6、決闘 前編
展開が急すぎるなんてことは決してない。ないと言ったらないのだ。
翌日、修練場へ向かう者がいた。
足取りは軽く、万全の状態であると自覚しているだろう。
青年は足取りを緩めず向かう。
その先にいるであろう、凍るような殺気を放つ相手が待ち構えているのも関わらず………
普段はこの時間ならば、修練場にはたくさんの兵士たちがたむろしている。
午前の訓練に疲労して動けないものや、これからの昼食を何にするか話し合っているもの、そこにはまだ多くの人と声があるはずなのだ。
だが、今は明らかにそれらが少ない。
扉を開けると、そこにいるのは三人だけだった。
そのうち二人を青年は知っている。
一人は白い髪をなびかせる幼げな少女。実は青年とは同い年なのだが、それでも幼い、という表現がよく似合う。
もう一人は黒ローブの老人。先の少女より少しばかり背が高いだけの小柄な翁なのだが、そんな弱そうな見た目に反して感じられる魔力量はまるで大海の如しだ。
最後の一人は、青年にとって初めて見る顔だったろう。
怪訝そうな表情を浮かべて、視線を彼から動かさない。
もっとも、動かさない理由はそれだけではないのだが………
野獣のような青年だった。
金色の鋭い目に、ボサボサな灰色の髪、飢えた肉食獣のように歪ませた口。
そして何より、獰猛で刺されるような殺気。
ただ者ではないことが幼子にも一目でわかる。
二人の青年は、もはや互い以外の存在が目に入らなかった。
今にも襲い掛からんとする灰の青年と、それに備えてどのように対処するかを考える黒の青年。
二人が自身の武器に手をかけようとして………
「これこれ、まだ早いぞ」
老人から放たれた圧倒的なプレッシャーの前にすべてが霧散した。
老人は額に手を当て、「せっかちな連中じゃ………」と呆れている。
軽い雰囲気の老人とは異なり、周囲の影響は凄まじい。
黒の青年は全身から嫌な汗が噴き出て、顔色も悪い。
灰の青年は威圧の瞬間に大きく距離を取り、今度は老人に対してその注意を向けている。
「おいおい!ここでコイツと戦えって言ってきたのは『大賢者』様だろう?当の本人が何で邪魔するのかねぇ!?」
灰の青年は掴みかからんばかり、といった様子だ
『大賢者』はめんどくさそうに答える。
「馬鹿垂れ、いきなり仕掛けるやつがあるか。これはあくまでも試験。試験官は儂で、お前らは受験生じゃ。勝手なことをする出ないわい」
「ああ!?いきなり俺をここに連れてきたのはアンタだろうが!?」
「ああ、分かったから少し待て。いいか?待つんじゃぞ」
「犬みたいに言ってんじゃねぇよ!」
『大賢者』は瞬時に魔術を組み上げる。
目にも止まらぬ早業によって灰の青年は魔力でできたロープによって縛られてしまった。
あまりに早すぎてこれを目でとらえられた者はおらず、瞬きの間に、一連の動きは終っていたのである。
「んんんんんんーー!!!」
「やれやれ、ようやっと話ができるわい」
なだめようという努力が特には見られない、魔術によって無理矢理勝ち取られた落ち着きだったのだが、『大賢者』は特に気にしていない。
白髪の少女と黒の青年は、「この人案外気が短いよなあ」と呆れているのだが、それも『大賢者』は気にしない。
「さて、お主にはこれを渡しておこう。腰の木剣は捨てよ」
「?」
