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勇者の冒険 〜勇者として召喚された俺の英雄譚〜  作者: アジペンギン
三章、鋼の騎士
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73、こんなにも美しくない、飾らない、卑劣で軟弱千万たる私の心の奥の本音

底辺作家の分際で2日も更新止まってすみませんでした!


 ガルゾフが死の間際に遺した仕掛け。

 それは『魂源』ですらない、ずっと使うこともなかった簡単な術。

 彼が天才と呼ばれた理由の一つ。

 『魂源』の下位互換、ただの超絶技巧の魔術である。



 「『共感(シンパ)』で、心を……………」



 アレーナが前に使ったやり方とは明らかに違う。

 本来ならば、これは五感を共有するために使われるのだ。

 間者や動物、虫にこれを使えば、情報収集にはもってこいの術と言える。


 だが、ガルゾフのこれはもっと高度だ。

 心という曖昧なものを、しかも相手の同意なしに無理矢理繋げてきた。

 例えるなら、素手で雲を掴めと言っているようなものである。

 難易度で言えば確実に上級の魔術に入る至難を、あの土壇場で成し遂げた彼は、なるほど天才と呼ばれていたことに納得しかない。

 しかし、




 「うおぉえええ………!」




 気持ち悪い………

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い………!



 心を繋げる。

 自分という無二の領域に、他者の領域が侵攻するこの感触を、どうして気持ち悪い以外に表現できよう。

 自己という存在にナニカが混ざっていく感覚に、目眩と頭痛が止まらなかった。

 

 理論上、心を共有すれば言葉や合図もなしに対象と完璧な意思疎通を行うことができる。

 例えば軍隊で、これを統率のために用いれば、完璧な連携を可能にする、素晴らしい戦力になるに違いない。

 難易度に目を瞑れば、五感以外への共有も、もっと公に使われるはずだ。


 しかし、『共感(シンパ)』で心を繋げることができない理由はこれである。

 とにかく圧倒的に気持ちが悪いのだ。

 心という最も繊細であるべき場所を穢されて、平気でいられる人間などそうはいない。

 何度も繰り返したり、長時間連続で行えば、確実に狂ってしまうだろう。


 アレーナは胃の中身をすべて吐き出した。

 杖で体を支えなければ、服まで土で汚していただろう。

 そのまま倒れ込んでしまいたかったが、必死で耐える。

 魔術をかけられて、その術中の中で倒れるなどという痴態を晒すわけにはいかないという魔術師のプライドが体を起こすのだ。

 気分は最悪でも、譲れない一線がある。

  

 それに、もっと別の何かがあったのかもしれない。

 この人生、ガルゾフの中身は………

 


 

 「ふぅ………ふぅ………」




 少しずつ、少しずつ思考の冴えが戻っていく。

 口元を拭いながら、もうこの世には居ない老人のことを忌々しげに睨む。

 (くう)に視線を送るしかないのだが、関係はない。

 その目は確かに彼を捉えている。

 アレーナの中に多くの不快感と、多くの疑問を残していった彼が憎たらしくて仕方がない。


 


 あの男の、強くて弱い信念。

 

 見ず知らずの他者への献身と救恤。

 そのせいで何度も折れかけ、悲しみを背負ってきた。

 それに生涯をかけた男の、その中身を垣間見る。


 流れてくる彼の想い。

 後悔も、罪も、そしてそれを最期に良しとする彼の寛容も、すべてが彼女にはできないこと。

 彼は何よりも英雄が似合い、そしてその精神は只人のそれに近いものだった。

 普通に誰かを想い、普通に誰かを救えずに藻掻き苦しむ。

 並外れた力を持ちはしていたが、何も恐れることのない万夫不当の英雄らしい英雄であるということはなかったし、何よりも弱々しい守るべき人間こそ、最も恐ろしかった。

 

 しかし、その善性は隠しようもないのだ。

 善意で満ち満ちていたからこそ、多くの人を救い、その分多く傷付いても来た。

 リベールと似通った、他者を救わねばという意志だ。

 そして、目に見えるすべてを救ってきたリベールにはない、救えなかったことへの潰れるほど重い責任と、自責がある。

 まさしく人生を縛り付けていると言っても過言ではない、戒め。

 アレーナ自身が尊いものと断じたはずの、ソレ。

 

 年季で言えば、リベールよりもずっと長い。

 彼女の何十倍という時間を、そのためだけに使ってきた。

 彼女よりも遥かに磨き上げられた宝石に見えるはずだ。

 ソレがなんと言っても、




 「理解、できない………」



 

 気持ちが悪いのだ。


 リベールの時には感じなかった気持ち悪さが、ある。

 いったいどうしたことだ?

