第12章「高岡新報の人と話しました」
【前回までのあらすじ】
俺の名前は日向。一泊二日の温泉旅行から帰った俺と楓を迎えたのは三倉国からの使者のだった。
正使の則勝は大した人物ではなかったが、副使の信基は自らを赤石国国王、基鋼の使者と名乗り、日向国を基鋼に明け渡すように要求した。
使者が帰った後、俺達は今後の方針を相談し、俺は高岡へ直接出向いて岩瀬屋の提案に回答をすることにしたのだった。
明日行く、と一度は言ってみたものの、あれこれ準備をする必要があって結局出発は翌々日となった。
温泉旅行の時のように休日扱いではないので、泊まりがけになるので国王不在時に来客が来た時のことを考えて楓に国王代理として全権委任していくことにした。
撫子が主に担当していた軍の指揮はインフラ復旧作業と兼任で桜が担当することになった。
蓮華の世話は結局柊にお願いすることになった。俺が担当すると決めたのに、俺が世話をするより柊に任せていることのほうが多い気がするのは気のせいではないと思う。
分担を決めてから、それぞれと留守中にやるべきことについてあれこれ話し合った後、俺は1人で宮殿に置かれている高岡新報を取り出してきて、高岡の情勢のおさらいをした。
といっても、持っている高岡新報は楓たちが買い出しに出かけた時に買ってきたものしかないので、俺が異世界に来る前から楓たちが買っていたものを含めても20部程度しかない。
しかし、その程度のものでも重要な固有名詞を拾い上げるくらいのことをするにはかなりの役に立つ。
高岡で最も重要な商会は2つある。1つは言わずと知れた岩瀬屋だ。そしてもう1つは平生組という商会だ。
平生組は高岡において岩瀬屋と匹敵する商会とされているが、事業内容には差がある。平生組は西夏北部から南下する街道「鉄の道」を使った域外貿易をほぼ独占している商会だ。
日向国が生産した鉄鋼は西夏北部ですべて消費するわけではない。むしろ、その大半は域外へと輸出され、帝都を中心とした各地で消費される。その輸出をほぼ一手に取り扱っているのが平生組だ。
域外貿易に経営資源を集中しているため、域内での事業にはそれほど興味を持っていない。そこで岩瀬屋との共存が図られているというのが、この2つの商会の関係である。
基本的にはこの2つの商会のことだけを考えていればいい。というのが、この世界の人の一般的な見解だろう。日向国の主要生産物である鉄鋼を取り扱う規模と能力を持っているのはこの2社以外にはほとんど残されていない。
しかし、俺にはもう1つ興味を持っている商会があった。高岡での取扱高3位と目される湊守だ。
湊守は深津国に本拠地を持ち、海上貿易を行っている商会だ。主要な取扱品は農産物で、金属は取り扱っていない。ただし、岩瀬屋を見習って野沢国でわずかながら鉱山経営にも投資している。産出した金属はおそらくすべて平生組へと売り払っているのだろう。
不思議に思わないだろうか。鉄鋼のような重量のあるものをどうしてわざわざ陸路で輸送するのか。船の方が安く大量に運べるのに。
国王だからといって高岡に行くのに従者を数多く引き連れて行ったりはしない。そもそも人数が少ないのたから連れていけるような従者もいない。だから、同行者は最少人数だ。
俺と撫子、それから桜の推薦があった尚五という青年の3人だ。
そのうちの尚五は前日のうちに宿の確保や会談のセッティングなどのために先行させている。
俺と撫子はいつものハイブリッドカーに乗って、高岡に向かった。
今回は自動車は見られても仕方ないと割り切ることにした。この世界にある魔力自動車と外見は大きな差があるわけではないので、余程注意深くなければ疑問を持つことはないだろう。
はたして、高岡に着いても特に自動車の事について聞かれることもなく、尚五と合流してホテルへとたどり着いた。
自動車について聞かれないのは、多分、高岡が裕福な街で自動車の所有者が珍しくないという事情もありそうだった。市内を走っているとちらほらと他の自動車を見かけたからだ。
ホテルでは車を従業員が預かって駐車場へと移動させると言われたが、運転が難しい車だと断って自分で運転して駐車した。
ホテルに着いたからといってのんびり休んでいる訳にはいかない。今日は立て続けに会談の予定があるのだ。
まず最初は高岡新報の編集長だ。会談場所は専用にホテルの一室を借りている。
素早く高岡新報へと向かった尚五により、数十分後には編集長がホテルへと到着し、会談が始まった。
「初めてお目にかかります。私、高岡新報の編集長をしております、「青燕」と申します」
「日向国国王です。こちらは撫子」
「これはこれは、稀代の法書士として有名な撫子様ですね」
「撫子をご存知なのですか?」
「もちろんです。何年か前に中央の方でとんでもない才能の学生がいると有名になったことがありましたから」
