バスの座席から
「たらちねの」ときたら「母」。「あをによし」とくれば「奈良」。「あしひきの」であるならば、あとに続くのは「山」であり、「山」に返すのは「川」しかない。そしてもちろん「バナナ」と言ったら「黄色」である。考えるまでもない、これはもう条件反射なのだから。
同様に「茨城県」と言われたならば、我々のような人間の頭の中に即座に浮かんでくるのは当然、路線バス「クルクルのうとう号」であろう。
納豆も水戸黄門をも差し置いて、誰も追いつくことのできない猛スピードで口から飛び出してくる「クルクルのうとう号」。
昨年度、大手旅行会社が行った都道府県別観光目的アンケート(複数選択式)において、のうとう市の「クルクルのうとう号」は、茨城県を訪れる旅行者の観光目的として、日本人旅行者部門では第十二位、外国人旅行者部門でも第二十一位の座に輝いた。また三年前に実施された別の調査では、のうとう市を訪ねた観光客のうちおよそ四割もの旅行者が、市内を移動するときの主な交通手段として「クルクルのうとう号」を選択していることが明らかになった。
さて、この場で説明するまでもないことだとは思うが、念のため以下に「クルクルのうとう号」について簡単に記しておこう。万が一にも「クルクルのうとう号」のことを今まで知らずに生きてきたという稀有な読者がいるのであれば、今後のあなたの降車ライフをより良いものにするためにも、ぜひともこれを機会にしっかりと覚えておいていただきたい。頭の片隅に仕舞いこんでおくなどとつれないことはどうか言わずに、あなたの海馬の中でもいちばん目立つ、とっておきのスペースに電飾でも巻き付けて常に飾っておいてほしい。
今日の我々が知る伝説のすべては、この「クルクルのうとう号」からはじまったものなのだから。
「クルクルのうとう号」とは茨城県の南部に位置する北関東有数の商業都市「のうとう市」が運営している循環型路線バスの名称である。後方ドア乗り・前方ドア降り式を採用しており、運賃は後払い制のワンマンバスだ。
「のうとう駅前バスターミナル」を出発点とし、市内合計二十八ヶ所のバスストップを経由して、ふたたび駅前まで戻ってくるこの路線は、もともと観光客向けとしてではなく、市内在住・在勤・在学者用の交通手段として開通した。
路線開通以来ずっと変わらず、「クルクルのうとう号」が停車するバスストップの中で一日の乗降客数がもっとも多いのは、「のうとう駅前バスターミナル」だ。
そして二番目に多いのが、かの有名な「のうとう市役所前」である。
「のうとう市役所前」はその名前のとおり、のうとう市役所の目の前にあるバスストップである。ほかにも市立病院や近隣に立つ三つの高校にとっての最寄りの停留所ともなっているため、朝の通勤通学時間帯はとりわけ利用者の数が多い。
のうとう市内で、〈降車ボタン早押し競技〉歴代四天王のうち最強の四人と呼ばれた彼ら彼女らも、この「のうとう市役所前」の利用者であった。
凛としたその佇まいからはとても想像できないほどの荒々しい手つきでボタンを押す、〈市役所勤めの荒山〉。
たとえ目の前の座席が空いていたとしても、決して座ることなく目的地まで立ち続ける、〈セーラー服を着た修行僧・立野〉。
お年寄りやヘルプマークを付けた乗客の存在には必ず気付き、即座に自身の座席を譲る、〈心優しき医療事務員・木月〉。
そしてその強者揃いの四天王の中でも、もっとも素早く降車ボタンを押すことのできる少年、〈スピード自慢の轟〉。
平日の朝七時三十五分にのうとう駅前バスターミナルを出発する「クルクルのうとう三号」。四天王たちはいつも、このバスに乗っていた。
その路線ごとに、いくつものローカルルールが存在していたかつての〈降車ボタン早押し競技〉であるが、「クルクルのうとう号」で使用されていたものは今日の公式大会でも採用されている協会認定ルールとそれほど変わりがないものである。
『降車ボタンを押して良いのは、車内アナウンスが終わってから。それ以前のプッシュはお手付き扱いとする』
