61、小さな傷
自動車学校で忙しいかな?と思ったけど意外と余裕そう。
劇的だった。
気がつけば盾が目の前にあって、全部が終わったと悟った。
ここまで近づかれればもう間に合わない。
使徒のパワーには絶対に勝てず、防御は急所であろうと貫けないのだから、完全に詰みだ。
あり得ない。
これまで使徒の速さは散々見てきて、しかもあれだけ執拗に目を封じたのだから何も見えていないはずだった。
なのに、今回は違う。
先程までとは段違いの速さで、あり得ないくらい正確にこちらを追った。
想いを力に、を地で行ける『超越者』ではあるが、ここまで変わるとは…………
使徒から感じる、負けてたまるか、という強い意志を感じる。
格上であるはずなのに、いったいどうして格下相手にそこまで油断なく、そして必死に戦えるのか?
そんな相手に勝てるわけがない。
格上なら格上らしく、傲慢で油断しきればいいのに、真面目で不器用な使徒はそんなことはできない。
本当に、手のつけられない化け物だ。
こんなのをいったいどうやって倒せばいいのか?
使徒のあまりのめちゃめちゃに、最早絶望という言葉すら湧いてこない。
勝たねばならないのに、負けてはならないのに、相手がコレではそんな決意もゴミになる。
だからだろうか?
今の勇者はどこか冷めていた。
絶対に勝てない相手による、絶対に受けられない攻撃が眼前に迫っているのだから、どこか命に対しての諦めがあったのかもしれない。
ものがゆっくり動いているように見えて、使徒の攻撃のエネルギーを肌でビリビリ感じている。
引き伸ばされた時間の中で、使徒の強さをより深く観察する事ができたのだ。
頭が冴えて、より多くを考えられるからこそ、勇者は使徒の攻撃を前にして初めて思った。
あれ?案外イケるんじゃね?
「はあああああああ!!」
使徒の盾と『聖剣』がぶつかる。
一対一になって初めて、真正面から二つが激突した。
「……………!」
「はああああああ!!」
これまで逃げ続けていた敵が、突然牙を向いたことに使徒は驚いた。
確かにもうどうしようもない場面ではあった。
完全に詰みであったはずなのだ。
だからこそ、使徒は勝利を確信した。
しかし、
とてつもないエネルギーが衝突する。
盾と『聖剣』から漏れ出た、いわゆる余波というものだ。
その余波のエネルギーは暴虐として吹き荒れ、周囲に破壊を撒き散らした。
もしも周りに人がいたのなら、なす術なく吹き飛ばされ、近づくことすらままならない。
そこにあるだけで暴力と化していた。
「……………!」
命が溢れ出るのを感じる。
傷口から冗談のような量の血が湧き出て、そこから焼けるような熱を感じた。
だというのに背筋は凍えるように冷たく、体がどうなっているのか分からない。
あついのに、つめたい。
骨が軋む。
筋肉や腱は無闇やたらに引っ張られているようだ。
あちこちがガタを出し、悲鳴をあげているのが分かる。
これは限界が近い。
肉体の限界もそうだが、その先の限界もうすぐ。
命というものの限度がすぐそこまで来ているのが本能的に理解できた。
だが、不思議と恐怖や不安は感じない。
溢れた命と同等に、ナニカが足されていく。
彼の『力』が少しずつ、ソレによって変質していく感覚。
おぞましいはずなのに、何も怖くはない。
ソレは何かは分からないが、自身の魂から湧き出るものだと自然と理解できたからだ。
命も、力も、無限のように溢れ出る。
それに呼応するように、『聖剣』からも目が焼けるほどの光が漏れ出る。
反動など考えの片隅にもない、無謀にも思えるような閃光。
事実、無謀でしかない。
その代償は軽いわけではないのだ。
ジュウウ………!
