25,あと一手
テンポが………
なぜ、こんなに早く………
偽りようのない確かな本音であった。
ありえないのだ。
いくら感覚が鋭くても、こんなにも聖気が満ちた状態で、これだけ広い結界の中で、これだけ視界の悪い森で、こんなに早く見つけられるはずがない。
いったい、何が起きたんだ………?
思考を巡らせる。
いったい、何をどうすればこんなことができるのだろうか?
「分からないか?」
使徒が薄ら笑いと共に語りかける。
嫌味な性格だ。
さっきまでかなり焦っていたのに、今度は余裕綽々といった様子で接してくる。
かなり癪に触るのだが、それに苛立ちを感じる暇は一切ない。
それこそが最も腹立たしい、と二人の胸に黒い感情が溜まっていく。
ふざけるな、と叫び出したい。
目の前のコイツに一発叩き込んでやりたい。
しかし、それをする能力も、資格もない。
黙って、聞くしかないのだ。
「感じるだろう?周囲の聖気の薄さを」
(薄さ?そんなバカな………周囲は聖気で満ちて………)
ありえない。
そんなバカなことがある訳が……、
「リ、リベール!周囲の聖気が薄いです!いえ、森の聖気の大部分が散っています!」
それこそ、バカな………
そんな訳がない、できるはずがない。
聖気の逃げ道なんて結界で塞いでいるし、使徒に神聖術の心得なんて無いはずだ。
結界の補修以外で聖気の減りようがない。
いや、もしかしたら…………
「斬ったのですか?聖気を?」
「ああ、存外簡単だったぞ?」
使徒が二人を見つけられない、とリベールが判断した理由の一つが聖気の多さだ。
達人ならば、そこにある気配から遠くにいる人間さえ察知するという。使徒ほどの使い手なら、遥か先の人も感知できよう。
しかし、あまりにも濃い聖気によってそれ以外を感じることができないのだ。
だから、使徒はそれを除くことにした。
使徒の『魂源』はすべてを斬り裂く、斬撃という概念そのものと言える。
それが物体であれ、非物体であれ関係ない。その魔剣で触れたものは真っ二つになってしまうのだ。
防げるのは、同じ『超越者』の『魂源』によるものしかないだろう。
漂う聖気など、斬れないはずもない。
使徒は聖気を斬り拓きながら進んだのだ。
魔剣は尽くを打払い、結界の中を正常に戻してみせたのである。
「残念だったな。策を尽くし、手を尽くし、それでもあと一歩及ばなかった」
耳に言葉が絡みつく。
苦しい、悔しい、足りなかった。
使徒の言葉は苦い想いを想起させるのだ。
歯を食いしばり、使徒を睨みつける。
「嬉しいぞ?お前たちは私好みの手合だ」
魔術師は魔術を発動する。
陣の構築すら見せない、頭に染み込んだ高速の魔術だ。
第五位界『焼切』、第四位界『小竜巻』、第五位界『ライトニング』の三連撃。
数少ない魔力を使った必死の抵抗だ。
熱による斬撃、爆弾のような暴風、そして閃光のような雷が使徒を襲った。
一つの魔術だけでも人を壊すのには十分すぎる能力を持っている。
だが、使徒相手には期待できない。
一瞬でも時間を稼げれば、その隙に『転移』を………
「な、『転移』できな………がッ!」
使徒の蹴りが魔術師の水月を捉えた。
咳き込みながら派手に転がり、最後に血を吐く。
おそらく、骨も折れていただろう。
目がかすみ、自分がどこにいるのかも理解することができない。
だが、次が来る。
「無駄だよ」
「がああ!」
剣が魔術師の脚を抉る。
斬るのではなく、突き刺し、捻り、抉ったのだ。
ミチミチ、ブチブチ、という音と共に脚の肉が、骨が、ズタズタにされた。
「『魔法』の中で『転移』を使うことはできない。ここは私の世界だからな。私の許可なく空間に干渉することは許さない」
逃げられない。
魔術では逃げ切れないし、脚でも負けている。
この時点で、聖女は諦めていた。
どうやっても、逃げられないし、手もほとんど使った。
だからもう、
諦めるしか、なかった。
「なぜ、です………」
「ん?」
とにかく、少しでも情報を……
喋って時間稼ぎを………
「なぜ、貴女たちは、こんなことをするのですか?どうして、人々を恐怖に陥れるのですか?」
「んん?ああ、そうだな」
使徒は頭に手を当て、どうでもいいようなことを悩むような様子だ。
明らかにそう言われれば考えたこともなかった、というような感じが透けて見える。
あまりに適当な様子に、リベールは違和感を感じる。
「私は好きに人を斬っていい環境を整えてやる、と言われたから天上教に入っただけだ」