「それは大げさすぎます」
撫子は照れているようで、困った顔をして目を泳がせていた。
「それで、現代に再臨した勇者陛下。本日はどういったご用向きでしょうか?」
「高岡新報では新聞に載せないような情報も個別に相談すれば売っていただけると聞きまして」
「内容と金額に依りますが」
「金額については事前に尚五からお支払いしてあると思います。内容についてはすこし話をしてから決めさせてください」
「結構でございます」
青燕はにこにことした表情を崩すことなく話し続けていた。言葉には全く訛りがなく、中央出身か、あるいは長い間中央にいたのではないかと思った。
俺はテーブルの上に置かれた鉄製のコップから冷たいジュースを一口含んで喉を潤し、話を続けた。
「具体的な質問に入る前に、高岡新報で扱っている情報の概要について伺いたいのですが」
「かしこまりました」
と言って、青燕は高岡新報の概略を説明し始めた。
高岡新報とは高岡の商人に向けて日々の経済情報を届ける新聞だ。もともとは市場の値動きを記録しているだけの新聞だったが、次第にその値動きの背景にある事情を取材するようになり、今のような経済紙という体裁を取るに至った。
なので、取材内容も高岡での経済活動に関係していることに限定される。ただ、高岡の商圏は西夏北部全域をカバーし、かつその外部とも取引があるため、その限定の範囲内であっても詳細はかなり多岐にわたる。
「日向国の動向も私どもの取材対象ではありますが、僭越ながら、まだ国としての基盤が不安定で高岡経済への影響が未知数ですのであまり力を入れてはおりません。一度、旧赤石国の産業についてのレポートを出した程度でしょうか」
「しかし、日向国を巡る各国や商会の動向は調査しているのではありませんか?」
「さて……」
そう言って青燕は笑みを浮かべた。そこから先はただでは教えないということか。
さらに、日向国の情報を売って追加の取引をするというオプションもやんわりと断られた形になった。余程の内容でなければ取引には乗ってこなさそうだ。
「では、岩瀬屋のことを聞かせてください。先日、日向国に持ち込まれたプロジェクトの成否見込みと、岩瀬屋がそれを推進したい理由について」
岩瀬屋の提案内容についてはわざとぼかして言った。この内容位は言わなくても把握していなければ、取引にならない。
「岩瀬屋はこの10年ほどで急成長を遂げたのです」
青燕の話は昔話から始まった。
11年前の事件は単に赤石国が消滅したというだけでなく、西夏北部の経済に対して激震を与えるものだった。
主街道が鉄の道とまで呼ばれるほどに鉄鋼生産の比重が大きい経済において、その主要産出国が突然消滅したのだ。経済活動が無事に済むはずがない。
もう一つの鉄鋼産出国である野沢国はもともと鉄鉱石の埋蔵量が赤石国よりも少なく、また多くの鉱山の老朽化が進んでいて簡単に増産できる体制ではなかった。
そんな中、岩瀬屋が野沢国を支援して廃鉱山を再開発したり、新鉱山の調査発掘に取り組んだりして、野沢国の鉄鋼生産高を大きく向上させたのだ。
その結果、西夏北部の鉄鋼生産高は大幅に回復し、ピーク時には届かないものの最高でその三分の二近くにまで到達したのだった。そして、岩瀬屋の鉄鋼生産におけるシェアも急上昇し、資本関係にある鉱山のシェアは四割以上、独占販売契約のある鉱山は実に七割にも上った。
日向国の出現でもっとも危機感を抱いているのは岩瀬屋に違いないと青燕は考えていた。日向国の動向次第で西夏北部の鉄鋼生産のシェアが激変するからだ。
というのも、野沢国の廃鉱山が廃鉱になった理由が、そもそも旧赤石国の台頭と関連していたのだ。旧赤石国で新鉱山の開拓が進み、老朽化した野沢国の鉱山が価格競争力を失ったのが最大の原因だった。
それを、赤石国の消滅が引き起こした鉄鋼供給力の減少による鉄鋼の価格上昇、そして過剰労働力による人件費の低下の2つの要因が重なって、廃鉱山を復活させる条件が整い、そこに全力で投資をして一気にのし上がったのが岩瀬屋なのだ。
だが、日向国の台頭はその条件を根本から覆す。
すでに世界の市場での鉄鋼価格、その他の金属価格は横ばいからわずかながら減少に転じている。ここ数年の価格上昇を支えてきた旺盛な需要に変化は見られないので、日向国の台頭が与える影響を見極めようとしているのだと考えられる。
岩瀬屋としてはここで先手を打って日向国の鉄鋼生産のシェアを確保してしまいたい。うまく行けば、岩瀬屋の市場シェアは更に拡大して支配力を強めることができる。
日向国の台頭は岩瀬屋にとって、危機であるとともに好機でもあるのだ。
「ここだけの話ですけれどね、岩瀬屋は日向国との商談がまとまったら、野沢国の岩瀬屋資本の鉱山の大半を廃鉱にするつもりみたいですよ」
え、そんなことをしたら野沢国の経済活動が大変なことになるんじゃ!?