『乗車後のポジショニングは速やかに行い、走行中には車内を移動してはならない』
競技の基本となるこの二つのルールは、「クルクルのうとう号」で使用されていたルールと協会認定ルールとで共通しているものである。
そして協会のルールブックには載っていない「クルクルのうとう号」独自のルールの中で、とても重要なのが次である。
『小学生以下とみられる子どもが乗車してきた場合には、競技の開催を必ず中止しなくてはならない』
車内に子どもがいた場合には、降車ボタンを押す権利をその子どもへと譲ること。
降車ボタンを押す喜びを、子どもに味わわせてあげること。
路線バスという乗りものの公共性を考えたとき、子どもたちを優先するというのはとても重要なことである。
競技性・安全性・公共性。
この大事な三本の柱をしっかりと共存させながら、「クルクルのうとう号」はのうとう市内をクルクルと走り回っていたのである。
その日、「クルクルのうとう三号」の中はかつてない緊張感に満ちあふれていた。
車窓の外では薄紅色の桜が舞い散る、四月らしいうららかな春の良き日であったのだが、その暖かい空気は残念ながらバスに乗りこんではこなかった。
車内を支配していたピリピリとした雰囲気。その原因は、四天王が一人、〈セーラー服を着た修行僧〉の二つ名で知られる女傑・立野アケミの不在によるものだった。
その春、立野は高校を卒業し、大学進学のために生まれ育ったのうとう市を離れ、神奈川県へと旅立っていった。
高校一年生の秋に悲願の四天王入りを果たし、それから二年半ものあいだ長きにわたり、四天王の椅子を守り続けた立野の引退。
空いた座席には、いったいだれが座るのか。
立野に匹敵する選手は、はたしてあらわれるのか。
平常時とは異なる空気の中でも、荒山と木月の二人は普段と変わらぬ様子で、それぞれが選んだ座席に着いていた。
両者とも、周囲から向けられる視線などものともせずに、常と同じくぴっしりと背筋を伸ばして着席している。
ギャラリーであるほかの乗客たちには、表情からも立ち居振る舞いからも、荒山と木月の緊張や動揺を感じ取ることはできなかった。
さすがは四天王。
これこそが四天王。
四天王ともなれば、この程度のことでは微塵も狼狽えないのだろう。
多くの乗客たちが、そう感心していたとおり、荒山も木月もさして緊張はしていなかった。「クルクルのうとう号」に乗りはじめて五年以上が経つ二人は、すでに何度も新たな四天王誕生の瞬間に立ち会ってきていた。
かつてはそれなりに狼狽を見せたこともあったが、それももはや昔のこと。
このときには二人とも、先達としての余裕をもって新しい四天王を待ちかまえることができるようになっていた。
しかし轟だけは違った。
その日、高校二年生に進級したばかりの轟少年は、車内に充満する緊張感に心も身体もすっかり呑みこまれてしまっていたのだ。
高校入学に伴い、「クルクルのうとう号」を利用しはじめて一年。定期券を購入したその翌日には四天王入りをはたしていた轟は、自分よりも素早く降車ボタンを押せる乗客など見たことがなかった。
荒山と木月、そして引退していった立野。三人とも、歴代最強四天王と呼ばれるにふさわしい反射神経やテクニックを持ってはいたが、それでも轟の素早さには敵わない。
この一年間の勝率を振り返ってみれば、轟の強さは四人の中でもダントツだった。
――「クルクルのうとう号」の中を紫の光で染めるのは、このおれだ。おれだけだ。
目の前の手すりを強く握りしめながら、轟は心の中で己にそう言い聞かせていた。
轟が〈降車ボタン早押し競技〉に夢中になったのは、小学三年生のときの出来事がきっかけである。
それは隣町に住む祖母の家へと遊びに出かけた日のことだった。自宅へと帰るため、両親とともに乗ったバスの中で、轟は「それ」と出会った。出会ってしまった。
「お母さん、これなに?」
轟の目に留まったのは、黄色いカバーに縁どられたボタンだった。
