47、戦争前(天)
意味深なことを書きた過ぎて普通の日常パートを書けない症候群にかかりました
「長い戦いだった…………」
屈強な男だ。
老人のような白い髪に、くすんだ碧の瞳。
若いように見えるが、年老いているようにも見えてしまう、不思議な男。
腕や首は丸太のように太く、背も高い。
見目だけでも相当な威圧感があるが、オーディールやライオスほどではない。
彼らほど大きくも太くもなく、純粋に鍛えればここまでにはなるだろう、というレベルだ。
彼をすっぽり覆うほどの大きな盾を傍らに置き、岩に腰掛けながら呟く。
その呟きも、まるで魂が抜けるかのようだ。
覇気などすべて萎みきったような様子である。
見る者が居れば、疲れている、と表現することだろう。
彼は痛みも、苦しみも、悲しみすら枯れ果てた絞りカスだ。
「そうでもないのでは?貴方が勇者に勝てばいいだけですよ?」
挑発するようにそう言うのは、女だ。
声で女だだとは分かるが、その声でや顔、背格好といった、特徴という特徴が記憶に残らない奇妙な女。
さっきまでは存在すらしかったはずなのに、次の瞬間にはそこに居た。
だが、それに驚くような男ではない。
いつものように、いつもの者が、こうしてここに来たというだけの話だ。
男と三百年来の付き合いである彼女は、いつもこうして発破をかけていた。
彼の意志は絶対に曲がらないとは分かってはいるのだが、どうしても、その力添えがしたかったのだ。
強い彼が、目的を見失わないように…………
「いいや、きっとここで終わりだ。私のカンだがな」
「じゃあまだまだです。貴方のカンはよく外れますから」
「そうだな…………だが、今回ばかりは別だ」
これは予知に近いだ。
今回の戦いがきっと最後になるだろう。
そもそも、『勇者』を待つために今まで牽制で抑えていたのだ。
これから全力で戦うことになる。
そうなれば、『勇者』の『魂源』は彼を殺すために牙をむくだろう。
「『勇者』の『魂源』は最強だ。どんな相手でも、絶対に最後には倒せる」
「…………確かにそうです。でも、貴方の意志の強さだけは誰にも負けない。『超越者』にとって、それがどれだけ重要か………」
「気休めでしかない。『勇者』こそが最強の『超越者』と言ったのは貴女だろう?」
三百年の付き合いだ。
彼女の言うことが本心かどうかなんて簡単に分かる。
何度も何度も生き残り、死に場所を失くし続けてきた彼だったが、今回ばかりは無理らしい。
硬すぎて何回だって死にそこねてきたのだが、盾を破るための矛の用意はできてしまった。
『勇者』の力に、何万回目か分からない、力の理不尽を感じている。
彼女すら、彼の生存を諦めてしまうほどの力が眼前に迫っているのだ。
「せめて、奴に一撃でも当ててみたかった。武人としての夢だな…………」
「じゃあ、もっと生きないといけないでしょう?アレに攻撃を当てるなら、あと二百年は要りますよ?」
「いいや、それが意外と満足なのだ。残念ではあるが、別にいい」
何を言っても聞きそうにない様子に、女は憤る。
そんなことはお前にはいっさい求めてはいない。
愚直でひたむきで、諦めずに突き進む彼が欲しいのだ。
彼の中にはソレしかないというのに、その一つすら捨て去ろうとする彼に怒りを見せる。
お前はそうじゃないだろう、と。
あまりにもらしくない彼に、女は声を荒らげた。
「何が、別にいいですか!貴方の取り柄なんて頑固さくらいのものでしょう!?諦めてどうするのです…………!」
「何を怒っている?」
「だってそうでしょう!私は貴方のその意志を見込んだのです!私はそんな、折れる貴方なんて欲してはいません!」
「………………………」
その意志こそが彼の強さなのだ。
負ける、と分かった上で挑めば、きっと目も当てられないことになるだろう。
破れかぶれでは意味がないのだ。
そんなことでは『勇者』を追い詰めることなどできはしない。
彼が十全の力を発揮して、それで………
「私の死を望むのだろう?」
「……………………」
女は何も言えない。
図星を突かれて、何も言えない。
言い訳のしようも、隠した感情もいくらでもあるのに、それでも何も言えない。
「そもそも、最後にはこうなることが分かっていた。いや、だからこそ使徒になった」
「ここまで戦い続けたのも、そのためだったと?私たちの悲願を忘れたのですか?」
「違うとも。私はいうなれば、悲願のための布石だろう。だが、お前の悲願と私の悲願は違う」
男は立ち上がり、女を見下す。
何もかも諦めたような彼の目に、そこにはほんの少し感情が混じった気がした。
男は優しく女に声をかける。
「私は、私の悲願は、護ることだ。私の愛した者を護ること。それがすべてだ」
「…………………!ですが、」
「分かっている…………」
それ以上は言わせない。
遠い、遠すぎる悲願なのだ。
意識してしまえば、もう進めなくなるかもしれないほど、遠い悲願。
「貴方のくれた悲願は、私のモノよりも私にとってずっと近くて、心地よかった……………」
「……………それは、」
「三百年も、私を甘く騙してくれた…………」
女とは、三百年の付き合いだ。