 何故こんなにも、彼の場合は理解することができない?

 

 そして、彼の最期の一言。

 明らかにアレーナに向けられたあの言葉。



『どうしたいかを、今考えろ』



 見通された。

 自身の中にある葛藤、戸惑いを見事に看破したのだ。

 だから、自分の底を知られたことに対する黒い感情は抜けない。

 怒りだろうか?憎しみだろうか?恥辱だろうか?

 あまりいい感情ではないのは間違いなかった。

 

 リベールには憧れて、あの老人には嫌悪を示してしまう。

 何を持って彼と彼女を分けてしまう?

 



 「……………………」




 誰かと似てるような気がする。

 見下したり、絶望したりはしたが、気持ち悪いと思ったことは最近までなかったのだ。

 初めて人を気持ち悪いと思ったのは、あのとき…………



 何が気持ち悪い?

 理由で言えば、あの時と同じ。

 初めて勇者に彼女自身を気取られた時。

 あの時は彼に、人間味のなさを感じ取ったのだ。


 だが、そのすぐ後だ。

 使徒との戦いを見て、必死さを見た。

 負けるまい、死ぬまいとする必死さに、『人間』を感じたのだ。

 我を押し通す姿は決して人形ではなく、人のソレであったと言えよう。


 では、ガルゾフは?

 アレはアレで、きちんと『人間』だ。

 人と関わり、そして絶望しているガルゾフを『人間』以外で表現することが、彼女にはできない。

 どちらかと言うと、英雄などよりもアレーナの方がずっと近いと思える。

 心を覗いたから分かる。

 アレは、人になど期待を抱いていないのだから。


 心の底では見下しているのだ。 

 庇護心という都合の良いもので覆い隠されてはいるが、周りが自分よりも優れていないことが当たり前のことだと刷り込まれいる。

 だから他人を頼らず、ほとんどを自分一人でこなそうとする。

 きっと、そうに決まっている。

 自分と同じなのだから、彼もそう変わらない。

 

 なら、同じ穴の狢だと言う理由で、気持ち悪さを感じるのだろうか?

 端的に言ってしまえば、同族嫌悪。

 少し前の勇者のように…………


 

 いや、まだだ。

 もう一つ、その源がある。 




 確かに彼と彼女は似ている部分があるかもしれない。

 アレーナは知る由もないが、二人の育った環境はかなり近いのだ。

 だから、考え方が似通った所はある。

 その上で、最終的にはどうしても二人は似ていないと思えてしまう。

 そこが肝だ。

 似ている根本の部分がある。

 しかし、彼女とは決して相容れない所もある。

 それが、気持ち悪さの原因。


 一体何なのか?

 それはアレーナになくて、ガルゾフにはあったもの。


 何かと言えば、それは『関心』だ。

 他の人間への深い『関心』が存在する。

 



 「本当に………気持ちが悪い………」



 ただの『関心』が何故そうなる?

 それは『人間』が元来持つ、それらしい感情のはずだろう?

 だから、気持ち悪いは場違いのはず。

 人らしくないことへの気持ち悪さを感じて、今度は人らしさに気持ち悪さを感じている。

 どういうことか、と思うかもしれない。

 だが、それも行きすぎれば異常になる。


 何だあの献身は?

 何だあの場違いな愛は?

 見ず知らずの人間に、どうして尽くすのだ?


 リベールのものとは全く違う。

 彼女の献身はもっと利己的なものだった。

 自分が嫌だから彼女は他者の救いを自身に求める。

 嫌いなものを遠ざけるのではなく、生み出さないように足掻くのだ。

 これを、アレーナは強さと呼んではばからない。


 だが、ガルゾフは違う。

 彼の場合は、周囲の期待を裏切ることが嫌なのだ。

 何よりも周囲に失望されることを恐れ、そのために血反吐を吐くほど足掻いてきた。

 どこまで行っても、他人という存在が根本にまで深く絡みついている。

 これを、アレーナは弱さと呼んで軽蔑する。


 彼の『人間』ではない部分も、『人間』である部分も、彼女からしてみれば論外だ。

 相容れず、話すら始めたくない。

 彼が死んだ今、答えについてはもう分からないが、この推察から大きくはずれていることはないはずだ。

 

