8,決闘 後編(その1)
矛盾って人間の素敵なところだと思いませんか?
灰の青年は手応えに違和感を覚えた。
これまでの人生で肉を切り、骨を断つ感触は染み込んでいるのだ。
今のコレが違うということは分かる。
袈裟斬りにしたはずの剣は、肩口で止まっているのだ。
一瞬、この抜け目ない敵の策略かとも思ったが、違う。
魔力の鎧によって身を守ることはできる。
達人ともなると、纏った魔力で斬りかかってきた剣を叩き折ることもできるのだ。
しかし、目の前の敵はさっきの大魔術で魔力を使い果たした。
そもそも、全快であっても自身の剣を止めることはできないという確信もあった。
敵の纏う力を注意深く観察する。
ソレは、魔力ではなかったのだ。
質が違うとか、そういうレベルの話ではない。そもそもが異なる、似て非なる力だと理解できた。
その力には、心当たりがある。
一つは呪力。
他を害するための力で、人の負の感情を源とする力だ。
そして、もう一つが…………
まるで淡い光が黒の青年を包み込むかのようだった。
これまで、考えたことも感じたこともない、『神聖』さを知覚することができたのだ。
これは、聖力。
人の信仰心を利用し、『主』から授かることができるという力だ。
聖力は、人を導き、癒し、護る力だ。
この光は、黒の青年の体を害意から守り抜いている。
この聖力を利用し、世界中の聖職者たちが用いている技術、神聖術。
とりわけ、彼女はその神聖術使いの中でも超上位に位置することは確実である。
「おいおい、男の勝負に横入りたぁフザケたことしてんじゃねぇか、『聖女』様よぉ!」
『大賢者』の拘束を解いた『聖女』リベールは、その力を行使したのだ。
※※※※※※※※※※※※※※
「止めないのですね?『大賢者』様」
「ああ、ここまでは想定内じゃからの」
リベールは怪訝そうな顔を隠しもしない。
リベールは『大賢者』が何を狙っているのか分からないでいたのだ。
『勇者』を殺そうとしたり、生かそうとしたり、行動に一貫性がない。
「ほれ、まだ終わっておらんぞ。お主の仕事はこれからじゃ」
いったい何を言っているのか真意を図りかねていると、突然足場が消え去ったのを感じた。
『大賢者』がリベールの足場を取り払ったのである。
「わひゃああああーーー!!!」
唐突な状況の変化に慌てるしかない。
手足をバタつかせていっぱいいっぱいになっていると、ふと、下の光景が目に写った。
灰の青年が自分の落ちるであろう場所へ向けて、大剣を振りかぶっていたのだ。
(あ、ヤバッ!)
自分の中の聖力を用いて、即席のバリアを創り出す。
なんとか斬撃と落下の衝撃を防いで落ち着きを取り戻した頃にようやく目の前の男を見た。
本当に視線だけで人を殺せそうな顔をしている。
青筋が額に浮かび上がり、ただでさえ鋭い目が数倍は鋭くなっている。
「これは俺たちの殺し合いで、その勝敗も俺たちのものだ。お前ごときが入り込む隙間なんて1ミリもありゃしねぇ!」
「知りませんよそんなこと。私の役割は勇者様を守ることです。貴方こそ、退きなさい………!」
バリアを急激に広げ、灰の青年を弾き飛ばす。
灰の青年さえ壊すことができなかったバリアによる一撃だ。直撃すれば重傷は免れないだろう。
しかし、灰の青年はまだ健在なようだ。
膝をつきはしたものの、すぐにこちらに向けて走り出すことだろう。
だが、少しの時間があればそれで事足りた。
黒の青年に歩み寄り、自身と彼を囲う結界を創り出す。
灰の青年が結界を壊そうと攻撃するが、そこには罅一つ入ることはない。
教会の象徴の一つ、『聖力』の結界だ。コレを破壊できる人材ともなれば、大陸でも有数の実力者しかいないだろう。
「クソがああぁぁ!!」
灰の青年の雄叫びが遠く聞こえる。
光が辺りを支配して、見通すことができなくなった。
「『大賢者』様の意図がわかりませんが、おそらくこうすることがあの方の狙いなのでしょう」
『大賢者』は人知れず魔術を行使する。
対象は、今疲労困憊の青年たちだ。
『聖女』の結界によって守られているのも関わらず、その結界すら透過して対象に魔術を届けてみせた。
「頑張ってください、勇者様………あなたなら、きっとこの試練を乗り越えられますよ」
※※※※※※※※※※※※
俺は、そこまで大した人間ではない。
何があるわけでもないのに、周りに対して不満が溜まり続けていた。
何をすればいいのか自分で決めるだけの気力がない自分に気づいていて、それに対するイラつきを周りにぶつけていたのだ。
しかし、それにしても実際に態度でぶつけていたわけではなく、「俺は悪くない」という理由を外に求めていただけなのである。
アイツって絶対裏あるよなー
そう言われたのはいつだったろうか?
