40、強敵
「まったく…………本当に強かったよ、オメェは………」
そう言う男は獅子頭の獣人だ。
武器や防具の類は身につけておらず、武器はその鋭い爪と牙だけである。
獣人として、ここまで獣人らしく戦う者も珍しいだろう。
しかし、これはフザケているのではなく、自身にとってそれら以上に相応しい武器がないからだ。
事実、男は爪と牙で数え切れないほどの戦いを乗り切ってきた。
確かな自信によって男は戦いに臨んでいる。
だが、男はかつてないほど傷付いた。
全身は血でまみれ、左腕がなくなっている。
自慢の爪と牙も一部は欠けてしまい、輝きを失っていた。
「使徒序列七位『堕落界』……………遂に討ち取ったり………」
そう言う男は人族の老人だ。
白髪やシワから、六十を過ぎている見える。
もしも鎧と剣が無ければただの老人にしか見えないほどに穏和そうな顔をしている。
だが、今はその顔を歪めていた。
普段なら優しそうな老人、という印象しかないのだが、この時ばかりは鬼気迫る、という表現が正しい。
鼓舞のためにそうしているのがろうが、どこかに怒りが透けて見える。
個人的に、元からそうした恨みがあったのだろうか?
今もなお、倒れた使徒を睨み続つけていた。
「本当なら、一対一で戦いたかったぜ………」
「それはいけませんぞ、陛下。使徒相手にそんな………」
「ああ、ていうかアンタが来るのが一か月遅れてりゃあ俺は単身で挑んでいたよ」
本当に彼ならそうするだろうから恐ろしい。
もし、そうなってしまえば、十中八九刺し違えることとなった。
最悪彼が負け、人類側の戦力がいたずらに失うだけとなったかもしれない。
「本当に、間に合ってよかった………むしろ、よく参戦を許可してくれましたね」
「そりゃあ、これでも一応王だからな。ちゃんと我慢して戦わないようにしてたぜ」
「陛下………」
男の言いように、老人は呆れるしかない。
我慢せずともキチンと国と人類のことを考えて行動してほしいのだが………
いや、今はそんなことを考えても仕方がない
それよりも今は使徒に集中しなくてはならないのだ。
使徒が死ぬまで、緊張は解いてはいけない。
本当に恐ろしい使徒だった。
奴の周囲ではあらゆる動きが阻害され、遅くなる。
風も、空気も、目に映る光でさえゆっくりに感じられたのだ。
そこから繰り出される使徒自身の攻撃は目で捉えられないほど速く、これで本当に下から二番目なのか疑問だった。
死にかけているとはいえ、それで油断して逃げられることがあったりしたのなら目も当てられない。
「死ね、使徒よ………」
老人がとどめを刺そうとする。
ただ冷徹に、人類の敵を殺そうとしていた。
英雄としての誇りも、騎士として礼もなく、名も知らぬ使徒を一人の天上教へ恨みを抱く人として殺そうとしていたのだ。
使徒の喉元にその剣を突き立てようとして、
「ずいぶんと、聞いてた話と違うなぁ、優しいガル爺?」
挑発を狙った言葉だ。
バカにするような口調も、その言葉の裏に隠された意味も、老人を怒らせるための手段だ。
彼の後悔を刺激する皮肉だ。
それを聞いて老人は、ガルゾフは怒りを露わにする。
「黙れ!!!」
目の前が真っ赤になるとはこのことを言うのだろう。
これまで、あくまでも冷静であったガルゾフは感情を隠そうともせず、声を荒らげる。
それを誰から教えられたのかが分かってしまう。
使徒は、お前たちよりも自分たちの方が遥かに彼女に寄り添えている、と暗に言っているのだ。
これが怒らずにいられるか?