 ガルゾフとアレーナで、それほど違うことは多くない。

 育った環境、人への根本にある絶望も、そして性根それほど変わらない。 

 ここまで一緒で、分からないはずがなかった。 

 アレーナが彼女自身の心を覗けば、自ずとそう違わないガルゾフへの理解を導き出す。

 


 「狂人が…………!」



 狂っている。

 一見ただの『人間』でしかなく、その精神は只人に近いものでしかないだろう。

 だが、それがなんだというのか?

 このおぞましさをそれ以外の言葉でどう表現すればいいのか分からない。

 理解できないものを、アレーナは遠ざけるのだ。





 『どうしたいかを、今考えろ』



 「………さい」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「…………うるさい」



 『どうしたいかを、今…………』



 「うるさい!」




 ガルゾフの声なき声がいつまで残る。


 問いかけは彼女の心を削っていく。

 耳をふさいでも、逃げようとしても、あの忌々しい老人の声はやまない。

 ずっとずっと、考えろと指図してくるのだ。


 やめてくれ。

 お前は死んだのだろう?

 死んでもなお、何故こんな裏切り者に構うのだ?

 

 心を繋げたのだから分かる。

 ガルゾフはリフセントで戦った、あの使徒と浅くはない関わりがある。

 そして、彼があの勇者に肩入れしている理由も理解できなくはない。

 そこだけは、触れてもいけないと、ガルゾフを罵るアレーナも弁えている。

 

 ここを汚すほど、貶めることができるほど、気持ち悪いと断じられるほど、彼女は落ちぶれてはいない。

 ここだけは、そう思うことはなかった。

 だからこそ不思議でならない。


 こんな卑しい者へ、どうして気をかける?


 これだけアレーナがガルゾフを嫌おうと、分からない者がいるはずもない。

 何もありはしないアレーナに比べて、ガルゾフは多くのものを積み上げてきた。


 その精神をアレーナが軟弱としても、多くの人が違うと否定するだろう。

 その多くの人には、彼女が置いてきた彼らをも含んでいる。

 アレーナが嫌われたくないと喚き、その末に捨ててしまったリベールもガルゾフの肩を持つ。

 アレーナにとって気色が悪いガルゾフも、アレーナだから気味が悪いのであって、彼らからすれば尊敬すべき先人でしかない。

 心根はどうあれ、多くの人々を救ってきた優しい男なのだ。

 

 だから、構うな。



 『どうしたいかを、今考えろ』



 確かに、お前の願いは他人のものだ。

 どれだけ救えたとしても、お前自身がその救いの中に入ることはない。

 そして、お前もそれを求めない。

 どこまでも自分というものを考慮に入れず、救う目的は他人の期待を裏切るのが怖いから。

 これまでのほぼすべての救いには、その感情がある。

 だが、全てではない。


 

 『どうしたいかを、今考えろ』



 それ以外の感情で動いたことがあったろう?

 とある女と、とある青年に対してはこれまでとは違うものを抱いたはずだ。

 後悔という、重く、苦い、呪いのような感情を……………



『どうしたいかを、今考えろ』



 あの時、いいや、今だ。

 今お前には、もっと言葉を尽くすべき相手がいるじゃないか。

 しかもその相手は、お前の『人間』の最も深い所に関わってくる青年。

 あの苦しみを呑み込んで、それでもこんな裏切り者へ言葉を重ねるのか?

 本当に差置くのか、お前は?

 

 

『どうしたいかを、今考えろ』



 

 「そりゃ、ないよ…………」



 分かっている。

 これはただ少し前に聞こえただけの声を、自分で勝手に思い出しているだけだということくらい。

 それだけこの言葉が頭から離れないのだ。

 どうしたって、付きまとってきてしまう。 


 だが、この声を剥がす方法はとても簡単で、幼子にだって分かる単純なことだ。  

 何を迷うようなことがあろうか?

 答えはすぐそこに見えて、吊るされているではないか。

 ただ、声の通りにしてみればいい。

 

 しかし、



(どうしたいか、何て……………)



 分かっている、かもしれない。

 自分の奥底にしまっている、この願望をさらけ出せば良い。

 きっと、間違いではないはずだ。

 

 自分の中にある、最も恐ろしいもの。

 果たしてこれを出して、彼らは一体何を思うのだろうか?