人が焼かれる匂いがする。
その源はすぐ近くから発せられていた。
『聖剣』の光はあらゆるものを分解する魔性の光だ。
それを制御し、操れるのが『勇者』であり、光の影響は受けない。
だが、制御できる範囲での話でしかない。
制御が外れ、敵を屠るためだけに全力で放たれた光は主ですら牙を向く。
鈍くあるが、分解の能力でジリジリと身を削っていき、生まれた熱は人身など容易に焦がす。
このままでは死ぬ
思考ではチラとも考えない。
脳ではこの攻撃が確実に通るということしか考えることができなくなっている。
これを感じているのは、彼の魂そのものだ。
ただでさえ使徒のデタラメなパワーと押し合っているのに、『聖剣』の余波まで一身に浴びれば生きていられない。
魂から来る強い確信。
いつ限界が訪れてもおかしくない、絶体絶命の状況。
だが、前に進み、敵を倒そうとする『勇者』の魂はそのままにはしておかない。
死の淵に追いやられ、どうにかして生きる道を探そうとする魂は、宿主に最適の道を教える。
こうすれば勝てるのだ、と。
「…………………!」
使徒の足が地面を引きずる。
ジリジリ、ジリジリと少しずつだが後退している。
敵の力が次第に上がっていくのだ。
自身も敵を打ち滅ぼさんと強く決意し、その分力を出せているのは感じる。
しかし、勇者はそれ以上の早さで力が増幅している。
心なしか光が変化しているように思える。
色などではなく、どこかこれまでとは違った圧を感じるのだ。
これは………
(これは、光が御され始めている………!)
先ほどまでは光が盾にぶつかって散るばかりであったのに、盾にぶつかった後の光が推進力として活用されているのだ。
それだけではなく、光の余波による被害が明らかに少なくなっている。
光も次第に研ぎ澄まされていき、より攻撃的に、より無駄のないように変わっている。
勇者は無意識に使い終わった光を身体を前に押すために使い、攻撃のための光も鋭く、厚くなるように凝縮していた。
これまでも光の凝縮は幾度となく行っていたが、明らかに彼の制御量を超えた光を扱っていたのだ。
「はああああああ!!」
ただ、イケるとしか思っていない。
不思議な確信だけが彼を動かしていた。
根拠も理由もなく、ただ一時、ほんの一瞬イケると判断しただけで、ここまで粘ることができているのは驚愕に値する。
しかし、今の彼はそんなことは微塵も考えていない。
ただ勝てると思っている。
「しぃねえええぇぇぇええ!!」
「おおおおおおおおおおお!!」
鋭く、強い。
硬く、強い。
その『聖剣』から発する光は一本の槍のようになっている。
巨大で、光り輝くその槍は、神話に出てくる聖遺物のようだ。
一振りでどれだけのものを破壊できるか、それは計り知れないだろう。
その権能のすべてを用いて矛盾を穿とうとする。
その盾は変わらず槍を受け止める。
これまであらゆる攻撃を受け止めて、消し飛ばして、それでもなお傷一つ付かなかった盾。
何百年も傷を付けることができた者はいない、まさしく伝説の盾。
その能力のすべてを用いて矛盾を跳ね除けようとする。
「あああああああ!!」
「喝ああああああ!!」
負けられない。
こんな理不尽に負けてたまるか、と意地を振り絞る。
使徒という怪物を相手に、『勇者』という化け物を相手に、お互いがありったけの恐怖と、それを遥かに上回る自分が勝つという意志がぶつかる。
魂と魂が共振し、お互いの想いが流れてくるのを感じた。
((…………………!?))
何か、何か感じてはいけないモノを感じた気がした。
お互いが、触れてはいけない闇を感じた。
だが、その気味の悪さはすぐに雄叫びと共に消え去り、目の前の敵だけを考える。
その隙間は一瞬にすら満たなかったが、それから早く戻ってこれた方が場を制することとなった。
「あああああああああ!!」
「………………!」
使徒が勇者に押され、弾き飛ばされた。
使徒が、勇者に、弾き飛ばされた。
勇者はゆるりと使徒を見る。
驚いた顔をする使徒と、自分の血だけが視界に映り、乱れる息を何とか抑えた。
抑えたが、すぐに荒くなる。
これまでにない興奮によって、抑えることができなかった。
そこには………………
使徒の盾に、小さな傷が付いていたのだ。
勇者は初めて使徒に対して、強い勝機を見出した。