「そのことについて野沢国はどう思ってるんですか?」
「それについては別料金になりますが」
「……分かりました。ちょっと考えさせてください」
確かに、岩瀬屋のあの提案、野沢国の鉱山を廃鉱にしてそこから人員と資材を持ってくれば実現は可能だ。しかも岩瀬屋にはそれをするだけのメリットがある。
しかし、国境を超えての人員や資材の移動には野沢国の方から制限が掛かるかもしれないし、野沢国の他の鉱山が岩瀬屋との取引を中止するかもしれない。
岩瀬屋はそのデメリットを乗り越えられると考えているんだろうけど。
「率直なところ、青燕さんはこの岩瀬屋の賭け、成否はどうだと思いますか?」
「分の悪い賭けではないと思います。岩瀬屋の真意に野沢国が気付く前に勝ちきれるかが勝負の決め手でしょうね」
「気付いてしまったら?」
「さて? いずれにしても、岩瀬屋としては最終的に陛下が勝てばよしなのではないかと思いますが」
俺は青燕の妙な含みのある言い方に少し首を傾げた。
最終的に勝てばよし、とはどういう意味だ?
しかし、青燕はこれ以上この件について話す気はなさそうだ。ならばこれは俺の宿題ということか。
岩瀬屋の話が終わったので次の質問をしなければならないが、俺は迷っていた。野沢国の話を聞くべきだろうか?
高岡新報に今回支払った金額からは質問は2つしか聞けないので、次の質問が最後の質問になる。野沢国の事を聞いてしまったら、もう一つの懸案事項である自称赤石国国王の基鋼の件が聞けなくなる。
野沢国と基鋼、どちらの話を聞くべきか。
野沢国には鋼泰がいる。後から彼の話を聞くことができるはずだ。ただ、彼の話を聞くのは最短でも松郷に帰った後になるので、今回の岩瀬屋との会談には間に合わない。
じゃあ岩瀬屋との契約を先延ばしにすればいいかというと、基鋼のことが気にかかる。基鋼と三倉国が岩瀬屋と先に契約してしまったら、俺達には後ろ盾がなくなってしまう。
ただ、今心に引っかかっている青燕の言った『最終的に勝てばよし』という言葉の含みは、野沢国の内情を聞いても解決しない気がする。これはむしろ岩瀬屋の方の問題じゃないかと思うのだ。
と考えるなら、むしろ今は、基鋼の事情を聞いて岩瀬屋との契約にどの程度の猶予があるかを探るほうがベターなのではないか。
よし、決まった。
「では、次の質問です。赤石国国王、基鋼について聞かせてください。特に、先日の使者、信基の要求の背後関係を中心に」
「……申し訳ありません。先日の信基の要求というのは一体?」
青燕が頭を下げてそう聞き返したことに、俺は少し違和感を感じた。
基鋼が日向国を明け渡すように要求したことは、三倉国の内意を得てのものだと考えていた。であれば、少なくとも三倉国首脳の間には情報が回っているはずだ。
それに、基鋼が赤石国再興後のことを考えていたら高岡の商人にコンタクトを取っている可能性もあってしかるべきだ。
そうすればどこかのルートから高岡新報に情報が漏れて先日の信基の訪問の裏の意図に青燕が気づいていてもおかしくない。
しかし、青燕はそのことについて全く知らない様子だ。これは思ったよりも基鋼の動きが遅いのか、それとも極秘裏に事を進めなければならない事情があるのか?
いや、そもそも青燕は本当に基鋼の動きを知らないのか、それとも知っていてその情報を隠しているのか?