 『無理だ、諦めよう』





 「…………………!」



 別の声が頭に響いた。

 不思議な、女の声だ。

 どこか不透明で、掴みどころがないように思える。


 だが、誰のものかは分かる気がした。

 おそらくこれは、自分が人生で一番……………


 ガルゾフの声よりもずっと鮮明に、力強く、声は語りかけるのだ。

 苦しみが薄れるほどには甘やかに、優しく。

 痺れを錯覚してしまうほどに心地よく。

 彼女が人生で一番見知った声が、絡みつく。




 『本音なんて隠せばいい』

 『いや、隠さないといけない』




 (でも…………)




 『何を迷う?』

 『お前の心根を正直に晒して、何が残る?』

 『誰もがお前を軽蔑し、遠ざける』




 絡みつく。

 アレーナの弱みにつけ込み、弱らせていく。

 彼女の弱い心には、この甘い毒はあまりにも強すぎたのかもしれない。


 逃げろ、と誘ってくる。

 楽な方に流れてしまえ、と導こうとする。

 より心地よいものがそこにはあるぞ、と言っているのだ。


 誰の声かなど、疑問の余地もない。

 こんな風に分かったことを言える声の主など、一人しかいないではないか。

 


 『お前ごときが夢を見るな』

 『お前のように卑しい輩は、その醜い奥底を隠せ』

 『持つものを無くさないように惨めに生きろ』



 自分のことは自分が一番よく分かっている。

 だから、これはきっと、




 (私の、声か……………)



 

 自分の中に広がる、自分が一番見知った声。

 

 納得しかない。

 だからこんなにも響くのだ。

 だからこんなにも甘いのだ。

 だからこんなにも刺さるのだ。

 だからこんなにも正しいのだ。

 

 とても、とてもよく理解できる。

 自分の中にある、自分への警告。


 戻るのならば無事では済まないぞ、という肉体の死。

 罪悪感に押し潰されるのなら逃げてしまえ、という心の死。

 

 二つを恐れる自分が創り出した、幻の声か?

 逃げ道を必要とした自分が、こういうことなら仕方がないと逃げられるようになるための言い訳。

 如何にも卑劣な自分らしいと得心がいく。

 ただ逃げるのにも、ここまでしなければいけないのだから、自分の意気地なしぶりにはもう言葉もなかった。


 すがる杖の先の翡翠の宝石が怪しく光る。

 アレーナはそれどころでは無く気付けないが、声はだんだんと大きくなっていった。



 『そうだ、逃げろ』

 『化け物相手に戦った。誰も責めはしない』

 『あの三人は残念だが、もう捨てればいい』

 『心地よい時だったが、別にいいだろう?』

 『自分の命が大切だ』

 『もう裏切った後だ。今更悩んでどうする?』



 罪悪感を和らげる。

 

 自分は卑怯なのだから仕方がない。

 相手が化け物なのだから仕方がない。

 そういう諦めの言葉をいくつも重ねて、声はアレーナを彼らから引き剥がそうとする。

 このまま逃げてしまえば、それで終わり。

 他人よりも自分を優先する、冷たい本性こそを受け入れろと唆す。




 (もう、別にいいかな……………?)




 そうだよ、別にいいじゃない。

 このまま終わってしまえばそれでいいじゃないか。

 いつまでも正義の味方ごっこを続けていたから、こうして踏ん切りがつかなくなったんだ。

 あの娘と関わりすぎて、毒されてしまった。

 自分はもっとマシなものになれるんだと勘違いして、あの娘の凄さに憧れるばかり。

 肝心な根本は何一つ変わっていない。

 変わったような気がしただけの話。



 『……………………ろ』



 憧れは憧れのままだ。

 それが何かを変えるわけでもなかった。

 卑しさは卑しさのまま、卑怯さは卑怯さのまま、臆病は臆病のままだった。

 それに、いつもの事ではないか。

 他人を切り捨て、寄せ付けないのは今に始まったことではない。

 今回は少々深く入れ込んだが、別にそれだけ。

 信頼など結局はガラクタに過ぎない。

 今は自分から裏切ったが、そのうちすぐに彼らの方からこちらを切っていたに違いない。

 そういうのには、慣れている。




 『…………………考えろ』




 次があるさ。

 この仲良しこよしがに入ったのなら、また似たような奴らを見つけて、遊べばいい。

 そしてまた裏切られる前に裏切る。

 一度こうしたのなら、二度目も三度目も同じだ。

 別に良かった。

 こうなる運命でしかなかったのだ。

 だから、



 『………………を、今考えろ』



 だから、




 『…………したいかを、今考えろ』




 なのに、




 『どうしたいかを、今考えろ』




 何故、この忌々しい声は消えないのか?





