92、そこには『 』だけが
「ずいぶんな言いようじゃねぇか、帝さまよぉ」
喧嘩を売られている。
そう取られても仕方がない物言いだった。
完全に視界にすら捉えていないのだ。
興味も、関心もない。
世界の危機に対して、河辺の向こう側の出来事を眺めているような意識の低さ。
そんな事よりも、と簡単に言ってしまう男への反感を隠すのが難しい者もいるだろう。
いや、エイルにとってそんな事はどうでもいい。
問題なのは舐められた事だ。
相手が大国ヤマトの頭、帝だとしてもだ。
どんな権力者であろうと、例え『大賢者』だとしてもへりくだることしない。
だからこういう場面で黙らせる。
権力構図など知ったことかと言うような男なのだ。
心をまともに隠すような事を、必要でもない限りしない。
「俺たちが前座たぁ、言ってくれる……」
リベールとアレーナが横で抑えようとするが、難しい。
完全に格下扱いされた上に、祭りとやらの舞台装置扱い。
人の事を舐め腐るにも限度がある。
エイルが他三人の圧も押し切るには十分な起爆剤であったと言えよう。
だが、彼の敵意を向けられたテンリは動じない。
動くまでもない、と瞬時に判断。
行動よりも言葉が先にエイルに届く。
「……祭りのルールは知っとるか?」
素っ頓狂だったろう。
返ってきた言葉が、無礼を咎めるでも、それに応じるでも、躱すでもなかった。
だが、彼にとってはこれ以上ない答えだ。
「知ってる。それが何だ?」
その応答に、テンリはいかにも面倒くさそうな顔をした。
分かっているなら察しろ、と言ってきそうな態度だ。
それだけで分かるわけがないのだが、他人にめちゃくちゃを要求する。
また喧嘩を売られていると判断したエイルはさらに顔を歪め、三人はその横で何とか取りなそうとしていた。
これ以上喋らせるのは危険だと悟った。
だから、無礼ではあるが、横から口を挟む。
「あの、その祭りが何か……?」
そして、注意がエイルから発言者のリベールに移る。
飛ばした視線を避けられたことにエイルが不快そうにするが、横から残り二人が頭をしばく。
その様子もすべて見られている事も忘れて。
完全に礼を失しているのだが、テンリは何も言わない。
それよりも、と質問に答える。
「ワシが祭りを始めてから、二百年が経った。過去の祭り十九回、全部ワシがアイツに挑んどる」
『武神奉闘祭』
何でもありの、猛者たちによる決闘。
世界中から集まった戦士たちの中で、予選を通った十六人がトーナメント方式で戦う。
その後、優勝者は『剣王』たるテンリと勝負し、勝者が『武神』と拳を交える権利が与えられるのだ。
そして過去のすべての祭りにおいて、テンリ以外が『武神』と戦ったことはない。
「祭りは、ワシの人生じゃ。おまんらは、そのための舞台装置。戦って、勝って、盛り上げて、ほんでワシに負けて、アイツに挑む資格がワシにしかない事を証明してくれたらええ」
すべては布石。
傲岸に言い放つその姿勢には、消しようのない実績があった。
過去、彼に負けはある。
だが、ただの一度も、チャレンジャーに遅れを取ったことはない。
だからこそ、彼は言う。
「文句があんなら、祭りでワシに言え」
負かしてみせろ
悔しいなら勝ってみろ
ただそれだけの話だ。
それ以上何も言う気がないのか、テンリは目を閉じる。
そしてその全ての行動が、挑戦者に火を付けるためのものであると分かった。
「上等だ……!」
遠慮なし、配慮なし、礼儀もなし。
半強制的に、勇者一行は祭りの参加を決められたのだが、異議を唱えられる者はどこにもいなかった。
悲しいかな、唱えたところで聞き入れてもらえない、と分かっているためである。
※※※※※※※
何もない
何もない、としか言い表しようもない。
人も、動物も、植物、世界を構成する要素の一つ一つ。
それがごっそりと抜け落ちている。
あらゆる『無』がそこにつめられているかのような、『無』であるのに『有る』という矛盾。
何もないが、しかし、二つがあった。
霞がかかったような女
女に跪く男
何もかもを認識することができない女。
きっと彼女を見たことがある者がいる事だろう。
そして見たことがある者は、その大半が彼女を殺すために全力を尽くすことだろう。
『教主』
天上教の頂点。
世界の敵。
それを相手にして、まるで忠誠を誓うかのように膝を付く。
何もない空間の中で、確かに彼の存在と忠誠はそこにあった。
誰しもがそれを疑わない。
だから、悪を前に動かない男の招待はもう透けていた。
「我が使徒よ、ご苦労です」
女の声だ。
あいも変わらず、頭に残らない、霞のような。
「貴女のためならいつでもどこでもすぐに御身の前に……」
跪く男は顔を見せない。
膝は地に、顔は下に、意思と魂は女のモノ。
女を見ることすら不敬と断じる。
男は『教主』の道具。
ただの便利な女の所有物にして、女が使う武器の一つ。
それを誰よりも理解しているのだ。
強烈に、深く、根付くほどに強く。
「貴方に、任務を与えます。場所はヤマト。あの祭りに関することです」
「祭り、ですか……」
僅かに男の顔が濁った。
『教主』の道具である男とは絶対に相容れない、嫌いな奴らの片方が居るからだ。
使徒の中でも、二人だけがむしろ『教主』を振り回し、奔走させている。
道具の立場であるというのに、わきまえていない奴ら。
だが、実力だけは確かなのが質が悪い。
男は逆立ちしても奴らには勝てず、そんな彼が何を言っても奴らには響かない。
そして祭りと言えば、片方、『武神』の舞台。
関わることも、正直したくない。
「祭りです。今回、『勇者』がそれに出場するでしょう」
「……なるほど」
「それに、最後のピースもあと一息。『鍛冶神』の術式も完成しましたし、本当にあと少しです」
だが、主がそれを望めば別だ。
どれだけ嫌な役目も、絶対に達成してみせる。
どんな無理難題でも、絶対に叶えてみせる。
これを続けた百五十年であり、人生。
彼の能力があれば、『教主』の望みを叶えることができると信じている。
「あと、一歩です……」
「はい」
「あと一歩で、全てが終わります」
「はい」
「私のために、死んでくれますか?」
これは『教主』の愛だ。
親愛、信愛、深愛、仁愛、友愛、優愛。
だが決して、絶対に、『――』ではない。
けれども、
「勿論です、我が主」
男の運命が今決まった。
男の最期は、主である『教主』の布石として、『勇者』の養分として横たわる。
報いなどない、酷い戦いだ。