黒の青年の腰にあったいつも使っている木剣は、誰の手に触れられるわけでもないのにフワフワと浮かび、やがてピタリと動きを止めるとボッと燃え始めた。
その光景を眺めていた黒の青年は『大賢者』から剣を押し付けられる。
『大賢者』から黒の青年に渡されたのは、真剣だった。
一見ただのロングソードのようにも見えたが、普通の剣にはない、力のみなぎりを感じる。
その剣がどれだけすごいのか、というのは黒の青年にとってさほど問題ではない。
問題は、これまで黒の青年が木剣しか握ったことがないということだ
「さて、準備は整った。今からお前たちには勝負をしてもらう」
黒の青年は真剣の重みに若干怖気づいてしまう。
それはそうだ。今までの木剣とは違い、真剣は確実に相手を殺すための道具。
圧倒されるのも無理はない。
その葛藤に気づきながらも、『大賢者』は無視して説明を続ける。
「その勝負で限界を越えろ。儂が十分じゃと判断すれば合格、そうなる前に行動不能になれば失格じゃ。もちろんこの行動不能というのは死も含まれる」
「『大賢者』様!?」
白の少女は反対するが、『大賢者』はどこ吹く風だ。
すぐに灰の青年と同じように魔術で体を縛ってしまった。
「んん!?」
「黙っておれ、お主の出番はまだ先じゃ」
『大賢者』と白の少女は次第に浮かんでいき、全体が見渡せるほどの高さまで上がる。
『大賢者』は手に持つ杖を軽く振るうと、修練場を覆う結界を作り出した。
さらに、灰の青年の封が解かれる。
灰の青年はビックリ箱の中身のように飛び上がり、即座に臨戦態勢に入った。
黒の青年も、急いで中段に剣を構える。もし、このまま構えずに灰の青年の剣が自身を薙いでも、この老人は決して止めないとわかっていたから。
「それでは、始めよ!」
※※※※※※※※※※※※※※※※
二人の体に魔力が纏われたタイミングはまったく一緒だった。
この世界では、前衛職は魔力を纏うことでその身体能力を高めるのだが、その効果は魔力量とその運用で決まるとされている。
魔力量が多ければ多いほど、その魔力を散らすことなくそれを纏う技術が高ければ高いほど、より強い体を得ることができるのだ。
その点からいえば、この二人はどちらとも高水準であると言える。
前衛職の平均の十倍以上の魔力量に、まるで本物の鎧のように体から離れない制御力。
特に後者は十代後半で身に着けることができるレベルではなかった。
この二人の戦いとなれば、その全容を完全に理解できるものは歴戦の騎士が揃っているこの城にも十人といない。
初撃は灰の青年からだった。
自身の身の丈ほどの片刃の大剣を思いきり振り下ろした。
とてつもない重さだろうに、並の剣士では残像すら捉えることのできない一撃だったもだ。
だが、その一撃は空を切る。
黒の青年は灰の青年が二歩目を踏み込んだ瞬間に左に避けていたのだ。
とにかく一撃を入れようと、柄でこめかみを殴ろうとして………
怖気が背筋を駆け抜ける。
とにかく手に持つ剣で攻撃に備える。
急いで右側に剣の刃を向けた。
「おっらああああ!」
その瞬間、衝撃が駆け抜けたのである。
衝撃は腕から全身へまわり、別のタイミングでさっきとは異なる一撃を食らったのかと錯覚したほどだ。
手は若干痙攣しており、受けた一撃の重さがうかがい知れる。
しかし、だからといって灰の青年は待ってはくれない。
距離を詰めるために、すでに歩は進めていたのだ。
(マッズ!)