「そんな……わざわざ天上教になど入る必要はないでしょう?貴女なら、もっと好き勝手できたのでは?」
「いや?私みたいな殺し好きは、悪の組織に入るのが道理だろう?」
ふざけている。
でも、嘘を言っているようには思えない。
どこまでもふざけて、どこまでも真剣に語っているように思えてしまう。
「元の場所に居たくはないのですか?家族も、友人もいたでしょう?」
「何を言う?居られないから天上教に入ったのだ。あと一年一緒に居たなら、確実に殺していたよ」
あまりにもにこやかに語る。
穏やかすぎて、さっきまでの戦闘がなかったことになったようだった。
「そんなにも、殺したいのですか?」
「ああ、そうだとも。いつからだったか、いつでも人を斬ることが好きだった。家族にも黙って何人も殺したが、なかなかに良いものであった」
異常だ。
どう見ても、目の前のコレは正常ではない。
自分をはみ出しものだと心から理解しているからこそ、天上教に身を置いたのだ。
「申し訳ないのは、私という存在のせいで一族に瑕がついたことだ。これでも、元はかなり高貴な生まれなのでね」
本当にそう思っているのかもわからない。
本心で話していないような、その逆なような………
なぜこんなにも微笑みながら語るのか、全くわからない。
「そんな貴女が、どうして天上教に命をかけるのです?貴女は以前に全力のオーディール様と戦ったのでしょう?どうして、そんな危険なマネを?」
「ん?何を当たり前のことを聞く?忠誠を誓っているからに決まっているだろう?」
「意外過ぎます。貴女は、そんな人じゃないでしょう?」
「うん、私もそう思うが、事実だ。私だけでなく、すべての使徒が『教主』のために命がけだ」
そう言ってのける使徒から、それが真実だということが伝わってくる。
真摯に、正面から言っているのだ。
とても嘘とは思えない様子だった。
「ああ、残念だ。お前のような愉しい奴が、聖女などという被害者とは………」
いや、これは、どういう?
被害者?
「どういう意味です?私は、被害者などとは……」
「いや、言い過ぎた。これ以上は私を倒したときの褒美として残しておかねば………」
「?私達を殺さないのですか?」
「いや?殺すぞ?当たり前だろ?」
なんだろうか…………
どこか、噛み合っていないような…………
矛盾しているだろう、しかし、使徒からはいたって真面目に話しているように思える。
「『教主』に言われているのだ。勇者一行と相対したときは殺せ、とな。そうでないと意味がない」
「何を………?」
「殺せるのだが、どうしようか?本当に殺すようなことをしても良いのだろうか?」
判断がつかない。
なぜ、殺すつもりなのに、殺すことを迷っているのか………
この人物はずっと噛み合わない。
「うん、まあいいだろう」
「うっ!」
使徒の魔剣が聖女の両脚を斬り落とした。
脚から命が流れ落ちていくのを感じる。
「や、やめ………やるなら、私を………」
魔術師がおぼろげな意識とともに這い寄ろうとする。
だが、使徒には響かない。
嬉しそうに二人を見ている。
「まあ、待ち給え。後で君も同じように斬り刻んであげるから」
使徒はとても楽しげだ。
殺すのも、いたぶるのも、血を見るのも心から好きなようだ。
(この、下種!)
「ああ、いいぞ。そういう顔も、それが歪むのもとても好きだ」
殺すでもなく、そのままにしておくでもなく、斬り刻んでいく。
救いようのない下種だった。
コイツは、何よりも人を痛めつけることを愛している。
彼女と同じように殺された人間が何人いるだろうか?
同じように苦しみ、さらにその中で死んでいった人間はどれだけ居ただろうか?
「………死ね、です………このクソ………!」
「ふはは!やっぱり君はいいなぁ!」
使徒はこれまでにない凄絶な笑みを浮かべ、誰にでも分かるような嗜虐心を明らかにする。
「や、やめ……て……」
魔術師にはどうにもできない。
魔力もなく、使徒を制圧できる武力もない。
もう、どうしようもないのだ。
そしてさらにその魔剣が、さらにその腕にまで手を加えようとして………
「待てや、ゴラァ!」
茂みから、突然人が飛び出し、使徒に襲いかかった。
しかし、使徒はそれにも対応する。
大剣による、叩き潰す一撃を余裕で防いでみせた。
だが、リベールは疑問でしかない。
いったいなぜ、彼がここに居るのか?
勇者とともに、王城に居たはずなのでは?
「エイル………?」
「ああ、ワリィ。待たせちまったな」