教室からハタと聞こえた俺への陰口。
だが、これほど心の中で納得したことも、俺の中ではなかったかもしれない。
その時、思わず相槌を打ちそうなほどだったのだ。
思えば、それを聞いた瞬間に俺の中の欠陥が浮き彫りになったのだろう。
それまでなんとなくモヤモヤしたナニカが胸に溜まり続けるばかりであったのに、その正体がわかったのだ。
人を信じられない
いつからそうなのか分からない。
他人の嘘がわかった時か、母が死んだ日か、それとも記憶にもないのだが、父が母を捨てた日か。もしかしたら、生まれつきなのかもしれない。
いつからか、俺は人と一歩距離をおいて接するようになった。
態度だけは仲良さそうに、心の中では俺がポツンと一人でいるだけだったり
人の優しさや親切の中に、表層では仲良くなれると思っていても、心のどこかで信用ならないという思いもあったのだ。
俺は自分のことを決して他人には自分から言わない。
俺は自分の領域には他人を踏み込ませない。
俺は先ず始めに「もし嘘だったら」を考える。
俺は…………
そうしたことをいくつもいくつも、自然に、必ず、何年も行ってきたのである。
そうしていれば、いつの間にか嘘に敏感になったりもした。
本当になんとなく、嘘をついているという予感がするのだ。
「あ、コイツ嘘ついてるな」と思ったときにそれが実際に何十回か嘘だったのだから、思い込みということはないだろう。
おかげで上っ面な友人とのダウトゲームは勝ちまくったものだ。
だが、だからといって、俺の性分を変えられるほどではなかったのだ。
むしろ、嘘をつくのが分かるから、嘘つきだらけな周りに気づいて余計無理になったりもした。
ずっとずっと、俺は独りだったのだ。
そんな自分に嫌気が差して、これは異世界にでも行ってラノベの主人公みたいに成長しないと治らないだろうな、と考えていた矢先にあれだったのだ。
訳のわからないうちに協力して欲しいなんて言われて、選択肢がなかったからやるしかっただけなのだ。
あの時の王様の言葉に嘘はなかったが、その後は違った。
いや、彼は都合の悪いことは言おうとしなかったのだ。
もう信頼には値しない。
『大賢者』も同様で、魔術に関しては嘘をつくことはなかったが、本人のことなどになると王様と同じだ。
好々爺を気取ってはいるが、アレは俺と同類だろう。
同族嫌悪というやつか、あの老人に対してはなんとなくイヤな感じがする。
だが、一人だけ、俺の出会ったことのない種類の人間がいた。
リベール=ハル=ハーレンス
彼女の存在自体が、俺には衝撃だった。
自分でも思うのだが、人を信じられないのは、それだけ裏切られるのが怖いからだ。
母の姿と結末を見たからには、俺は「ああはなるまい」と思ったものだった。
だからこそ、彼女は決して裏切らないとわかっていた。
なにせ、そうなるように強制されていたのだ。
前の世界のような信用できない約束ではなく、魔術という超常の力による制約。
害意を持つだけで裁かれるという、これ以上ないほどに信頼できる相手だった。
しかも、それだけではない。
彼女はその状況を楽しんでいた。
彼女は主である俺に対して嘘はつけない。にも関わらず、自分の立場を嘆くことはなく、喜びを感じてすらいた。
実際に質問すれば、そう言ってきたのだ。聞いていないことまで、オマケとしてペラペラと。
そして、分かった。
欠陥を持つ俺でも彼女を愛することができる、と。
「そんなこと思われたら恥ずかしいじゃないですか、もー」
………………
急に底抜けに明るい声が響いた。
なんだ?いきなり。
どこまで空気が読めないのか、こんなところにまで茶化しに来るとは思わなかった。
「ひどいですねー、かわいい私が応援に来てあげたのに」
かわいいとか自分で言うんじゃないよ。
本当にどこまでフザケるのが好きなんだか…………
「そりゃあ性分ですからねー」
ああ、もういいよ。
で?用件はなに?っていうか今の状況なんだこれ?
「ここは貴方の精神世界ですよ。魔力を使い過ぎた貴方はそのまま気絶。あの狼みたいな人に殺されそうになった貴方を私が助けてあげたんです。感謝してください?」
…………そうだった。勝負の最中だったな。
殺されそうになったのか…………ゴメン、ありがとう。
まあ、それは別として、お前がなんでここにいるのかは分からないが………
「素直なのは貴方の美徳ですねー。あとここにいる理由なら、どこぞの古狸様のせいじゃないですかねぇ?いや、それは別にいいんです。貴方は素直だから、そういう風になっちゃったんですねぇ」
なんだなんだ?
急に知った風な口ききはじめて?
「貴方の回想、普通に見えてましたよ?」
え?普通に恥ずかしいんだけど?
プライバシーの侵害なんだけど?
