87、何気ない日常
「まったく、本当に私は運が悪いな……」
天災とはどこにでもある。
水害、火災、地震に落雷と、沢山の自然からの暴力が世界には溢れている。
どれもが一息で人間を呑み込む力。
それはここにもう一つ、ある形をとって溢れ出す。
その力の名は、魔物。
世界中で最も人間を殺す生物。
人間より優れたパワー、魔力、特殊な能力を有する存在。
「そこそこ強いな、アレは」
いくら魔物が強さに優れていると言っても、それは種族という広い括りで見た場合。
長年修練を重ね、持ち得るポテンシャルを最大限に発揮して、知恵を絞り、戦える者たちは、その差を覆すことなどザラにあるのだ。
簡単ではなくとも、才能がなくとも、上の者には勝てないという道理はない。
だが、どうしても手の届かない領域も存在しよう。
それが天災だ。
普段は人の生存圏に居らず、突如として現れる姿はまさに天災。
「だが、このレベルのも馴れたな」
本当の一握りしか、この差を超えられない。
いやそもそも出会って生き残れない。
これは一つの目安であり、基準であり、絶望なのだ。
「まーた、石を投げられるな」
その絶望を前にして、彼女が怖じることはない。
人々は逃げ惑い、騒ぎ立てる中で、彼女だけはソレに向けて歩を進める。
街に滞在していた冒険者たちより、突如として現れた四人の実力者よりも、早く。
そうでなければならないのだ。
一番早く倒すことで生まれる利益は、他の誰にも譲ることなど許されない。
「まあ、金のためだ。仕方がない」
次の瞬間、街の実力者たちは戦慄する。
一瞬の内にこれまでの絶望が塗り潰されるのにあまりある絶望が現れたのだから。
「さあて、仕事の時間だ」
消え去る。
空間は不自然に割れ、亀裂を生んだ。
まるで向こうとこちらを隔てるように。
彼女と、絶望たちを閉じ込めるように。
「出てこい」
「GUUUUUUU……」
「jdwtjmjtjnuwmdg!!」
「KUOOOOOOOOOO!!!」
怪物たちが姿を見せる。
巨大な黒い獅子、川ほど大きな紅い百足、神話を思わせる灰の怪鳥。
これが彼女が使える、最強の魔術。
『召喚魔術』
人々から唾棄される最悪の魔術である。
「あーあ、魔術が解けた……」
白かった肌に色が染まる。
より濃く、より黒く。
※※※※※※※※
相対するは、骨の龍。
腐敗と毒を巻き散らかす、魔物。
多くの属性を司る龍という希少な種族にとっても、死を体現するこの死龍はさらに希少だ。
人間の前に現れるなど、災害を通り越して奇跡かもしれない。
けれども、厄介であることには変わりない。
字にすれば幻想的にも思えるレア度ではあるが、その中身は酷いものだ。
吐き出すブレスはあらゆるものを腐らせ、近寄るだけで猛毒に体を侵される。
ただそこにあるだけで、その大地は不毛と化す。
そういう存在なのである。
生半可な生物では触れることさえできない化け物。
それが……
「GUUUUUUU!!」
押されている。
負けている。
圧倒されている。
腐敗も毒も、まるで効かない。
獅子と怪鳥は有効範囲には入らず、龍の遠距離からの攻撃については、獅子は咆哮で弾き、怪鳥は余裕で躱す。
その巨体とは想像がつかないほどに軽い身のこなし。
ヒビで囲われた街の破壊も最小限だ。
間違いなく、魔物としては最上位に位置することだろう。
しかし、驚異なのは百足である。
百足は龍に直接絡みつくのだが、その外殻はまるで変わらないのだ。
その紅が曇ることはなく、他の二体が避けている毒と腐食をお構いなしに触れている。
決して逃さぬように、きつく締め付ける。
龍よりもなお硬いその体は、ミシリミシリと敵を軋ませまた。
純粋に、魔物として性能が違うのだ。
龍の武器は、百足の武器に完全に負けていた。
「GAOOOOOOOOO!!」
「KUOOOOOOOOO!!」
そんな動けない獲物には、獅子と怪鳥が襲いかかる。
獅子は大いに吼える。
ただそれだけで、被害は甚大だ。
その咆哮には轟音以上の力が込められ、破壊をもって周囲を蹴散らす。
全方位に対する爆撃として、それは響く。
怪鳥の動きは、獅子に比べて分かりにくいだろう。
だが、最もえげつない攻撃は、これだ。
羽ばたく度に、灰色の羽が辺りに散るのだ。
その羽は何かに当たると、雫のように弾けた。
すると、灰色がそこに浸透し、ボロボロと崩れ落ちる。
百足ごと咆哮と羽が龍に襲いかかるのだが、それでもダメージを受けるのは龍だけ。
苦しげに唸る龍を前にして、坦々と攻撃を重ねていく。
魔物として、本能のままに暴れることはなく、連携し、勝負はせず、殺し合いに勝てるように。
理性によって統率された、魔物らしくない魔物たち。
「GAAAAAAAA!!」
龍は藻掻く。
ともかくは百足をなんとかしないことには逃げることさえできない、と分かっている。
だから全力全霊で。
すべての力を脱出のために注ぎ、抜け出そうとしていた。
腐食の力を自らにかけ、体積を削る。
力で劣るために、本能が導き出した最適解。
その身を削る努力は結果として現れる。
「GOAA!!」
なんとか抜け出せた。
だが、もう戦えない。
闘争のための意志はもうなく、逃走へ目的を切り替える。
逃げるために身を翻そうとして……
パチンッ!
「GO?」
龍の目にすら捉えられない何かが動く。
それは龍の硬い骨の殻を打ち破る。
翠の甲殻と、一本の角を持つ蟲。
小さいながらも、凶悪な魔力を持つ小さな怪物。
ブーンという羽音と共に、魔物の心臓、魔石を突き刺し、外へと運んだ。
「ありがと」
魔石は女の元へと運ばれる。
先程とは違い、褐色の肌と、溢れるほどの魔の気配に支配された、女。
彼女は人一人ほどの大きさの魔石に優しく触れた。
すると、
「こっちに来い」
フッと融けた。
なんの脈略もなく、魔力の塊が乱れて、解けたのだ。
水のように形を崩し、それを全身で取り込んでいく。
エネルギーのであった魔物の心臓は、あっという間に消えてしまった。
そして、女は気怠げにつぶやく。
「さて、報酬をもらったら次の街までまた休憩なしのマラソンだな……」
本当に気怠に。
あの厄災をたった一人でねじ伏せたというのに、なんの感慨もなく。
伝説にも数えられよう偉業にはなんの興味もわかない。
死龍が気の毒なほどに呆気なく、全てが終わったのである。