43、騎士の後悔
ガルゾフは、勇者がナハトリアにいた頃、何かと目をかけていた。
勇者は礼儀に気を使っていたので、当初は偉い立場だった彼に対しても様付けで、この世界の作法に気をつけながら接していた。
だが、彼は気を使うな、自分は貴方に様付けされるほど偉くない、と会うたびに言い続けた。
その甲斐あって、取り敢えずさん付けに落ち着いたのだ。
結果、知り合いのお爺さんと近所の青年のような関係に見えたかもしれない。
言葉にすれば微妙な関係に思えるが、そう悪いということはなかっただろう。
「改めてお久しぶりです、勇者様」
「ええ、久しぶりですね。ガルゾフさん」
あの後、『獣王』ライオスとエイルは周囲の者たちによって正座の上で説教の刑に処された。
あのままいけば、もしかしたらどちらかが死んでいたかもしれないのだ。
そこまでいかずとも、大怪我に終わっていた可能性はかなり高い。
いくら『聖女』であるリベールが居ると言っても、実力を試すための小手調べでそこまでするのは主旨を逸脱している。
もう少し落ち着いてくれればそんなことにはならなかっただろうに。
大いに反省してほしいものである。
……………その反省も、三日保てば僥倖だ。
そして今、ガルゾフと勇者は机を囲い、茶を飲んでいた。
ガルゾフが勇者に話を聞きたい、と持ちかけたのだ。
リベールとアレーナはこの場にはいない。
二人は城下を見て回るらしい。
特に絡まれるようなことはない二人なので、心配なく見送れた。
つまり、ガルゾフと勇者の一対一なのである。
ガルゾフは見た目の通りの穏やかな雰囲気で話をする。
「本当に、大変な暴れん坊が仲間になったようですな。私は心配でございます」
「あはは、すみません」
「昔のオーディール殿を思い出します。あの御方も、『超越者』となってから百年ほどはあんな調子でしたしな」
「! そうだったんですか?」
その言葉に勇者は驚く。
あの英雄然としたオーディールが、昔はそんな粗雑な性格だったとは……………
だが、使徒シンシアが斬撃を司ったように、彼の『魂源』は破壊を司るものだ。
『魂源』は、自身の本質、才能、能力等から、本人にとって最も使いやすい最適な力となる。
そこから考えると、昔が多少エイルたち寄りだったことも不思議手ではないだろう。
それに、発言からして目の前の老人はオーディールと同じかそれ以上に生きている。
それだけで畏敬に値する事実だ。
いったい何百年生きてきたのだろうか?
「ですが、昔のことです。彼は今、ああなっています。私たちは未来を守るのが使命なのです」
昔を懐かしむような顔をしたガルゾフだったが、昔のこと以外にも、感慨を感じているようだった。
その言葉は重く、未来が何を指すのかがよく分かる言い方だ。
その視線の先には勇者が居り、彼は今を生きる若者を見て熱意を燃やしている。
「長く生きてきた甲斐があります。貴方たちを見ているとね」
「そうですか」
「ええ。貴方が、貴方たちが元気に生きている姿を見ているだけで、私は嬉しい」
言葉以上のナニカが詰まっていた。
勇者と、それ以外の誰かを見ながら、零すように言ったように思える。
さらにガルゾフは言葉を続ける。
これから先が本当に言いたかったのだろう。
穏やかだった雰囲気に、少し別の感情が混じっていくように思える。
「嬉しいものですなぁ。若者が強く成長していく。貴方も、これまでとは大きく変わったはずです」
「いや、そんな…………別に俺は…………」
「戦いの強さだけではありませんぞ?最も重要な、心、その進歩を感じ取っています」
「……………………」
「信頼できる仲間ができたようで、何よりです」
ガルゾフは、勇者に目をかけていた。
どことなく、自分の本心を隠しているというのが分かっていたのだ。
何せ、昔それで大失敗しているのだから、同じことを繰り返さない。
その隠し事が自身を蝕む類のものかもしれない、と思っていたためにずっと心配していたのだ。
観察し、話しかけ、接し続け、何を感じているのかを予想していく。
誰に対しても同じように接し、好青年を演じているように思える。
他人のことは語らせて、自分のことは何も悟らせない。
頼る、ということをせず、抱えたモノを自分の中から決して出そうとしないのだ。
器用に相手を満足させるように立ち回り、自分もそれに納得できるように騙している。
器用ではあるが、何とも不器用な人だと彼は感じた。
それが分かると、もう放っておくなんてできない。
それと似た若者を見たことがあるのだ。
彼女は誰にも心の底を見抜かせず、最後には苦しんで去ってしまった。
誰にも頼らず、抱え込むだけ抱え込んで、最後には沈んでしまう。
そんな悲しい在り方、許容できなかった。
何とかして、彼女と同じ轍を踏ませないことはできないかと手を尽くした。
もう二度と、そんな若者が目の前で苦しまないように………
そんな願いの元に何とかできないかを考えていた。
しかし、それをするための時間は足りず、どうにもする事ができない。
次に会った時には、絶対に助ける。
もっと別のやり方を教えてあげる。
老婆心、なんて優しいものではない。
