第2章「副業を始めました」
【前回までのあらすじ】
俺の名前は日向。世間を騒がせていた国王募集の求人にネタで応募したところ、なんと受かってしまった。合格通知で指定されていた場所に行ったところ、そこは信じられないほどのど田舎で、ただ古いだけの古民家があるのみだった。
その古民家で楓という名の少女に会い、異世界の門を通って異世界へと渡った俺は、楓の仲間である撫子と桜という2人の少女に会った。しかし、俺が就任する予定の国に住むのは、今のところその3人だけだったのだ。
近くには松郷という魔物に占拠された街があり、楓たちの計画ではその街を奪還するところから建国は始まり、その作戦には勇者としての俺の能力が不可欠らしい。
俺は、異世界で安価に手に入るという金食器を報酬として、楓たちの計画に協力することを約束したのだった。
日本に戻ってきた俺は、翌日、すぐに大学の研究室へと向かった。今後の身の振り方を相談するためだ。
俺の所属は都内の某国立大学工学部機械工学科の遊佐研究室にある。3号館の2階にある研究室のドアを開けると、そこには春休みにもかかわらず見知った顔が1つあった。
「先輩、おはようございます」
「日向くんか。おはよう。どうだった、例の件は?」
遊佐忍。遊佐教授の一人娘でこの春から博士課程1年の、研究室の先輩だ。俺を超常現象趣味に引きずり込んだ戦犯の1人でもある。
「ふふ、先輩。悔しがらないでくださいよ。俺、異世界に行ってきました!」
ガタッ
「な、なんだってー」
予想通り食いついてきた。普通ならバカにされているんじゃないかと疑うような俺の報告も、2人の間では何の疑問もなく受け入れられるのだ。
「ということは、やっぱり異世界の国王だったんだ。パ、父の言うとおりだったのね」
「ん、先生、そんなこと言ってたんですか?」
忍先輩は、プライベートでは遊佐教授のことをパパと呼んでいるが、人前でそう呼ぶのは恥ずかしいらしく、俺の前でも格好つけて父と呼んでいる。でも、時々、ポロッと漏れる。今も言いかけて慌てて直していた。
それはともかく、遊佐教授が異世界の件を予測していたなんて。
「うん。あの求人を見た時にピンと来たらしくて、これは絶対に超常現象関連だから、お前も応募しておきなさいって言われて一応応募したの。日向くんは卒論で忙しかったから父は遠慮したみたいだけど」
「俺は俺で勝手に応募してましたけどね」
「まさか本当に当たりだったとはね。しかも日向くんがその当たりを引いちゃうなんて」
「本当に世の中ありえないことが起きるもんですよね」
「で、どうだったの?」
そう言って忍先輩は車輪付きのデスクチェアに腰掛けたまま、俺のすぐ近くまで滑ってきた。ふわりと揺れた黒髪から漂うシャンプーの香りにドキッとした。
「え、えっとぉ……」
俺が昨日一昨日に体験したことを掻い摘んで説明すると、忍先輩は少し考えて言った。
「で、日向くんはこの仕事、引き受けるつもりなの?」
「一応、そのつもりです」
「年収1千万円ってあったけど、その出処はどうなるの? 異世界には日本円なんてないでしょ?」
「今日はその相談にも来たんですよ」
そう言って、俺は鞄の中からコップを1つ取り出した。例の異世界の金のコップだ。
「これって……」
「金ですよ。持ったら明らかに重いですけど、念のため今朝比重も量っておきました。純金です」
「ふえぇー」
「あっちでは、金の価値は低くて、こういう金製品は簡単に手に入るみたいです。俺の給料は当分の間金製品の現物支給ってことになりました」
「すごいね。お金持ちじゃん」
「先輩に言われたくないですけどね」
忍先輩の言葉に俺がそう笑って言い返したのにはわけがある。
忍先輩の家、つまり遊佐家なのだが、は日本の古い大財閥の1つ、遊佐財閥の嫡流で、遊佐グループを束ねる立場にあるのだ。その現当主が遊佐教授なのだが、いかんせん本人はあまり経営には関心がないらしく、実際の経営は個々の企業の自主性に任せていた。
しかし、君臨するだけとはいえ財閥の嫡流、お金がありすぎて困るという悩みはあるにせよ、お金がなくて困るという悩みは生まれてこの方持ったことがないほどのお金持ちなのだ。