「これはね、『次のバス停で降りたいです』って運転手さんに伝えるためのボタンなんだよ。行きに乗ったバスにもちゃんと付いてたでしょ」
「んー、覚えてない」
ボタンを見ると押したくなるのが子どもの、否、人間の性。押してみたいと駄々をこねはじめた轟を、あともう少しだけ我慢してくれと両親が優しく諭し続けること十五分。轟の体感時間としては数時間。ついに轟家の最寄りの停留所が近付いてきた。
『次はー、おさめ町郵便局前ー。おさめ町郵便局前でございます。郵便局、カザマ耳鼻科へはこちらでお降りください』
「ほら、押していいぞ」
車内アナウンスに続いて、ようやく父親からの許可が下りた。
胸をドキドキさせながら、ひと差し指を突き出した轟は、『とまります』と書かれているプラスチックのボタンを、そおっと押してみた。その途端。
『次、止まります』
平坦な女性の声のアナウンスが流れると同時に、バスの中にたくさんの紫のあかりが灯った。
夕暮れどきの車内を彩る、紫色の降車ボタン。
その美しさに、九歳の轟少年はすっかり魅了されてしまった。
そして、その光景を生み出したのは自身の指先であるという事実が、彼の心をさらに強く刺激した。
その日から、〈降車ボタン早押し競技〉は轟の人生と切っても切り離せないものになったのだ。
――新しい四天王がどんなやつだったとしても、おれは負けない。絶対に。
バスが「のうとう市役所前」に近付くにつれ、轟の緊張は高まり、手すりを握りしめる両手にもさらに力がこもっていく。
そして、ついに決戦のときがやってきた。
『次はー、のうとう市役所前ー。のうとう市役所前でございます。市役所、市立病院へはこちらでお降りください』
『次、止まります』
一瞬、車内が静まり返った。そして次の瞬間、バスの車体が揺れるほどの大きなどよめきが上がった。
停留所を紹介するアナウンスが終わったと乗客たちの脳が認識したときには、すでに『次、止まります』が聞こえてきていたのである。
まさに一瞬の早業。
〈スピード自慢〉で知られる轟ですら、なにが起こったのかすぐには理解できていなかった。
「だれだ」
「今のは、だれが押したんだ」
乗客たちは一斉に、車内に視線を巡らせはじめた。
そのうちの一人がすぐに、バスの後方に座っている女子高生の存在に気が付いた。
「なあ、あの子じゃないのか」
彼女は、車内の喧騒などどこ吹く風といった様子で、優美な微笑みを浮かべていた。右手のひと差し指を、降車ボタンに乗せたまま。
「あの子だ」
「きっとそうだ」
「間違いない」
それまでの四天王とは一線を画する実力を持つ、その女子高校生の名前は、速水しづか。
彼女の登場によって、「クルクルのうとう号」では四天王のそのさらに上、〈魔王〉の称号が誕生することとなった。
のうとう市立工業高校に通う一年生、速水しづか。
彼女の存在はまたたくまに有名になっていった。〈魔王〉というその呼び名とともに。
「すぐ近くに、のうとう女子農業高校ってあるでしょ。あの全国でも有数の百人一首の強豪校。去年、〈魔王〉のところに、そこの百人一首部からスカウトが来てたらしいよ」
「ああ、あの反射神経を見込まれたわけか」
「そう。それと、お隣の県にある、早押しクイズの名門校からもお声がかかってたって聞いたよ」
「やっぱり反射神経か」
「うん。でも、〈魔王〉はそのどっちも断ったんだって」
「えー、なんでさ。もったいない」
「それがね、〈降車ボタン早押し競技〉に専念したいからなんだって」
「うっわー、ストイックだねえ。やっぱ〈魔王〉は違うわ」
虚実がないまぜになった、というよりも九割九分九厘が根も葉もない出まかせの噂が、のうとう市内を飛び交った。
〈魔王〉が市民に与えた衝撃は、それほどのものだったのである。
そしてその衝撃にもっとも強く殴られたのが、四天王の三人である。
速水の鮮烈な登場によって、己の慢心を思い知らされた荒山・木月・轟の三人は、その日から熱心に自身の腕に磨きをかけるようになる。