 ※※※※※※※※※※※※





 「わ、私は、もう諦めたんです」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「あ、貴方が気にかけるような人間じゃ、ない…………!わ、私は、どうしようもない、ロクデナシ、です…………!」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「なんで、構うんです…………私、なんかを……………」




 視界は水で溢れてろくに見えない。

 言葉も途切れ途切れで、付こうとしなかった膝も付き、睨むこともできなくなる。

 完全にアレーナの敗北だった。

 どれだけこの声を消そうとしても、深く彼女の胸に刺さり、抜くことができない。


 忌々しいはずの声に、こうも心を動かさせるのだ。

 裏切った彼らを思い浮かべさせ、このままではいけないだろうと強く思わせる。

 確かに罪悪感は覚えた。

 使徒にも負けっぱなしで悔しいと思った。

 このままでは、憧れはいつまでも憧れで終わってしまうとも思った。


 だが、どうしてそれらが離してくれないのだ?

 自分らしくはないだろう、そんなの。


 卑屈で卑怯で陰湿で、何よりも自分が大切な愚か者。

 それが自分のはずだろう?


 ああ、今なら分かる。

 ガルゾフを気持ち悪いとして、リベールを尊いと思ったその差も、今なら分かる。

 

 それは、利己心。

 

 心から自分を押し通すその心意気が彼女にはあって、彼にはなかった。

 自分のことは犠牲のままに、それで終わらせたのだ、あの男は。

 最期まで、他人の理想の自分を押し通した。

 例外こそあれ、その在り方は正しく『超越者』らしいと言える。

 何故って、ここまで『他』であることを極めたのだから。


 故に、彼はその例外に対して驚くほどに脆かった。

 彼らしくない、あの救いへの足掻きは決して理想ではなかったのだ。

 初めて利己心を働かせ、そしてようやく全力でそれに殉じた。

 彼が弱くなり、そして強くなった理由はコレだろう。

 

 だから気持ち悪い。

 他者を重んじることは悪い事ではない。

 だって、何もかも利己的であるよりも、他者を助けることができたほうがずっと実が多いからだ。

 繋ぎ、助けるという『人間』の最も誇れる部分だと、誰もが分かっている。

 そう教えられている。

 アレーナでも、その教育は行き届いている。


 しかし、彼女は他者に良い思い出がない。

 どこまでいっても他者は自分を裏切るものだ、自分は鼻つまみ者だと信じているから、利己が根付く。

 だから、利己であることが好きなのだ。

 だから、救いに利己があるリベールが好きなのだ。


 

 「私はどこまでも自分が大切です!他人を助けることは大切だと分かっていても、それでも自分が大切です!だから、今逃げたいんです!」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「―――――――――ッ!」



 まだ、足りない。

 この声をかき消すには、こんなものでは足りない。

 もっと奥底にあるものを引っ張り出すのだ。

 

 苛つく、ムカつく、腹が立つ。

 何でこんなことをしないといけない?

 どうしてそこまでさせるのだ。

 


 『押し込めろ。お前の醜い心根なんて、誰が…………』



 「うるさい!」



 甘い、甘い自分の声すら腹が立つ。


 誰が聞きたい?

 誰も聞きたくないよ、そんなの。

 自分自身でもこんなのしたくない。

 一体誰が自分から醜い心を自分で受け入れたいのか?

 したくないけど、仕方がないのだ。


 だって、この声が、ガルゾフがムカつくから。



 「矛盾だらけですよ、私は!リベールみたいに綺麗になりたい!でも自分の汚さは自分で正しいと思う!面倒くさい女です!」



 汚さを受け入れ、変えていくなど面倒だ。

 それに、生きていくのに、その汚さは役に立つ。

 綺麗が綺麗というだけで、どうして変えたいと思うのか?

