23、新しい何か
短い
使徒は地中の圧力から脱し、ようやく地上に出ることができた。
服や髪は土まみれで、女騎士のような雰囲気に疵が付いている。
「なかなか新しい体験であった………」
しかし、不機嫌そうな様子はなく、むしろ楽しくなりそうだ、と期待の色が顔に出ている。
地中までは考えていなかった。
『魔法』は意識の中に存在する領域内にしか展開できない。
つまり、さっきは意識の死角であった地中を削ってつくった落とし穴には落ちてしまったが、次からは地中までもを意識するために、地下の空洞は感知できる。
「次はどうする?落とし穴ならもう通じんぞ………?」
使徒は自身に戦いを挑んできた少女たちに、自身を殺すことすら期待する。
どのようにして自分を殺してくれるのか、楽しみでたまらないのだ。
無警戒に、しかし、油断はなく歩を進める。
一見何も考えずに、罠など踏み越えてやる、と無策に歩んでいるように見えるだろう。
しかし、使徒はそこまで考えなしではない。
この歩みの中でも、得られることはいくつもあるのだ。
例えば、恐ろしく薄く、気づき難い魔力の繋がりがある虫が複数存在する。
数は知覚範囲内から増えたり減ったりを繰り返し、あらゆる方向からこちらを観察している。
だというなら、これは与えられたヒントの一つだ。
そこから彼女らの位置を予測するための手掛かりとなる。
一歩一歩、観察しながら歩みを進める。
そして、虫たちの魔力の繋がりから観測し、彼女らの位置を考えながら進んでいくと、
突然、そこらの石から炎があがった。
「ほう………」
悠長に感心しながら、炎を斬り刻む。
使徒の能力の鮮烈さに注目して気づき難いが、使徒は剣の腕前も超一流と評してもよいレベルである。
純粋な腕前だけなら、世界で十の中に入るだろう。
『魔法』を使う必要はない。
手に持つ剣のみで簡単に対処できるのだ。
だから、常人なら消し炭になっていた火力と、完全な不意打ちであったにも関わらず、使徒の服にすら焼け目はない。
おかしな様子は何一つなかったはずなのだが、それでも使徒は完璧に対応してみせたのである。
おそらく、石に何らかの魔術を込めたのだろう。
あらかじめいくらかのものに魔術を仕込んでいて、それを進路にばらまいたのだろうか?
虫のことを考えれば、鳥などを操って魔術を仕込んだ石を置いておくことぐらいわけないだろう。
確かに、不意打ちではあった。
しかし、地中の様に完璧な意識外からというわけではなく、このように見えているのなら傷一つ付けることはできない。
その程度なら、見てからでも対応できるほどだ。
しかも、これの存在を知ってしまったからには、もう傷を負う可能性はゼロになった。
この不意打ちはもう通じない。
四方からいきなり襲い掛かられても、すべてを斬り裂ける。
次は?その次は?
まだ終わりということはないだろう?
非力な彼女らへ、最大の期待を抱きつつ進む。
まだまだ、自分を楽しませるための仕掛けがあるはずだ、と胸を高鳴らせつつも、見つけたらどう斬り刻むかを想像して悦に浸る。
(次は、私に傷を負わせられるといいな………!)
そして、使徒の期待通り、予想もできないようなことが起こった。
次の瞬間、木々から氷の柱の群れが襲い掛かったのである。
「凄いですね。まさか遠隔で魔術を物質に込めてみせるとは………」
「し、師匠ならこんなこと、何個同時にやっても一秒かかりません。私はまだまだです………」
リベールは、始めに石に魔術を込められないかを聞いた。
使徒に仕掛けたように、鳥か何かを操って設置し、警戒して直進をやめてくれれば最高。警戒して進むのを遅らせてくれるなら御の字のつもりだった。
まあ、向こうはこちらなど碌に警戒していないだろうから、できるだけ驚かせるくらいのことしかできないとは思って聞いたのだ。
だが、話を聞いて聖女が驚くことになる。
魔術を込めることを、遠隔でできるというのだ。
魔術を物に込めるというのは、主に武器や防具に対して行われる。
一般に、魔動道具と呼ばれる、一部の戦士や騎士などが持っている高級品だ。
そういった道具は、作り手と込め手に分かれて作られ、より良い道具には、込められる魔術の質と数が格段に良くなる。
だから、石に込めるというだけでも相当に技量がないとできない。
それを遠隔でなど、その関係者なら目をひん剥いて倒れるレベルの技術だ。
言うなれば、箸で硬貨の上に砂の城を建てるようなものだ。
しかし、彼女はやってのけるという。