打倒〈魔王〉を心に掲げ、修練に励んだ三人の技術の向上は目覚ましく、とくに轟はその後の二年間における〈魔王〉との切磋琢磨で、彼の能力を大きく飛躍させていった。
それからの轟選手の活躍は、読者諸氏もよく知るところだろう。
二十五歳のときに、かつてのライバル荒山・立野・木月らとともに「全日本降車道協会」を設立。
地域や路線によってルールが大きく異なっていた〈降車ボタン早押し競技〉を〈降車道〉と名前を変えたうえで、ルールを一本化。その競技性と認知度をはるかに向上させた。
活動の成果が実り、協会設立から七年後には〈降車道〉は国体種目へと採択され正式に追加された。
それと同時に、公共のバスにおいて〈降車道〉をプレイすることを迷惑行為として禁止する法律も制定された。
これを「〈降車ボタン早押し競技〉から自由が失われた」と嘆く意見もいまだにある。しかし現在、複数の都市で公営の「〈降車道〉専用バス」が運行されていることから考えれば、この決定は〈降車道〉が一種の競技としての地位を確立した証だとするのが正しいのではないだろうか。
九歳のときに降車ボタンの虜になり、それからはずっと降車ボタンとともに歩んできた轟選手。
彼がいたからこそ、今日の〈降車道〉があるのである。
〈魔王〉こと速水しづか選手に打ちのめされたことを除けば、一見順風満帆にも思える轟選手の競技人生。
しかしその轟選手にも「もう、〈降車道〉からは足を洗おうと思った」ことがあるのだという。
それは、彼が三十六歳のときのことだった。
「正直、もう限界かなあなんて思っちゃってたんですよね。あんときは」
ともに協会設立のために尽力してきた、かつての四天王たちは、轟選手以外の三人ともが当時すでに現役を退いていた。
「荒山さんも立野さんも木月さんも、みんな協会の理事として競技の普及や後進の育成のために頑張ってて。それを見て悩んじゃってたんですよね。
おれだけがいつまでも好き勝手に競技を続けてていいのかなって」
その「悩み」が轟選手の足を引っ張った。
埼玉で開催された国民体育大会に、轟選手は茨城県の代表選手として出場していた。
優勝候補の最有力として名前があがっていた轟選手だったが、結果はまさかの失格処分。
「『迷いを乗せた指先で、バスを止めてはいけない』。〈降車道〉における、基礎中の基礎です。でも、あのときのおれには、その基礎すらもできていなかった」
国体で使用されるルールは、大会運営を迅速にするために、協会認定ルールとはいくつか異なる点がある。
そのうちの一つが、「お手付き」にかんするルールだ。
協会認定ルールでは、一試合において個人が二度以上のお手付きをした場合は、その回数に応じて試合終了時の得点から減点が行われる。
しかし国体ルールでは、予選決勝本戦を問わず、お手付きが許されるのは各個人に一度まで。二度目のお手付きをした時点で、その選手は失格処分となってしまう。
予選のリーグ戦では、一度のお手付きがあったものの、全通過者中第三位という好成績で決勝へと駒を進めた轟選手。しかし決勝戦において大会中二度目となるお手付きをしてしまい、結果を残すことができないまま、試合会場のバス車内から姿を消すこととなってしまった。
「もう、あんときは本当に悔しくって悔しくって、そんでもって不甲斐なくって。頭ん中が真っ白になりました」
優勝候補筆頭とまで言われていたのに、この結果。
自分はもう、引退するしか道がないのかもしれない。
重たい足を引きずりながら戻った控室で、そんなことを考えていた轟選手。しかしそんな暗い気持ちはふと目にしたモニターからの衝撃によって、すぐさま吹き飛ばされてしまった。
控室に設置された小さなモニター。決勝戦を中継しているその画面の中で、優美に微笑んでいた女性。〈魔王〉こと、速水しづか選手である。
轟選手が自身の限界と向き合い、悩みながら挑んだ埼玉国体。それは折しも、第二子出産以来、競技から長いあいだ離れていた速水選手にとって、五年ぶりに出場する大きな大会だった。