 いつまでも変わらない、変われない自分は怠惰の塊だ。

 

 なんて低俗な生物。

 そこらの畜生の方がまだ自分のために必死に生きている。

 でもそういう自分が嫌いで、好きなのだ。

 もう救いようがない愚者だろう。



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「ああ、もう!」



 まだ声は変わらない。

 もっともっと吐き出せ、と言わんばかりだ。

 ただただ、アレーナの心を暴いていく。

 

 そして、これまで隠していたことが噴水のように溢れる。

 誰にでも隠したいことはあるが、それでもアレーナの量は人並み外れていた。

 勇者やエイル、リベールや自分にすら隠していた自分を勝手に暴露していく。



 「昔っからそう!自分が傷付くことに人一倍敏感で、きっとそうなるんだって全部諦めて、全部遠ざけて!何が他人が嫌いだ!だいたい私が無配慮なのが悪いんだろ!?」



 かつて愛していた兄たち、学院で一緒だった学生や先生たち。

 彼らが嫌うから、こちらも近づこうとしなかった。

 自分が上で、彼らが下だからと決めつけた。


 もっと上手く生きられただろうに…………

 もっと上手くやれただろうに…………


 全部が全部、他人のせいにして、傷付くことを何よりも恐れた。

 そうならずにちゃんと全部受け止めて、他人から認められた男がいたじゃないか。

 彼にはできたのに、自分にはできないは言い訳だ。

 

 この忌々しい声の主は、傷付くことも厭わずに、人と接しきったのだから。

 嫌いだと思う理由に、それも含まれていたのだろう。



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「殺すぞ!」



 口が悪い。

 しかもガルゾフはもう死んでいる。

 思った以上に彼女は怒っている。


 キンキンキンキンうるさいのだ。

 頭の中で、嫌いなジジイの声がガンガンガンガン鳴っているのだ。

 喧しいったらありゃしない。

 これでイライラしない人間はいないだろう。


 普段からまともに使うことのない声帯を酷使する。

 地団駄を踏み、師から貰った大切な杖を振り回す。

 まるで駄々をこねる子供のようだ。

 

 これまでのごちゃごちゃした理屈はなくなっていく。

 罪悪感とか、卑屈とか、自己否定とか、そういうものはどうだっていい。

 今必要なのは、ガルゾフが求めたのはそうではない。

 自分というものをさらけ出すこと。

 自分というものを深く知ること。


 蓋をしたままなら、何の意味もない。

 もっと奥深くまで、もっと根本まで、もっと『アレーナ』という存在の底にまで……………




 「私は最低ですよ!私が裏切ったことすら、全部他人のせいにしようとした!よくこれで人を名乗ったものです!」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「裏切った!変われそうだったのに、変えられそうだったのに、そのきっかけを無に戻した!恥知らずの役立たず!何で生きてるんですか!!?」



 『どうしたいかを、今考えろ』

 


 「こんなふざけたことはないです!何かを与えてくれた人たちに、返したものは仇だけなんて!嫌われたくない?そんな都合の良いことがあるか!エイルさんも、リベールも、きっと私を恨んでます!こんな恩知らず、凡人以下のクズですね!」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「ッッッ!!」



 まだ足りないのか?

 アレーナはもう驚きしかでない。

 ここまで言って、ここまで吐き出して、まだ足りないのかと頭を抱える。

 まだ離してくれないのか?

 まだ構うのか?

 いい加減しつこすぎる。



 『その声に構うな……………!』



 自身の声がより大きくなる。

 楽な方に流そうとする、言い訳の言葉。

 だが、さっきまでのような、痺れるほどの甘さはもうなくなっている。

 というよりは、アレーナ自身が突っぱねようとしているのかもしれない。

 自分のものでしかないはずなのに、まるでその先は危険だと叫ぶように、どこか必死さが滲んできた気がした。

 


 

