言葉なのか?
普通に考えれば、ケイトからリベールへのもの。
だが、ケイトからすれば、どこか自分に向けたもののような気がした。
「なら、それで結構です。私達はまともじゃなくてもいい。まともでいたら、倒せない敵もいるんです」
「末恐ろしい話だ……」
嫌でも思い出すのは、『大賢者』との契約。
願いを叶えるための金を出す代わりに、勇者一行として活動すること。
実質的にはケイトの目的は達成したのだ。
勿論、その事を彼女らは知っている。
自分の身は好きにすればいい、とケイトは思っているが、リベールの要望とは異なっていた。
彼女たちとは、これから共に戦わなければならない。
つまり、彼女たちは信頼を欲していのだ。
ケイトからは最も縁遠い、ソレを。
「信用はしてくれているのでしょう。今は、それで構いません。でもいつかは、信頼が欲しい」
「……難しい、とても難しいな」
分かっている。
分かっているから、席を立つ。
ケイトの背中で、リベールは遠退いていく。
そこには人が入り、距離があき、声は尚更遠くへ。
「待ってますよ! 私は、私達は、貴女が嫌いじゃありません!」
遠い遠い、ギリギリの言葉。
だが、そこに込められた親愛は感じられた。
その愛を。
初めてかもしれない、無償の愛を。
「…………」
ケイトは、無視した。