四枚の『絶対遵守』カード
僕と彼女は付き合っている。
「先輩、暑いです」
「奇遇だな。僕も暑い」
「それ奇遇でも何でもないですよ。同じ環境にいて暑くないならそれどっちかがおかしいです」
陽炎見える夏場。僕と彼女は二人きりで僕の部屋にいた。
窓を開けて網戸にした状態にして、扇風機をフル稼働にしているが、涼しいとは一切思えない。ここは地獄なのだろうか。通気性抜群にしても暑い。
「冷房つけないんですか?」
「リモコン無くしたんだ」
この暑さ、この状況でエアコンのリモコンを探そうとするならば、きっとタオル一枚で済まないだろう。と僕は思った。
手元にあった赤い下敷きで仰ぐが、冷たい風なんか来るわけがなく、しめったような暑い風が来るだけだった。
「先輩このままじゃ私達死んでしまう気がします」
「心頭滅却をするんだ」
「何ですか。先輩って精神論を振りかざす人なんですか?」
そんなつもりはないが、リモコンを探す気にならないという理由があるわけで。
「お風呂に行ってシャワー浴びたいです」
「使ってもいいけど、服ないぞ」
生憎僕には姉も妹もいない。むしろ姉や妹の服を着て欲情する彼氏は存在するのか国民アンケートを取りたい。
「……あぁぁぁぁ……暑い。先輩の家に行くというイベントなのに、どうしてこうも前途多難なんですか」
知るかよ。と思わず突っ込みたくなる。
そもそもの話、僕は彼女が家に来るという話を学校から一緒に帰るまで聞いたことがない。
突然、あ、今日先輩の家に寄りますね。と宣言されて今に至るのだ。
僕たちの制服がぺっとりと濡れていて、着心地が最悪だ。ちらりと彼女の方をみると、彼女のワイシャツが濡れてブラジャーとか、キャミソールの模様とか見えていた。
「……これはこれでいいかもしれないな」
目の保養だな。と思ってしまう。これは多分頭が熱でやられたのだろう……きっと。
「……先輩、ゲームしませんか?」
彼女は唐突に切り出してきた。
「……嫌だ」
「まだ何も言ってないですよ?」
話を聞かなくてもわかる。これはリモコンを探すように促すゲームだ。
負けるように仕組み、僕が探す羽目になる。きっと間違いない。だから乗らないことにした。
「絶対嫌だ」
「なんでそんなに断固反対するんですか。まだ何も言ってないじゃないですか」
彼女は不機嫌そうな顔をして俺を見る。
「聞かなくてもわかる。何か嵌めようとしているだろう」
僕は白目で彼女を見る。ワイシャツの前をパタパタとしながら中に空気を取り込もうとしている。
「しませんって!先輩ゲームしましょうよ!」
「……」
無視だ無視。
「今日は四枚のカードですよ」
「……四枚のカード?」
「はい」
彼女は答える。
「なんですか、四枚のカードやったことがないんですか?小学校の時にやったことありませんか?」
「あるっちゃあるけど……」
確か、四枚のカードは指定されたカードにストーリーを書いてみんなのカードを集めてシャッフルし、そして一つのストーリーを作り直すゲームだったか。
「たしか『いつ』『誰が』『何を』『何した』だったか?懐かしいな」
「ですよね。そのゲームをやりませんか?」
「二人で?」
はい。と彼女は答えた。
疑心暗鬼になって俺は彼女を見つめる。
じっとこっちを見てくる彼女に何かの思惑がないか観察をするが別に怪しいところもなかった。
「二人とか面白くないだろう?」
「いえ、一人で四枚のカードを三つ作ってくれれば大体千二百九十六通りのストーリーができるので暇はないと思います」
「……お前確率の問題やったことある?」
「中学の時に少しだけサイコロ振りまくって確率を計算していた覚えはあります」
ため息を漏らした。
「今その計算だと、四枚のカードを取り出した後にまた戻した計算になってるよ」
「え、そうなんですか?」
びっくりした顔をする彼女に僕は白紙の紙を取り出す。
「今の計算だと、六枚のカードから一枚取り出しす行為を一回やって、そのあと元に戻している計算になる。だから、今度は一枚だけ抜いた状態にしなきゃいけない」
「へぇー、勉強になります先輩」
まさかお家デートが確率の問題について話すとは思わなかった。
「で、先輩。やるんですか?やらないんですか?」
「……」
「じゃあ、ルール変更しましょう。絶対遵守の四枚のカードでどうです?」
「絶対遵守?」
はい。と彼女は答える。
「ルールをこうするんです。『いつ』『どこで』『何を』『何した』ではなくて、『誰が』『誰に』『何を』『何した』にするんです」
「ふむ」
つまり、ストーリーではなくて命令をするという形になるのか。
……つまりなおさらエアコンの可能性があるってことだ。
しかし、もしエアコンを探すのが絶対遵守のカードで選ばれるのなら僕じゃなくて、彼女になるというわけだ。
「なんなら、エッチなこと書いてもいいですよ?僕が、私の、おっぱいを、揉む。でも?」
「……っ!?」
暑さにやられてるからだろうか。頭が沸騰しそうだった。彼女にやらしいことをしちゃいけないという気持ちが強かったものが瓦解した気がする。
メリットもあるがデメリットもある。おそるべし絶対遵守のカード!