逃げては受けきれないと確信。
活路を前に見出した黒の青年は地を踏みしめ、灰の青年へと切りかかる。
灰の青年は壮絶な笑みでそれを迎えたが、目の前に集中しているからこそ気が付かなかった。
黒の青年の魔術である。
灰の青年が踏み込むだろう場所のみを、第二位階魔術『軟化』で軟らかくしていた。
灰の青年は一か所だけ異様にやわらかい地面に足を取られ、剣が乱れる。
がら空きの首に剣を持つのとは逆の手で手刀を打ち込む。
しかし、それにも反応してしまう。体をひねり、手刀の軌道からはずれるように躱して見せた。
一気に距離を取る灰の青年。
そして今度は黒の青年から仕掛ける。
第三位階魔術『水撃槍』の連撃で、牽制を狙ったのだ。
「チィッ!鬱陶しい!」
灰の青年はそのすべてを押しのけて前に進む。
これには黒の青年も驚きである。
躱させて動きを誘導するはずだったのに、まさかすべて撃ち落とすとは考えもしなかったのだ。
「しいいぃねええぇぇええ!!!」
その足並みは衰えを知らない。
もう一度『軟化』で体勢を崩そうとするが、
「二度目はねぇ!」
驚くべきことだった。
『軟化』でやわらかくした地面は他とは見分けがつかないのに、完全に見きってみせたのである。
逃げ場はないと悟り、今度は目つぶしを狙う。
黒の青年は灰の青年の顔に向けて敷いてある砂を蹴り上げた。
目が効かないうちにかたずけようとしたが、灰の青年は悉くの予定を狂わせる。
「しゃらくせえ!」
腕を振り下げ、砂を振り払ったのだ。
普通なら、それは砂の一部を顔に当たらないようになるだけなのだが、灰の青年のそれは普通をはるかに上回る。
腕を振るときに生じた風で、すべてを防いでしまったのだ。
逃げることはできず、接近戦の形に落ち着く。
灰の青年は大剣を小枝の様に振り回し、確実に敵の息の根を止めるために攻撃を仕掛けている。
対する黒の青年は灰の青年の攻撃を受け流す形で対処している。
逃げる黒と、逃がさない灰の戦いは泥試合へ突入したのだ。
目まぐるしく攻勢と守勢が入れ替わる。
剣の扱いは灰の青年の方が上だが、黒の青年は魔術を交えることで何とか自分が有利な状況をつくりだしているのだ。
互角の攻防は続く。
だが、百手を超えてしばらく、出口の見えない攻防にもきっかけが起こる。
灰の青年が仕掛けたフェイントによって黒の青年は対処を誤り、つばぜり合いになったのだ。
しかし、単純な力比べの差は歴然であった。
黒の青年の足はジリジリと後ろに下がり、やりくるめられている。
「おめえよぉ、俺相手に手ぇ抜くたぁ舐めたことしてくれる」
「そんなつもりはないんですけど?」
「わからねぇとでも思ったか!?お前の攻撃には殺気がねぇんだよ!」
灰の青年は思いきり黒の青年を振り払った。
体勢を整え次の攻撃に備えるが、灰の青年は距離を詰めることもなく突っ立っている。
黒の青年は混乱する。
この攻防の最中にも、彼の戦闘スタイルが押して押すものだとわかっていたのだから。
「とっておきを見せてやるよ」
黒の青年は灰の青年の魔力の高まりを感じた瞬間、距離を潰し、斬りかかった。
しかし、見失ってしまった。
攻撃の先には何もおらず、即座にその場から離れた。
とにかくここに居続けるのは危険だと悟った結果である。
それが、彼にとっては幸運だったのだ。
ブウォオオオン、と何かを振り回す音が真後ろから聞こえた。
振り返ると灰の青年が剣を振りぬいているのがわかった。
もし、その場に留まっていたら、首と胴が分かれることとなったろう。
灰の青年は先ほどと明らかに様子が違う。
ボサボサの髪は肩ほどの長さであったが、今は腰まで伸びている。
金色の瞳は紅に変化している。しかし、リベールのような宝石のような色ではなく、まるで血を眼球に垂らしたような紅だ。
何より、明らかに長くなっている犬歯を見れば、彼の正体は簡単に予想できた。
「『吸血鬼』?」
「の、混ざりもんだよ!」
これまでとは比較にならない速度で、灰の青年は黒の青年に襲い掛かった。
そのまま後編にいくか、中編にいくかは私にも分からない