とどめを刺す、という目的すら忘れて、使徒の体を蹴りつける。
直接コイツを痛めつけなければ気が済まない。
剣ではすぐに終わってしまうから、こうして蹴りつけるしかない。
この怒りは、そんなものでは収まらない。
「ふふふ………本当は分かっていたんじゃないのか?彼女が苦しんでいたこと………それをどうにか見ないように必死に………」
「黙れと言った!」
ガルゾフは使徒に攻撃を加え続ける。
死なないように、殺してしまわないようにいたぶった。
そうでもなければ許すことなどできないし、この気持ちは晴れないだろうと分かっていたのだ。
しかし、それも使徒に筒抜けだ。
そんなことは見ればわかる。
「とんだ、英雄が居たものだ………!逃げて、見ないふりをして、身近な者の願いなど何一つ叶えられない!それでよくも、英雄が名乗れたものだな!」
「黙れええええええ!!」
ガルゾフはさらに使徒の身体を壊そうとして………
「頭に血が上りすぎだぞ」
男に殴り飛ばされた。
見るに堪えぬ、と彼はガルゾフを使徒から離したのだ。
ガルゾフは疲労と信頼から反応が遅れ、見事に拳が直撃。
手加減したためにそう大事はないが、少しだけ、静かになった。
彼も、無駄に感情を荒らげてしまったことへ反省したらしい。
使徒をこれ以上攻撃すれば死んでしまうのは目に見えていたし、彼としても今際の言葉くらいは聞いておきたかった。
戦士として、獣人として、これくらいは許されるだろう、と。
「で、言い遺すことは?」
「………ずいぶん優しいことだ」
「最期の言葉くらい、聞きたい。獣人は強えぇ奴が好きなんだ」
ガルゾフは何も言わない。
この場は、彼に任せることにしたらしい。
使徒も、そんな彼に少々呆れているのだが特に何も言わない。
言いたいことは言ったし、これから言うことに邪魔が入らないというのなら好都合だからだ。
自分の役目を、最期に果たせるのだ。
「めんどくせえ………めんどくせえが、これは言っておこう」
「なんだ?」
「『教主』様からの、伝言だ」
二人は大いに驚く。
これまで、影も形も見せなかった『教主』の手がかりに成りえるモノ。
かつてない情報に、つい身構えてしまう。
「『勇者』の力は、代々変わらず『勇者』でしかない………どの世代の『勇者』を調べても、すべて『勇者』なんだとさ………」
「「………………」」
意味が分からない。
いったい何が言いたいのだろうか、『教主』は………
だが、考える意味はあるだろう。
きっとそこには、何かが隠されているはずだ………
「『教主』の伝令、確かに承った。だが、足りないぞ?」
「? 何がだ、めんどくせえな。言いたいことは………」
「まだ、お前の言葉を聞いておらん」
これには使徒も開いた口が塞がらなかった。
使徒に、世界の敵に、いったい何を寄り添っていやがるんだコイツは………?
そんなことをする必要なんて本当にないだろうに………
人類の敵など、さっさと殺してしまう方がいいだろうに………
「めんどくせえ。バカか、お前は?」
「おお、そうだ!獣人は単純バカが多い!だから、聞きたいぞ?お前という強者が何を想うのか。なんなら、言いたい相手が居れば伝えてきてやる」
本当にバカらしい。
今さっき会った敵に、そんなことを打診するとは………
それに、このバカなら本当にその通りにするだろう。
少し目をつぶり、自分の人生を思い出して………
「はあああああああ」
ため息が溢れる。
面倒くさい人生だった。
少し才能があったからっていろんな人間から酷使され、とにかくさぼりたくて、眠りたくて、何もしたくなかった。
苦しさからも、歓びからも無縁の生活をしていたかったのに、『教主』から引っ張り出されて、使徒なんかにおさまって………
それで、初めてよく分からない感情を知って………
一度だって、深く考えたことはない。
めんどくさいから、そんなことは考えない。
でも、さっきだって………
つい怒ってしまった。
あの老人に対しても、怒ることなんて面倒くさくて、何十年もしてこなかったのに………
「シンシア………君に抱いたこの感情は………何だったのかね………」
使徒は、その言葉と共に眠ってしまった。
面倒くさがりの彼は、自分の感情に対しても面倒くさがった。
だから、案外悪くない人生だった、という想いにも最期まで気づくことはなかったのだ。
「ふうううう………マジで強かったな………」
「陛下………私は………」
「うん?」
「申し訳ありません。感情的になりすぎました………」
「何言ってんだ。俺にはわからねえが、聞かねえでおくさ。それより、帰って飯にしようぜ。腹が減った」
力強く笑う男。
それに老人の心はいくばくか救われた。
自分の取り乱しように、不用意に触れないでくれる彼の優しさに心を打たれた。
だが、どうしても思い出してしまう………
(姫様………)
こんな風に、明るく笑ってくれたのだ。
その笑顔で後ろに隠した感情など何一つ悟らせることなく、最後の最後のギリギリまで身近な者たちを殺すこともなく、抱え込め続けた。
彼女のことを考えると、今でも胸が苦しい。
老人は少しでもそのときの彼女の苦しみを理解し、後悔するしかない。
それが、少しでも償いになると信じて………
使徒序列六位『不屈の砦』が攻めてくるニか月ほど前の出来事である。