「で、どうするんですか?乗るのですか?」
「……はぁ、仕方ねぇなぁ」
全然興味ないように答えながら、俺はやましい気持ちでいっぱいだった。
「じゃあ、このカードあげるので書いてください」
「あいよ」
手渡されたカードは青いカード三枚と、黄色のカード三枚と、赤いカード三枚、そして緑のカード三枚だ。
多分、青、黄、赤、緑と順番に並べていくのだろう。
僕は一枚ずつ順番に並べていき、白紙のカードとにらめっこした。
少なからず相手は一組だけリモコンを探すという要望があるだろう。ならこちらはリモコンを探すというワードを作る必要はない。
こっちは下心いっぱいで書いていけばきっと面白いことができる。と下心でいっぱいになった。
僕が、彼女の、上着を、脱がす。
とりあえず破廉恥な事を一つ書き上げる。我ながら下心見え見えだな。と後悔をしたが、付き合って一年手を出したことはないし、口付けだってしたことがない僕らだ。
少しくらい破廉恥で何が悪い!
僕が、彼女の、胸を、触る。
二つ目ももちろん破廉恥だ。
心が震えた。これ以上期待しちゃいけないとわかっているが、このカードは僕の希望であり、彼女との勇気ある一歩なんだ。と言い聞かせる。
しかしふと、考えた。
こんなに破廉恥な事を書いて引いた彼女は僕を引くんじゃないか。
こんなことばかり書いていたら、むしろ彼女に何か見下されるんじゃないか。
そんな事を考え始める。
「先輩、そんな卑猥なこと書いたんですか?幻滅しました」
そんな事を言われたら僕はきっとその場にいる事を耐えきれず、窓から飛び出してしまうだろう。
「……くぅ」
絶対遵守のカード。遵守だけに命令する内容が酷ければそれは……つまり……。
「セクハラになるのではないか!?」
「ん?先輩どうしたんですか?」
彼女は思わず声を上げてしまった僕に話しかけてきた。
「あ、嫌なんでもないよ!?」
「……ふーん。そうですか。ちなみに書き終わりましたか?」
「え、ま、まだ二つしか書いてない」
「遅いですね。私はもうとっくに決めちゃいましたよ?」
「え、もう決まったの?」
なんていう速さだ。これじゃ相手の考えを知ることができない。
どうする、この状況じゃ変更なんてできない。
「……も、もう少し待ってくれ」
「えぇ、もちろん待ちますよ。先輩、しっかり考えてくれると思いますもん」
僕を信じ切った声が聞こえる。
その一言で僕は後悔をした。
彼女は僕に何を期待していたのか一瞬で理解した。
「……」
頼り甲斐のある先輩を考えていたのではないか。
僕ならこれを書くというのを予想して迷いもなく書いたのだろう。
……ごめん。
二組も、カードを無駄にした僕は彼女に心の底から謝罪をした。
……本当にごめん。
僕が、部屋の、リモコンを、探す。
僕は彼女に謝罪を込めて、書き記した。
書き上げた僕は裏返しまとめる。
「いいよ。終わった」
「やっと終わりましたか。遅いですよ。先輩」
暑そうな顔をしながら振り返った彼女は僕と同じようにカードを裏返している。
「じゃあ、混ぜますね」
「あぁ」
一枚ずつ、並べていった僕に合わせて彼女も一枚ずつ並べていく。
「お互いよく混ぜ合わせたら、置いて、お互い一回ずつめくっていきますよ?」
「……あぁ」
「何ですか、先輩元気ないですよ?」
「少しだけな、考え事していた」
リモコンはどこにやったのか。そういうのを考えながら彼女を見る。
あぁ、無邪気な純粋無垢な彼女の顔が僕を見ている。
「じゃあ、先輩からどうぞ」
「……了解」
一枚目、彼女の可愛い文字が書かれていた。
『私が』
「ありゃ、一発目から私が何をするんでしょうね」
「下品だぞ」
二枚目をめくると僕の文字だった。
『彼女の』
「……先輩何をする気だったんですか?」
「さぁね」
ドキドキし始めた。もし、三枚目で胸をだったら、彼女が自分自身で胸を揉みしだくということになるからだ。ぎゃくに上着を脱ぐことにもなる。
暑い中にやっちゃいけないと思った。
そして三枚目をめくると、僕の文字だった。
『上着を』
「……いや、これは暑いかなと思ったから……!」
「別に何もいってませんよ?さ、最後のカード開けちゃいましょう」
揉むならワンチャンセーフ。
しかし揉むというワードが出ても全然よくない。
そして四枚目を開ける。
『投げつける』
…………。ん?
