食糧調達には命を掛けて。
さて、私は今焚き火をする為の薪を探しているわけだが……。
「あっつ……」
森の中は日陰があって多少涼しいのだが、そこらの植物から発せられる水蒸気のせいか、それとも海に近いという地形のせいか、めちゃくちゃ蒸し暑い。
ポーチの中には気前よくタオルが入っている、なんてこともなく、私はダラダラと汗をかきながら、使えそうな枝を拾ってはポーチに詰めるという作業をしていた。
「くっそ、水源が見つからん……」
ナイフで木に目印をつけながら、傾斜を下っていく。
こんなに緑が栄えているなら、水源の一つや二つ、直ぐに見つかってもいいのではないだろうか。
「はぁ、疲れたぁ〜。もう歩きたくねぇ……」
愚痴を吐いて、その場にしゃがみ込む。
さっきから探し歩いているとは言うが、何も無造作にほっつき歩いている訳ではない。
ちゃんとセオリーに則って、獣道に沿いながら探しているのだ。
お陰で、何回か動物の糞を踏みそうになったが。
「さて、どうしたものか」
ポーチから水筒を取り出して一口、また一口と水を呷る。
これまでコーヒーか栄養ドリンク、眠気覚ましくらいしか飲まない人生だったからか、それとも神を自称するあの美少年の用意した水が良いのか、体の中に流れてくるこの液体は、人生一を誇れる美味しさがあった。
「そういえばこれ、結構飲んでるはずなのに一向に中身がなくなる気配がないな……」
目算、約一リットルほどの鉄製の水筒を掲げながら、ポツリと呟く。
思えば、普通ならあるはずの本体と飲み口部分を分離する溝が、この水筒には見られない。故に、無くなればこの飲み口から水を注ぎ込んで満たすのだろうと思っていたのだが、ここまでずっと飲んできて、一向に中身が減る感覚がない。
「……」
試しに水筒を振ってみる。
もしかするとファンタジー作品にありがちな、無限に水の湧く魔法の水筒なのではないだろうか。
「振った感じ、中の水は半分くらい入ってそうだな。光に当てて中を覗いても……だいたいそれくらいなもんだし……」
やはり幻覚か。
水は有限、大切に飲もう。そう、再び心に誓った瞬間だった。ヌッ、と私に覆いかぶさるようにして影が掛かったのは。
危険を察知し、すぐ様飛びのこうとするもどうやら相手の方が早かったようだ。背後からやってきた軽い衝撃がケープ越しに伝わり、前のめりになる。
「うおっ!?」
強襲に驚きつつ振り返ると、そこには二足歩行の巨大な豚面の怪物がいた。
……見たことがある。いや、実際にこの目で見たのは初めてだが、ゲームや漫画なんかでよく見知っている、定番と言っても過言ではないモンスターだ。
「オーク!?」
大きく後ろに飛び退って距離を取り、躊躇わず腰の小剣を抜刀して鋒を向けた。
重いからといって軽い小剣に装備し直したのが裏目に出た。次からはこっちのポーチに仕舞うようにしよう。
「くそっ、こんなの聞いてねぇぞ!」
さっきの後ろからの攻撃。
ギリギリ直前に気がついて避けようとしたからあまりダメージを受けずに済んだけど、あの丸太みたいな腕……。
受けたら絶対骨が折れるか、下手すりゃ死ぬな。
「ブヒィィ!!」
避けられたことに怒ったのか、鼻を猛々しく鳴らすオーク。
おそらく逃げ続けても勝機は見えないだろう。なら、速攻で倒して肉にしてやろう。ラノベじゃあオークは豚肉みたいで美味しいって評判だからな。
オークが地面を蹴りながら様子を窺っている。
私はそんなオークに向かって、意を決して突撃することにした。
「うぉぉぁぁあ!」
鋒を前に突き出して突進する。
速攻で強敵を倒すなら、弱点を狙って攻撃するのがセオリーだ。
「ブヒッ!?」
野生の本能が、私の意図を感知して上空へジャンプして回避を試みる。しかしそれは逆に私にとって、相手が身動きを取れない最大のチャンスとなった。
──ザシュッ。
鋭い小剣の刃が、オークの股座を滑り抜けざまにイチモツを切り裂いた。
「ブヒィィ!?」
スライディングで森の地面が落ち葉を巻き上げる。
ここで相手が人間であれば即刻気絶しても、いや、死んでもおかしくないダメージだが、しかしオークはさすが野生、魔物。怒りの炎をメラメラと燃やして、こちらへと殴りかかってきた。
「っ!?」
その手には、サイを想起させる分厚い爪が伸びていた。
重い攻撃、しかし直線的な攻撃を、寸でのところで回避──しようとするも、わずかに回避が間に合わず爪が頬をかする。
しかし、お陰で懐に潜り込めた。
今私の目の前には奴の心臓がある。
「ここだっ!」
オーク自身の突進、その勢いを利用して小剣を心臓に向かって突き出した。
──ドスッ。
しかしその胸筋は分厚く、小剣はその半分ほども沈まなかった。
おそらく胸筋だけでなく、胸骨の強度もそれなりだった故だろう。
狙いをしくじった。
剣が一ミリも沈まなくなった瞬間、私は全身から血の気が引いていくのを自覚した──とその直後、横合から重い衝撃が横腹を殴打。
メキメキと肋骨が嫌な音を上げて、いくつかの木をへし折りながら飛んで行った。
「がはっ!?」
一瞬、意識が飛んで行った。
