プロローグ
ああ、生きづらいな………
俺はこの世界で、このフレーズを、何度思ったか分からない。
学校の帰り道、今日はいつもよりも早く授業が終わり、部活に入っているわけでもない俺は騒がしい通りを歩いている。
歩く以外に何もすることもない俺は、何にもならない空虚さを胸に秘めながらもくだらないことを考えていた。
もっと、自分にとって都合のいい環境はないのか、と
優しい家族が欲しい。
俺には親が居なかった。
詳しくは知らないが、父親は母を捨てて、俺が物心付く前にどこかに行ってしまったらしい。母も、俺を十になるまでは育ててくれたがそれまでの苦労が祟ってか、ある日突然帰らぬ人となってしまった。
それからは祖父母に良くしてもらっているのだが、それでも優しい両親がいれば、と考えてしまう。
もっと俺を認めて欲しい。
今、別に孤独というわけではない。
そこそこだが友人もいるし、それ以外の、先生や近所の顔馴染み、偶に会う従兄弟やその他の親戚たちとも関係が悪いということもないのだが、それでもどこか物足りない。
他にも同じような細かいことならいくつかあるのだが、何よりも、もっと刺激が欲しい。
同じような日々を繰り返していることに飽いている自分がいる。
昨日も、一昨日も、一ヶ月前も、同じように生活してきたし、明日も、明後日も、一年後も同じように生活するだろう。
いや、来年は大学受験があるから一年後も完全に同じとは言い難いが、本質的には同じだ。
勉強しても、遊んでも、何か新しい事を探して冒険しても、何も変わらないのだ。
どこかの誰かと変わらないような、ありふれた日常を歩き続けることに『飽き』を感じている。
これまでいろいろ考えてきたが、要するにすべてに対して不満があるということだ。
自分を置いていった両親、俺に充実を与えてくれない周囲の人々、そんなことを思ってしまう自分自身の器の小ささ。
一切が気に入らない。
気に入らなくて、イライラして、でもその感情を表に出すようなことは決してしない。
だから、生きづらいのだ。
自分で思う。
俺には、信頼が足りないのだろう。
誰かを心から頼りに思ってないし、自分の領域に踏み込ませようとも思わないから不満ばかりが溜まっていく。器が小さいから、周りに原因を求めてしまう。
そのくせ、自分から進んで何かを成し遂げようという気もない。
そんなことは面倒だし、失敗は怖いし、そんな気概のあるような人間ではないのだ。
では、どうすればいいのか?
そこまでいけば、性根から何まで変えないといけないだろう。
性根が変われば何もかも変わる。
面倒を見てくれる優しい祖父母への感謝の心の溢れ、自分を助けてくれる周囲の人々に愛を配り、日々に何一つ不足など感じない完璧な自分になれる。
だが、これは難しい。
それはそうだ、人間はそう簡単には変われない。
性根というのはそれまで積み上げたその人間の歴史そのものだ。
歴史の転換点というものは存在するが、数自体は少ないのと同様に。しかもその歴史は、何百、何千年と積みあがったものの中での話だ。たった何十年しか生きられない人間からすれば、転換点なんて一生現れないような人間だっているだろう。
だから、人が変わるには途轍もない労力が必要で、そのために必要な努力を生み出すのが面倒な自分には縁がない話だろう。
だから、この自分と付き合っていかないといけないという事実が嫌で仕方がない。
もうこうなってしまったら、異世界にでも行かないといけないのかもしれない。
努力を生み出すのが面倒だというのなら、それをするしかないような環境に身を置くほかない。
これまで築いてきた関係をゼロにして、信頼できる誰かを作り出して、何かを求めるだけの自分を切り捨てるられることだろう。
何度も読んだラノベの主人公たちは、俺と変わらない誰かであったのだ。
彼らは所詮物語でしかないが、彼らを書き出しているのは人間だ。なら、俺が同じような状況になっても彼らのようにできる可能性がないわけではないはずだ。
異世界に行けたらなぁ…………
彼らのようにイキイキと、新しい自分を見つけて、『何でもできるのだ』という万能感と共に自由気ままにどこかに行けたらどれほど人生が輝いて見えるのだろうか?