「でも、先輩や先生ならこういうのをどこで売ったらいいかとか知ってるかなと思って。なにせ俺はこんな高価なものは今まで手にしたこともないですから」
「うーん。私もこういうものの売り買いとかしたことないからなー。父に相談したほうがいいんじゃないかな」
「ですよね。先生は今どこに?」
「教授会だって言ってたから、もう戻ってきてるんじゃないかな」
そう言うと忍先輩は自ら先頭に立って教授室に向かったのだった。
「パパ」
「忍。どうしました?」
「日向くんが帰ってきたの」
遊佐教授はこの後何か用事があるのか、引き出しや棚を開けて書類の整理をしていたが、忍先輩と俺が入ってくるのを見て笑顔で出迎えてくれた。
「お、待ってたんですよ、日向くん。で、例の件はどうでしたか?」
会うなりいきなり例の国王募集の件について聞いてくるところとか、やっぱり親子だなと思ってちょっと笑ってしまう。
「日向くん、何笑ってるの?」
「なんでもないよ」
俺の笑いにピンときたのか、忍先輩が少し不機嫌な顔で文句を言ってくるがそれは軽く受け流して、さっき忍先輩にしたのと同じ話を遊佐教授にもした。
「で、それがその金食器ですか」
「はい。あ、ところで時間は大丈夫ですか?」
「夕方の便でストックホルムに飛びますが、まだしばらくは大丈夫ですよ」
「そうですか」
なんだかんだといって大学の教授ともなると多忙で、日本を離れていることも多い。特に今は学期休みで授業がないため、かえって出張が多くて日本を離れている期間が長い。今日会えたのは、そういう意味では運が良かった。
「で、相談なんですが、この金食器、どうやって売ったらいいでしょう?」
「ふむ」
そう言ったまま、遊佐教授はしばらく黙り込んでピクリとも動かなくしまった。教授のこういう時は考え事をして頭が高速回転しているときだ。一見フリーズしてしまったみたいで初めての人は驚くが、そのうち動き出すのでじっと待っていればいい。
「日向くん、進学の方は?」
「こういうことになりましたので、入学早々に退学ということにさせていただこうかと」
ようやくフリーズが解けて1つ目の質問には、質問の意図は分からなかったが、素直に返事をしておいた。きっと遊佐教授の頭の中では俺の質問の答えにちゃんと繋がっているのだろう。
「分かりました。何かあったら復学できるように私の方で取り計らっておきましょう」
「ありがとうございます」
「さて、日向くん。退学した後、私の下で個人的に働く気はありませんか?」
「えっ?」
さすがに遊佐教授の突飛な発言に慣れてきた俺も、こればかりは驚かざるを得なかった。
「あの、僕、異世界の国王に就職する予定なんですが」
「分かってますよ」
遊佐教授はさもいいことを思い付いたと言うようにドヤ顔になっているが、俺には何を言いたいのかさっぱり分からない。
「降参です。どういうことですか?」
「日向くんの仕事は月に最低は1度は私のところに顔を出して、異世界から金製品などを持ち帰ることと、異世界で見聞きした出来事を報告することです」
「はぁ」
「名目は「調査業務アシスタント」としましょうか。報酬は年1千万円ということで」
「それなら国王の仕事と両立可能ですけど、どうしてわざわざそんな面倒なことを? 単に持ち込んだ金製品を買い取りじゃダメなんですか?」
俺がそう言うと、遊佐教授は「いい質問です」とばかりににこにこして言った。
「日向くんはまだ若いから知らないでしょうが、お金を正しく稼ぐというのは思ったより面倒なことなんですよ」
遊佐教授の論点は多岐にわたっていたが、重要な点は次のようなところだった。
まずは所得税。金製品を売った所得について所得税の申告をするには帳簿をつけなければならない。しかし、金製品の仕入先をどことして申告するのか?
異世界から仕入れたという話を信じてもらえたとして、異世界は日本国外だからその取引は貿易に当たるのではないか。その場合、通関を経て関税を支払う必要があるのではないか?
異世界を信じてもらえない場合、出処が不明の所得ということになって、不正取引の疑いを掛けられる可能性もある。その疑いに対してどう説明するのか?