 『生きろ、生きろ、生きろ』

 『諦めろ』

 『嫌われ者など、誰も求めてはいない』

 『昔と同じだ』

 『逃げれば、そんな辛い想いはしない………!』



 確かにその通りだ。

 裏切っておいて、こちらから求めるなどあってはならない。

 これ以上彼らのことで気を使うのをやめれば、きっともっと楽になる。

 だが、



 『どうしたいかを、今考えろ』



 この声が、楽になるのを邪魔するのだ。


 締め付け、潰し、離さない。

 自身の声が甘く染みる毒だとすれば、ガルゾフの声は硬い縄のようだ。

 甘さなどなく、ただ辛いだけの苦が詰められている。

 しかし、その苦しみが彼女の心を離さない。


 どうあっても逃がすつもりは無いらしい。

 そのことを悟って、もっと奥を出させるのだ。

 奥の、奥を………………





 「助け、たい、です…………」




 漏れ出た本音。

 不可能だと知りながらも、彼らを救いたいという願い。

 どの面下げて戻ればいいのか分からない。

 裏切った分際で、いったい何をしようとしているのだ、この恥知らず。

 

 確実に罵られるだろう。

 もう信じてもらえないだろう。

 裏切るということは、そういう事だと理解している。


 だが、だが、だが…………





 『どうしたいかを、今考えろ』



 「戻って、助けて、謝りたい……です………!」



 このまま、終わりたくない。

 このまま、死なせたくない。


 初めてだったのだ。

 こんなにも、人と一緒に居ることを暖かく感じたことは。

 

 初めてだったのだ。

 人のことを、信じて見ようと思ったのは。

 

 初めてだったのだ。

 一度遠ざけ、嫌った人と、もっと関わろうと思ったのは………



 だから、終わりたくない。

 こんな所で、せっかく手に入れたチャンスを潰したくない。

 もう手遅れかもしれないが、それでも今ここで諦めるなんてことをしたくない。

 遠ざけることをやめたい。

 逃げることをやめたい。

 もっと、もっと『人間』らしく、強く生きていたい。


 変わりたいのだ。

 弱く、諦めてばかりの自分から、強く、人を信じられる自分になりたい。

 だから、まだ逃げられない。

 これから先を『生きる』ためには、この程度の試練を乗り越えずにどうする?

 だから、



 『やめろやめろやめろやめろ!』

 『戻って何になる!?』



 だから、



 『無駄死にするだけだ』

 『誰も薄汚い裏切り者なんて求めていない』

 『彼らに甘えるのも大概にしろ!』



 だから、だから、



 『謗られる』

 『遠ざけられる』

 『裏切られる』

 『全て、お前があの三人にしてきたことだ!』

 


 だから、だから、



 『どれだけ面の皮が厚いんだ?』

 『この恥知らず』

 『折れろ、負けろ、下を向け』

 『どうせ奴らもあの化け物に……………』



 「だから、助けたいです!」



 『ッッ!!』



 甘い声が、初めて黙った。

 声を跳ね除けたアレーナを前に、ホゾを噛んでいる。

 

 これが心からの本音なのだ。

 正義の味方ごっこも、彼女の心根を変えるには十分な体験であったらしい。

 ここまで吐いて、もう迷いはしないだろう。

 怖くても、辛くても、悲しくてもやり通す。

 

 こんなにも嬉しいものをくれた三人への義理。

 返さずして、もう『人間』を名乗れない。

 

 これでいい。

 これで終わりだ。

 これで……………




 『どうしたいかを、今考えろ』



 「え?」



 鳴り止まない、ガルゾフの声。

 決してアレーナを離さずにいたはずのこの声が初めて、彼女を突き放したように気がした。

 

 そして、彼女の耳には、嗤い声が聞こえる。

 あの甘い声が、突き放された彼女のことを、いつまでも嗤っているような………………




 ※※※※※※※※※※※※




 「な、なんで…………?」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「もう、全部、全部出したのに…………」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「助けたいんです………救いたいんです…………恩人に、少しでも返したいんです…………!」



 『どうしたいかを、今考えろ』



 「なんで?」




 突き放された。

 そう感じた。

 どうしても、声が止まない。


 何故かは分からない。

 確かに、アレーナは自分の中に溜まった想いを全部吐き出したはずだった。

 逆さにしても、もう何も出ない。

 こんなことがあるはずがない。


 どうしたいかを答え、それでもなお声は問うてくる。

 

 何がしたい?

 どうしたい?


 この質問のアレーナの答えは、何もない。

 さっきのでも無理なのだとしたら、それは見当がつかないどころでは無い。

 もう、存在しない。

 これ以上、一体何を…………?