あれほど自身を肯定してくれる場もない。
苦労も後悔も捨てて、どこかに行けたらいいのに、と考えてしまう。
こんなバカみたいなことを割と本気で考えてしまう限り、俺の本質は社会不適合者なんだと察することができる。
こんな妄想中学生までにしとけ………………
軽く横に首を振りつつ妄想を打ちきり、ずっと足元を見つめていた視線を正面へ向ける。
目の前の公園では、子供たちが無邪気に遊んでいるのが見えた。
母親らしき女性が何人か集まり、話をしながら我が子の姿に微笑みを向けている。
なんとも優しい光景だ。
俺とは違い、歪んでいるわけでもない子供たちがキラキラとその目を輝かせるこれはなんとも荒み気味の心が癒される。
それに、子供はすべてが新鮮で退屈とは無縁の生き物だ。
そこから考えても、なんとも羨ましさも感じてしまう可愛らしい生命である。
子供たちはどうやらサッカーをしているようだ。
まだ短い手足を一生懸命に動かして、活発にボールを追いかけている。
そんなに動いているとコケてしまうだろうに、夢中になって走り回り、我先にとボールへ向かって一直線だ。
いやいや、本当に危ないぞ?
事故の注意喚起みたいな広告みたいに、周りを見てないと、本当に何が起こるか………
子供の一人がボールを思いきり蹴飛ばしたのが見えた。
ボールは放物線を描きながらあらぬ方向へ飛んでいき、その目立つ色のボールは車道へと飛んでいき………
それを追って子供の一人が車道を飛び出したのがわかった。
そこから、まるで水の中にいるみたいに動きが遅くなっていった。
俺は無意識のうちに走り出し、飛び出した子供の方へと走る。
そこから体感で数瞬遅れて、母親たちの叫び声が聞こえた。
子供の目の前まで来たところで、また新たな音が響き渡る。
白の車がすぐそこまで迫っており、「もう間に合わない」と心のどこかで判断した自分がいたのを感じた。
次の瞬間、両の腕で全力で子供を突き飛ばした。
子供のきょとんとした顔と、これまで思い出すこともなかった母の優しい顔が浮かんで………
ああ、走馬灯ってやつだ
何でもない納得が心を占めたところで、強い衝撃が体に響く。
空と、黒いアスファルトと、赤い何かが視界をグルグルと巡り、永遠とも思えるほどの滞空の中で、俺は意識を失った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「………様。め………………………さい、………様」
声が聞こえる。
聞き覚えのない声だ。
どうやら意識を失っていたらしい。
横たわっているところはやけに固い。ベッドじゃないのか?
「うううぅ、なんだ?」
ダルイ身体を何とか起こし、辺りを見渡そうと目を開ける。
かなり寝ていたらしく、開けた瞬間に目がくらんだが、それは問題じゃない。
辺りはかなり騒がしく、様々な声が聞こえてきたが、誰も聞き覚えのない声だ。
寝ているところは病院のベッドというわけではなさそうだし、今まで気が付かなかったが、車にはねられたというのにどこにも痛みを感じない。
どこだここ?どういう状況だ?
疑問で頭が埋め尽くされ、どうしようかと悩んでいるうちにようやく目が光りに慣れた。
薄目で辺りを見回し、状況を確認しようとすると………………………
なんだここ?
純粋な疑問だった。
目の前の光景は病院でも、それどころか日本でもなさそうな景色だった。
床には謎の魔法陣が描かれ、中世の王侯貴族が来てそうな、高そうな服を着た人々が集まっている。他にも、コスプレでしか見たこともないような全身鎧を着て、手に武器を持った、騎士としか言えない人々も大勢いる。
特に目を引くのは、黒のローブを纏った白髭の老人と、白い神官服(?)を着ている白髪の美少女だ。
この二人だけでかなりファンタジー感が漂っている。
いったいどういう状況なんだ?
混乱していると、貴族っぽい服を着た中で、先頭にいたナイスミドルが前に出た。
「お目覚めのようですね?勇者殿」
…
………
………………………
「はぁ!?」
なんて言った?このおじさまは?
疑問符で頭を埋め尽くされていると、おじさまが食い入るように詰め寄ってきた。
「お願いです勇者殿。この世界に平穏をもたらしてください」
止まらないおじさま。
いったい何が起こっているのか理解できない。
完全に理解しきれる範囲を超えている。
「待って、待って、待ってください!いったい何が何だか………」
おじさまはそれまでの勢いを急に抑え、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
その後ろでは、同じように貴族っぽい人々や、騎士っぽい人々、白髪の美少女も同じように頭を下げている。
そんな中で、ローブのおじいさんだけがただ悠然としていた。
「ここは、貴方の居た世界とは別の世界です。あなたは勇者として、ここに召喚されました」
???????
「えっ?」
「どうか、この世界に平穏を。勇者殿………」
ああ、まさか、本当に異世界に来ることになるとは………………………
人生つまらないと思っていたけど、だからって本当にこんなことが起きるなんて………………………
こうして、俺のバカげた願いは実際にかなってしまったのである。