ブランクを微塵も感じさせない、危なげないプレイで三位入賞をはたした速水選手。
表彰式が終わったタイミングで、轟選手はすぐさま彼女に電話をかけた。
「あいかわらずの反射神経とか、あの状況で微笑んでいられるメンタルの強さとかね。そういうところも、ほんとすごいなあって思ったんですけど。
でも、それよりなにより、とにかくこれだけは伝えたかったんです。『ありがとう』って。
『〈降車道〉にまた戻ってきてくれて、ありがとう』って。それで、速水に電話をかけたんです」
電話の向こうの速水選手に向かって、心からの感謝を伝えた轟選手。しかしその後、速水選手から返ってきた言葉に、轟選手は驚愕することになる。
「おれが『戻って来てくれてありがとう』って伝えたら、速水が言ったんです。
『わたし、戻ってきてなんていません。この大会で復帰したつもりもありません』って」
驚きのあまり電話口で黙り込んでしまった轟選手に向けて、彼女はこう言葉を続けた。
『子どもを妊娠しているときも、出産してからも、わたしの心はずっとバスの座席の上にありました。指先は降車ボタンに触れていました。
昔は〈降車ボタン早押し競技〉が好きでした。今は〈降車道〉が大好きです。
なにがあったとしても、この競技から離れることなんてできません。だから、戻ってきたつもりもないんです。
わたしはずっと、バスの座席にいたんですから』
高校二年生のあの春の日に「クルクルのうとう号」の中で、はじめて彼女を見たときと同じくらい、いやそれ以上の衝撃を、このとき轟選手は味わわされた。
「速水のこの言葉を聞いて、わかったんです。
おれには、引退なんかできないって。
だって、おれの心もいつだって降車ボタンとともにあるんですから」
この埼玉国体から二年後、三十八歳にして轟選手は〈降車道〉史上初のプロ選手として歩みはじめた。翌年には、速水選手もプロへと転向。
そして現在、国内には十一人の〈降車道〉のプロ選手が存在している。
〈降車道〉の礎を築き、これからも〈降車道〉とともに生きていくと言う轟選手。
最後に、彼のこれからの目標について訊ねてみた。
「個人的なこととしては、生涯現役かなあ。あとは、〈降車道〉のさらなる普及ですね。国体種目に選ばれたんだから、次はオリンピックを目指さなきゃ(笑)。
まあ、海外進出は難しいとしても、国内のプレイ人口はまだまだ増やしていかなくちゃですよね。
正直、まだまだマイナー競技だっていうのはね、日々実感させられてますからね。
たとえば〈降車道〉の専門誌って、二つしかないでしょ」
轟選手が指摘しているとおり、現在〈降車道〉の専門誌は二冊しか存在していない。しかもそのうちの一冊、全日本降車道協会が発行している『ばすすとっぷ通信』は、季刊誌である。
「協会発足から二十年が経とうっていうのに、専門誌は二つだけだし、ほかのメディアではほとんど取り上げてもらえない。
このままじゃ、どんどん先細っていくのが目に見えてますからね。
降車ボタンを押す楽しさを、多くのひとに伝えていきたいです。その楽しさを通じて、世界中のひとたちをこの道に引きずりこめたらな、なんて(笑)」
バスの車内を、紫の光で染める轟選手の指先は今、世界中のひとの心を〈降車道〉の魅力で染め上げようとたくらんでいる。
本誌『月刊・バスの座席から』の創刊十周年を記念しての連続企画。〈降車道〉の歴史を、プロ選手へのインタビューとともにふりかえるスペシャル企画、第五回の今回は轟翔太選手にお越しいただきました。
第六回となる次回は、今回の記事中でも何度かお名前があがっていた〈魔王〉こと速水しづか選手をお迎えしてお送りいたします。
「結婚、出産、離婚。世間が注目するのは、わたしの『オンナ』の部分だけだった」
苦笑いを浮かべながらそう語ってくれた速水選手。
複数のカメラのフラッシュが彼女に向かれてたかれていたとき、その中心からはどんな景色が見えていたのか。
次回「速水しづか選手にインタビュー! ママさん選手と呼ばれて」お楽しみに!