『投げつける』
何を投げつけるんだろう?僕は不思議そうにそのカードを見つめる。彼女の文字だ。間違いない。彼女の可愛い文字だ。
「上着を投げつけるのね」
「え、おい、お前……」
ぐいっとワイシャツを脱ぎ捨てる。キャミソールとか、ブラジャーの紐とか露わになる。
「まって、どういうことだよ!」
「絶対遵守!おりゃぁ!」
ベタベタになったワイシャツを丸めた彼女は綺麗なフォームで俺の顔にめがけて投げつけできた。
「じゃあ、今度は私の番ですね」
「おまえ、絶対投げつけるってわざとだろ」
「え?何のことですか?」
「絶対、嵌めただろ!」
僕と彼女は言い合いをしていた。ちなみに、一枚服をキャストオフした彼女は若干涼しそうな顔をしていた。やはり女性は大変なんだなと思った。
「一体何を書いたんだよ」
「教えませーん。教えてあげませーん。むしろ先輩なんてもの書いてるんですか」
「うぐっ……」
たしかに上着とか、彼女のというワードは下心丸見えの内容だ。僕はぐうの音も出なかった。
「さ、気を取り直して次行きましょう。次!」
今度は彼女が一枚目をめくる。
「ふむふむ、先輩の字ですね。『僕が』ですか」
「頼むからへんな遵守カード引くなよな」
「ふふーん。それは神のみぞ知るセカイですよ」
「それ、神と紙をかけてるなら面白くないぞ」
むすっとしながら彼女は二枚目をめくる。それは僕の字で。
『部屋の』
と書かれていた。
「また何か卑猥なこと書いたんですか?」
訝しげな瞳で僕を見つめてくる。
何も答えず、じっとした。
彼女は三枚目を開く。そこには彼女の文字で書かれていた。
『エロ本を』
「おい、おまえ」
「さー、次行きましょう」
「いやいやいやいやいや、まてまてまてまてまて」
全力で彼女の手を抑える。
「待ちません!」
「いや待てよ。なにこれ。エロ本?誰が書いたんだよ」
「当然私ですけど」
しれっと答えたぞ。この人。
「だよな!?じゃなかったら僕じゃないよな!」
「なに当然なこと言ってるんですか?先輩蛆湧いてるんですか?」
そこまで非難する?
「いや、これなんだよ。エロ本ってさ」
「男子学生なるもの、エロ本を持ってなきゃダメだってお母さんが言ってたの思い出して……」
「やめて、僕の性癖を知ろうとするのやめて」
ふふん。と彼女は微笑んだ。
「先輩、このゲームは絶対遵守なんです。まだエロ本をどうするか決まっていませんよ」
「おまえ、もしかして捨てるとか書いてないよな!?」
「さぁ、それは神のみぞ知るセカイですよ!」
おまえそれ言いたいだけだよな!