そもそも異世界のことを公表することは、日本と異世界の双方にとって有益でない可能性がある。特に好奇心に駆られたマスメディアや大衆が異世界に殺到することは不安が大きい。また、異世界との金価格差は、世界の金価格に大混乱を与える危険性もある。
一方、遊佐家には昔から宝飾品類は山ほど保管されているので、数千万円分くらい増えたところで誰も疑問に思わない。遊佐家が金製品を預かることで金製品の出自を隠すことができる。
そもそも、遊佐教授自身が異世界の物産に興味津々。
遊佐教授のアシスタントになると、収入を給与所得として申告することができ、所得税の申告が簡単になる。また、健康保険や年金の面でも、遊佐グループに入ることになるので個人事業主より有利。
要は、金製品を売却して対価を得る代わりに、教授の個人的なコレクションのお手伝いをする仕事をして給与を得るという形にすることで、いろいろな面倒事を避けようということらしい。
「こう見えても遊佐グループを管理する立場にあるのでね、私のアシスタント業務を専門にするコンサルティング・ファームがあるんですよ。日向くんにはそこに入社してもらいましょう」
「ありがとうございます。お願いします」
「私は今日から日本を離れるので、必要書類は忍に預けておきます。後の細かい話はメールでしましょう。異世界からはメールはできるのですか?」
「それはさすがに無理だと思います。でも、日本との行き来は簡単なので当分は1日に1回くらいは読めるんじゃないでしょうか」
「なるほど。国王就任は4月1日でしたね。それまでにはこっちの入社手続きが済むようにしておきます」
「はい。お願いします」
ということで、俺は遊佐教授の調査業務アシスタントとしてコンサルティング・ファームに入社することになった。異世界の国王と兼任でだ。
ついでに、異世界から持ち帰った金食器を渡しておいた。これは忍先輩に預けられ、遊佐教授の自宅へと運ばれることになった。
「私がいない時には、報告は忍にしておいてください。後、仕事とは関係なく、忍とも定期的に連絡を取ってくださいね」
「ちょ、パパ!」
「じゃあ、私は出張の前にすることがあるので、この辺で」
遊佐教授はそう言って俺たちを残して出ていった。
どうも遊佐教授は俺と忍先輩が付き合っていると誤解しているフシがあって、時々さっきみたいなことをさらっと言ってくる。俺としてはその誤解は嬉しいけど、肝心の忍先輩は迷惑してるんじゃないかな。
「ごめんね、父が変なこと言って」
「大丈夫。気にしてないですから」
「ん」
「……」
忍先輩と俺の間に流れる微妙な沈黙。うう、なんか気まずい。
「……、これからどうするの?」
「車を買おうかと」
空気を変えようとした忍先輩の言葉に俺は飛びついた。
「なんで?」
「異世界の門がすごく不便なところにあるから、毎回電車で行くより車で行くほうがいいかなって」
「なるほどね」
「車って買ったことがないからお店を探すところから始めないといけないんですよね」
「じゃあ、私が付き合ってあげるよ」
「え? 大丈夫ですよ、1人で」
「甘いね。車を買うのも意外に面倒なんだよ」
いつの間にか忍先輩の顔がいつもの年下の後輩を見るものに戻っていた。
「そうなんですか?」
「例えば、日向くん、駐車場持ってる?」
「ないですよ。でも、車は異世界にいる間は異世界の門の近くに止めますから」
「それじゃダメなんだよ」
「どういうことですか?」
「車は買うときに登録してナンバープレートを貰うんだけど、その時、駐車場を登録しなきゃダメなんだよ」
「へえー。そこにはほとんど車を止めなくても?」
「法律にそんなの関係ないから」
他にも忍先輩は俺がいかに車のことについて知らないかを実例を挙げて指摘して、俺の車選びに付いて来ることになった。俺は嬉しいんだけど、面倒なことに付き合わせて先輩に申し訳ないな。
話の流れから分かるように忍先輩は車を持っている。イタリア車の高そうなスポーツタイプのやつだ。
普段の質素な忍先輩とはイメージが違うから驚いたけれど、以前聞いた時に、機械を操縦している感じがするのがいいんだと笑っていた。機械工学はお父さんの影響で選んだだけかと思っていたけど、本当に機械の好きな人なんだなと思ったことを覚えている。
俺と忍先輩は、大学の近くの先輩の家からそのイタリア車に乗って、俺のアパートの近くの不動産屋へと向かった。
目についた3軒ほどの不動産屋を回ってみて、予想外の賃料の高さに悩んでしまった。どうせ月に数日も使わないかもしれないものにこんなに払う意味があるんだろうか? アパートの家賃ですらもったいない気がしてるのに。
「んー、いっそのこと、私の家の駐車場を貸してあげようか?」
「え? それは悪いですよ」
「いいって。どうせ日向くんがこっちに来た時は、父に報告するのに私の家の駐車場に車を止めるんだから。ちょっと父に聞いてみるね」
そう言うと、俺の返事も待たずに忍先輩は遊佐教授に電話を掛けてしまった。教授はすぐに電話に出て、話は1分もかからず終わってしまった。
「いいって。ついでにアパートも引き払って私の家に引っ越したらどうだって言ってた」
「い、いいですよ、それはさすがに。駐車場だけで十分です」
「そう思って、それは断っておいたよ」
「ありがとうございます」
やれやれ。遊佐教授にも困ったものだ。
その後、中古車ショップに行って、国産のステーションワゴンを1台買った。なぜ新車にしないのかと聞いたら、新車は納車に時間がかかることがあるから急いでるなら中古車を買うほうが無難だと言っていた。
それでも手続きがいろいろかかるため、忍先輩が結構粘ってくれたが、納車は出発ぎりぎりの3月31日にしかならなかった。
代金は、例の金食器の対価として貰った給料の前払い分と、こつこつ貯めてあった俺の貯金を切り崩して払った。
その他、親に連絡したり(遊佐グループに就職すると言ったらむしろ喜んでいた)、政治経済や軍事の本を読み漁ったり、退学の手続きをしたり、料理や農業の本を買ったり、1ヶ月分の食料を買い込んだり、アパートの掃除をしたりして過ごした。
意外にすごく忙しかった。
そして、4月1日になった。