 『無理だ』

 『お前の限界はそこだ』

 『結局は変わらない』



 甘い声には嫌味なほど元気がある。

 本当に知らない誰かが彼女のことをせせら笑っているかのようだった。

 また、あの甘さが湧き出て来る。

 意志を折り、願いを堕落させる、麻薬のようなあの感覚。



 「でも、」



 『何がだ?』

 『何がそんなに嫌なのだ?』

 『お前は、逃げたいんだ』

 『だから、あの爺の声が止まない』

 『救いたくないんだ』

 『生きたいだけなんだ』



 何も言えない。

 だって、こんなに願っているのに、どうして足りないのか分からないのだ。

 涙を零した、怒りに震えた、救いたいと願った。

 だというのに、あの屍はまだと求める。


 一体何を求めるのか?

 これ以上のものはもうないのだ。


 だが、まだコイツは満足しない。

 

 何をすればいい?

 何をすれば満足なんだ?


 どうしてこんなにも苦しめる?



 『そうだ』

 『だから気に留めるな』

 『お前()は、(お前)の声だけを聞いていればいい』



 でも、いいのか?

 本当に全部出したのか?  

 このまま流されても、本当にいいのか?


 だが、折れそうだ。

 ここまでさらけ出したはずなのに、まだ心根を隠しているとされたのだから。

 流れてしまうのか?

 このまま何も成さずに終わってしまっていいのか?



 『いいに決まってる』

 『いいに決まってる』

 『いいに決まってる』

 『いいに……………』

 















 『いい訳がないだろう、バカめ』



 「え?」



 『お前は戦いたかったのか?端からそんなことを望んだのか?そうじゃないだろう、お前は』



 「だ、誰?」



 知らない。

 この声の主が誰か、知らない。

 聞き覚えがあるような、ないような………


 だが、そう悪いものではないような気がした。

 いや、もしかして、



 「あっ」



 気付く。

 いや、気付いてしまう。

 あからさま過ぎて、気付かない方がどうかしている。

 まさか、そんなまさか、今か?

 これまでずっとこんなことはなかったのに、今こんなことを?


 アレーナの混乱を無視して、新たな声は淡々と言葉を続ける。

 少々強引な物言いだったが、アレーナを導こうとしていることは嫌でも分かった。

 



 『お前、そもそもどうしたかった?使徒を倒したかったか?世界の平和を守りたかったか?違うだろう?』



 「え、と………は、はい………」



 『何がしたかったんだ?お前は?』



 しまっていたのだけれども、良いのだろうか?

 確かに助けたいばかりが先行して、忘れていた。

 だが、これはダメだろう?

 こんなの、言ったらダメだろう?



 『どうしたいかを、今考えろ』



 ガルゾフの声。

 答えがようやく分かった今、やはり突き飛ばした訳ではなかったのだと知る。

 彼はずっと待っていたのだ。

 

 ああ、確か『覚醒』には根本を貫く強い意志が要るとか言ってた。

 それで、自分の根本はコレか…………

 

 でも、本当にいいのか、コレ?

 普通物語だったなら、さっきので十分だっただろう?

 こんなことで良かったのか?

  

 だって、さっきまでの願いの方が綺麗だ。

 ずっと『人間』らしくて、強いじゃないか。



 『どうしたいかを、今考えろ』



 ああ、そうじゃないといけないのか…………



 彼女に『人間』らしい強さなど、誰も求めてはいないのだ。

 あのお節介なガルゾフ本人でさえも、そんなことを心から求めていたわけではなかった。

 今、この瞬間について。

 今、この瞬間、皆は『アレーナ』を求めている。

 何よりも自分らしくあることを、願っている。



 新たな声が現れると共に、自分の声を模った声はなくなっていた。

 自分の弱さが生み出した声かとも思ったが、タネも分かってしまった。

 それに、あれだけしつこく響いたガルゾフの最期の声も、多分だけれど…………


 

 「私が、したいことは……………」



 迷わない。

 自分の中にある、この想いを乱さない。

 さっき吐き出した想いも、紛れもなく本当の心なのだ。

 目的と根本ではなかっただけで、これも忘れてはいけない。

 

 三人を助ける。

 そして、謝る。

 最後に、変わる。


 ここまでして、ようやく一息だ。


 そのためにも、これは第一歩。

 今はこうでも、少しずつ変えていけばいい。

 

 先ずは、これを口にしよう。






 「私は、魔術で『大賢者』を超えたいんです」



 

 彼女の中にある、一番最初の願い。

 それが、どうしたいかの答えだった。

 

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