婚約破棄を乗り越えて?傷心旅行に向かう~国境の街で~
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こちら↑の続きです。
のんびり【ヤマト国】に向かいます。
ガタゴトと一頭立ての馬車が街道を進んでいた。
御者台に座るのは刈り上げた黒髪に黒い瞳の青年。仕立ての良い服に身を包み手綱を操る姿は一枚の絵のように整っていた。
彼の名前は、カズマ・ナキリ。彼の故郷である【ヤマト国】の字で書くと、百鬼・和馬と書く。
街道の先に街を囲う城壁が見え始めた所でカズマは馬車を振り返り中にいる少女に声を掛けた。
「フォーサイス様、もうじき国境の街に着きます。出国の手続きなどありますので本日は街の宿に泊まります」
「はい、わかりましたわ」
中から返って来た返事にカズマは頷き顔を前に戻したが、その口元が緩んでいるのを知るものはいなかった。
馬車は街に入ると緩やかにスピードを落として進んだ。
安全の為もあるが、何より馬車の中に居る少女が好奇心旺盛に街並みを見ていたからだ。
御者台にいる青年はここに来るまでの数日間で少女が知らない街並みを楽しそうに見ていることに気が付いたので、それからは殊更ゆっくりと馬車を進めるようにしていたのだった。
国境に面しているこの街は今まで通ってきた街よりも数段賑やかな喧騒に包まれていた。
街の北側が街道に通じており、南側には海が広がっている。
船の往来も引っ切り無しで、他国から買い付けられた珍しい香辛料や食物。
特産品を求めて商人達の威勢の良い声が街中の至る所で上がっている。
そんな一角から少し離れた閑静な所に馬車を向かわせると、一軒の宿屋の前に馬車を止めた。
白い壁に青い染料で穏やかな海の様子が描かれている。
入口には黒い猫がちょこんと座っている絵が描かれていて可愛らしさで思わず微笑んでしまう。
『朝凪亭』と書かれた看板にも小さく黒い猫が描かれている。
馬車を降りた少女はそんな宿屋を見上げて目をキラキラと輝かせた。
そんな少女を見て青年は口元を綻ばせる。初々しい様子に二人を見た道行く人も思わず頬を緩ませていた。
「フォーサイス様、こちらへ」
「ありがとうございます。カズマ様」
馬車から降りるのをエスコートされ私はニコリと微笑むとカズマ様もニコリと笑い返してくれる。
宿の中に入ると、清潔感溢れており宿帳に記入を済ませた私達は部屋に案内された。
隣同士の部屋で私の部屋は角部屋だった。
部屋に入ると正面の窓の向こうに太陽の光をキラキラ反射させている海が広がり私は思わず窓に小走りで駆け寄った。
ベランダに続く窓を開けて潮風を感じると荷物を運んでくれたカズマ様に声を掛けられた。
「フォーサイス様、出国の手続きをして参りますので宿から出ないで頂けますか?」
「はい、わかりましたわ。お手数ですがお願い致します」
「いえ、お気になさらず。では失礼致します」
カズマ様はそう言って部屋から出て行った。
私はベランダに出るとキラキラと光を反射させている海を眺めた。
大きな帆船が港の湾内を進んでいる様子や、地元の漁師だろうか小型の船が沖から帰って来ている。
「…お刺身食べたい。貝を焼いたのでもいいわね」
折角の港町だ、海鮮類を沢山食べたい。
「夕飯は何かしら…楽しみだわ」
陽が暮れていく様子をボンヤリと眺める。
婚約破棄されたのが嘘みたいに穏やかな時間を過ごしている。
とはいえ、伯爵家には私しか子どもが居ないので婿を取るしかないのだけれど。
婚約破棄の一件で、婚約破棄した者もされた者も好奇の目に晒されており、この状況下で新たな婿など探せる状態では無かった。
私はふぅっと溜息を吐いた。
今回の件でお父様とお母様が酷く過保護になった。
長年、婚約者として時間を重ねたケント様からの一方的な婚約破棄で私が傷付いていると思っているからだろう。
親として、その考えは概ね正しい。
前世の記憶が戻る前だったら、ここまで自然体で過ごせていたかどうか甚だ疑問だが。
今の私は窮屈な貴族社会から離れられて大いに羽根を伸ばしている。
護衛としてグレース様の騎士をお借りしていることについては申し訳ないと思っているが、そつなく色々とこなしてしまうカズマ様が万能過ぎて、私は快適に旅をしている。
元々【ヤマト国】出身ということで、選ぶルートに間違いが無いし、何より優しい。
そして、黒髪と黒い瞳なのが凄く落ち着く。
【ヤマト国】が【日本】に近い文化を持っていると知ってカズマ様から色々と聞き出した事によると、主食は『イーネ』という『お米』で調味料の『サーユ』は『醤油』だった。
私は今からワクワクが止まらない。
早く【ヤマト国】に行きたい。
そんな風に考えていると部屋の扉がノックされた。
「はい」
「フォーサイス様。戻りました」
「お帰りなさいませ。カズマ様」
「出国の手続きが完了しました。明日の朝に監査官がこちらに来ます」
「わかりましたわ」
私が頷くとカズマ様が「夕食はどうしますか?」と聞いてきた。
「部屋に運んでもらいますか?」
「いいえ、食堂で頂きたいわ。ダメかしら?」
折角の旅行だ。
部屋で寂しく食べるより人数多いところで食べた方が絶対美味しい。
私がそう言えばカズマ様は少し考えるそぶりをした後に頷いてくれた。
「食堂が込み合う前に行かれますか?」
「えぇ、そうですわね」
「では、参りましょう」
カズマ様は私にスッと手を差し出してエスコートをしてくれた。
階段を降りて食堂に入ると、お出汁のいい香りが漂っていた。
「良い香り…」
そう言った瞬間。
私のお腹から、くきゅるるるという音が鳴った。
バッとお腹を手で押さえると隣に居たカズマ様がクスッと笑う気配がした。
「……」
私が無言で見上げるとカズマ様は咳払いをして誤魔化すように「お腹空きましたね」と言った。
「…笑ってくれて構いませんわよ?」
「いえいえ、可愛らしい音だなぁと思いまして」
そう言いながらカズマ様は私を食堂の奥のテーブルにエスコートした。
所作だけは完璧である。
その表情に笑いが残っていなければ。
「はい、お待たせ!! とりあえず、先にこれ食べててね」
私が無言でカズマ様を睨んでいると宿屋の給仕の男性が私達の前に口の開いた貝が山盛り乗った皿を持ってきた。
ふんわりと漂う磯の香りに私は睨んでいた目尻を緩めた。
「あの、これは何の貝でしょうか?」
「これは『ボンゴ』って貝だよ『サーユ』をかけても美味しいから試してね~」
私は見覚えのある貝に胸を高鳴らせた。
これは『アサリ』だ!!