彼女は『大賢者』のすべてをつぎ込まれてきたのだ。
杖を二、三振るだけで大抵のことが出来てしまう。
『大賢者』が出来ることなら、劣化でもいいからできるようになるまで地獄の鍛錬が続くのだとか。
確かに、木に込めたときには分単位で時間がかかったが、それでも神業には違いない。
この作戦にある狙いは三つ。
一つ。
これによって、より多くの角度からの攻撃を捌かねばならない、ということ。
使徒はいちいち魔術に対応しているため、足を遅めることも不可能ではないはずだ。
狩りでもする感覚だったのだろう。
絶望を与えて、すべてを踏み倒してからこちらを追い詰め、殺すつもりだったのかもしれない。
二つ。
これはそうなったらいいな、程度なのだが、無駄な力を使徒に使わせること。
使徒の進路を見てから決められるのだから、使徒がこの魔術から逃れる術はない。
つまり、使徒はこれに対して対応し続けなければならないのである。
仮に、この攻撃を止めようと、魔術の込められた木石を斬り刻もうと関係ないのだ。
そこに込められた陣を壊さねば魔術は発動する。
あの使徒なら、そこに込められた術式そのものを斬ることができるだろうが、込められた物とそうでない物の違いは、本当に僅かな魔力の差なので、見分けるのが難しい。
もし、使徒が面倒くさがって辺り一帯を斬り刻むのなら、英雄と戦う前に無駄な力を浪費したことになる。
最悪、生き残ることはできなくとも、これで使徒が後に負ける可能性がグッと高まるのだ。
そして、最後。
木を隠すなら森の中、というやつだ。
本命の攻撃を隠すためのカモフラージュになる。
なら、これからすることは………
「次に行きましょう。石のストックは?」
「ま、まだ三百ほどは………で、でも、直接触れるので瞬時にできますし、じ、時間は伸びますが、遠隔と同時進行は可能です。魔力にも余裕はまだまだあります」
「なら、次は………」
使徒は混乱していた。
なにせ、明らかにこれは異常だったのだ。
(なぜこんな場所に………?まさか私の進路を予測して設置したのか?私に近づくという危険を冒して?)
そんなことをするとは博打が過ぎる。
使徒の感知範囲200メートルは知られていないはずだ。
それが分からないのに、その選択をするのは致命的すぎる。
もしも見つかればその時点でゲームオーバー。時間稼ぎの目的は果たせないし、命も失うことになる。
(ならこの森の木すべてに?いや、現実的じゃない。いくら何でも魔力が足りない。なら、遠隔で?それもバカげているし、不可能だろう。なら、やはり賭けに出たのか?だというなら、命知らずにもほどがある!)
そう思う使徒の口元は明らかに緩んでいた。
もしかしたら、自分が思っているよりも早く彼女らを殺すことができるかもしれない、と考えると笑うしかない。
次は、どのような………?
プレゼントを待つ子供の様にウキウキとしている使徒。
前に進む。
楽しみすぎて、待っていられないのだ。
周囲から、炎、雷、氷、風、様々な属性の攻撃が展開される。
一人を殺すためには十分すぎる量と威力であったが、使徒には通じない。
すべて一太刀のもとにかき消されてしまった。
これで『魔法』を使っていないのだから恐ろしい。
炎が辺りを焼き、雷が地を砕き、氷がすべてを凍らせ、風が木々を切り裂いていく。
ここは生物の生きられない地獄となっていた。
しかし、その地獄を猛然と踏み砕いてみせる女が一人。
その女、使徒には地獄によってつけられた傷は一つとしてなく、その歩みを止めることは叶わない。
しかし、地獄の洗礼は一歩ごとに攻撃は行われ、いつまで経っても尽きる気はしない。
どれだけ魔力があればこんなことができるのか、使徒は魔術師に対して多大な興味を抱き始める。
しかも、ただ直進しているだけではないのだ。
かくれんぼも兼ねているのだから、もちろん何処かに居るであろう二人を探しに行ったりもした。
その分、無駄足を踏んでいるのだから、当たり前に受ける攻撃は多くなる。
だが、そんなことなど問題ないとばかりに、使徒は余裕が目に見えている。
その余裕の現れとして、使徒は今か今かと次を待っているのだ。
新しい攻撃は、新しい手段は、新しい知恵はないのか?
心から使徒は求めているのだ。
そして、その願いは叶う。
歩いて、数百歩目、また飽和攻撃が仕掛けられたのだが、今までとは違う質が一点。
(こ、これは………!)
あまりにも重い攻撃。
ここで使徒は初めて吹き飛ばされた。