99、少しで
昔むかしの話だ。
その昔、ヤマトとその隣国とで争いが起こった。
その争いの原因は、とある家の事情からだ。
当時のヤマトの権力者、マトイ。
素手での戦闘の基本を作り出し、国の有事にはその拳を赤く染めたという、武の家。
国の最高戦力、侍の認定にも関わったという。
その頃のスメラギ家の右腕ともいえる、武家の頂点とも言えるほどだったらしい。
だが、今のヤマトにその名はない。
その事件によって、お取り潰しとなったのだ。
その当時、時の帝は隣国との融和を求めた。
長年いがみ合ってきた仲ではあったが、それを望まない王であった。
彼は幼少から、それを願っていたらしい。
心から願う夢として、位に付くことになるならば、この関係を終わらせよう、と。
その甲斐があってか、お互いに使者を送ることになったそうだ。
初めての試みだ。
理屈で接することのなく、無意味な血を流し続けた歴史。
けれど、それもここで終わる。
そういう希望が、きっと溢れていたことだろう。
マトイが、隣国の使者を殺すまでは
マトイ家の長女は何を思ったか、使者を殺した。
帝の考え方に否定的だったのだろうか?
それとも、無礼でも働かれたのだろうか?
気が狂った、ということもあるだろう。
長女の事だが、勿論処刑だ。
平和を夢見た帝が、家臣の起こした凶行を許すわけがない。
激昂し、沙汰はすぐに決まった。
どうなったのかは考えるまでもない。
きっと、極限の辱めと苦痛の中で、死んでいったのだろう。
彼女の家族、その父と母と、一人の弟が一緒に殺されなかっただけ、温情は深い。
その後はトントン拍子だ。
マトイは潰れ、戦争になり、多くの命が散った。
だが奇妙なことに、散った命はすべて隣国の兵士のモノだった。
ヤマトは一人の女を失った代わりに、一柱の神を得たのだ。
※※※※※※※※※
「あの人は、どんな方だったんですか?」
「ああ、あの昼間の変人のこと?」
「ええ、勝手に絡んで来て、勝手に満足して、勝手に帰った訳のわからないあの人です」
勇者と聖女の二人だけが居た。
月が明るい夜の下で、涼しい風が吹かれながら。
二人の話の内容は、昼間に絡まれた輩のことだ。
彼の御仁は、『勇者』の仲間と見るやいなや、ニ三言話して帰っていった。
彼女は、その人のことが気になるらしい。
「そりゃ、何で?」
「『教主』を見ました。他の使徒の話も、貴方たちから聞きました。それに今日、使徒の次席を見ました。すると思うんです。どうにも、悪い人には見えない」
どうしても、だ。
彼女だけではなく、彼女らが思うことだった。
世界の敵にしては、どうも善が濃すぎる。
あまりにも、悪意を感じなすぎる。
「人を平気で殺すのに?」
「それは、この世界の多くがしていますよ。『英雄』も、『騎士』も、『獣王』も。私達の仲間のエイルだって。それに、私も貴方も……」
人を殺すかどうかは問題ではない。
命を賭して戦う中で、戦わなければならない中で、そこを取り扱うべきではないのだ。
「皆、好きで殺す訳じゃない。殺さないといけないなら殺すけど、命を奪う機会がないなら、ない方がいいに決まってる。誰も楽しんでない」
「……難しいね」
「ええ。ただの悪人なら、遠慮はなかった」
彼女は悩む。
彼女の仲間、エイルは割り切っている。
敵は敵であり、成長の糧。
だから、殺すのならば殺すし、遠慮はない。
彼女の仲間、アレーナも割り切っている。
というよりは、生死感にも、罪悪にも興味がない。
だから、別に死ぬなら死ねばいいと思っている。
悪人でも、善人でも、殺さなければならないのなら、平気で殺すだろう。
あとは、
「私は割り切れませんね。どうにも、難しいです」
「そうか」
「知らないから殺せる、なんて思いたくありません」
「……そうか」
一つ、息を吐いた。
わざわざそんな事を考えるとは、思わなかったのだ。
彼女の言い分は理解できる。
理解できるが、納得はできない。
知らないなら殺せるのだ。
知らないから殺せるのだ。
知っているなら、余計なことを考えてしまう。
そして余計なことは、自身を傷付きかねない。
だから、彼は本当によくそんなことを、と思っていた。
別にしなくてもいいし、すればむしろ損をするようなことをわざわざするのだ。
呆れる、というか、尊敬する、というか。
なので、彼女が知りたいことを隠さないといけないほどのことも、ない。
彼がそう思うくらいには、彼女の感情が気に入っていた。
「まあ、アレも悪人じゃないだろうな」
「…………」
「間違いなく変人だけど、悪人じゃない。五百年以上生きた人と、まだニ十年も生きてない俺らとじゃ、全然価値観が違う」
長い時間をかけて培った価値観。
その中で、本人が悪くなかろうと、虐殺を静観するくらいのズレはできている。
そもそも、虐殺を行う『教主』に賛同して、使徒になった。
「天上教は、何をしたいのでしょうね?」
「それはアイツらに聞かないと分からない。『大賢者』様も知らないんだから、よっぽど上手く隠してきたんだろう」
ヒントはあるが、ここから正解は導け出せまい。
『勇者』が関わり、人を殺さねばならない。
それだけで理解するのも無理な話だ。
「どうやったら知れるんでしょうね? どうしてこんなことをするのか、何に命をかけているのか、何を目指しているのか……」
「天上教は絶対に話さないだろうな。成し遂げるっていう意志がある。命をかけられるんだ。拷問したって吐かないさ」
命を、彼らは平気で投げ捨ててきたのだ。
機械のように動く信徒たちはもちろん、人臭い使徒たちですら、むざむざと。
「でも、アレなら答えてくれるかもしれない」
「『武神』が?」
「確実にそう、とは言えないけど。伝説じゃ、『武神』に攻撃を当てられた者はいないんでしょ?」
「ええ」
「なら、攻撃を受ければ、もしかしたら。かすり傷でも何でも、ダメージを負えばもしかしたら、教えてくれるかもしれない」
希望的観測も含まれている。
そんな都合の良いことがあるか、と言われるだろう。
だが、可能性がないのか、と言われれば、それは否だ。
『武神』は武に誇りを持っている。
誇りは心根に住み着くのだ。
嫌いで心の底に住みつかせる者がどこに居る?