何を考えているのかなど、だいたい分かる。
男は女にずっと騙されてきたのだ。
「あの時、貴女の口車に乗せられて、私はずっと目的を持って生きることができた………」
「でも、でも……………」
「この長い戦いの中で、幸せではなかったかもしれないが、私は決して不幸ではなかった」
女にどんな思惑があろうと、彼には関係ない。
あのままだったなら、ただの亡霊として死ぬしかなかった彼が生きてこれたのは、ただならぬ彼女のおかげなのだ。
それだけで彼には感謝しかない。
「私は…………」
「いいや、そんなことはいいんだ。貴女が生かしてくれたから、私はここにいる。貴女に使い潰されることなど気にはしない」
「……………………」
「潰せ。壊せ。お前の目の前に居るコレは一体何だ?」
「……………本当に、いいんですね?」
「シンシアも同じだったはずだ。死にたかっただけじゃなく、貴女に報いようとしていた。貴女の行動の結果だ」
すでに死んでしまった仲間。
彼女はずっと死に場所を求めていた。
女が彼女に最高の死に場所を用意してくれると思ったから、彼女は女についた。
しかし、それだけの話ではない。
女と関わっていく中で、女のことを知ったのだ。
その意志を
その悲願を
その絶望を
その希望を
そして、その妄執を……………
知ったからには放っておけない。
女は言うなれば、命の恩人なのだ。
何を願ったとしても、救ってくれた恩人だ。
だから、命だってなげうってみせる。
その覚悟は、女に唆された日から決まっていた。
「本当に、便利な道具です。貴方達は…………」
「ああ、そうだ。俺たちは道具だ。貴女の手足となる、便利な道具……………」
彼らの関係は、それ以上であってはならない。
その悲願は難しく、どうしても犠牲なくしては達成できない。
犠牲の数はあまりに多く、止まることなどできはしない。
誰であろうと切り捨て、進まなければならないのだ。
その犠牲は、使徒であろうと例外ではない。
「では、最期です。私の正体でも…………」
「いや、必要ない」
「………………。良いのですか?貴方を捨てる者の顔くらいは、」
「私を誰だと思っている?いいか、俺はな…………」
最初の雰囲気など嘘のように消え去った。
そこには自身と誇りで溢れ、きっとその姿は『騎士』そのもののように思える。
そして、男は高らかに言う。
「俺は、『道化』だ」
彼は『道化』だ。
度を超えて愚直で、滑稽で、あまりにも弱くて強い『道化』なのだ。
三百年騙し続けた女を許し、恩人と仰ぎ、言う通りにすべてをなぎ倒す『道化』。
もう吹っ切れた。
もう迷わない。
きっともう、失うこともない。
「……………貴方の最期、しかとこの目に焼き付けましょう。世界最硬の盾の力を、存分に見せてください」
「ああ。それに幸い、俺よりも強い者たちがあと五人も居る。覚悟も決まった。不安などない」
もうこうなっては、彼は止まらない。
世界で最も硬い防御と意志を持つ彼は、敵が何人だろうと関係ない。
不利でも、不幸でも、最悪でも、決して彼が膝を折ることはないだろう。
「『勇者』への試練も大概だ」
「そうでなければ意味がありませんから。それに、次はきっとヤマトでしょう。きっと、『あの人』は彼らを上手く揉んでくれますよ」
「なに?まさか……………」
「ええ、ヤマトにはあの化け物が居ます」
男は苦笑いだ。
自分も大概の試練だとは思うが、次の難易度はハネ上がる。
使徒の中でも、序列三位以上からは強さの桁が二つは違う。
男は最早次の事しか考えていない。
男を倒した後の『勇者』を憐れんでいる。
負けるつもりは無いとはいえ、そのことを考えてしまうほどに次の試練は重い。
「自然災害そのものだ。まったく、可哀想に」
「制御が効かないのがあの二人の嫌な所です」
「『武神』と『鍛冶神』。最古の使徒か……」
力を持つ者はいつでもやる事がある。
『超越者』など、毎日自分の立場から生まれる仕事や義務に勤しんでいる。
鍛錬にしても、普通の『超越者』は、『覚醒』の足がかりとなった能力を極めたと判断して、後は衰えない程度にしか磨かない。
その時間を他の技能にあてた方が強くなれるからだ。
しかし、二人は違う。
『覚醒』の足がかりであった能力をずっと鍛錬しているのはあの二人くらいのものだ。
もう十分だろうに、飽きることなく自分の技工を向上させるために時間を使う。
何百年も休むことなく打ちこむ様は、変態という呼び名がふさわしい。
変態であり、そして化け物だ。
それだけ強い。
圧倒的で、才能に手足が生えたような輩だ。
本当に『超越者』というのは皮肉に溢れている。
まさに、あの二人は自分にとって真逆の存在だ。
知ってはいたが、こんなにも違うとは思わなかった。
天才など呆れるほどに見続けたが、それでも規格外だと思ってしまう。
それがあればどんなによかったか…………
「では、行ってくる」
「負けるなんて考えないでくださいね。貴方の力の源は、そうではない。シンシアのようにはできません」
「分かっている。破滅したくて『勇者』を殺すなんて器用なとこは俺にはできん。なにせ俺は、」
歴史上で最も才能のない『超越者』だからな