「さぁ、最後のカード!オープン!」
それは僕の文字で書かれていた。
「ふむふむ、僕が、部屋の、エロ本を、探す。ですか。なんていうか、周知プレ……」
「言っちゃいけない。それは女性が言っちゃいけない」
僕は全力で彼女の言葉を遮る。
しかし、エロ本を探すか。捨てるとか投げつけるじゃなくてよかった……。
「といっても、私、先輩のエロ本知ってるんですけどね」
「……え?」
ニヤリと小悪魔のように笑いかけてくる彼女。
「先輩の背中にある、本棚。その辞書の裏、ですよね?」
「……っ!?」
なんで、それを知っている。こいつ。
「さー、なんででしょうねー。いやー、私とっても気になるなぁ」
「くっ……」
「絶対遵守のカードですよ。約束は守ってくださいよ」
「……ちくしょう!」
俺は辞書を引き抜くと、そこには俺がこれまで隠していたエロ本があった。
まさかこの時にお披露目になるとは思わなかった。
「ほー。女子高生フェチなんですか?先輩。いやコスプレフェチ?」
「……どうでもいいだろ」
くすくす笑いながら僕のエロ本を流していく。
とても恥ずかしかった。だから絶対遵守のカードはやりたくなかったんだよ。
「まぁ、先輩。いいじゃないですか」
「なにがだよ」
「だって、先輩の目の前にはフェチストライクの私がいるんですから」
見せつけるように彼女は僕にアピールする。
「……たしかに、そうだけど……」
否定はしなかった。たしかに彼女が恋人となってからこのエロ本はあんまり手をつけていない。
「感謝しないとダメですね?先輩?」
「……どうも、ありがとうございます」
それ以降はなんかいまいち微妙なものだった。
文脈になってすらいないもの。命令なのに、命令じゃないようなもの。そんなものが出続けた。
そして追い討ちをかけるように、プレイヤーは僕と彼女しかいない。
だから飽きるのも時間の問題だった。
「まー、これが最後の一枚ですね」
「そうだなー。てか、なんで、僕が僕のほっぺたにキスをするんだよ。内側からキスをしろっていってるのか?」
「さー、神のみぞ知るセ……」
「そのセリフもういいから」
その言葉好きなのかよ。お前。
「最後は、先輩っすよ。どうぞ」
「……」
最後は分かりきっていた。
一枚目のカードは僕のやつは全て出ている。だから彼女のカードだ。
僕は息を呑み、彼女が書いた最後のカードをめくる。
『私達が』
それは誰がというには見当はずれのものだった。
なぜ彼女が私達が書いたのか、わからなかった。
「二枚目行くよ」
「はい」
僕は二枚目をめくる。それも僕のカードは全てめくられているから彼女のカードだった。
『私達の』
「……」
僕は想像を膨らませていった。僕らは僕らのなにをするのだろう。
さっき言った通り、僕らは付き合って一年になる。しかしお互い触れ合ったことはなかった。
「先輩。次行きましょう」
「……なぁ、これ全部お前が仕組んだんだろ?」
「え?」
僕は理解したように彼女に話しかけた。
そりゃそうだ。考えてみればわかることじゃないか。
最初のカードシャッフルのときに、僕が混ぜた後、混ぜたのは誰だ?
彼女だ。
彼女はゲームオタクだから、カードをシャッフルすることに細工をすることくらい造作もないだろう。
「このカードは僕らにとって新しい一歩を踏み出すカードだ」
「どうして?」
「僕のカードは全てめくられているから」
そして、僕らが混ぜ合わせたカードは全てちぐはぐでなにもできないものだった。
「三枚目、『愛を』」
「……」
「ここまで細工ができるのは正直すごいと思う。でも、僕らはまだそこに至るまでのことをしていないと思う」
四枚目をめくる。そこには『確認する』と書かれていた。
「僕らは絶対遵守の中でこのゲームをやってきた。だけど、こればっかりは遵守できない」
「……」
彼女は顔をうつむかせ顔を隠した。
「俺たちは俺たちの速度で、進もうじゃないか。急ぐ必要なんてないから」
「……はい」
これでいい。僕らはまだまだ子どもだ。そんな愛の確かめ方は間違っている。
「さて、このゲームはおしまいだ。いやー、なんか疲れたな」
「先輩、まだ終わってないですよ」
「え?」
背伸びをしていた僕を彼女は呼び止めた。
「このゲームの勝敗決まってないじゃないですか。ゲームに勝敗がないのはただの遊びですよ」
「え、このゲーム勝敗なんかあったの?」
「はい、ありますよ」
果たしてなにが勝敗に関係しているのか、考え込む。
お互いカードをめくりあい、遵守するゲーム。
「……あ」
「先輩は絶対遵守のゲームで否定しました。つまり、先輩は絶対遵守のゲームを反則負けしたんです」
「……」
つまり、愛を確かめることを否定した時点で僕は負けていた。
「……なんていう卑劣な」
「勝つためならよかろうなのだ」
なんてやつだ。こいつは。
「さぁ、先輩。罰ゲームですよ」
仁王立ちになって彼女は僕に言い放つ。
「部屋のリモコン探しましょう」
「……ですよね」
僕はため息を漏らした。
やはりこれが目的だったのだろう。
なんていう回りくどいことなのだろう。
絶対遵守のゲームに勝ち、リモコンを探させる。
たったこれだけのためだけにここまで仕掛ける彼女が恐ろしかった。
「絶対遵守ですよ!」
「……はいはい」
僕は立ち上がり、リモコンを探し始める。
全く困ったお方だ。と思った時、ふと思った。
「なぁ、もし愛を確かめる。のあたりで、もし僕が遵守したらどうするつもりだったんだ?」
そう、僕が下心に走ったら彼女はどうなったのだろう。
彼女は僕をちらりと見てきた。
その顔は部屋の熱で赤くなった頬ではない。
羞恥心によって紅潮していた。
「……言わせないでください。馬鹿先輩……」
「……すまなかった」
そこからリモコンを探し出すのに三十分かかり、僕たちはその間一言も口を開かなかった。