それは、愛という言葉以外に表情できない。
「『武神』は、挑戦を受けたがっていた。自分一人が頂点で居続けることを良しとしてない。だから、挑戦者の質にこだわってた」
「酒場で冒険者に絡んだっていう話ですか。見込みのない雑魚を間引いたのか、目標を叩きつけて発破をかけたのか……」
「さあ? それは本人しか知らない。でも、確実に武という技術が、アレの根幹にある。『超越者』としての心臓も多分ソコだ。だから、もしかしたら、だ」
『超越者』としての心臓、というものは、いわば人生のすべてと言っても過言度はない。
エイルの、自己に期待する克己心。
リベールの、他者のための反骨心。
アレーナの、師匠を超えるための利己心。
全てがすべて、命よりも重い、彼らの大切なきっかけなのだ。
それを五百年以上抱え続けた彼の方は、ともすればもっと重いかもしれない。
なら、武で満足させれば、それよりも軽いモノを吐くかもしれない。
誰も解き明かせなかった謎が、解けるかもしれない。
「……それって、できそうなんですか?」
「……無理かも」
それも、できるならの話だ。
「えぇ……」
「いやぁ、だって無理だよ。あんなのどうやって攻撃当てろっていうのさ」
「そんなに凄いんですか?」
「凄いなんてもんじゃないよ。力の差がありすぎる。どうやったら勝てるっていうか、半分でも力を引き出せるのさ」
『武神』は、いわば歴史の終着点だ。
あらゆる歴史に存在した、武人の頂点であり、彼らが歩んできた最後がここになる。
もしも、の果てなのだ。
「もう、とんでもないね」
「そうなんですか」
「ああ。何がヤバいって、何をしても通じないんだよ。奇襲でも、奇策でも、悪手でも何でも。何しても後出しで、正しい対応をされる。絶対勝てないよ。理論上、最強っていうのはああいうのの事を言うんだろうなあ」
不可能な話だ。
対応されるというのなら、対応しきれない攻撃をすればいいかもしれない。
けれども、『武神』はアレーナの不意打ちにも対応した。
魔術については『大賢者』も認める天才の全力を。
しかも、実体がない雷をいなしたのだ。
武術はもちろんだが、魔術すらも通じない、ということ。
「反則だよ、マジで……」
伊達ではないとは分かっていた。
だが、ここまでとは、彼らは思ってもみなかった。
これまで戦ってきた強敵は、強敵すぎたのだ。
彼らの力を見てきたために、彼らを過大評価していた。
あまりの強さから忘れてしまいそうであったが、『断裂』シンシアは使徒の序列最下位、『不屈の砦』エドガーは、序列でいえば下から三番目。
使徒の中では、いわば下っ端。
本当の最高戦力というものを、想像できていなかった。
「でも、勝てますよね」
リベールを見た。
彼女は、弱気な男の目を真っ直ぐに見ている。
「貴方は、きっと勝てますよ。私は、最後に貴方が勝つところしか見たことがありません」
「…………」
少し、静かになった。
ほんの少しだけ。
「そっか……」
「そうですよ」
「そう、かもな……」
彼女は、不安を見抜いていた。
どことなく感じていた、勝てない、という確信。
これまでの使徒ですら、渾身の渾身を重ねてようやくだった。
四人の仲間と、助っ人も含めて、そこまでしてようやく互角。
勝てるイメージが湧かなくて、少し落ち込んでいた。
「気を遣わせたね……」
「いえいえ。私は勇者様を信じてるだけですよ。実は、私が貴方のファンって、知ってました?」
少し黙って、少し笑う。
そして、後ろから声がかけられた。
「おい、飯食いにいくぞ!」
「り、リベール! ちょっと、は、早く、戻って、ください……ケイトさんと一緒だと、き、気まずいんです!」
「本人の前で言うのか?」
顔を見合う。
そして、すぐに仲間の方へ近づいて行く。
あと少しで、戦いが始まる。