ただ自分がそれを許せず、見たくないだけなのだ。
だから、次は絶対に許さない。
次は、決してあんなことを起こさないように…………
「ですが、私の心配は無駄になったようです。貴方が、自分の思うようにできているのなら、それで満足ですから」
だが、あの三人とは演じているような感じはしなかった。
きっと自分がいない内に、彼自身が成長し、自分をさらけ出すことができる人をつくれるようになったのだろう。
なら、こんなに嬉しいことはない。
自身の願いは、自身の預かり知らぬ所で叶っていたのだ。
「私は、ずっと後悔し続けていたのです。貴方のように、苦しいモノを抱え続けた者が人知れず蝕まれたことに気づけなかった」
懺悔だ。
苦しげに語るその姿は弱々しく、彼が何百年も生きた英雄には見えない。
この時は、本当にただの弱々しい老人だ。
「こうなるだろう、きっと期待に応えてくれるはず、それが彼女を追い込むことになるとは露とも思わなかった」
勇者には、彼女とは誰のことか分からない。
だが、その彼女は目の前の老人と関わりが深く、そして老人が追い詰めてしまったことが分かる。
もしかしたら、その彼女と勇者を重ねていたのかもしれない。
だから目をかけていたし、彼の成長を心から喜んでいた。
自己満足のつもりなのか、贖罪のつもりなのかは本人にも分からないだろう。
「ずっと、怖かった。恐ろしかった。でも、貴方たちがリフセントに居ると聞いて、どうしても聞かなければならないと思いました…………」
簡単な話、彼は逃げてきたのだ。
彼女の話が入らないように、気にならなくなるように、必死になって頭をいっぱいにして………
でも、もう逃げられなくなってしまった。
ここを逃せば、もう彼女に触れることが出来なくなる。
それだけは許されない。
何があっても、例え死んだとしても、最期まで逃げ続けることだけはダメだ。
聞かなくてはならない…………
「勇者様。リフセントで、使徒に会いましたね」
「ええ…………殺されかけましたよ………」
一瞬、止まる。
たが、すぐに覚悟を決めた顔をして………
「なら、使徒『断裂』の話を聞かせてください。そのために、貴方を呼んだのです」
何故、それを知りたいかは聞かない。
彼女の名前を呼ばないのは、隠したい事があるからなのだろう。
ならば、聞くのは野暮というものだ。
だが、勇者は使徒シンシアについて語るほどのことは知らない。
深く関わったわけでもないし、普段の彼女と接していたわけでもない。
伝えられるのは、本当に一部だけだ。
強いて言えば、その能力、精神性くらいのものだろう。
勇者のように剣を創り出し、『魔法』は無限に近い斬撃を発生させる。
剣本体は『聖剣』すら斬れるほどの切れ味。
それだけならまだマシだったのだが、能力を使う本人も相当強い。
剣の腕なら勇者以上のエイルも、彼女には勝てなかった。
さらに、中身がとんでもなくイカれている。
人を剣で傷つける度に、本当に嬉しそうな顔をするのだ。
純粋にそのことが大好きじゃないと、あんな風に喜べないだろう。
それに勇者は押され、在り方という『超越者』にとって重要な要素で負けてしまった。
だから、一見ただのイカれにしか見えなかった。
しかし、この老人が知りたいのはそういうことではないだろう。
きっと彼が聞きたいことは……………
あの戦いの最後の攻撃。
最期のその時。
その時は、別の顔が見えた気がした。
自分の在り方への、負の感情。
忌々しい、こんなものが無ければ、捨て去ってしまいたい、唾棄すべきものだ、という呪い。
一方で感じた、正の感情。
これで強くなった、これが自分だ、人生のすべてを乗せた力で負けるはずがない、という誇り。
なんとなく感じたわけでも、彼女の心を推察したわけでもない。
伝わったのだ。
そういう想いが剣を合わせた瞬間に鮮明に伝わった。
すべてを込める、という覚悟が『魂の力』と反応し、彼女の心をあの一撃に映し出した。
すべてを見たわけではないが、彼女の人生の中にあった苦しみも心に響いた。
そして……………
言葉にするのは難しい。
何を言えばいいのか、どう伝えればいいのか、納得できるようにどう言うのか、本当に悩む。
人の最期だ。
それも、あれだけのものを抱え、死ぬために生きた大きな人の最期。
自分を死ぬまで貫いた、呆れるほどに我の強い彼女。
だが、これできっと伝わるはずだ。
「『良い人生だったよ』、そう言い遺して満足そうに死にました」
次の言葉は、出てこなかった。
目の前の老人の顔を見て、何も言うことができなくなった。
その顔は、どう表現すればいいのだろうか?
いったい、何を思ったのだろうか?
だが、そうジロジロと見るものではない。
それに、自分が居ても邪魔になるだろう。
色々邪推するのも失礼だ。
勇者は立ち上がり、部屋から出ていこうとする。
扉に手をかけた時、
「ありがとうございました、勇者様………」
消え入りそうな声が、確かに聞こえた。
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恨まれているのではないか?
憎まれているのではないか?
この二十年、それがずっと頭にチラついた。