「信基は三倉国からの使節の副使として来て、赤石国国王、基鋼の代理を名乗り、日向国の明け渡しを要求したのです」
「そうですか、基鋼様が」
そう言って青燕は少し考える素振りを見せた。
「基鋼様の要求については正直なところ初耳でございますので、背後関係について確定的なことは申し上げられません。ただ、現時点では何か具体的な動きがあるという情報は入ってはいません」
「あなたが基鋼の要求について知らなかったということは証明できますか?」
「それは、他の全ての情報と同様、私はこの商売、信頼関係でこれまでやってきましたので」
青燕から受け取った情報は全て、青燕自身の信用が裏付けだということか。つまりは、この情報を信用するもしないも俺次第ということだな。
とはいえ、青燕がここで嘘をつかなければいけない理由は特にない。もしあるとするならそれ自体が大きな情報になるが、今のところそんな心当たりはない。
ならば、今は青燕の言葉を信じておこう。
「代わりに私の知っている基鋼様の状況について、可能な限りお話しましょう」
青燕はそう前置きして、基鋼のことを話し始めた。
基鋼はオーク襲撃時の赤石国国王、良鋼の息子で第一位王位継承者だった。当時、12歳。
赤石国滅亡後は、基鋼の母で王妃である小麦の実家を頼って三倉国に身を寄せていた。
三倉国内では良鋼は所領を与えられることはないものの、客人という扱いではあったが上流貴族並みの扱いを受けていた。
三倉国の主導で行われたオーク討伐には旧赤石国の将兵を率いて参加しているが、討伐が成功することはなく良鋼は三倉国での滞在を続けるしかなかった。
そんな日々が続いて5年経った頃、心労が祟って良鋼が急死し遺言に従って基鋼が家督を継ぐこととなった。
所領を持たない良鋼は多くの臣民を養うことはできなかったものの、旧赤石国の臣民は依然として良鋼を主と仰いでいたが、基鋼の代になって求心力は失われ、オーク討伐も行われなくなってしまった。
むしろ、野沢国に逃れた分家の鋼泰のほうが年長で所領も持ち人望も厚かったため、基鋼よりも位階の上では下であったにもかかわらず、良鋼の死後は次第に旧赤石国の臣民は鋼泰を次の惣領として仰ぎ見るようになっていった。
「正直なところ、基鋼様は形の上では赤石国国王とはなっていますが、世間からは完全に忘れ去られた存在でした。陛下がオークを討伐することがなければこのまま歴史に埋もれてしまうだけの人物だったと思います」
「しかし、僕がオークを討伐したことで」
「はい。三倉国が日向国に干渉しようとするならば、基鋼様の存在はこれ以上ない重要なカードになりえます。ただ……」
「ん?」
青燕が何か言いよどんだことに引っかかりを覚えて見ると、青燕は少し首を傾げて言った。
「三倉国が旧赤石国にそれほど執着を覚えていたというのは少し意外です」
「というと?」
「そもそも三倉国は歴史的に赤石国を版図に入れることに消極的で、赤石国の独立をむしろ支援してきたという経緯があるので」
赤石国の鉱山は八越よりも北の山中にあって、時折出現するオークの被害に恒常的に悩まされる地域にあった。時にはそれらが首都の松郷の付近にまで出没することもあり、オークからの防衛のため常に過大な軍事費の負担が必要だったのだ。
そこで、三倉国の首脳はこの負担を嫌い、赤石国を独立させることでオークの被害が三倉国の経済に直接影響を与えないようにしたのだ。
「オーク被害のほとんどない野沢国ならともかく、日向国に三倉国が直接干渉しようというのはどうにもらしくない気がするのですが、もしかすると三倉国内部にも何か起きているのかも知れません」
「何か、というと?」
「それはまだ何とも」
そう言うと、青燕は黙ってしまった。
そして、俺もまた青燕と同様に考え込んでいた。
青燕の話から想像するに基鋼の要求は三倉国国内でコンセンサスの取れたものではない可能性が高い。むしろ、一部の貴族が基鋼を担ぎ上げて既成事実を作ってしまい、それを元に三倉国国内のコンセンサスを取ろうというのではないか。
そう思うと、三倉国の正使の則勝は昼行灯といっても差し支えないほどの人物だったが、あれはむしろ何の外交成果も期待させず、三倉国国内を欺くための方便だったのではないか。
問題は、その一部のグループが一体どれほどの「一部」かということだ。
「青燕さん、基鋼の母の実家はどういう家なのですか?」
「三倉国で3指に入る家柄の有力貴族です」
基鋼が単独で三倉国内で工作をするのは非現実的だろうから、母の実家を巻き込んでいることは間違いないだろう。それが三倉国で3指に入る貴族となれば、やはり無視できる勢力とは言えない。
「分かりました。では、最後に1つ」
「追加料金になりますが?」
青燕は俺の言葉に慌てず騒がず顔色一つ変えずにそう返した。
「いえ、これは質問ではなくてただの提案です。今すぐという話ではないのですが、日向国の経営が軌道に乗ったら松郷に来て新しい新聞を作っていただけませんか? 商人向けではなく、官僚向けのものを」
「……考えておきましょう」
青燕との会談はそうやって終了した。急に新しい情報がたくさん入って一服置きたいところだが、そうも言っていられない。今日はまだまだ予定が詰まっているのだ。