こんな状態じゃあ、まともに戦えたものじゃない。しかしここで意識を手放せば、もれなくそこの豚野郎の餌食だ。
(それだけは……絶対にごめんだな……っ)
「ぺっ」
残る気力を総動員して立ち上がり、口の中に溢れてきた血液を吐き出しゆらゆらと構える。残る武器は、ナイフただ一本。
リーチは小剣とほぼ同じくらい。武器としてはほぼ同じ。
しかし、体はさっきの攻撃のせいでボロボロ。まともに動けるはずもなく、オークに先制を取られる。
「ブヒィィッ!!」
サイのような分厚い爪が、ぼやける視界の中突っ込んでくる。
どうやらさっきの攻撃で頭を打ち、軽く脳震盪を起こしていたらしい。
「っ!」
膝を曲げ、地面を蹴って避けるのではなく、重力に身を任せて転がるようにして回避する。
そして回避ざまに近くを通ったオークの脚をナイフで切りつけた。
その攻撃は、本当に本当に、もう奇跡というくらいに奇跡的に、オークのアキレス腱を断ち切ることに成功した。
──パン!と、何か破裂するような音がしてオークが姿勢を乱し、地面にうつ伏せに倒れ込む。
結果、胸に刺さっていた小剣が地面に挟まれて、さらに奥へと差し込まれていった。
「ブヒャッ!?」
短い呻き声を上げて、口から盛大に血液を吐き出す。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
今は息を吸うだけでも肺が痛い。
おそらく折れた肋骨の破片が、肺を傷つけているに違いなかった。
荒い息を上げて、土と血糊で汚れた手の甲で口元の血を拭う。
オークは未だに荒く肩を上下しているが、これ以上何か動こうという気配がしなかった。
「勝っ……た……?」
何もかもが私の三倍はありそうな巨躯から、徐々に血の海を広げて土に触れていく様を朦朧とした視界に収めながら、疼く肋骨に手を当てて呟く。
きっと、あの時私が刺した小剣が心臓まで届いているのだろう。オークが死ぬのは時間の問題……とは言え、気を抜くのはおそらくまだ早い。
奴の瞳はホワイトアウトしているとは言え、肩が上下し、まだ生きていることを教えてくれている。
このまま近寄って頸動脈を切るなりして止めを刺すのも良かったが、更なる命の危機を感じて最後の力を振り絞られでもされたら、今度こそ自分の命がないことを自覚していた。
だから、私はこのまま、この怪物が生き絶えるまで待つことにした。
……と、その時だった。
「いやぁ、危なかったね」
パチパチパチ、と拍手をしながら、こちらに近づいてくる人影があった。
「っ!?……つぅ……っ」
驚いて勢いよく顔を上げるも、折れた肋骨の痛さに思いっきり顔を顰めて声にならない呻き声をあげる。
「あぁ、ごめんよ。怪我をしていたんだね、今治そう」
その人物──白いローブを着た銀髪碧眼の中年男性で、おそらくは前世の自分と同じくらいの年齢と見受けられる──は私に近づくなり、短い杖を取り出して中空に何かを描いた。
途端、全身の痛みが急激に和らいでいった。
「うん、これで大丈夫だろう」
鷹揚に頷いて、満足げに微笑みながら手を差し出す。
「何を……?」
突然現れた男と、彼が起こしたのだろう奇跡に目を見開きながら短く尋ねる。
「ちょっと治療しただけだよ。まぁ、念のため後で検査はさせてもらうけれど」
飄々とした態度で質問に答える。
もしかしてさっきのは魔法が何かなのだろうか。ラノベみたいに魔物が居るくらいだし、魔法があってもおかしくはない気がする。
……とは言え。
「あ……ありがとうございます」
その手を取って、引っ張り上げてもらう。
その手は今の私なんかよりも大きくて固くて、少しざらざらしていて。
「……」
礼だけはしっかりと告げて、頭を下げた。
前世、あのクソハゲ上司はありがとうもごめんなさいも言えないようなひどいクズだった。
そんなやつにだけは絶対なりたくないし、それがどれだけ酷いことかを身をもって知っていたからか。私の方からその言葉はすんなりと滑り落ちた。
「そうだね、盛大に恩を感じたまえ。何せ僕は、君の命の恩人なのだからね」
それを自分で言うのもどうかとは思ったが、しかしそれは事実だった。
彼には返しきれない恩ができてしまったのだから。
「ところで、君の名前は?」
「……黒井です」
急な話題転換に少しだけたたらを踏む。
「クロイか。いい名前だ」
若干イントネーションが違う点が気になるが、些細な事なので無視することにした。
彼はニコリと笑みを浮かべると、ちらりと横合に視線を逸らしてから自己紹介を返した。
「僕の名前はゾーア。ただのゾーアだ、よろしく頼む」
手を差し出し、握手を求められる。特に拒否する理由もないので、その手を取ってこちらも笑顔を返す。少し引きつった笑顔かも知れなかったが、こんな場所だ、多めに見てくれるだろう。
「さて。こんなところでなんだし、君のキャンプに連れて行ってくれないかな?」
こうして、私は偶然出会った魔法使いの男ゾーアをキャンプに招待する事になったのだった。
これが物語の始まりだとは、未だ微塵も知らずに。