「まあ、それはさておき今は聞いてください。今、私は貴方のすべてを知りました。ということは私は貴方の最大の理解者ということです」
は?いやいや、なんの話…………
「また、私のことは全部貴方に語りました。なら、私達はお互いを愛せます。それなら、貴方の欠陥は治せます」
…………急になにを言うんだ?
話が見えないぞ。
「分かってほしいのですが………いいですか?貴方は凄いです。私は尊敬してます。貴方こそ勇者に相応しい」
待て待て、何だ急に?
しかも、言ってることはめちゃくちゃだぞ?
お前の目は節穴なのか?
「違います。貴方は凄いんです。急に違う世界に呼ばれて、そこまで冷静になれるのは天賦のものです」
いや、もういい。
やめろよ…………
「貴方の良いところなんて、いくらでも知っています。私がなんの理由もなく今の状況に収まっていると思いますか?」
やめろ!やめろ!
鬱陶しい!見当違いだ!俺はそんなに上等じゃない!
「そこが貴方の悪いところです。自分が嫌いだからそんな風になってしまう。自分の悪いところが全てだと思ってしまう」
それが全てなんだから当たり前だ!
なんなんだ急に!
「なぜそこまで怒るのです?」
は?それは………
「最早自虐がアイデンティティとなっているとは………バカですねぇ、貴方は…………」
彼女を見た瞬間、俺は完全に毒気を抜かれてしまった。
その太陽のような表情に、どうすればいいか分からなくなってしまう。
こんな人間、かつていただろうか?
知らない、俺の中にはない誰かだ。
「友人が欲しいんでしょう?その点、私は貴方が結構好きなんですよ?そうじゃなかったら、貴方と友人になんてなれないじゃないですか………」
…………………
……………
………
まじか〜〜〜
その言葉は、いったい自分が何に悩んでいたのか分からなくなるほどの衝撃だったのだ。
なにせ、バカ正直に友達になってくださいと言ってきているのだ、この女は。
彼女の言葉に嘘は存在しない。
これまでの言葉も、さっきの言葉も真実だ。
だから、本気で毒気が抜かれたのだ。
まさか、友人とは…………
「別にいいでしょう?なって下さいますか?友人に………」
…………俺は、ダメなやつだ。
イヤな思いをしないために他人を締め出して、お前みたいなヤツが現れて初めて、友達が欲しいと思ってしまった。
自己嫌悪は俺の中にあり続ける感情だが、それと同時に孤独を嫌っていたとは………
そんなことがあるのかと思ったが、言われたら恐ろしくてストンと落ちたのだ。
これは裏がある、と言われたときと同じくらい落ち着いた。
それにしても、俺はずっと、俺の全部を受け入れてくれる人間が欲しかったんだなあ……………
自分を晒さないくせに、ソレを求めるのは面倒くさいがすぎるだろう。
「ホントにですよ、もう」
呆れられるのも仕方ない。
これから直していくから、我慢してくれ
「しょうがない人です、まったく…………」
手を差し出された。
そういえば、誰かを頼る、ということを俺はしなかった。
それほど深い関係になるまで、自分を曝け出したくなかったからだろう。
その手を、初めて、とってみる。
人肌の暖かさと柔らかさに、ドキリとした。
こんなにも、人の期待に応えたいと思ったのは正真正銘、初めての出来事だった。
※※※※※※※※※※※※※※
目覚めだ。
身体は恐ろしく軽く、まるで羽になったようだ。
無かったはずの力が湧き出て、どこからそれが来るのかは分からないが、特に忌避感はなかった。
腕に何かがまとわりついている感覚がする。
見れば、リベールが俺の腕に抱きついて眠っていた。
少しこのままでいたい気もしたが、そうはいかない。まだそれには早かろう。
眠る彼女を優しく引き剥がし、床にゆっくり寝かせる。
歩き出そうとしたのだが、俺の行く手を阻む相手は多いらしい。
優しい光のような壁が目の前にあったのだ。
どうしようか?とりあえず、武器を探して…………
?
いつの間にか、剣を握っている。
先程までのロングソードではなく、それよりも若干短い。
だが、あの剣の何倍も美しく、力に満ちている
濡れているような刀身、柄には植物が巻き付く綺麗な彫刻、伝わる神聖さなど、褒めるところを見つけようとすればきりがない。
その剣で、阻む壁を横一文字。
壁はまるで紙を斬るかのように抵抗なく切り裂かれて、消えてなくなってしまった。
使って気づいたが、俺はこの剣の力を操れるようだ。
底なしのように湧く力を流用して、リベールを取り囲む結界を創り出す。
ちょっとやそっとじゃこれは壊せない。
ようやく再開だ。
灰の青年を見つけた。
こちらを呆然と見ているが、彼はすぐに襲いかかるだろう。
先手必勝だ。
気が抜けている内に距離を詰め、蹴りを入れる。
手加減しなければ彼は死んでいただろうから、頑張って調整したのだ。
灰の青年は吹っ飛んで、壁に叩きつけられると、ようやく動かなくなった。
『大賢者』のくれた剣…………かわいそうに…………
実はあれ結構凄い剣なんですよ?