少しだけ『サーユ』をかけると私は行儀悪いけれど、手掴みで『ボンゴ』の殻を摘んで口に運んだ。
もきゅもきゅと貝特有の弾力を噛み締めると、じゅわわっと出汁が溢れ出す。
『サーユ』の味もバッチリだ。
「ふふ、美味しい」
「………」
私が手掴みで食べたことに驚いたのか、カズマ様は目をパチクリさせて私と山盛りの皿を交互に見ていた。
「ははっ、お嬢さん『ボンゴ』の食べ方わかってるね~」
「とっても美味しいですわ!!」
「そりゃあ良かった!! あと少し待っててくれな~」
私がヒラヒラ手を振り返すとカズマ様と向き合った。
「驚きまして?」
「え、えぇ…そうですね」
「私、こういうのに憧れてましたの」
「こういうこと、ですか?」
「ええ『郷に入っては郷に従え』というものですわ」
私はもう一度殻を指で摘みあげて貝を口に頬張った。
「それに、温かい物を温かいうちに食べれるのも嬉しいですわ」
貴族に生まれたからには仕方の無い事だが、食事は必ず『毒見』されたものしか口にしない。
王族ともなれば『毒見』は当然で、更には毒に身体を慣らすため自ら少量の毒を口にすることもするらしい。「解毒薬は苦くて苦くて解毒薬の方が毒みたいな味なのよ」とグレース様は笑いながら仰っていたけれど。
そういった事を思い出したのか、カズマ様は小さく頷いた。
「そうですね、グレース様も我侭を言った事がありました『温かいスープが飲みたい。舌が火傷するくらい温かいの!!』と」
「まあ、グレース様ったら…」
私はその話を聞いてクスクス笑った。
温かい食事はそれだけで御馳走だと思う。
前世で庶民だった私は余計にそう思うのかもしれない。
その後、次々と出された海の幸をふんだんに使った料理に舌鼓を打ち食堂が混み始めるくらいに部屋へと戻った。
「では、フォーサイス様。お休みなさいませ」
「ええ、おやすみなさい。カズマ様」
私は部屋に戻ると思う存分食べた海鮮を思い出しながらベッドに腰掛けた。
海鮮と『イーネ』を使ったパエリアが出てきたときは飛び上がるほど喜んでしまったわ。
『イーネ』はお米だったけれど、日本米ではなくどちらかといえばタイ米に近かったけれどカズマ様に聞いたら【ヤマト国】には様々な品種の『イーネ』があるらしいので私は今からウキウキしている。
ああ、早く【ヤマト国】に行きたいっ!!
貴族の令嬢であるセレスティア様が食堂で『ボンゴ』を手掴みで食べる姿に驚いたが、それは嫌悪の驚きではなく、好ましい驚きだった。
【ヤマト国】では『イーネ』のおにぎりなどを手で食べる習慣がある。
俺が国を出て驚いたのが手掴みで食べることが、イコール蛮族として扱われてしまう事実だった。
国境に面したこの街では【ヤマト国】の習慣も【ネイサン王国】の習慣も上手い具合に調和していて俺にとっては懐かしい雰囲気だった。
「…可愛らしかったな」
食堂での一件を思い出して俺は小さく笑った。
可愛らしいお腹の音もそうだが、微かに頬を赤く染めて無言で見上げてくるセレスティア様が可愛らしくて仕方なかった。
その後も出された食事を嬉しそうに楽しそうに頬張る姿も愛らしかった。
夜会の時の凛とした姿も素敵だったが、この旅の中で見せてくれる新しい一面に俺は胸が苦しくなる思いだった。
明日には港から船に乗り【ヤマト国】に入国する。
船を見たらどんな顔を見せてくれるだろう?
船酔いはしないだろうか。
そんな風に明日に思いを馳せて静かな夜は更けていった。
そして、この『傷心旅行』の間で何とか距離を縮められたらと思うカズマなのだった。
これは連載になるのだろうか…?